櫃008 整う都合
口は災いの元とは、よく言われる諺だ。
ただ、災いかどうかは後々になってみるまでわからない。
どんな結果が訪れるかはその時によるだろう。
要するに、口から人に向かって出た言葉はなかなか取り返しが付かないってこと。
なぐれた擦は止まらんね。
「最初から、魔道士になる覚悟はあったけどな……」
飲んだ食ったの夜が明けた、次の早朝。
私は毛布が部屋の隅に蹴っ飛ばされた、寒々しいベッドの上で目を覚ました。
二日酔いの疼痛に苛まれた頭で昨日の高らかな宣言を思い出すと、より一層、痛みが増してくる。
……やっちまった。
「あー」
枕に顔を押し付けて、声が漏れ出る。
酒のせいだ。勢いだった。いや、ソーニャに答えにくそうな質問が振られたから、気を利かせただけだったのだ。
その全部が揃っていたせいで、裏目に出た。私の口から、とんでもない言葉が飛び出したのだ。
何て言ったのか、詳しいことは覚えてない。勢いだったし。
だけど、とんでもない魔道士になるって言った事だけはしっかり覚えている。
その後の皆の盛り上がりようも。それからの、夢と希望に満ち溢れた話の変遷も。
「ぁあー魔道士にはなりたいけどさぁー!」
声だけじゃ足らずに、脚までもがベッドの上で暴れ出した。
恥ずかしさと煮え切らない程度の熱で、朝の目覚めの寒さもかき消される。
なんだよ、ランクAの魔獣を倒すような魔道士って。
そんなのほとんどバケモノじゃねえか。絶対クラインよりつえーよ。
でも、あれだけのことを言っちゃったんだ。
今更になって“やっぱやめる”なんて言えない。言った後の白けた空気に耐える自信がない。
「うう、畜生……」
ああもう、頭が痛い。私に逃げ道はないのか。
逃げ道……。
「……鉱山」
私の口から、ここしばらく出なかった単語が紡がれた。
逃げ道。一つもないわけではない。
私には、いつでもひとつだけ逃げ道が残されている。
たとえ私が魔道士になれなくても。この水の国の学園から、ひょんなことで退学扱いをされたとしても。
鉄の国のデムハムドに帰ってしまえば、いくらでもやり直しは利く。
そもそも私が魔道士になろうと決心したのは、この街に来て、学園に入学して、それからしばらくしてからのことだ。
最初から魔道士になろうと思っていたわけではない。むしろ入学した当初は、さっさとデムハムドに帰ってヤマ仕事に戻りたいとさえ思っていたくらいだ。
私の天職は、鉱夫で間違いない。
后山、先山、キリダシ、クランブル。仕繰と鍛冶以外なら大体なんだってやれる自信がある。
仮にデムハムドでなくても問題ない。遭遇する魔獣が最も危険なのは、デムハムドの鉱山が世界一なのだから。
デムハムドの鉱山が駄目なら、ロチネル鉱山に行くのも手段の一つ。金さえ気にしなけりゃ、割は安いが、リトネイヨの炭鉱でも食い繋いでいける。
鉱夫を続けていれば、食いっぱぐれない。
身体強化もあるし、男だけの世界に飛び込んでいくだけの力と覚悟もある。
「……魔道士」
けど、私の人生は鉱夫だけじゃない。
ピックとスコップを振るうだけが能だと思っていた私は、この国にきて、自分の新たな可能性を見つけたのだ。
確かに魔道士は大変そうだ。
なにせ、理学だ。理学式なんてゴチャゴチャしててわけわかんないし、数学の講義なんて直接頭を焼き切ってくるおぞましい魔術でしかない。
魔道士になろうとするなら、それらと根気よく付き合っていかなきゃならない。
学ぶってのは大変だ。単調に岩を打ち砕く仕事とはぜんぜん勝手が違う。
人より脳みその少ない私にとっては、魔道士はまさしく修羅の道と言えるだろう。
「……」
枕に埋めた顔を持ち上げて、棚に飾られた赤陳のタクトを見上げた。
ナタリーとの戦いでぶっ壊された、私の最初の杖である。
私の魔道士としての努力は、このタクトから始まった。
ただの岩を生み出す魔術を、理学式を読み込んで、しっかり詠唱つきで発動させた時の衝撃と高揚は、未だに覚えている。
ナタリーとの闘技演習で受けた鋭い痛みも、観覧席からの威圧感も、勝利の雄叫びも。
このタクトは私の全てを刻み込んで、この棚に飾られている。
「……魔道士だな」
眺めているうちに、やる気と勇気が湧いてきた。
魔道士。すっごく強い魔道士。良いじゃないか。
どうせ夢を見るなら、大きくたっていいだろう。現実に戻るのは、目覚めてからでも遅くない。
