函015 関わらぬ双璧
観覧席から導師の叱り声が響いている。
声は、マコ=セドミスト。特異科の担当導師のものだ。
女性のような顔や声をしているが、男性なのだという。就任当初は随分と学園を騒がせたものである。
彼は今しがた起こった騒動に気付き、沈静化を図っているのだろう。だがそれも、ミスイにとってはどうでもいい事であった。
じっとこちらを見つめ続ける一人の男の存在こそ、ミスイにとっては最重要であった。
一年ほど前、学園に転入してきた特異科の問題児。
それから数カ月間続いた騒乱は、今でも誰もが思い起こせるものであろう。
まさか、一人の特異科学徒によって学園の空気がここまで変わってしまうとは。
そしてそれが、まさかよりにもよって、“あの”クライン=ユノボイドだとは。
「ミスイ、早く壇上から降りたらどうだ」
誰もが観覧席の騒動に目を向ける中で、壇上の外からミスイへ声がかかる。
声の主は、同年代が多いクラスの中で唯一“少年”と呼べるくらいには幼い男子だった。
「ええ、イズヴェル」
彼の名をイズヴェルという。
浅黒い肌と白髪は、異国の者を思わせるに十分な容姿だ。
周囲の学徒からは容姿やその才能も相まって疎まれているが、ミスイにとっては理学の話のレベルが合う、良き学友だった。
二人がこうしてペアを組むようになって、随分と経つ。
「余裕はわかるが、相手を侮辱するような闘い方はやめるべきだ」
「そうでしょうか……自分なりの努力をしてみたのですが」
勝者への喝采を受けながら観覧席を眺め続けていたミスイだったが、イズヴェルに誘われるとすんなりと石壇から降りた。
闘いの最中の事は、ミスイ自身でもよく覚えていない。
ミスイにとってジキルとの戦闘は、それほど印象に薄いやり取りだったのである。
定石とは言えない闘いだったが、頭の悪い敵を相手にするなら一番楽なやり方を選択したつもりだ。
攻撃なし、防御のための二手。
魔力消費の大げさな並行発動術こそあれど、あとは魔術生成物による感知と、冷気の初等術のみ。
手際は自分でも良い方だと自負できる。
「……」
その時、ふと、また観覧席が気になって目線を送った。
そこには既に、彼からの注目はなかった。
問題を起こしたか、巻き込まれたらしい特異科は、連帯責任ということなのだろう、観覧席からぞろぞろと退場するようである。
「ミスイ、またクラインを見ていたのか」
「ええ」
「何故彼に執着するんだい?」
「それは」
観覧席がうるさい。
去り際でも品のない女と見知らぬ女が殺意を露わにし、聞き取れない言葉で罵り合っている。
ナタリーがいるとろくなことにならない。
ミスイのぼんやりとした感想だった。
「それは、彼が注目に値する人間だからですよ」
「……ミスイ。君の好みの男性は、素行の変な男だとでもいうのかい?」
イズヴェルは本気で心配そうにミスイの顔色を伺いながら、そう訊ねてくる。
ミスイは顔にこそ出さなかったが、心の中では彼の可笑しさに笑ってしまいそうだった。
「イズヴェル、その括りは少々、大雑把すぎますよ」
「ん、そうか、すまなかった、ミスイ」
「いえ」
属性科三年Aクラスの双璧。
“冷徹のミスイ”
“激昂のイズヴェル”
彼らはまだ、観覧席での小競り合いを、本当に些細な小競り合いだとしか見ていなかった。
確かにきっかけは些細なものである。
しかし、そこから発展する事の運びは、彼ら二人の優等生を驚かせるに十分なものであった。




