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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第六章 轟く雷鳴

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嚢019 刻まれる致命傷

 学園の、始業前の朝。

 属性科の九階、階段を登ってすぐのロビーには、既に数人の人影が見られた。

 黒い岩のような肌をもつ魔族、灼鉱竜ラスターヘッグが展示されている。

 その拘束されている幼竜を収めた頑強な檻の前で、二人の女が話を交わしていた。


 一人は理総校の導師であり、全属性術士の称号を持つ光魔道士、リゲル。

 もう一人はその護衛として連れて来られた魔道士、スズメである。


 スズメは手元のメモの欄にチェックを入れて、一息ついた。


「この幼竜が、討伐傭兵ギルド“カナルオルム”からの贈り物ですね。魔族研究の材料として、第一権限をリゲルさんに。二次権限を学園に委託されてます。生命維持の手間などは、全て向こう負担だそうですよ」

「成体になるまで飼育しても、向こうが負担してくれるのかな?」

「え、成体までですか……」

「冗談だよ。成長変化が一定しない魔族だ、魔導枷があるとはいえ、途中で事故でも起きたら大変だ」


 黒い岩の塊の中で、黄色い瞳がぎょろりと蠢き、リゲルをまっすぐに捉えた。


「仮にも、討伐ランクAの魔族なんだからね」


 魔導枷の拘束によって大きな身動きは取れていないが、腹部らしき場所が呼吸のための膨張と収縮を、速いペースで繰り返している。

 視界に収めた彼女の魔力に何かを察知したのか、あるいは、人間の肉に飢えているのか。

 幼竜の気性が荒くなった理由は定かではないが、長きにわたって拘束され続けたこの魔族が未だに鋭敏な感覚を備え、本能を衰えさせていないというのは、確かな事実である。


「Aっていったら、他にも竜種が登録されてますよね?」

「ああ、白竜ツングースカ、砂漠竜ムラチ……どれも危険すぎて手に負えない種ばかりだねぇ。訓練された集団による緊急の対策を講じない限り、無防備な村や町ならば、すぐに壊滅してしまうほど、という基準らしいが」

