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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第六章 轟く雷鳴
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嚢006 道連れる親友

 翌日、学園にやってきた私は、まずはソーニャに接触した。

 うつらうつらと頭を揺らす彼女の後ろから、なるべく驚かさないように声をかける。


「おはよう、ソーニャ」

「……あらロッカ、おはよ。昨日は洞窟だったんでしょう、疲れてないの?」

「うん、私はあんまり。慣れてるしね」

「慣れてるって……ああ、デムハムドなんだっけ」

「うん、そこのクランブルをやってたんだ」

「クランブル……?」

「優秀な先山のことだよ。ピックや鶴嘴を握って、切羽を削っていくの」

「ふーん、じゃあ、鉱夫らしい鉱夫ってことなのね」

「そうそう」


 クランブルは先山も后山(あとやま)も一手に行える、キリダシが勤まらなければもらえない称号だ。

 坑道内での知識が無ければ当然駄目だし、効率よく作業するための身体強化を持っていることも前提条件となる。

 デムハムドでは昨日の作業よりもずっと厳しい労働が連日続いていたので、私としては身体が鈍るくらいのものだった。


 しかし慣れていない人にとっては、そうもいかないのだろう。

 隣のクラインはそれまでの寝不足もあってか、今日の朝もどこかぼーっとした顔つきで本に視線を落としている。

 他も……と思いきや、ボウマは一晩で全快したのかライカンの狼の耳をいじって遊んでいるし、ライカンもされるがままに遊び相手になっている。

 ヒューゴがいないのは、いつものこと。

 明らかに疲労の色を滲ませているのは、この場にいないヒューゴを除けばクラインだけであった。

 ……みんな、わりと元気だな。数ヶ月も働けば鉱山でやっていく才能はあるぞ。


 まぁ、彼らについてはひとまず置いておこう。

 始業する前に、ライカンからの頼みがある。

 ソーニャと軽く打ち合わせしておかなければなるまい。


「ねえ、ちょっと相談があるんだけど、いいかな」

「うん? なになに」


 雑談もそこそこに、私はいつものソーニャ頼みに入った。

 このやり取りも慣れたのか、ソーニャはすぐに椅子を回して、好奇心に満ちた表情を私に向けた。


「相談といっても、これって私からの頼みじゃなくてさ。別の人から頼まれたことなんだ」

「うん? ロッカからの頼みじゃないの? 別の人から、私への頼み……?」


 私が声の大きさを落として話すと、雰囲気を悟ったのかソーニャの声も控えめになる。


「実は、ライカンからのお願いで。私と、あとソーニャにしか頼めないことがあるんだって」

「ライカン=ポールウッド? ううん……? ますます話が読めないわね…」


 ソーニャは難しそうに頭を傾げたが、これはきっとその程度の角度ではひねり出せない答えだ。

 謎解きに持ち込んで無駄に焦らす必要もないので、私は早々に衝撃の答えを告げる。


「実は……ライカンからの、恋愛相談なんだ」

「……」


 ソーニャの表情が固まった。


「えー……」


 そしてすぐに面倒臭そうな、気が進まないような、苦々しいものへと変化する。

 あれ。おかしいな。こういうお節介が好きそうな性格だと思ってたんだけど。

 手応えの悪さに私の方が閉口していると、こめかみを抑えたソーニャが苦笑いで訊ねてきた。


「その恋愛相談って、どうしても受けなきゃだめ?」

「え……うーん……私は、大丈夫って言ったし……実は、ソーニャならきっと力になってくれるって、ライカンにも言った後で……」

「あぢゃー」


 脱力したソーニャが私の机の上に倒れ込む。雲のようにふわふわした金髪からは、良い香りがした。


「ごめん、安請け合いしたかな、私」

「ううん、いいの。ロッカはライカンが誰を好きなのか、知らなかったのよね」

「え、うん。誰かは知らないけど、ライカンだから応援してあげたいなって」

「ロッカ、私はその無邪気さがいつか身を滅ぼすと思っていたわ……」

「え? 私滅ぶの?」


 嫌だよ、どうしてライカンの恋に関わったくらいで死ななきゃいけないんだ。

 ソーニャは知っているようだけど、ライカンの惚れている相手っていうのは一体誰なんだろう。


「ま、あまりやる気は出ないけどさ……ロッカがそう言ったなら、仕方ない。私も巻き込まれてもあげるわ」

「ほんと? ありがとう、ソーニャ。なんかごめんね」

「ええ、いいの。いいのよ……うん」


 ソーニャはそう言うと、憂鬱そうな溜息と共に正面の机に項垂れる。

 眠りの中に逃げるようにして丸められたソーニャの背からは、底知れない哀愁が漂っていた。


 お人好しな彼女の気が全く進まないということは、恋愛という問題において相当に厄介な女性に違いない。

 そしてライカンが私達から助言を乞うくらいだから、それはおそらく同い年程度の……二十か……そのくらいの、若い人だろう。


「うーん……?」


 一体誰だろう。

 歳が二十程度の、女の人か。この学園にいるかどうかはわからないけど、前にライカンが零していた“知性”というキーワードから察するに、学園関係者相手に恋心を抱いている可能性は、無くはない。

 私が知る中では、リゲル導師か、クリームさんか……いや、でも二人は外部から来たのだし、無関係か。


 とすると学園内に既にいる人で……ルウナかな?

