箪007 息を呑む技術
「ナイトジェントルだ。“イアノ・テルス”」
クラインの指環が赤い輝きを放ち、アーチの天井に吊り下がった魔族を焼き殺す。
「ボウマ、爆破」
「おけおけ、“バーン”」
ボウマの手が暗い水面を内側から強く揺さぶり、中に潜む魚影を仕留める。
「今のところ、安全のようだな」
「……そうですね」
進路は順調そのもの。
障害らしい障害もなく、私達は滞り無く歩を進めていた。
時々道中を阻むものといえば、天井にぶら下がったコウモリか水中に潜む魚くらいのものなので、先に手を出してしまえば、危なげなどはこれっぽっちも無い。
同じ衝撃も数を重ねれば慣れてくるもので、水路を泡立てる爆発音にも、視界を明るく染める赤い炎にも、特に驚くことはなくなってきた。
飽きる頃にもなれば皆の反応に目を配る余裕すら生まれ、すると、手持ち無沙汰で居辛そうなスズメの顔が確認できる。
護衛や案内役として着いてきたはいいものの、思いの外自分の出番が無くて、しょげているようだ。
それは私の想像なのだが、彼女の顔はわかりやすいので、きっと間違いではない。
「……皆さん、本当にすごいですね、魔術」
「にひぇひぇ、まぁね」
大活躍のボウマは薄べったい胸を張り、へらへらと笑う。
普段は抑圧されているであろうお転婆が遺憾無く発揮できるので、さぞやこの道中は楽しいことだろう。人から褒められるのであれば、それもひとしおなはずだ。
「ボウマの魔術は危ないけど、その分だけ強力ではあるからね」
「にひゃひゃ、ヒューゴ、もっと褒めていいぞぉ」
「けど、実用の幅を広げるにはもうちょっと制御できるようにならないとな」
「ぐぬぬ」
ボウマの魔術を長く見てきているヒューゴには、長所はもちろん、その短所もわかっているようだ。
『以前も言ったがボウマ、それは川や海ではやるんじゃないぞ』
「えー、魚、いっぱい取れるのにぃ」
『絶対に駄目だからな。さすがの俺も、そんなことをしたら本気で怒るぞ』
「う……あぃ」
そして、行き過ぎる暴走には、あらかじめライカンが釘を刺しておく。
ライカンの言うことには割と素直に従うので、幼いボウマにとっては彼の存在もまた、重要なのだろう。
仲間であると同時に保護者役でもあるヒューゴとライカンは、どこか頼もしく、羨ましい。
私なんてボウマからは同い年くらいの友達で、イタズラの対象でしかないってのにな。まぁ、それでもいいんだけどさ。
「クラインさんやボウマさんの魔術もすごいですけど、以前に見たライカンさんの魔術も凄かった記憶があります」
『うん、俺の魔術か?』
「はい、セドミスト導師との闘技演習、私も見ていたんですよ」
『ほうほう』
内心でヒヤリとしたが、ライカンからは古傷に触れられたような反応は見られない。
どうやら、本当にあの時の敗北はほとんど気にしていないようだ。
「磁力の魔術を使った鉄の操作、あれには驚かされましたよ。鉄魔術とは違った切り口からの攻撃ができるのって、手の内が研究し尽くされた拮抗しがちな魔術戦においては強みになりますよね」
いや、何言ってるのかわからん。
『ふむ、だが俺からしてみれば、スズメのような基本的な魔術こそ、万能な対応力があるように思うがな』
「え、そ、そうですか?」
人を褒めているつもりが、褒め返される。
スズメはそこで素直に照れてしまうあたり、意外と褒められる経験が少ないのかもしれない。
「リゲル=ゾディアトス導師の護衛だから、やっぱり属性術の方も、かなり使えるんだよね?」
ヒューゴの問いかけに、スズメはどう答えようかなと頭を軽く掻いた。
否定も肯定もしない謙遜はある意味で、わかりやすい肯定でもある。
「わ、私は別にそこまで……長く習っていますけど、光魔術もまだ、使えませんから……」
いや、そこを基準にされたら誰だって腰が低くなるだろうよ。
水中の対処をボウマに、他をクラインとスズメに任せることで、次の鉄格子に行き着くまでは、ほとんど立ち止まることもなかった。