「よし」
右手を強く握りしめ、硬い音を響かせる。
自分の中で、確かな覚悟が固まった。
酒の勢いの宣言通り、強い魔道士になってやろうじゃないか。
まぁ、もちろんそれも、これからの日々の積み重ね次第なんだけどね。
やること自体は今までとそうそう変わらないだろう。
けど、こうして目的ができた分、今までよりも意欲的に取り組んでいけそうな気がしてきたぞ。
と、そういう朝を過ごして、学園にやってきた。
いつも通り、どこか遠巻きに噂されている気配を感じながら講義室へと入る。
皆と顔を合わせ、昨晩の揚げ物は美味かっただの、マインタインのヒレだけは罪深かっただの、色々話しているうちに、いつも通りマコ導師がやってくる。
そして、講義が始まる。
ところどころのクラスメイトが机に突っ伏した気怠い講義室の、穏やかな時間。
いつも通りの、私の新たな日常だ。
「えー、今日は講義を始める前に、皆さんに少しだけお知らせをしたいと思います」
と、いつも通りの日常かと思いきや、今日は少しだけ違っていた。
「どしたぁ、マコちゃん。またあたしら仕事に駆り出されるのん」
『マコ先生! 力仕事なら任せて下さい!』
いや、私は別に、できれば仕事なんてやりたくないんだけどな。
せっかく今朝方に決心を固めたんだから、是が非でも講義にしてもらいたい所だ。
こんなタイミングで“特異科なんだから学園の手伝いだけやってればいい”なんて言われたら、さすがにグレるぞ。
「いえいえ、今日はお手伝いはありません。ただ、前にお手伝いをしてもらった時の、ご褒美の話が整いましたので」
「ご褒美?」
なんだっけ、それ。
マコ導師は嫌味なくにっこり微笑んでいるが、私達はその笑みの意図が掴めず、お互いの探るような顔を見合わせた。
「あれ、もう忘れちゃったんですか? ゾディアトス導師の部屋を掃除してもらったご褒美ですよ」
「……あー……?」
「そんなものもあったね」
そういえば、ねだったような気もする。
何だったっけ。
「ようやく話が整いまして……今日、リゲル=ゾディアトス導師が、皆さんと一緒に昼食を摂ってくださることになりました!」
「……あー」
ああ、そんな話あったな。
って、皆そんな顔をしている。
「ただ、特異科のお昼の時間は講義後ですから、参加は任意となります。強制ではないので、希望する方だけいらしてくださいね」
『先生! 質問があります!』
ライカンが空気の壁を貫く勢いで手を上げた。
「はい、ポールウッド君、なんでしょうか?」
『そのお食事には、マコ先生も参加されるのでしょうか!?』
お前必死だな。
「はい、もちろんです! あ、それとお食事中はゾディアトス導師への質問も受け付けているそうですよー」
『なるほどわかりましたッ!』
こいつ、絶対前半部分しか聞いてねえな。
しかし、リゲル導師との会食か。
光魔道士。全属性術士。名誉ある導師さんとの食事、めったにない機会ではある。
だけど、スズメからリゲル導師の話を聞いた後だと……少しだけ、あの人に苦手意識を持っちゃうな。
「ふむ、食事か」
隣のクラインは、興味深そうに呟いた。
こいつは普段からリゲル導師の講義を受けているだけあって、今回の昼食には好意的なようだ。
ライカンもマコ導師目当てに行くようだし、きっとボウマもくっついてくるな。
おそらく、珍しい物好きのヒューゴも来るだろう。
「……」
私の前に座るソーニャは、じっと机に突っ伏したまま、静かに眠っていた。
ソーニャが起きた時に昼の食事について訊いてみると、彼女は眠い目を擦りながら、静かに“行かない”とだけ言った。
何を思っての“行かない”なのかはわからないが、行かないと言うのであれば、それ以上問答を掘り返すこともない。
ただ、訊くだけ訊くべきだろうと思っただけである。
……仕方ないか。
ソーニャは、リゲル導師とあまり良い関係とは言えないのだ。
けどだからといって、私も行かない……とはなるわけではない。
私は私だ。そこに美味い飯があれば、ついていくとも。
それがタダ飯ともなれば、尚更断る理由もない。
今日の講義の内容は、数学。いつもと同じ、魔系数学だ。
銭勘定とは違った複雑な計算が多いので、あまり追いつけていないというのが、私の本音。
でも、形だけでもいい。見た目だけでもついていかなければ、魔道士への道はどんどん伸びてしまうだろう。