 いや、その線は薄いか。ライカンはあまり属性科と関わっているような印象はない。あったとしても私にはわからない。

 導師さんなら若い女性も何人かいるけど、どれも別の学科だし、私の預かり知らぬところだ。

 となると、実際にライカンから意中の女性を聞いてみてからでないと、話は進まなそうだなぁ。




「みなさん、おはようございまーす」


 そんな事を考えている間に、時間切れはやってきた。講義室にマコ導師が入ってきてしまったのだ。

 ひとまずソーニャには話したので、導入は良しとしよう。彼女の気分が思いの外乗っていないのが気になるけど、なんとか成り行きとして手伝ってはくれるようだし。

 ライカンを交えての本題は、昼過ぎになるだろう。


『おはようございますッ! マコ先生ッ!』

「あら、ポールウッド君は今日も元気ですね。ふふ、おはようございます」


 しかし、ライカンの好きな女性か……。

 一体何者なんだ……。




 マコ導師による様々な帯杖方法の歴史について語られているうちに、二限分の講義は終了した。

 得たものといえば、ロッドの持ち運びの大変さを学べたことだろうか。紛うことなき雑学である。

 二百分間の講義の中身全てが杖の持ち運びに関する事というのは些か偏り気味ではないかと思うが、しかし聞いている身としてはなかなか面白かったので、結果としては良しだ。


 さて、その後は私達特異科にのみ許された、日中の馬鹿長い自由時間である。

 銘々、この時間を使って好きな事をするのだが、今日の私とソーニャに限って言えば、他人のために力を尽くさなければならないのだった。

 そう、尽くさなければならない。

 随分と気の進まない言い方である。何故こんなにも気が進まないかというと、それはつまりライカンの話を聞いたからだ。


 いや、だけど、まさかな。

 これはさすがに、聞き間違いに決まっている。そんなはずはあるまいよ。


「……今、なんて言ったの? ライカン」


 私はライカンの脇を小突きかけた肘を戻しながら、緊張を隠しきれない声で訊ねる。

 それに対してライカンはなんというか、酒をたらふく飲んだ後のような、角のない声で言い重ねるのだ。


『だからな、俺はマコ先生の事が』

「ごめん、もう一回……」

「はいはい、いい加減にしましょう。いちいち繰り返してたら日が暮れちゃうわ」


 私とソーニャとライカンは、第五棟の人気のないロビーで話し合っていた。

 そこでまず告げられたのが、まず最初に聞いて置かなければならない肝心の、ライカンの恋愛対象である女性の名前である。


 しかし彼が小恥ずかしそうに呟いたのは、あろうことか我らが導師、マコ=セドミストなのであった。




「まぁだけど、わ――」

「ちょ、ちょっとライカン、待てよ! マコ先生は男だぞ!?」


 ソーニャ主導で話が出航しそうだったところを、私が錨を落として食い止める。

 意中の相手がわかりました、はい了解しました、じゃあ次。って、そんな簡単に済ませられる話ではないだろう。

 だって、マコ先生は男なのだから。


「あのねぇロッカ……」

『ああ、俺だってわかっているとも。マコ先生は可憐で、美しい……だが、男であるとな』

「わかってるなら、どうして?」


 確かにマコ導師は綺麗だ。私も初対面の時には、彼が女性であると疑いもしなかったし、密かに憧れもした。

 自己紹介の時、早々にカミングアウトしてくれなければ、今日までずっと事実を知らずに過ごしてきたかもしれない。

 普段の細い声も無理している様子はないし、仕草も可憐で、黒板に書く文字が丸く可愛くて、あとなんか、とんでもない味の紅茶を作ったりもして……。

 けど、それでも……。


「……つ、付いてるんだよ?」

「ブッ」


 ソーニャが突然噴き出した。つばが掛かった。きたねえ。


『承知の上だ……』


 ライカンはこれから死に戦に赴くことを決意したかのような声色で、武人の如く神妙に頷いた。


「ライカン、まさかお前、そういう」

『いいや、俺は特別男が好きだとか、そういう事はない。三十三年も生きて幾度か惚れた奴もいるが、そのいずれもが女だったし、俺にも同性愛に対する一般的な偏見は、今でもある』


 良かった。別に、ライカンは誰でも彼でも狙いを付ける雑食狼ではなかったらしい。

 いや、良くないよ。一食だけなら許されるってわけでもなかろうが。

 それでも、齢三十三、ライカンは続ける。


『もちろん、俺もマコ先生に最初から惚れていたわけではない……なにせ、男が女の格好をして、女のように振る舞っているのだからな。この学園で出会い、最初のうちは戸惑うばかりだったさ』

「一日だけね」


 ソーニャの小さい呟きを大らかに流し、ライカンの語りは続く。


『だがマコ先生と共に過ごすうちに、俺の中で彼という存在が……特別なものに変わった、とでも言うのだろうか』

「惚れたんだ」

「一日でね」

『ああ。俺も最初は自分の中の変化に戸惑ったし、己の正気を疑ったとも……相手は男だ。何を考えているんだ、とな。しかし、マコ先生の花のような笑顔をもう一度見た時、ああ、この心は間違っていないのだな、と確信できたのだ』

