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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第六章 轟く雷鳴

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嚢020 轟く雷鳴

 朝、学園の正門を通った辺りで、私は庭園の奥の方の騒ぎに気が付いた。

 庭園を流れる細い小川に掛けられた、小さな石橋の上。

 その狭い場所でどうやら、何人かの男女が口論しているようなのである。


 短い距離で本棟へ向かうためには、刈り揃えられた芝草を踏みしめながら、あそこの石橋を渡るのが不可欠である。

 でなければ、見た目ばかり綺麗なだけの、古びた貝レンガの迂遠な道を歩くしか無い。

 石橋の修繕や芝の手入れが行われているというのであればそれに納得もできるが、たかだか他人の口論のためにそこを避けてやるのは、ちょっと気が引ける。

 なので、私は溜まっている奴らを肩で押しのけてでも通る事に決めた。

 その結果、近づいてみて、ちょっと後悔することになるのだが。




「大体なぁ、いつもいつもてめーは、この学園を好き勝手になぁ!」

「そうだ、これ以上お前のような奴の自由にはさせないぞ!」


 荒っぽい声は投げかけられるばかりで、肝心のそれを受ける側の人間からの声は一切聞こえてこない。

 見やれば、石橋の上に立っているのは、二人の女子と一人の男子。二人の女子は黒髪の臥来系で、見覚えがある。

 ラビノッチ騒動の際に魔術でちょっかいをかけてきた、ロビナとレドリアだ。

 幼気な印象がある男子の方は、ちょっと覚えがない。


 だが、あの二人を見た私は、ここで文句をつけられているであろう人物の想像がついた。

 丁度ロビナの陰になっていて見えないが、きっと奴に違いない。


「聞いてんのかっ、クラインっ!」


 ほれみろやっぱりだ。

 私はポケットに手を突っ込んだまま、ゆらりと一団に近づく。


「またそこで魚釣りやってんのか、クライン」


 声に気付いたらしいロビナ達は鋭い目つきをこちらへ向けてきたが、因縁深い私であることに気付くと、そんな険しさを一瞬戸惑いに乱してみせる。

 まるで、岩だと思って突いたものがロックジェリーだったかのような顔だ。


「ロッカ=ウィルコークス……てんめー……」

「なんだよ、その目は。私、別に恨まれるようなことしてないんだけど」


 ロビナは怒りを露わに私を睨み、隣のレドリアは冷ややかな目を私に向けている。

 年下らしい男子の方は、私よりもむしろ、先輩である二人の顔色を伺っているように見えた。

 ちなみにクラインは石橋から脚を放り出したまま、釣り竿を揺らしてもいない。


「恨まれるようなことはしてねーだと? 大有りだ! ジキルの肋骨を折ったの、テメーだろうが!」

「はぁ?」


 ジキル、名前はどっかで聞いたことがある。けど、誰だっけ、それ。

 思い起こしてみたが、この町に来てからは肋骨を折るような暴力なんて、偶然出くわした犯罪者にしか振るっていない。

 闘技演習でもジキルなんて相手とは当たっていないし、ロビナのそれは完全な言いがかりで間違いない。


「あんたの友達が骨を折ったっていうの、初耳だよ。なんだそれ」

「はぁ!? てめーすっとぼけんのもなーっ」

「ロビナ、落ち着いて。彼女の顔、本当に知らないみたい」


 どう返しても激昂するロビナの横で、レドリアが鎮める。なるほど、この二人はワンセットでやっと話が通じるということか。

 相方に言われればロビナの方もとりあえず怪しい矛先を向け続けるわけにもいかないようで、ただ私への気に食わなさは表情に残しつつも、なんとか顔を背けてくれた。

 また、石橋で釣りをするクラインの方に。


「おめーはずっと釣りばっかやってんじゃねーよ! こんな狭い場所に座り込みやがって!」


 ロビナは私へ向けかねた怒りを、再びクラインへ投げかけたようだった。