格子戸の正面では、どこからか水車が回る音と、柄杓が水を揚げて流す、慎ましい滝のような音が聞こえてくる。
この先が、地下四階。以前に調査隊が入り、傷が発見されたという階層だ。
階層は全てが錠つきの格子戸で隔離されており、それぞれ巨大な魔獣が行き来することはできないらしい。
それぞれがあまりにも広すぎるため、階層ごとの生態系も根付いてしまっているが、魔具による扉の隔絶は厳重なので、基本的には階層ごとに出現する魔獣も違ってくる。
要するに、此処から先には、まだ未知の魔獣が潜んでいるということ。地下深くになるにつれて、人の手による管理もまばらになるだろう。ともなれば、現れる魔獣や魔族だって、それなりに珍妙なものに違いない。
壁につけられた謎の傷のこともあるし、それなりの脅威が潜んでいる可能性は、十二分にあった。
「スズメ、地図を見せて」
「あ、はい」
今は、ちょっとした休憩時間である。
あらかじめ最短距離でここまでたどり着ける入り口を選んだものの、さすがはミネオマルタの地下水道である。予想よりもずっと長く歩かされたのだ。
この先にはさらに未知の危険が潜んでいるかもしれないので、しばらく足を休めて、小腹も満たそうというのである。
冷たい石の上に直接座るのは厳しいので、薄めのブランケットを下に敷きながら、カンテラを置いて、そこに腰を下ろす。
「地下水道は寒いだろうと思ってね、また持ってきたんだ」
「おぉー! スープだぁ!」
「ふむ、よくやったヒューゴ」
「え、それなんですか?」
ヒューゴが取り出した例の温かいスープに皆の視線が集まる中、私は干し肉をかじって、地図を見た。
今いるのが、地下三階の階段前。ここから降りれば、地下四階だ。
三階と四階の地図を、階段の部分を合わせるようにして重ね、カンテラの灯りに透かして見る。
すると、なるほど。
この地下も適当に広げられているわけではなく、いくらかの間隔を保ちながら、地下空洞を支える柱となるための区画を作っているようだった。
地下五階の地図も合わせて見たいところだが、こうして二枚の地図を見る限りでも、建造における高度な工夫の片鱗は見て取れる。
魔力を含んだ石造りは頑強だが、あまり構造を無視しすぎれば、当然ながら崩壊だってする。ミネオマルタの地下全域に底なしの空洞を確保するというのは、そう考えてみれば無茶な施工だ。
しかしミネオマルタの地下水道は、余裕を持たせた定間隔の支柱区画と、上層階を支えるアーチ型の天井を取り入れることで、その無茶を可能な限り無くしている。
……言ってみれば、美しい。
悔しいが、地下を掘ることに関してある程度の誇りを持っている私でも、この地下水道の技術は目を瞠るものがある。
そして、ここのように余裕を持った、計算尽くの切削作業ができれば、デムハムドの事故も無くなるのになと、同時に悔しくもあった。
『どうした、ロッカ』
「ん、すごいなって」
横からライカンの長い顔がぬっと出てきて、地図を覗く。
『ふむ、広いよな』
「ああ、馬鹿みたいに広い。目的の場所はある程度見当ついてるから良かったけど、この赤い印がなかったらと思うと」
『ちょっとした冒険になるな』
「最悪の冒険だね」
地下水道の格子戸を開けるための鍵は、それは昔の風習か、管理されていた時代の背景もあったのか、何種類か存在する。
地下のエリアによって鍵に対応する格子戸も変わるので、地図を無視してうろついていると、いざ上の階へ上がる格子戸を見つけたとしても、鍵が合わないなんてこともあり得てしまう。
そうなれば、ここは軽い迷宮だ。
地図や宛ても無しには、絶対に歩きたくない空間である。
「そろそろ行きましょうか?」
「そうだね、身体も温まってきたことだし」
「ああ」
しばらく足を休めて小腹も満たし、私達は再び出発した。
いよいよ、地下探索も大詰めだ。
傷の調査、報酬のためにも念入りに行わないとな。
「“テルス”」
蜘蛛の巣が行く手を阻むようになって、ついにヒューゴの魔術にも出番がやってきた。