「愛ってやつか、父さんも言ってた」

『ああ、愛だ』


 私はライカンと共に、深く頷き合った。

 愛は不変にして偉大である。何人もそれを侵すことはできない。父さんが酒を飲みながら、よく私に話してくれた事だ。


「待って待って、ちょっとライカンさん」

『水臭いなソーニャ、同じ級友だぞ。この折だ、俺の事はさんなど付けず、気さくにライカンと呼んでくれ』

「あー、わかった、ライカン、うん」


 ソーニャは突発的な頭痛にでも苛まれているのか、額を抑えながら私とライカンの間に割って入った。


「まぁ、ライカンがマコ先生のことを好きなのは誰もがずっと前から分かってたことだから……」

『なんだと!?』

「なんだって!?」

「あのさ、これ大事な話だから二人ともしばらく黙って聞いててくれないかしら?」


 大事な話か、なるほど、それは邪魔できないな。

 私はライカンと一緒に並ぶようにして、固く口を噤んだ。


「……けど、まさかライカンがそんな奇天烈なことを言い出すとは思わなかったわ。確かに、マコ先生が綺麗で可愛いっていうのは、悔しいけど私も認めるところだけどさ」


 大丈夫、マコ先生も可愛いけどソーニャも充分に可愛いよ。

 と褒めてあげたいけど、多分まだ話の途中だろうから敢えて言わないことにする。


「だけどさライカン、貴方はマコ先生が好きで、具体的にどうしたいわけ?」

『……』


 ライカンはじっと俯き、目に薄暗い光を湛えている。


「この国の……水の国の法律でも、あなたの故郷である火の国の法律でも、同性婚は認められていないわ。そもそも同性愛自体がどこに行ってもあまりいい目で見られてないし。というより貴方とマコ先生じゃ、それだけに限らず問題が山積みなのよ」

「問題?」


 私は首を捻った。

 問題なんて、男と男である時点で最大まで山積しているようなものじゃないかと思うんだけど。


「まず、そもそも男と男であること。同性婚は法律上できないし、人類の過半数が嫌悪感を抱くわね?」


 法律は結構緩めに作られていると思ってたけど、やっぱりそういう所もちゃんと決まっているらしい。


「次に年齢。悪く言うつもりはないけど、二人とも将来性を考えなきゃいけない歳よね」


 ライカンが三十三で、マコ導師が確か二十五だっけ。

 確かに、未来を考えなきゃいけない年齢だ……むしろ、少々遅いくらいである。


「あと導師と学徒。この学園に在学している以上、どんなゲテモノ同士でもそんな交際は認められないわ」


 ああ、そうか。

 マコ先生は導師でライカンは学徒って関係なんだった。すっかり忘れてた。

 学園で生活をしている間は、たぶん軽めのお付き合いもできないんだろうな……。


「それに人間と全機人っていう違い。……ロッカもいるし、下世話な話は控えるけど」


 ソーニャは湿っぽい咳払いで言葉を濁した。

 これは、ちょっとよくわからない。

 けど、機人と生身の人が違うっていうのは、よくわかる。

 私もこの右腕のおかげで、普通とは違う生活に苦しんできたから。


「ライカンの想いが本物だっていうのはわかってるつもりで言ってるけど、障害が多すぎるのよ。簡単な交際にしたって、極端な話、かけ落ちで同棲するにしたって、文字通り何の実も結ばないことはうけあいだし」


 ソーニャの言う通りだ。

 現状、法も身体も駄目だと言っているようなもの。マコ導師の心に一切尋ねていない今ですら、沢山の問題があるのだ。

 美女(男)と野獣(機人)。一対一の直線上の関係のはずなのに、二人を近づけようとすればやたらとごちゃごちゃしてしまう。

 

