籠016 寄せる漣
前々回と比べれば当然、前回と比べてもやや落ち着いた歓声を受けて、私は壇上に立っていた。
程よい緊張感で戦えることを幸運に思いながらも、闘いが始まれば、そんな程度はどうであれ、些細に感じられてしまうのだろう。
向かい合うルウナは化粧気の無い顔に薄い笑みを浮かべ、飾り気のないローブの袖元から木製のワンドを垂らしていた。
「再戦のお誘い、ありがとう。ウィルコークスさん」
「ううん。こっちも、誘いを受けてくれて嬉しいよ」
ルウナの装備は、汚れたり傷ついたりしても大丈夫な格好だ。
といっても、彼女は普段から地味な格好でいる印象が強いので、今日特別にそういった服を選んだ、と言い切れるものでもない。
それでも、一切飾らない立ち姿からは、顔に浮かんだ笑みとは真逆な隙の無さを、それ故の威圧感を私に与えている。
私の格好は、いつも通り。
オイルジャケットとブーツには、いつもより多めにメルゲコの石鹸を摺り込んで、せめてもの防水対策を立てている。
少しでも衣服が水を弾いてくれれば、ルウナの氷結魔術による拘束も緩くなるだろうと思ったからである。このアイデアについては、クラインも感心したように頷いてくれた。
ブラウスが濡れると色々と困るので、下には黒いインナーを着込んでいる。そもそもブラウスを濡らさないようにオイルジャケットの前ボタンを閉めるという根本的な解決法もあるのだが、それだと固い裾のせいで非常に動き辛いので、いつも通りの全開だ。
杖は鑽鏨のタクト。岩のようにごつごつした柄材は、私の緊張に汗ばんだ手の平でもしっかり握れる持ちやすさがある。
こっちだって、油断はない。準備は完璧に整っている。
私は岩のようなタクトを真横に強く振り切って、鋭い風音を立てた。
「今度は、私が勝つ」
今日までの二十日間。
それは魔道士にとって短すぎる期間かもしれないけど、私にとっては非常に濃密な日々であった。
成果を示す時が、ようやく訪れたのだ。この結果を良いものとして出さなければ、手ほどきをしてくれたクラインや助言をくれたリゲル導師に合わせる顔が無いだろう。
だから、そういった意味でも、私は勝つ。勝たなければならない。
「良い心意気よ、ウィルコークスさん。リベンジっていうわけね」
ルウナもワンドで空を切り、私の戦意に応えた。
それは杖を振るだけの一挙動なのに、洗練された動きであるとわかってしまうのが、魔術に慣れてきた私の悔しいところだ。
けど、そんな動きに気圧されないぞ。
私をビビらせたければ、闘いの中でやってみせることだな。
「これより、“ストーミィ・ルウナ”および“クランブル・ロッカ”による、中級保護の闘技演習を行う!」
導師の宣言によって、浮ついた会場の雰囲気も一気に張り詰める。
そう、これだ。この感じ。
そうだよな。心落ち着ける喧嘩なんて、喧嘩じゃない。
ちょっと相手に怯えるくらいの緊張が、丁度いいんだよな。
白い壇上で、二十メートル先にルウナが構えている。
ワンドを真横に凪ぎ、腰を落とした体勢だ。
前に走り距離を詰めることも、そのまま杖を振ることも可能な、隙のない構えである。
しかし水魔術の射程距離は、魔術投擲を用いたとしてもかなり短い。二十メートルもあれば手前に落ちるだろうし、床を伝って来たとしても、靴の底を濡らすに留まるだろう。
だから水魔術の使い手としては、五メートルほど接近するか、自分の周りに打ち水をするかして、次の攻撃への布石を打つことが多いのだという。
そう、普通の水使いであれば……。
「闘技演習、開始!」
開戦を告げる声と同時に、私とルウナは動いた。
ルウナはその場で杖を振り被り、私は軽く膝を曲げてタクトで床を突く。
「“スティ・ラギロール”!」