彼の特異性である風が螺旋を描く性質は、実に効率よく蜘蛛の巣を絡めとり、消し飛ばしてゆく。
地下四階に降り立ってから、地下水道はより古臭さを増した。
その影響は、主に蜘蛛の巣と、苔である。
苔は水路の壁面にこびり付いているものなので、歩く度に滑るということはないのだが、蜘蛛の巣の方は目線の位置にある分、厄介だ。
杖で掻き分け掻き分け進むのが正道だけど、それでは払い損ねたものが顔にかかって気持ち悪いだろうということで、ヒューゴが露払いに名乗りでたわけである。
おかげ様で私達の進行はあいも変わらず、快適だった。
「ここで、十字路の左に曲がってから、しばらく先にある足場を渡ります」
地下水道が交差する場所にやってきた。
六メートル近くある幅の広い水路が交差しているので、道幅は変わらないのに、一気に拓けた空間に出た気分である。
「あ……でも、ここの十字路を越えて進む方が、ちょっと危ないけど、早いかもしれません」
スズメは羽型飾りのロッドで水面を挟んだ向こう側を指し示し、私達の表情を伺った。
水路の幅は四メートル。暗い場所で見れば恐ろしくもある川幅だが、走りながらであれば身体強化なしでも跳ぶのは難しくない距離である。
とはいえ、この中で身体強化が使えないのは、スズメを除けばヒューゴただ一人だ。
自然と、皆の視線がヒューゴに向けられた。
「いや、あのね。僕は身体を動かすのが不得意ってわけじゃないぞ」
「そうなんだ」
「ロッカ、怒るぞ」
「あひゃひゃ」
「おいそこ、楽しそうに笑うな」
ヒューゴは心底不服そうにむくれた。
まぁ、身長は私よりも高いし、体格も悪くない。私達の中で一番非力と言われれば、そりゃプライドに傷の一つもつくわな。
「“キュル・キュアー”」
そんな漫才をしている間に、スズメは水路にロッドを振り下ろしていた。
煌めく液体と冷気が水面に叩きつけられると、それは瞬く間に水路の幅いっぱいにまで広がり、氷の橋へと姿を変える。
「それじゃあ、お先に失礼しますね」
スズメは、見るからに厚さ数センチもないであろう氷に向かって、あろうことか飛び跳ねるようにしてその一歩を踏み込んでゆく。
が、水路上の氷は意外と頑丈なのか、スズメの思い切りの良い踏み込みの重量全てを受けとめて、そのまま彼女を向こう岸まで運ぶまで、一片も砕けることはなかった。
もしかしたら、生み出される氷の硬さは魔術を使う人の練度によって変わるのかもしれない。覚えていたら今度、マコ導師に訊いてみるかな。
「ふん、こんな距離、わざわざ魔術を使うまでもないだろう」
目の前で水魔術を使われたせいだろう。あからさまに不機嫌さを表に出したクラインも、強化を込めた軽い足取りで一気に向こう岸へ跳躍した。
「飛ぼうと思えば七メートルくらい飛べると思うじぇ」
『測ったことはないが、オレはどの程度だろうかなぁ。今度やってみても面白いかもしれん』
続けてボウマとライカンも、軽やかに水路を飛び越える。
あとは私とヒューゴだけであった。
「はあ、身体強化があれば、こんな助走も必要ないんだろうな。そこはつくづく羨ましいと思うよ」
「おー、頑張れ」
ヒューゴは私に流木のロッドを渡すと、数歩後ろへ下がり、しっかりと走りの姿勢を整えた。
「とうっ」
そして一、二歩と大きく踏み込む。
その二歩目の着地で、ヒューゴの身体が大きく前にスライドした。
「え」
「あ」
最後に足をついた場所に、不運なことに苔があったらしい。
だが私がそれに気付いた頃には、もはや何もかもが手遅れであった。
「どわぁ!?」
まるでそんな予兆はなかったはずなのに、ヒューゴは私達全員の意表を突いて、跳躍することさえ無く、ただ吸い込まれるようにして水路に落ちていった。
大きな水柱が派手に上がる。
『うおおお!? ヒューゴ!?』
「おい!」
「ぎゃひゃひゃひゃ!」
「ヒューゴさーん!」
まさか落ちるとは。本当に落ちてしまうとは。
あまりに予想外かつ鮮やかすぎる滑落事故に、根が純粋すぎるボウマ以外は咄嗟の笑いも出てこない。