 道は険しいと言わざるを得ない。

 修羅と茨の道が三千里続いているようなものである。


「こんなこと、話すようになって早々に言いたくはなかったけど……悪い事は言わないから、マコ先生のことは諦めたほうがいいわ」

「ソーニャ、それはちょっと……」


 確かに、彼女の言うことは的確だ。その総評だって、きっと間違っていない。

 だけど、その一言だけではあまりにも、ズバリと言い過ぎなんじゃないだろうか。

 私がそう続ける前に、ライカンは手で制した。


『ソーニャの言う通りだ。……わかっているさ、俺がどれほど恋い焦がれようとも、この想いが叶うなどあり得ない事だと』

「じゃあ、ライカン」

『それでもッ!』


 吠えるような電子音が響く。

 強い感情を込めた一息に、私達は肩を竦ませた。


『……それでも、俺はそれを承知の上で、二人に託したい頼みがあるのだ』


 ライカンの声は恐れに静かに震えるような、弱々しいものだった。


「なによ、頼みって。この際だわ。難しいって自分でわかっているなら、仕方ないわ。力になってあげるから、言ってみなさい」

「うん、私もソーニャほどじゃないかもしれないけど、力になれるなら」

『いいのか……?』

「もちろん!」

『……すまない。くそ、歳を取ると涙腺が緩くなってたまらんな』

「涙腺ないでしょうが」


 ライカンの顔は水も一滴分も濡れてはいなかったが、袖はごしごしと強く目を擦る。

 この辺りの、“有るようで無い”という機人の気持ちは、きっと彼と同じ全機人にしかわからないのだろう。

 彼はしばらく涙を拭う素振りを見せた後、吹っ切れたように言った。


『でもやっぱり、簡単には諦めきれないからな! マコ先生に、好みのタイプや俺への印象などを、それとなーく聞いてきてくれ!』

「……」

「……」

『頼んだぞ!』


 そう言って、ライカンはグッと親指を立てたのであった。


 まぁ、なんというか。

 簡単には諦めない不屈なところが、ライカンらしいなと思うよ。




 しばらくライカンから、いかにマコ導師が美しいかという話をたっぷりと聞かされた。女二人の私達は、ほぼ真顔でそれを耐える。

 そうして人生の中でも指折りの無駄な時間を過ごした後、ライカンは昨日の魔石の受け取りのために学園を出ていってしまった。

 ライカン。話したいことを話し、頼みたいことを頼み、だけどやることはやる。好き勝手なもんだが、悔しい事にしっかりと芯が通った男であることは否定出来ない。

 しかしそんな、男の中の男であるだけに、この相談は非常に悩ましいのだった。


「いくら可愛いったって、男なのになぁ……」


 引き締まったコビンのチキンソテーを飲み込みながらも、疑問は腑に落ちない。