魔道士になると決めただけに、初日から必死である。ここを乗り越えるための決心だったのかもわからんね。
体感で三時限分くらいの辛苦をやり過ごし、問題の昼がやってきた。
マコ導師を先頭にゆっくりと歩きながら、第一棟一階の食堂を目指してゆく。
その間に色々な学徒とすれ違うのだが、その誰もが口を噤んで、静かに私達を見送っていた。
いつもならコソコソと陰口を叩いていそうな二人組さえ、話をやめてじっと黙ってしまう。
地下水道の一件から噂されることが多くなったにも関わらず、今まで体験したこともないくらいの異様な静けさだ。
きっと何か、理由があるのだろうが……それは、このちょっとした大所帯のせいなのか、それとも、先頭を歩くにこにこ顔のマコ導師のせいなのか。
なんとなくだけど、きっとマコ導師が原因なんだろうな……。
「やあ、特異科の皆さん。昼食に誘ってくれてありがとう。や、誘ってくれたのはセドミスト導師かな?」
「いえいえ、こちらこそ、お忙しい時間を割いていただいて、ありがとうございますー」
食堂では、既にリゲル導師が待っていた。
いつも通りのニコニコ顔、一周回って無表情といえなくもないリゲル導師と、ほんわかスマイルのマコ導師の対面だ。
特に良いことがあったわけでもないのに、この笑顔。悪い意味で言うわけじゃあないが、とても私には真似できない。
リゲル導師が座るテーブルは、食堂の中でも居心地が良さそうな位置にある。
直射日光に当たるほど壁際ではなく、衆目に晒されるという程真ん中でもない。都合のいい条件が上手い具合に揃った場所だ。
普通に食べているだけでも注目を集めてしまうリゲル導師がこうして座っていても、周囲の視線を煩わしく感じないのは嬉しい事である。
「ゾディアトス導師、初めまして。僕はヒューゴ……」
「ああ、私のことはリゲルでいいよ。苗字はどうも、自分で耳慣れなくて」
「リゲル!」
ボウマが嬉々として呼び捨てしやがった。
丁寧さを心がけていたヒューゴも思わず目を剥いている。
「うん、それでいい。私も若輩者だし、よそよそしくない方が嬉しいな」
でもそんな軽さがご所望だったのか、リゲル導師はニコニコ顔のまま歓迎してくれた。
「はぁ、それでは……リゲルさん、と呼ばせていただきますね」
「うん、ありがとう。本当は、そういう言葉遣いも良いんだけど……」
「いやいやいやいや、それはさすがに……」
ボウマは元々相手によって態度を変えないし、ライカンは遥か年上なので、そこまで姿勢を低くする必要もない。
しかしヒューゴにとってリゲル導師は、年齢的にも性格的にも先輩の導師だ。
彼にとってリゲル導師のフランクな性格は、とても扱い辛いものだろう。
けど、私から見てヒューゴとリゲル導師は、気質で言えば、わりと似た者同士な感じもするのだ。
同じ性格の人同士があまり仲良くなれないという話は、あながち間違いでもないのかもしれない。
テーブルに料理が並び、それにちょっかい出しながら、昼食会は淡々と進んでゆく。
基本的には常識人であるマコ導師とヒューゴを相手に、リゲル導師が話に答えてゆく雰囲気だ。
ボウマは普段食べることのできない高級な肉料理を前にして躊躇なく食い気に走り、ライカンはリゲル導師の話に耳を傾けている……かと思いきや、多分マコ導師を眺めている。
クラインはリゲル導師の開く講義には出席しても、世間話には全く興味がないのか、黙々とサラダにかかりきりである。
リゲル導師との会食だってのに、こいつら結局いつも通りじゃねえか。
ちったぁ意欲的に質問を投げかけてるヒューゴを見習ったらどうなんだ。
全くけしからん、と思いながら、私は季節の霜降り串に舌鼓を打つのであった。
「しかし皆さん、地下水道では大変だったみたいだね」
串の目算で食事会も中盤に進んだ頃、リゲル導師は薄く切ったリンゴをさくりと齧りながら、あくまで軽い調子で言った。
「ええ、大変でしたよ。素性の分からない魔道士は襲いかかってくるし、ゴーレムは出てくるし、おまけに危険な魔族まで……」
ヒューゴは疲れた調子で愚痴をこぼす。
既に日も開いているが、彼は水に落ちたりで、散々な目に遭っているのだ。
当時の災難は、まだまだすぐに思い出せるのだろう。