「っぷぁ!」
水面からヒューゴが出てきた。
頭は打っていないようだし、そして泳げないわけでもなさそうで、ひとまずは安心だ。
『ヒューゴ、掴まれ!』
「……ああ、ライカン、悪いね……水路はとっても冷たいぞ」
「うひゃっひゃ! お、落ちた、ヒューゴほんとに落ちてやんの!」
「ちょ、ちょっとボウマさん! 笑いすぎですよ!」
水に浸って髪が張り付いたヒューゴ、悪魔のように笑い続けるボウマ、それをマコ導師のようにたしなめるスズメ。予期せぬ事態に、対岸はお祭り状態だ。
先ほどまでの緊張感は、ヒューゴの活躍と一緒に水泡に帰ってしまったらしい。
つーかボウマ、本当にそろそろ笑うのやめとけよ。確かに面白かったけども。
『引っ張り上げるぞー』
「ああ……」
「おい、早く引き上げろ! 水路から何かが来るぞ!」
「え!?」
クラインの危機感のある声が、緩んだ空気が硬く引き締める。
それは、時々ボウマが口にするような、質の悪い冗談などではなかった。
彼が指差す方向の先には、確かに水面を揺らす影があったのだ。
「うおお、頼む早く上げてくれ!」
『おう!』
「迎え撃つぞ!」
「は、はい!」
今まさにライカンによって引き上げられるヒューゴに狙いを定めたように、水路から大きな影が、牙を剥いて飛び出した。
一瞬見えたその姿は、紛うことなき小さな竜。
大きな胴体に長い首の、水棲竜デオルムその姿である。
「“スティ・カトレット”!」
「“ボカーン”!」
「“アイザック・テフトペンタル”!」
しかし竜の姿をじっと観察する猶予は、私にも、竜自体にさえも与えられることはなかった。
竜の細かな歯がヒューゴの脚に食らいつく前に、色取り取りの輝きが視界を真っ白に染めあげる。
ヒューゴに飛びかかった水路のケダモノは、オレンジ色の爆風と、色とりどりの光線と、回転する鋭利な刃によって腹を撃たれた。
複数の魔術の発現による大きな輝きの最中に巨体は焼け、あるいは消し飛び、ともかく、水竜は影も形もない肉片となって、微塵に砕け散ったのである。
笑っていたボウマからも容赦の無い一撃が飛び出してきて、ちょっと驚いた。
というか、私だけなんもしてねーな。ロッドを持っただけか。
無事ライカンによって水路から引き上げられたヒューゴは、珍しく余裕のない表情で大きな息をついた。
「……っはー、さすがに死ぬかと思った」
「災難だったね、ヒューゴ」
「僕はこんな役回りになる柄じゃないんだけどなぁ」
ヒューゴはぶつくさ言いながら靴の裏を恨めしそうに眺め、服に滴る水を絞った。
冷たい地下水道の水は、魔力の水とは違う。当然のことながら、すぐに乾くものではない。放っておけばそのまま、じわじわと体力を奪われてしまうだろう。
水が綺麗なのはヒューゴにとっての唯一の救いだったのかもしれないが、そのまま乾くのを待つのは、得策とも言えなかった。
「ウィルコークス君、暖を取るための火を作る。ヒューゴのロッドを渡せ」
「はいよ」
私は難なく水路を飛び越えて、クラインに流木のロッドを手渡した。
クラインはロッドを受け取ると、小さな洞の中に嵌め込まれた先石に手をかざす。
「火の魔術なら僕だって使えるぞ?」
「他人の作る火の方が暖かいだろう、“イアネスト”」
ロッドの先に仄かな赤い光が灯る。
ヒューゴは感嘆の声を漏らして杖を受け取ると、ありがたそうに懐に近づけた。
なるほど、身体を温める火を生み出す魔術なんてものもあるのか。
火の輝きはぼんやりとしているので灯りとしては使えないだろうが、寒い夜道を往くのには重用されそうである。
「大丈夫ですか? 気休めかもしれませんが、水気も払っておきますね。“テルジュ・ヘデル”」
今度はスズメの魔術によって、ヒューゴの肌に纏わる水滴が内側からの風によって吹き飛ばされた。
水気を瞬時に払う魔術。こちらもなかなか実用的だ。
「ありがとう、スズメ。いや、恥ずかしいところをみせちゃったなぁ」
「いえいえー」
ヒューゴ、至れり尽くせりである。