 マコ=セドミスト。確かに、あそこまで綺麗で可愛い男性なんて、この世には存在しないかもしれない。

 けど、だからといって、彼が女性であるわけではないのだ。男が惚れて良い相手でも、まして、その想いを抱き続けて良い相手でもないだろう。


「私達からしてみれば、不思議よね」


 私の正面の席のソーニャは、盛り沢山の香草に埋もれたブラッドソーセージを器用に切り分けて口に運んでいる。

 ここは、学園一階の食堂だ。

 本当は昼食程度なら簡単に安価なもので済ませたいんだけど、ライカンが洞窟探索の報酬と魔石の解析結果を持って昼ごろにまた戻って来るので、高い昼食を摂っている。

 やむなく、と頭に付けたいところだが、お高い食事もまんざらでもないので、まぁ、これもたまには良しといったところだ。


 しかし何につけても、頭に浮かぶ問題はライカンとマコ導師のことだ。

 ライカンはソーニャから厳しいお言葉を貰っても尚、マコ導師に固執している。

 よくわかっていない私から見てもライカンの分が悪いのは明らかなので、遠目から憧れるだけに留めておけばいいのにとは思うのだが、当の本人はかなり諦めが悪そうである。

 こうなっては、なんとかマコ導師の情報を引き出すより他に手はないだろう。

 無論、そんな後ろ向きな姿勢からもわかるように、私達はもはやライカンの後押しなどはしてない。

 どうにかして彼が諦めきれるような材料を探している、その真っ最中なのであった。


「私はわからないな、男が男を、とか。女が女を、とかはさ」

「私だってわからないわよ。だけど、ライカンに限らず、マコ先生の周りには特別多いみたいでさ」

「そうなの?」

「そうよ、有名なのよ、マコ先生に限っては」


 ソーニャが輪切りの小さなソーセージをフォークで突き刺したまま、その目をむこう側のテーブルへと向ける。

 彼女の視線の先には、女子学徒に囲まれながら幸せそうにコビンのささみ肉を食べるマコ導師の姿があった。

 毎度思う事ではあるが、あの構図の違和感の無さは一体何なのだろうか。


「彼の麗しい姿や、乙女らしい仕草に惹かれる男は多いらしくてね。学園に来てからまだ三年くらいだけど、初年度の騒動といったらすごかったのよ」

「どう凄いの?」

「人目を憚りながらも、マコ先生宛の恋文を出す男子学徒が続出したの」

「うわあ」


 人目を憚るのは別に良いけど、その行為に何かしら躊躇は無かったのかな。男共は。


「けどマコ先生も、そういうことには慣れっこだったみたいで。特に相手にもせず、いつも通りの講義を続けていたのよ」

「慣れてるんだ……」

「というか、あまりにも恋文を出した人が多かったみたいで、どこからかその事実が漏れて、芋づる式に他のもバレちゃってさ。すぐに広まっちゃって。ちょっとした問題になったのよね」