「……あの頃は、そんなのを何体倒してきたか……今思い出しても、無茶な事をしたなって思いますよ」

「ははは、いやぁ、苦労をかけたね。申し訳ない」


 リゲルとスズメらが紡いだ光魔術体系化と闇魔道士打倒までの長い旅路の多くは、あまり語られていない。

 が、その道中は命がいくつあっても足りないほど危険で、ちょっとした作り物の英雄譚を凌ぐほどには、珍奇な旅であったのだ。


 否応なしに幾つもの修羅場をくぐり抜けてきた彼女らにとって、たった一体の幼竜などは、もはや枷無しであったとしても、危険でもなんでもない。

 が、彼女たちが長い旅の中で学んだことは、そんな危険と遭遇しないように立ち回る、安全を講ずる術の尊さである。


「じゃあスズメ、この幼竜は学園に寄贈してくれないかな。私は専門じゃないし、この子の研究よりも他に、やることがあるからね」

「はい。それじゃあ、そのまま学園の魔族科さんに譲渡しちゃいましょうか」


 確認を終えたスズメはメモを閉じ、先を歩くリゲルの後ろ姿を追いかけた。

 早朝であれ、二人にはまだまだやることがある。一限目の光魔術の講義に間に合うように、学園内の所用を済ませなければならなかった。


 そんな忙しい二人と入れ違いになるようにして、たった今、一人の大男が階段を登り、九階にやってきた。

 今この属性科でも話題の機人魔道士、ライカン=ポールウッドである。


『さて』


 ライカンがここに来た目的は、今や明白で語るまでもないだろう。

 彼は今日もまた新たな挑戦者を募るために、闘技演習の組み合わせ掲示板に自分の用紙を貼り付けようというのである。


 ライカンの出現によって、ロビーで始業前の世間話を交わしていた学徒達の間に戦慄が走る。

 いや、世間話というのは、あまりによそよそしい表現であろう。彼らは皆、最初からライカンが現れるのを見届けるために、ここで待っていたのだ。

 中には噂の先取りのために待ち構えていた者もいれば、単純にライカンと一戦交えてみたいと、中途半端な野心を燃やす者もいる。


 もっとも、彼に挑もうという輩のほとんどは、ライカンの姿を見て戦意を喪失してしまう。

 いかに遠距離での闘いに秀でた魔道士であっても、間近で二メートルを超える巨体を見れば、正面から立ち向かおうという気力が削がれてしまうのだ。

 現に、ライカンは既に属性科の魔道士を相手に十連勝を納めている身。

 三年Aクラスの猛者まで倒していることから、実力の程には文句をつけられるはずもない。


 結果として、ライカンを遠巻きに伺う彼らは、終始ただ眺めるだけ。

 闘技演習受付で用紙に記入する間も、掲示板に貼りだされる間も、ただただ不自然に口数少なくして、そこに存在しているだけなのであった。

 数日前はライカンが記入した直後に、魚が撒き餌に食らいつくが如く、応戦希望の張り出しがあったものだが、今日この日、この場所において、そのような姿はみられない。


『……ふむ』


 熱が冷めたのだろうか。

 そんなことを思いながら、掲示板に張り出したライカンは、その場を後にする。

 しようとした。

 だが、その足がピタリと止まった。

 掲示板から振り返ってすぐ、目の前に立つ憧れのその人を前にして。


「おはようございます、ポールウッド君」

『ま、ままままっままままマコ先生!?』


 ライカンは音声にノイズを混じらせて、わかりやすく狼狽えた。

 彼にとっては不意打ちの中の不意打ちなのだから、仕方ない事だろう。

 しかし彼に向き合うマコ導師は、大げさな反応をおかしそうに柔らかく笑ってみせるだけであった。


『お、おはようございます、マコ先生……こ、このような場所でお会いするとは、じ、実に奇遇ですな!』

「ふふ、そうですね」


 ライカンは、マコ導師と出会ってから三年ほどになる。

 恋心を抱いた頃から計算しても、二年以上の時間を測り取れるだろう。

 それでも彼が未だにマコ導師との会話に緊張を覚えてしまうのは、彼が堅物過ぎるが故の、絶対的な経験数の少なさからくるものであった。

 “おはようございます”などの簡単な挨拶を除いたマコ導師との個人的な会話でいえば、今回は実に、半年ぶりにもなるのである。


「でも、実は奇遇じゃないんですよ」

『へっ』

「ポールウッド君がここに来るとわかってて、私も来たんですよ」


 その時、ライカンの眼光ランプは、かれの人生史上最も強く輝いた。

 遠巻きに見ていた学徒らは、後に語った。“爆発したかと思った”と。過ぎた余談である。


『そっそっそそっそれは』

「闘技演習担当の導師さんから聞きましたよ。最近、ポールウッド君はかなり無茶な戦い方をしているって」

『へ?』


 マコ導師は腰に手を当て、頬を膨らませる。


「中級保護の闘技演習だって、本当は何日も前からしっかり体調管理して、万全に臨まなければならない危険なものなんですよ? それを、日に二回、それも連続でやっていたこともあるんですって?」

『えっ、ああ、それは、その……』

「それに、百人抜きなんてことを計画しているって話じゃないですか。ダメですよっ、そんな危ないことをしたらっ」


 マコ導師の迫力なき叱責にライカンは心を折られ、叱られる飼い犬のように頭を垂れた。


「あと、危険な魔術を使用して医療室のお世話になったと聞きましたけど、本当ですか?」

『は、はい……』

「むー。研鑽を積むのは良いことですが、ポールウッド君、それはやりすぎですっ」

『も、申し訳ございません……』

「ユノボイド君といい、ノムエル君といい、ウィルコークスさんといい……みんな無茶ばかりで、先生は心配です」


 今、もしもライカンに涙が流せるのならば、子供のように流していることだろう。

 情けない顔を見せずに済んでいるのは、彼が機人であるが故のささやかな幸運である。


 マコ導師は、ライカンの闘技演習予定が貼りだされた掲示板を見上げ、ため息をついた。


「とりあえず、全くやってはいけないとは言いませんけど、これからは闘技演習を控えるようにしてくださいね。あまり予定を突き詰めてやっても、効果は薄いですし」

『ハイ……』


 意気消沈。百人抜きのやる気を根本からこそぎ落とされたライカンは、ここ数日の中で最も深く項垂れた。

 しかしさすがに、見るからに弱まった彼の姿に情けを感じたのか、マコ導師も彼のための救済策を考え込む。


「……まぁ、ですけど、どうしてもポールウッド君が戦いたいというのであれば、無理強いはしませんよ」

『え?』

「ユノボイド君という前例もありますからね。絶対にダメー、とまでは、先生も言いません」

『いや、俺、自分は、マコ先生がそう言うのであれば、それに……』

「だから、今日!」


 ずずいと、有無を言わさぬ人差し指が、ライカンの顎を閉じさせた。


「今日、十一戦目なんですよね」

『は、はい』

「今日、ポールウッド君が対戦相手に勝利できたら、認めてあげることにします」

『ええっ?』

「逆に今日の闘技演習に敗北した場合、また演習終了後に身体に不調を来たした場合、それ以上続けることは危険とみなして、一週間の闘技演習場での私闘を禁止としますからね!」


 ライカンは顎を開いて驚いた。

 彼としては、マコ導師の言う通りにすることが何よりのことであるし、百人抜きという無謀な計画だって、元はといえばマコ導師の気を引くために始めたことだ。

 妥当といえば妥当なマコ導師の提案であるが、ライカンからしてみれば、マコ導師からやめろと言われば、その時点で大人しく引き下がりたいところである。

 しかしマコ導師の勢いを伺うに、どうにもライカンが弱々しく口を挟む余地はなさそうだ。

 ライカンは困った。困った上で何も出来ずに、困り果てた。


 困った末に、彼はふと、あることに気付く。

 それは彼にとっては名案とも言うべき、冴えた発想であった。

 “これならいける、逆にいける”。ライカンは一転して自信を蓄え、ようやく口を開いた。


『……わかりました。でしたら、今日、勝利してみせましょう。難なく勝って、先生に俺の力を見ていただきます』

「! やるんですね?」

『もちろんです! 男ライカン、逃げも隠れもしません!』


 拳を握り高らかに宣言する。

 そう、彼は逆手に取ったのだ。形はどうであれ、逆に自分の力を見せつける機会がやってきたと考えたのである。

 “決まった”。その瞬間、彼だけがそう思った。


『では、マコ先生。今日の闘技演習、楽しみにしていてください。必ずや先生を安心させるほどの圧倒的な強さを、ご覧に入れましょう!』


 ライカンの中では、強さこそが男らしさ。強さこそが、格好良さであった。

 マコ導師が強い人が好きだという話を耳にしてからは、特にその単純な方程式への信奉ぶりに拍車がかかっている。


 彼は大胆な勝利宣言だけを言い残し、男らしい堂々とした大股歩きで、その場を後にした。




「……」


 去りゆく後ろ姿を見送りながら、マコ導師は悪戯っぽく微笑んだ。


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