クラインが言うには、“水竜”とは実は語弊があり、正式な冠称は“泳竜”と呼ぶのだそうだ。
泳竜デオルム。それが、先ほどヒューゴに襲いかかろうとした魔族の正式な名前である。
一から二メートル程度の身体に鱗はなく、肌は柔らかい。
長くしなやかな脚と小さな手を備え、長めの首と大きなエラのついた頭部が最大の特徴だ。
図体の割に討伐難度がDという扱いがなされているのには、水中以外での動きの遅さや、そういった虚弱な部分が大きいのだろう。竜と呼ぶには、少々大げさな魔族であると言える。
「噛み付かれるのが唯一危険だが、水中に引き込まれない限りは何の問題もないはずだ」
とクラインは言っていたので、先ほどの衝撃のわりには、大して警戒する相手でもないようだ。
しかし、腐っても竜である。
四階層に来てようやく魔族らしい魔族が現われたのだ。その緊張感は、これまでとはまるで違う。
ここからは、気持ちを新たに進んで行かなければならないだろう。
「ぷっ……うくく……」
「おいボウマ、後で覚えておけよ」
「に、にひひ、だって……」
ボウマ、私はお前に言ってるんだぞ。
「そろそろ、赤い丸の所に入りますね」
「お」
どうやら私達は、ついに地図の赤丸の区画にやってきたようだ。
例の壁の傷があるらしい、念願の目的地である。
『多少のトラブルがあったが、なんとか無事に来れたな。いや、何よりだ』
「いやいや、まだ気を抜くのは早いよライカン。僕みたいに予期せぬ何かが起こるかもしれないし」
あれから数体の泳竜が現われたものの、それらは全て、文字通りの水際でボウマが片付けてしまった。
天井にはナイトジェントルがぶら下がっていたり、水の顕現たるアマミスなんかも飛んでいたりもしたが、雑多な相手は全て、クラインとスズメが処理している。
ここまでの私の出番は、見事に無しであった。
「スズメ、地図はどんな感じ」
「え、あ、はい。ロッカさんが持ちますか?」
「うん、そうする」
せめて、ここからだ。
ザイキの役人さんに期待されていたように、ここから私の本領を発揮していくしかない。
私はスズメから地図を受け取って、現在地と水路の構造図を照らし合わせてみた。
「……しかし、よくよく見てみると、大雑把な丸の付け方してあるなぁ」
目的地、傷のあると思われる場所には、確かに丸がつけられていた。
しかし報告を上げた調査者の記憶が曖昧だったためか、その丸の径がとても大きい。運が悪ければ、ちょっと歩き回ることになりそうだ。
「ねーねー、ロッカぁ」
「んー」
「壁なんてどこも古くて、傷なんていくらでもありそうだじぇ」
「そうなんだよね……」
それに地下四階の水路ともなれば、内部構造は遺跡と呼べるほど古くなっている。
壁を構成する煉瓦もどこか脆そうで、魔獣の営みか自然の産物か、そこかしこに、それぞれを傷と呼べる程度の傷が刻まれていた。
傷と言われても、傷しかない。それはボウマの言うとおりであった。
「まぁ、でも調査報告するくらいだから、それなりに目立つ傷なんだと思う。それらしいのを見つけるまで、とりあえず歩いてみよう」
「それがいいだろう」
こうして、私達は地図上の丸い範囲内を、とりあえずは虱潰しに調べていくことに……。
「あ、傷あったよ」
「え」
と思ったが、なんとヒューゴが傷を見つけたらしい。
「ほら、ここに」
「あ」
ヒューゴがロッドで指し示す水路の向こう側の壁には、深く黒ずんだ傷が刻まれていた。
一度それ見てしまえば、他の傷など汚れにしか見えないほどの存在感を放っている。
「ほう、ヒューゴ。よくやったな」
「にしし、“汚名挽回”だなぁヒューゴ」
皆もそれを見て、報告にあった傷に間違いないだろうという判断を下す。
満場一致で、あの傷こそが怪しかろうとなったのだ。
「あれ、ロッカさん? どうしたんですか? 疲れた顔をしてますよ?」
「いや、なんでも……」
しかし、ヒューゴに手柄を取られてしまったか。
鉱夫として、せめて発見だけは私がしたかったのにな……。




