函016 省みる少女
「だめじゃないですか! ウィルコークスさん!」
私はマコ導師による、厳しいお叱りを受けていた。
場所は特異科専用の講義室。
観覧席での騒動が会場全体に知れ渡ると、特異科の学徒は皆ここへ押し戻されてしまったのだ。
私が引き起こした騒動による見学の中止。
しかし私は、そのことで納得できていなかった。
「でも、先に突っかかってきたのはナタリーの方でした」
「だからって手を出すなんて、いけないことですよ!」
マコ先生は眉を吊り上げて怒っているが、語気も表情も全く怖くない。
年上の、目上の、男性の怒りとは思えないほど和やかなものだった。
それ故に私も折れず、思うままに自分の考えを吐き出してしまう。相手の反応を伺って紡ぐ反論の、なんと薄汚いことだろう。
「あいつはわざわざ観覧席に登ってきてまで、私達に“使えもしねー穀潰しのネズミ”だとか言い放ったんですよ! あそこで手ぇ出さずして、どこで出すって言うんですか!」
「それは、気持ちはわかりますけど……もうちょっと穏やかな方法が……」
「あいつの態度を見ればわかります! あの言い草は、あの顔は、話し合いなんかでどうにかなる問題じゃない!」
そう、私は未だに怒っている。ナタリー、あの女はどうしても許せない。
これは相手が一度、頭を下げるなり言葉を撤回するなりしなければ、こっちも退けやしない問題だ。
熱くなる私の肩に、小さな手が置かれた。
ボウマの手である。
「まあまあ、ロッカ、落ち着けって」
「……ボウマ」
「ありがとな! あたしは嬉しかったよ!」
ボウマは白い歯を見せて、私ににかりと笑いかけた。
自分よりも落ち着いた年下の彼女の笑顔を見て、頭に上りきった血液も、ようやくほどほどに降りてきた。
……まあ、確かに。
あのままだと、殺傷事件に発展していたかもしれない。
「……悪い、熱くなった」
「きにすんな!」
「うん、気持ちは私もわかります。けどウィルコークスさん、相手を殴って怪我でもさせちゃったら、謹慎か……下手をすれば、退学となってしまうんですよ?」
「……退学」
退学目的で暴力沙汰など、私からしてみても野蛮にも程がある。
学園に籍を置かせてもらっているに近い立場上、さすがにそんな最期は真っ平だ。
それに私は、最近ではこの学園に居るのも悪くはないと思い始めていもいる。
ソーニャやボウマ、ヒューゴといった新しい友人を、そう容易く捨てたくはない。
とても短い間ではあるが、ほんの少しだけ入れ込んでしまった情が、良い意味で私の頑丈な枷となっているようだ。
でも。だからこそ私は、奴を許してはおけないのだ。
特異科に対する、悪意だけに塗れた暴言を。
「ごほん。……ですが、属性科のナタリー=ベラドネスさんが悪いのもまた事実です。彼女から手を出したわけではありませんが……」
「何もなしですか」
「いえ、そんなことはありません。ウィルコークスさんと彼女には、一週間分の学徒指令が出される事になると思います」
「一週間分……」
要するに学園内の奉仕活動一週間ということだ。
私は自分の拳の重みを理解した。
「咄嗟の事で、つい、という事もあると思います。けど気をつけてくださいよ? 次は謹慎もありえるかも……」
「……はい」
「うん、わかればいいんです」
マコ導師は安心したような笑顔を見せ、私の鉄拳を両手で握った。
赤褐色の右手は古いために傷だらけで、どれがいつのものかは判断がつかない。
今回もまた、傷がついたかも。いつか痛み出したら嫌だな。
彼女……彼はそんな手を、優しく握ってくれた。
「ウィルコークスさん。手、大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「はい、強化してたので……」
「……強化ができるんですね。強化した身体や物で人を殴ったらいけませんよ」
「……すいませんでした」
私はナタリーに拳を放った際、怒りに任せた無意識ながら、自身の腕を魔力で強化していた。
魔術とは対を成す、単純な身体や物質を強化する“気術”。私は魔術なんかよりも、こっちのほうが性に合っている。
私が気術を用いたからこそ、攻撃を受けたナタリーは規格外に大きく突き飛ばされたのである。
……彼女の杖が鉄製でなかったら。咄嗟に防御できていなかったら……。
それこそ、私の退学は確定的なものとなっていたかもしれない。
怒りに任せて学徒の腹を拳で貫き殺害。
勢い余って、など通用するはずもないことだ。下手をすれば監獄送りだった。
そう思い返してみると、改めて大変なことをしてしまったんだと気付かされる。今更になって怖くなってきた。
「けど、あのナタリーが一瞬“ゾッ”とした顔を見せるとはね、少しだけいい気分になれたよ」
私が人生の最悪ルートを妄想していると、重い雰囲気を破るようにヒューゴが笑った。
ボウマや他の者も、それを聞いて笑っている。
『そうだな。あの一瞬の表情、なかなか珍しい顔だったぞ』
「にしぇしぇ、ナタリー、きっと心の中ではかなーり焦ってたんだじぇ」
笑い声に、縮こまった私の心が少しだけほぐれた気がした。
一週間の雑用兼使い走りに任命されたこともあり、私の心中は複雑であったが、結果として友人達との仲が良くなったらしいので、差引で得だったとしよう。
あいつを殴ってよかった。
うん、私は正しいことをしたんだ。
やったことはどうであれ、私の気持ちに賛同してくれた皆がいることが、私にとっての何よりの救いである。
……なんて、少しは開き直っても、いいよね。
「もう……次から、気をつけてね?」
「はい。すみませんでした」
とはいえ、悪いことは悪いこと。
やっぱりどこか柔らかなマコ導師の物言いに、私は再度頷いたのだった。