「ええっ」


 問題って、それって良いのか。

 いや、学園の風紀に関わることって、さすがに良いわけがないよな。


「まぁ、マコ先生がアプローチに応えたわけじゃないから、大きな沙汰じゃないんだけどね。当時は導師さんの数も少なくて、やめさせるっていうわけにもいかなかったみたいだし」

「三年前って、導師さんが少なかったの?」

「ええ」


 ソーニャが難しそうな顔で、輪切りのソーセージに齧りつく。


「……三年前の魔導士暗殺事件の煽りでね、結構な人数の導師さんが学園を出て行っちゃったのよ。その補充のために、杖士隊の人たちにもお呼びが掛かったらしくて……マコ先生も確かその時に、杖士隊から来たんだったかな?」

「えっ、マコ先生が杖士隊!?」


 つい驚きのあまり、肉を二欠片食べてしまう。

 杖士隊といえば、水国最大の魔道士集団だ。

 あんなにお淑やかで、手を添えながらサラダを食べるようなマコ導師とは、これっぽっちも結びつかない武力組織である。


「仮にもミネオマルタ学園の導師よ? 杖士隊出身くらいでなきゃ、ここでは学徒に物を教えられないって」

「あ、そうか……そういうもんなの」

「私もマコ先生について知ってるのはそれくらいだから、杖士隊での立場とかまではわからない。けど、あの歳で杖士隊、そしてこの学園での導師になれるんだから……実力の程は、相当なものだと思って間違いはないんじゃない?」

「おおお……」


 マコ導師、本当はすごい人だったんだな。

 もちろん前々から丁寧で分かりやすく教えてくれる導師さんだとは思っていたけど、こうしてソーニャから聞くと説得力も倍増しである。


「じゃあ、マコ先生から一切合切全部聞いちゃおうか」

「え」

「マコ先生のこれまでの歩みとか、ライカンの言ってた好きなタイプとか、ライカンをどう思ってるかとか……」

「いやいやいやいや、ゴホッ……待って待って、待とうか。ロッカ」

「え、わかった」


 ソーニャがむせながら待てというので、彼女の手が拒むままに待つ。

 美味しいものを食べるとついつい急いで食べちゃって、むせることがあるんだよね。ソーニャを見ながら、そんなことを考えた。

 やがて落ち着いたソーニャは、二息ほど呼吸を整えてから話を再開する。


「……さすがに、全部をマコ先生から引き出すのはまずいわよ。過去のことだし、本人が話したがらないかもしれないじゃない」

「そういうものかな」

「そういうものよ。それに、……あー、露骨にライカンの名前を使うのも、まずいじゃない。本人にバレるわよ」

「ああ、そっか」


 なるほど、私達がいきなりライカンについて訊ねるのも不自然か。確かにそれも一理あるな。


「マコ先生は周囲からの好意に麻痺して鈍ってるから、ライカンの普段からのアプローチには気付いてないかもしれないけどね」

「ライカンがマコ先生になにかしてたの?」

「あー、そっからかぁ、ロッカ」

「え? なんか私、変なこと言った?」


 ソーニャが机の上に突っ伏してしまう。

 私は迷ったが、とりあえず水入のコップをソーニャの傍に寄せてあげた。


「……まあ、今回は一緒にね。私にも任せておきなさいってことよ」

「おー」


 ソーニャが任せてと言った。

 これは頼もしい限りである。


 マコ先生は謎の多い人物だけど、まぁソーニャがやる気になったならばその真相もすぐに明かされることだろう。


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