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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第六章 轟く雷鳴

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嚢018 彷徨う迷宮

 前日に美術館で小金を使ったにも関わらず、高めの屋台に食指を伸ばしてしまった。ただでさえ自前の金には余裕がないってのに。

 この自分を甘やかす浪費癖は、故郷ならいざしらず、ミネオマルタにおいては命すら奪いかねない。猛省である。


 なのでその夜、私は共同浴場に通う日の間隔をちょっとだけ広げようかとかケチなことを考えながら、水路沿いを歩いていた。

 寮の近くを流れる水路と並び、灼灯に照らされた夜の賑やかな市場とは別の方向へ、目的もなくブーツの先を進めている。

 この散歩に深い意味は無い。ただの、本当にちょっとした散策である。


 藍色の空を見るに雨の気配はないが、括った髪を揺らす風は、それなりに寒い。

 ジャケットのボタンを閉めるほどではないものの、ポケットに突っ込んだ手を腿に寄せるくらいの肌寒さだ。


 こんな日は、温かなレモネードでも飲みたい気分なんだけどな。

 ミネオマルタのレモンは高いから、なかなか飲めるものではない。

 かといって、紅茶や温めたブドウジュースに手を出すほど、浮気な口寂しさに苛まれているわけじゃないけれど。


「そろそろ、父さんに仕送りが届いてるよな」


 故郷のデムハムドへ旅立たせた封筒の所在を想いつつ、私は野ざらしにされた青銅の長椅子に腰を降ろした。

 宿屋の前に放り出されているこの長椅子は、きっと昼間、外での昼食を食べる人のために使われるものなのだろう。

 長椅子の傍には、同じような意匠の青銅の丸テーブルが置かれていた。


 水路沿いには、小さな宿屋が点々と連なっている。

 小さいが、それらはどれも小綺麗な佇まいで、汚らしい印象などは微塵も感じられない。市場に近いここら辺は、まだ土地の値も高い場所なのだろう。

 一泊あたりの値段も、そこらの馬の骨な傭兵達では払えないような額に設定されているに違いない。

 それは、特異科生として特別に学園に籍を置いている私だって例外ではない。こうして夜、誰も使わない外の長椅子に厄介になるくらいが精々といったところだ。


 くつろぎついでに、丸テーブルに頬杖をつく。

 一人、離れた水路のせせらぎと、遠くの屋台のかすかな喧騒を聴きながら、黄昏る。

 思考はしばらくデムハムドの坑道を彷徨っていたが、すぐに現在の私が直面している問題へと帰ってきた。

 それはもちろん、ライカンについてである。


 しかしライカンについて、やるべきことは大方やったつもりだ。

 少なくとも、友達として協力してやれることの限りは尽くせただろう。自分で振り返ってみても、再度頷けるくらいには。

 それ以降の、マコ導師がライカンの勇姿に惚れるかどうかまでは、残念だがこちらで保証することはできない。

 明日、ライカンの闘技演習を見届けて、それで本当に最後となるだろう。


 ……正直、他人事ながら望み薄だと思っているんだけど。

 それでも、ちょっとはマコ導師の気が引けたらいいなと、純粋に心の中で応援し続けている。


 男と男。機人と男女。学徒と導師。ちょっと、とは控えめな、かなり捻れた恋愛だけども。

 それでも、まっすぐなライカンの気持ちを、後押しせずにはいられない。


「……恋か」


 ライカンの奮闘する姿を思い描きながら、私は柄にもなく自分自身の恋について考え始めた。

 本当、柄でもないことである。十八年間今まで生きてきて、一度として真面目に考えたことなどなかったのだから。

 けど、三十三になって本気の恋を始めたライカンのたくましい背中を眺めていると、柄でもない私だって、恋について考えてみたくもなるものだ。

 年齢的には、決して他人事ではないのだし。




 私は故郷のデムハムドでは、同い年の友人というものに恵まれない女だった。

 年の近い男でいえば、せいぜい二十五を超えた辺りの、見習いの仕繰方程度。

 その人はいい歳といえばそうなのだが、その頃の私は十二かそこらだったし、一回り以上離れた半人前の男に惚れるような要素は、残念ながらこれっぽっちもなかった。

 逆に下の方は、六つくらい下の聞き分けの悪い男が二人と、あとその弟と妹がいたりで、結構多い。

 けど私くらいの歳となると、奇跡的にぽっかりと穴が空いたように、遊び相手がいなかったのだ。


 今思えば、あまり年頃の遊びに興じず、父と一緒に坑道の仕事に没頭していったのには、そんな要因もあるのかもしれない。

 まぁ、父さんの仕事馬鹿っぷりも、当然あるとは思うけどさ。

 現場では歳の浮いた私に優しくしてくれる人は多かったし。


 しかしそう考えると、このミネオマルタでの人との出会いの多さは、私の人生において特異なものである。

 同い年ではソーニャやクラインがいるし、ちょっと上でもヒューゴ、下にはボウマがいたりで、彼らと話していると、今まで経験したことのないような、新鮮な安心感が胸の中にあることを自覚できる。

 巷の噂や、美味しい食事。綺麗な服を売っている店に、美しい景色が見れる場所。色々な感動や発見を、同じくらいの背丈の人と一緒に見ていられることが、すごく楽しい。

 けどその反面、恋心とか、惚れるとか、それらしい感情の起伏は、自分の中には感じられない。


「恋、か」


 こんな私にも、いつかライカンのような、燃えたぎって百人抜きしたくなるような恋をする時がくるのだろうか。

 父さんは、恋は唐突で、愛は果てしないとかなんとか、良く言っていた。母さんも似たようなことを言っていた。


 だからこうして過ごしていればいつか、ふとした拍子に、ライカンのように想像もできない形の恋をする時がやってくるのかもしれない。


「……っていうことは、女を好きになるってこともあり得るのか?」


 ライカンはあり得た。じゃあ、私もあり得るのか。

 現時点で仲の良いソーニャとか。

 やんちゃだけど嫌いじゃないボウマとか。

 実直で尊敬に値するルウナとか。

 好きというか、むしろ嫌いという言葉が一番似合うナタリーとか……うげ。


「やめよう、私は何を考えてるんだ」


 アホらしい、何が悲しくて女に恋しなきゃいけないんだ。

 それだったらまだクラインに……あれ? もしかして女も有りなのか?


 珍しく頭を使ったせいで思考の回廊を迷いに迷った私は、腹が鳴る頃には寮の自室へとんぼ返りした。

 私の考え事は不毛でしかなかったものの、明日はライカンの、少なくとも実りがあるだろう一戦だ。

 それに備えて、寝ることにする。


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