 どうあっても、暴れたり文句をつけたりしなければ気が済まない性格なんだろうか。傍から見ていると、ちょっと面倒な奴に思えてくる。


 が、私も前まではここで座り込んで釣りをするクラインに対して、彼女ほど激しくはないものの、同じような感情を抱いたのもまた事実。

 狭い場所に座り込んで釣りをする奴にも、非はあるのだ。

 だから無駄な加勢はせず、石橋にわずかに開いたスペースを通ることにした。

 ただし去り際に一言、クラインに言っておかなくてはならない。


「クライン、またその魚で怪しい薬を作るのかよ」

「ああ、同じ物をな」


 同じ物。つまり、あの白くてネバネバして勝手に動き出す、痛くて熱い薬か。


「てめーは私達だけ無視してんじゃねーよ! こらぁ!」


 それ以上関わるのは時間の浪費以外の何物でもないと思ったので、橋を渡り終えた私はさっさと講義室を目指して歩いた。

 まぁ、何か損したわけでもないんだけど。

 面倒でも、ちょっと遠回りすればよかったと、なんとなく思った。




「え? ライカン?」

『おう、おはようロッカ』


 私が特異科の講義室に入ってきて一番に目についたのは、教壇の上で謎の構えを取るライカンの姿だった。

 まっすぐ突き出した拳の先にボウマがぶら下がり、小猿のように楽しそうに揺れて、遊んでいる。


 様々なポーズを取り、腕にひっついたボウマをぶんぶん動かすライカンを遠目に眺めながら、私はいつもの自席に座った。


「やる気に満ちてるね、ライカン」

「私が来た時からそうよ。……ところで、うまくいったのかしら? ロッカ」


 前の席のソーニャが、微笑みを私に向ける。が、しかし私はあくまで、控えめに頷いておくに留めた。


「ん、マコ先生には言っておいておいた。それは、大成功だったと思うよ」

「演習の出場制限よ?」

「うん。そこは完璧だったと思う。けど、ライカンのあれは、一体どうしちゃったのさ」

「さあねぇ。まぁ、元気みたいだし、放っておいてもいいんじゃない?」

「まぁ、それもそっか……って、あ」


 やるべきことは全てやった気で、あとは平和な日常へ戻ろうかと思っていた所に、壇上でポーズを決めていたライカンがやってきた。

 肩の上にはボウマも乗っている。


『二人とも、俺は今日も闘技演習をやるのでな。ぜひ、見に来てくれ』

「あたしもいくぞー」

「いや、私、一応毎回見に行ってるから。わざわざ言わなくたって……」

『やや、今日のはな、特別なのだ』


 特別。十戦目ならばまだしも、十一戦目が特別とは、一体どういうことだろう。

 私とソーニャが同じ方向に頭を傾げていると、ライカンは内に秘めた笑いを堪えるように、肩を揺らしてみせた。


『実はな、今朝決まったのだが……今日の闘技演習、どうやら例の人が見に来てくれるらしくてな』

「!」


 ライカンの含み笑いと、例の人というあからさまなキーワードで、私とソーニャはすぐに気がついた。

 決まったのは今朝。つまり、マコ導師はこの朝早速、ライカンに対してアプローチをかけたというわけである。

 私の昨日の仕込みが、早くも効いてきたのだ。


「よかったな、ライカン」

『ああ、今までありがとうな、二人とも。色々と条件はつけられたが、俺としては良い場所に落ち着けたと思う』

「ん? なーライカン、ありがとーってなに? 何の話?」

『おう、ボウマよ、気にするな! 男と男の約束だからな!』

「うわほーい、どこにも男いねーぞー」


 ライカンはボウマを高く掲げ上げ、強引に話の流れを有耶無耶にしてみせた。

 理屈も流れもない完全な力技だが、ボウマくらいの相手には、これでも通用するのである。


 ともあれ、私とソーニャは目を見合わせて、お互いに小さく頷きあった。

 やった。これで良し。これでオッケーだ。

 私とソーニャによるライカンの恋路後押し計画は、ここでひとまず、一定の節目に到達したのである。




 そして時間は過ぎて、にこやかなマコ導師による二時限目の終了後。

 第二棟九階、いつも以上の人で賑わっている闘技演習の組み合わせ掲示板の前にやってきた私とソーニャは、ほとんど同時に、手荷物を床に落とした。

