嚢011 追憶する残光
帰りに立ち寄った飲食店で、ソーニャと喋っている。
クラインから受け取った洞窟探索のお金もあるので、昼間からワインを飲めるくらいには懐が温かい。
「普段から肉体派だとは思ってたけど、ライカンがあんなに体術馬鹿だとはね」
ソーニャは大きな氷の入った水と、色々な豆が入ったスープを飲んでいる。皿には薄切れのパンが三枚乗せられているが、スープの器と大きさを比べてみれば、パンの方が添えられているように見えてしまう。
私の前には、脂っこい肉料理。そしてワイン。ソーニャの軽い食事とはほとんど真逆である。
けどスープと薄いパンくらいじゃ、食べた気がしないのだから仕方がない。
筋肉質な肉を、そのしっかりした歯ごたえと、滲み出る熱い油が感じられなくなるまで良く噛んで、ワインで喉へと流し込む。
「ぷは。……んー、私にとっては、ライカンは最初からあんな印象だったけどなぁ」
「あんなって、あんな?」
「いや、今日のあそこまではさすがに……」
と言いつつ、ライカンの最初の頃の印象を思い出す。
砂鉄の塊を蹴り上げて、寮の壁を四階まで走り、窓から部屋に、華麗に侵入。
「……うん、あんな印象だね」
感覚が麻痺していたけど、ライカンはそういう男だった。
ごく自然に、最初から気術の達人という認識でいたから、段々と気に留めなくなっていたけども。
思い返してみればあの人、学園の中では大分異質な存在なんだよなぁ。
「機人ってだけでも珍しいんだけどさ。顔のデザインも狼だし、体の大きさもあって余計に目につくのよね、彼」
「うんうん」
「だから、変な意味じゃないけど、自然と目で追ってるから……普段からおかしな事をするようには、見えなかったのよね。マコ先生以外のことではさ」
「武道に心血注いでいるとは?」
「特別、思わなかったわねぇ」
ソーニャはグリンピースだけを皿の端に弾きつつ、大きな匙でスープを掬って飲んだ。
グリンピース嫌いなのか。好き嫌いは良くないぞ。
「まぁ、今日見た通り、ライカンってああいう奴なんだよ。けど、暴力的ってわけじゃないよ。すっごく優しい」
「仲、いいのね」
「うん、結構……」
付け合せのサラダにフォークを刺しながらソーニャの顔を見ると、彼女は少しだけ寂しそうな目をしていた。
「そうだ、ソーニャ」
「ん、ええ? なに?」
「ライカンの事、手伝ってくれてありがとう」
「えっ、いきなり何よ」
「私からのお願いでもあったじゃん。それに、いつもソーニャにはお願いしてるしさ」
ソーニャには助けてもらっている。
その感謝の気持は、ちゃんとはっきりと言葉にして返さないと駄目だ。
私はなんとなく、その時は今なのだろうなと思った。
「気にしないで。私も好きでお節介焼いてるんだから」
私の言葉に彼女の頬は緩み、細められた目の寂しさはどこかに消えたようである。
姉のような微笑み。私に姉はいないが、確かにそう感じた。
「あ。気にしないって言ったな? ソーニャ」
「え?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ。実は、今ちょっと珍しい石鹸を探してて……」
「もー……まぁいいけどさっ。今度は何?」
軽く一杯のつもりだったワインは、昼のうちに二杯目を飲むことになってしまったのだった。
こんな、肩の力が抜けるような日があっても、たまには良いだろう。
と、大きく肩の力を抜いた翌日には、その事に焦りを感じてしまった私がいた。
昼間から酒。その後散歩。夕時に風呂。通りがかった吟遊詩人の珍しい歌と演奏を聞いていたら、一日が終わってしまったのである。
そりゃあもちろん、文句のつけようもなく楽しい一日だったので、それ自体を悔やんでいるわけではないんだけど、二百分ばかし勉強したくらいでその日ずっと遊んでいられるほど、私も怠惰な生活に慣れていない。
翌日の朝に一念発起し、私はオイルジャケットに入れた鑽鏨のタクトを確認して、ちょっとだけ早く学園を目指したのであった。
「“ステイ”!」
朝の屋外演習場で行っているのは、ちょっとだけ久々の魔術投擲の練習である。
だだっ広い大判のタイルが敷かれた屋外演習場には、私の他にも数人の学徒らしき姿が見られた。
各々は広い屋外でしか使えないような炎魔術や水魔術を放ち、感触を確かめているようである。
そんな中で私はといえば、いつも通り。
「“ステイ”!」
タクトを振って、頭サイズの岩を出し、投げる……かと思いきや、真下に落下させているのであった。
「なんで飛ばねえんだてめーはよ!」
本日記念すべき十回目の失敗に気を良くした私は、全力で身体強化した脚で岩を踏み砕いた。
遠くで魔術の練習を行っていた学徒の姿が、心なしか更に遠ざかった気がする。
まぁ、近くにいられると集中できないから、そっちの方が良いんだけど。
「はぁ。私はいつになったら、魔術投擲ができるようになるんだろ……」
ライカンの闘技演習を見ていて、思ったことがある。
私の使うような、蹴って倒したり、床に岩を張ったりするような魔術では、ライカンのような気術の使い手には、絶対に勝てないのだと。
いや、気術使いでないとしても、闘技演習場でのライカンが相手なら、多分蹴り倒した私の石柱でさえ、両手で抑えて“ふんっ”とか言いながら受け止めてしまいそうだ。
そのまま石柱を小脇に抱えて振り回してきても、何ら疑問には思わない。
「やっぱり、ここにいる以上は……そのくらいできなきゃマズいよなぁ」
ソーニャから聞かされた、属性科は全員が魔術投擲できるという話もあって、私は久しぶりに、自身の成長に焦っているのだった。
まぁ、そんな私の焦りをよそに、ライカンは今日も元気に楽しくやっているんだけど。