「レトケンオルム、だったかな。ああまで危険な魔族と都市内で遭遇するとは、運が無いと言わざるを得ないな。それも、例の謎の魔道士が召喚した個体だったんだよね」
「あの、召喚って、なんですか」
丁度いい場面で肉を飲み込んだ私は、軽く手を挙げて尋ねた。
会食の場で講義さながらの質問をするのもどうかなとは一瞬だけ思ったが、リゲル導師は少しも迷惑そうな風もなく、“それはね”と笑顔のまま、私の疑問に答えてくれるようだ。
「召喚とは、影魔術による空間転移全般を指す言葉だね。自分の使役する魔獣を喚び出すのはもちろん召喚だし、捕らえた魔獣を強制的に、強引に喚び出すような強制召喚も、召喚のひとつ。魔術によって物を出し入れするだけでも、それも立派な召喚だ」
物の出し入れ。
確かそれは、クラインのお姉さん、クリームさんが使っていた魔術だ。
あの人は何もない虚空から黒い指輪を取り出してみせた。あれも召喚ってことか。
物を喚ぶっていうのも、なんか変な気がするけど。
「地下水道の魔道士が使ったのは、強制召喚だろうな」
クラインは小さなトマトをヘタごと口の中に放り込み、言った。
……いやまて、お前それ、ヘタも食うのか。
「だろうね。レトケンオルムのような魔族を使役するのは、まず不可能だ。例の魔道士が使ったのは、きっとただ空間同士を繋げるような、簡単な魔術に違いない」
「……そっか、あの魔族は、自分を食わせるために呼び出したものだから」
「ああ、別に自分の支配下に置いておく必要はない。戦力の増強ではなく、証拠を消すこと自体が、あの魔道士の目的だったのだからな」
魔族を呼び出し、自分を食わせ、強い酸で証拠品を全て溶かす。
……つまるところ、おぞましい自殺である。
自分の存在を消し、苦しい死にあえて身を投じる。生半可な覚悟では、とてもできない芸当だ。
なぜあの魔道士が死を選んだのか。
大監獄を恐れたのか、親族に汚名が跳ねるのを防ぎたかったのか。
それを知る手段は、もはや残されていない。
「でもさー、あのでっけートカゲさぁ。レトケンオルム? だっけ。あれを自由に動かせたら、すんごい強そうだよなぁ」
おいおいボウマ、怖いこと言わないでくれ。
「もしもあの魔道士にそんなことが出来てたら、私達みんな死んでるよ」
『うむ、違いないな……あの巨体、あの魔力……それに、あの酸だ。流石の俺でも、なかなか勝ち筋が見えん』
ライカンの言葉からはなんだか、もうちょっと強ければ勝てるみたいなニュアンスが伺えなくもないのは、私の気のせいか。
「小さな魔族や魔獣を従えるのは、コビンもそうだしよくある事なんだけどね。さすがに、あそこまで巨大な魔族となると、とても人間には支配できないんじゃないかな」
「そうですねぇ」
ヒューゴの言葉には皆が頷いた。
ただ一人、リゲル導師を除いて。
「……リゲル導師?」
何か失言があったのかと、ヒューゴが心配そうにリゲル導師の表情を伺う。
リゲル導師はリンゴを摘む手を止めて、今日初めて見る本当の無表情を浮かべながら、じっとテーブルに俯いていた。
「ああいや、なんでもないんだ。ただ、昔に出会った暗殺者の一人を思い出してね」
暗殺者。
それまでやや重めだった話が、更にその空気を重苦しくさせる。
「……いや、もう既に亡くなった暗殺者だから、これは仮定と予想の話でしかないんだがね。あの悪名高き“アンケーロ”が生きていれば、レトケンオルムの使役も不可能ではないな、って、思ってさ」
アンケーロ。
三年前の事件で暗躍した、死してなお悪名高い暗殺者である。
アンケーロは突出した魔術の技能も、達人級の身体強化も持っていない。
おそらく対峙してしまえば、最も対処の容易な暗殺者の一人だろうと、リゲル導師は語る。
しかし、アンケーロの恐ろしさは、単純な魔術や気術によるものではない。
実際、アンケーロはそのどちらも使うことなく、数十人の高名な魔導士を暗殺してのけたのだから。
アンケーロが用いた暗殺術は、生物の使役。
彼はあらゆる魔獣や魔族を手懐け、己の友とし、標的を襲わせる。
獰猛な野犬を、狼を、荷馬車を引く温厚なコビンを、そして、郊外に跋扈する、凶悪な魔族さえも。
アンケーロの手にかかれば、どんな生物も彼に味方する。
狙われた魔導士の中には、十数年来もの間、連れ添ってきた愛犬に噛まれ、命を失った者もいるという。
たとえ逃げたとしても、少しでも衣服や匂いを残してしまえば、アンケーロは動物たちの嗅覚を自在に利用し、狩人のように追い詰め続けるのだ。