 掲示板の昼の組み合わせには、こう書かれていたのだ。


 “狼人のライカン”対“白偸霧(はくちゅうむ)のマコ”と。




「どういうこと?」

「……いや、私にもさっぱり」


 隣から静かに追求してくるソーニャの目から顔をそらし、私は遠くを見た。

 人、人、人。どこを向いても人ばかり。開始の合図が上がる前から、観覧席は人でいっぱいだ。

 十戦目のデリヌス戦も観覧席に大勢の人が集まったが、今日はその倍はいるだろう。

 闘技演習場にこれほど人が収容できるというのが、信じられないくらいだ。

 座席は当然のように満員、立ち見の姿も数えきれない。見渡せば視界に収まりきらないほど広いのに、人の重みで棟が崩れてしまわないか、心配になるような、人の圧迫感だ。


 マコ=セドミスト対ライカン=ポールウッド。

 特異科の導師と特異科の学徒の闘技演習が、どうしてこのような、ある種の祭りとも言える程の人数を集めることができたのだろうか。

 理由は、ちょっと耳に意識を傾ければわかる。


「マコせんせー!」

「きゃーマコ先生ー!」

「頑張れー! マコ先生ー!」


 マコ導師だ。会場に足を運んだほとんどの人が、マコ導師を応援するためにやってきているのだ。

 沸騰する声援の中からは、これまで十連勝してきた問題のライカンに対する非難やヤジなどは、そう大きく聞こえてこない。

 純粋なマコ導師に対する声援だけで、この広い闘技演習場の空間がビリビリと震えているのである。


「すごい人気だな、マコ先生……」

「……なんで、こんな事になっちゃったのかしら……」


 隣のソーニャが、ガクリと項垂れた。

 けど落ち込まれたって、何故こんなことになってしまったのか、私だって全くわからないのだ。

 私はちゃんと昨日、マコ導師に闘技演習場へ来るように……。


 ……あれ。でも、そういえば。



 ――わかりました。闘技演習は悪い事ではないですけど、ポールウッドさんの身体も心配ですからね。私から強く言っておきます


――はい。あ、でも言うだけじゃなくて、ちゃんと闘技演習にも……


――もちろんですよ。お昼、ちゃんと行きますからねー



「ロッカ、どうしたんだい? 買ったばかりの卵を籠ごと落としちゃったような顔してるけど」

「いや、なんでもない。ライカンがんばれー!」


 私は気にかけてくれたヒューゴと訝しむソーニャを振り切るように、とにかく今日は試合にのみ、意識を没頭させることにした。

 うん、今日は大事な試合だ。クラインも食い入るように試合を眺めていることだし、解説役の彼と一緒に、闘技演習の内容に集中することにしよう。


「なあクライン、マコ先生とライカンって、どっちが強いのかな」

「馬鹿かウィルコークス君。マコ先生に決まってるだろう」


 断言された。

 いや、まぁ、そうだよね。ごめん、これは私が悪かった。




「さあ、ポールウッド君! 朝に言った通り、私に負けたら一週間は大人しくしてもらいますからね!」


 白い壇上でライカンと向き合うマコ導師の格好は、いつものロングローブ姿ではない。

 沢山の刺繍で飾られた白地のケープは、晴れ着と呼ぶに相応しい華美なものだし、その下で真っ白な脚を惜しげも無く晒している濃紺色のショートパンツは、私がこれまで抱いていたマコ導師へのイメージとは大きく異なる色気と活発さがあった。男だけど。

 日頃のマコ導師を仮に日陰の才女と呼ぶならば、今日の壇上に立つマコ導師の姿は、軍服を纏った魔性の女であろう。男だけど。


 対するライカンは、その姿に目が眩んでいるのか、今自分が置かれた状況を冷静に把握するのに努めているのか、先程から頭を掻きっぱなしである。


『あ、あの……マコ先生。これは、一体……』

「なにって、もちろん闘技演習ですよ」

『しかし、学徒と導師が闘うなど、聞いたことが……』

「ふふ、闘技演習場の私闘において、学徒と導師の関係などはありません。ここは学園の施設ではありますが、水国の法の影響を強く受けた場所です。そこに学徒と導師の別け隔てなんて、ないんですよ!」