「“キュー・ディア”!」
お互いに開始地点から一歩も動かぬ魔術の発動である。
私にとってルウナの行動は予測の範囲内だったが、むこう側からすれば、私の使った魔術が意外だったのだろう。
「えっ」
ルウナの動きは硬直し、間の抜けた声はこちらまで届くほどであった。
意外な所で生まれた隙だが、真剣勝負だ。
これを活用しない手はないだろう。
どこか歩き慣れた感のある灰色の岩場をしっかり踏みしめ、ルウナが大きな弧を描くように放った水魔術が着弾する前に、斜め前方へと駆け出す。
平らな石壇を駆けるよりも遥かに敏捷性のある動きで、私は半径の四メートルを掛け抜けて、一気に水を迂回した。
「あっ!」
ここでようやく、ルウナが私の戦術を理解したらしい。
ばれるか。そりゃばれるよな。
目に見える危機感だ、気付かないはずもないだろう。
私が生み出したラギロールは、直径八メートルの岩場となって床を覆った。
一方で、ルウナが放った巨大な水の塊は岩場の手前に着弾し、勢いのある浅い波となって押し寄せるのだが、それは凹凸のある岩地に阻まれ、思うように進行しなかった。
彼女はきっと、その様子を見て気が付いたのだ。
私が、床環境を取る戦術に打って出たのだと。
新たな戦術に見応えを感じたが、観覧席の声も色めき立っているようだ。
いいぜ、見せてやる。
退屈しようのない闘技演習にしてやるよ。
「環境戦ね! 面白い……受けて立つ! “キュー・バル・ディア”!」
ワンドが大きく振られ、先石の魔光が曲線を描くと、再び空中に透明な塊が出現した。
今度の水魔術は、先ほどの術のおよそ二倍の体積はあるだろうか。
うねうねと表面の形を揺らしながらも、しかし意志をもって定められた大まかな形を崩さぬまま、水がこちらへと襲いかかる。
しかし、弾道は低い。
直撃しようのない、低すぎるコースであった。
「く、“スティ・ラギロール”!」
ルウナの放った大量の水は、真横に伸びた鞭のような形状で床を叩く。
細長く、罠張りを明確に線引するような打ち水の直前で、なんとか私は魔術を発動することができた。
思ったよりも、ルウナの闘いは堅実だ。
水魔術による直撃は狙わず、かなり手前に落とすことで、最低限の環境を確実に取りに来ようとする。
もっと強気に、欲を出して、私にぶつけてくるものかと思ってたんだけどな。
「“テルス・クォラル”!」
ワンドが縦振りに振り下ろされる。
テルス。風魔術。
クラインから警戒すべきと言われた属性の文頭に、私の身体は狼のように素早く反応した。
そして彼の的確なアドバイスに、心の中で深く感謝する。
「うおっ!」
私が真横に飛び退くのとほぼ同時に、目の前の水たまりが風を受けて跳ね上げられ氷結し、ツララの塊となってこちらへ飛んできたのだ。
「む、やるわね」
そのまま別の動きをしていたならば、出の速い風と寒気の魔術を回避することはできなかっただろう。
魔術が目に見えないだけに、非常に厄介だ。
だが、怯んでもいられない。
私の戦術は、いち早く演習場の床を岩で塗りつぶし、ルウナの得意とする水の魔術環境を封じることにあるのだ。
相手の牽制に驚かされて、一挙一動の様子見をしている余裕はない。
「いくぞ! ルウナ!」
「退かないか……仕方ないわね」
ルウナに近づき過ぎなくてもいい。
とにかく、白い石壇の上を、可能な限り灰色で塗りつぶしてやる。
塗りつぶして、塗りつぶして、私の岩で囲い込むのだ。
そして、ルウナがやむなく私の岩場に足を踏み入れた時。
私も同じ足場に杖を差し向けて、奇襲の魔術をお見舞いしてやる。
「“スティ・ラギロール”!」
「“キュー・ディア”!」
水と岩場の領土争いが始まる。
勝つのは頑強な岩か、打ち寄せる水か。