「あ、でもアンケーロはもうこの世にはいないから、心配することはないよ。雪山で私達が討ち倒したからね」
私達の恐恐とした様子を汲み取ったリゲル導師は、そう重ねて言った。
しかし、恐ろしいものは恐ろしい。
路傍の犬でさえも本気でこちらに襲いかかってくるとなると、心休まる気がしない。
匂いまで探り、本気で追い詰めてくるのだというのであれば、尚更である。野宿をしたら最後だろう。
もうこの世の人ではないというのが唯一の救いだが、魔術の世界をそんな危険人物が狙っていたなんて……。
入学したのが最近で、つくづく良かったと思う。
「アンケーロをこちらから追い詰めていくうちに、奴の最終兵器とも言うべき、大型の魔族とも戦ったんだ。Sランクの魔族が出てきた時にはさすがに焦ったし驚いたけど、その頃には人数も揃っていたからね、苦戦はしたけど、なんとかなったよ」
Sランクの魔族ってなんだよ。鉱龍でも出てきたのか。
リゲル導師の話す武勇伝は、いちいち一般人とスケールが違うから想像しにくい。
潜ってきた修羅場の漠然とした凄さは、伝わるんだけどな……。
「ま、まぁ、つまりだね。魔獣や魔族を使役するのに、際限はないってことさ。やろうと思えばどんな魔獣でも、どんな魔族でも味方にできる。意思疎通までは難しいかもしれないが、この事は覚えておいても損はないと思うよ」
私達のぎこちない想像に焦ったリゲル導師が、重い空気に突入した話を短く纏めた。
どんな魔獣や魔族も、従えるのは不可能ではない。
彼女の経験からくる確かな言葉なのだろうが、あのレトケンオルムの盲目の顔を見た私としては、そんなことがあり得るのだろうかと疑ってしまう。
けど、あの魔道士がレトケンオルムを自在に操れていたのだとしたら、きっと私達の命は無かった。それは間違いない。
……怖いのは、魔術だけじゃないってことか。
「散々脅かしてしまったけど、この学園にいる間は、そんな危険に脅かされることもないだろう」
『魔道士は大勢いますからな、暴れようなどと思う奇特な輩は、居りますまい』
「うん、それもあるしね。あと、この学園自体が魔道士の立ち入りを強く制限しているから」
『ほう?』
魔道士の立ち入り制限、それは初耳だった。
マコ導師がチーズクッキーを食べながら“あれ? 知らなかったんですか?”と言いたげに首を傾げているけど、それくらい当たり前の事なのかな。
「裏門も正門も、常に二つの警備室から監視されているんだよ。人が歩いて来ようが馬車が入ってこようが、警備員にとって知らない人間ならすぐに止められてしまうし、馬車も入園時には、必ず中身をチェックされるんだ」
「へぇー」
「そーなのかー」
リゲル導師よりも学園の事に疎い辺り、私達の未熟さが知れている。
まぁ、警備の度合いなんて気にしたこともなかったし、私自身は何も止められることなく入れているので、意識のしようもないんだけどさ。
「三年前の事件では影魔術の召喚や転移が猛威を奮っていたから、その対策なんだろうさ。さっきも言った通り、学園内で強力な魔族なんて召喚する、ということもできなくはないからね。そうなる前に、立ち入りそのものを制限して、不審者を拒もうってわけだ。単純だけど、最も確かな対処法だ」
「へー……じゃあ、学園って他人は入れない……?」
「うん、当然、そうなるね。一般人は庭園に立ち入ることすらできないんじゃないかな」
ミネオマルタの警備は、私の想像以上に厳しかったらしい。
世界で一、二を争う理学機関なのだから、当然といえば当然だが。
「皆はもしかすると、学ぶことについて、あまり好きではないのかもしれないけど」
リゲル導師は最後のリンゴを食べながら、残りのシードルも一気に煽る。
「たとえ学外の活動に強い魅力を感じたとしてもね、まぁ、その気持はわかるんだけどさ。私も一導師としてはね、学徒さんにはお金稼ぎよりも、安全で実りのある学園内で、知的な学園生活を送ってほしいなと思うところだね」
「うっ」
傭兵紛いの活動をしていないで、学徒なら勉強しろってことか。
そう言われると、ちょっと厳しいな。
「はは、なに、今まで勉学にしか興味を持てなかった導師からの、ちょっとした愚痴のような、小言だよ。気にしないで」
「ははは……」
頑張ります。