『……学徒も導師も、関係ない……』


 ライカンがぽやりと、斜め上を見上げた。

 しばらく呆けたようにそんな体勢のままでいたが、すぐに心の在処を持ち直したようで、ぐっと大きな拳を握りしめた。


『ええ、そうですねマコ先生! 学徒と導師、そんなのささいな障害に過ぎません!』

「え? 何の話ですか?」

『あ、いや、すみません、これはこっちの話で……』


 なんだか、ライカンの挙動がコロコロ変わって面白いな。

 あそこでは一体、どんな会話が交わされているのやら。


『……しかし、マコ先生、大丈夫なのですか?』

「何がです?」

『この、闘技演習に出てしまって……もしも、俺の攻撃がマコ先生に当ってしまったら』

「……ふうん」


 マコ導師がショートパンツの横に付けられた黒革のホルダーから、一本のタクトを取り出した。

 長さは三十センチほどで、柄材は綺麗な流線型を描く、艶やかな薄紅色の安蘭樹(ヤスラギ)だ。


 タクトが宙を切って、ライカンへと向けられた。

 マコ導師の、どこか妖しげな笑みと一緒に。


「“ボク”はこれでも元杖士隊、ワンドフォースのヘッドリーダーです。教え子に負けちゃうほど、杖の握り方は下手になっていませんよ?」

『……む、むむむっ』


 杖を向けられ、試合前ではあったものの、ライカンは気圧されたように数歩退いた。

 それはきっと、相手がマコ導師であるからこその怯みだろう。もしも目の前に立つのが他の魔道士であれば、彼はいつもの仁王立ちのまま、心は揺るがなかったはずである。


 が、ライカンも経験豊かな武人。

 目の前に立つ憧れの人がいつものほわほわとした先生ではないことに気付くと、腹と足腰に力を込めていない隙だらけの身体を構え直した。

 これまで十人の魔道士を倒してきた時と同じ、堂々たる戦前の闘士の如き立ち姿に。


『仕方有りませんな。これも、我が前に立ちふさがる試練であるならば……それがいかに残酷な運命であっても、越えてゆかねば、なりますまい』

「良い心構えですね。けど、ボクは負けないです。ポールウッド君にはしばらく、強制的に安静にしてもらいますから」


 マコ導師は不敵に笑い、ライカンは悠然と目を光らせた。

 二人が二十メートルの距離を置いて、黒い壇上で転移理式への登録を済ませると、いよいよ観覧席の熱気は最高潮に高まり、声援は耳が痛くなるほどにまで騒がしくなる。


 ついに、マコ導師とライカンとの闘いが始まってしまうのだ。

 導師と学徒。

 美女(男)と野獣(機人)。

 魔道士と闘士。

 好かれる者と、好きになってしまった者。


「これより、“狼人のライカン”および“白偸霧のマコ”による、中級保護の闘技演習を行う!」


 それは、多くの人々の目には見えないことではあったが、あまりにも残酷な闘いだった。

 好きな人のためにと戦い続けてきたライカンが、まさか、その好きになってしまった人と戦わなくてはならないなんて。

 運命の悪戯も、ここまで悪質なれば罪にも問えよう。


「闘技演習……開始!」


 だが、無情にも闘いの火蓋は切られてしまった。もう、引き返すことはできない。

 ライカンは、彼は戦わなければならないのだ。

 それが仮に、愛する人であったとしても。


『ウォオオオォオオオッ!』


 そして勝たなければならないのだ。

 自らの勇姿を、ここに強く示すためにも。

 強い男としての大前提、愛する人を守れると、愛する人よりも強いのだと、目の前のその人自身に、証明してやるためにも。

 それゆけライカン。負けるなライカン。


「ねえロッカ、あなた本当にどうしてこの状況になったのか……」

「ソーニャ、今それどころじゃないよ! もう始まるんだから!」

「……そうね」


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