籠014 心揺らす鐘
例えば、棍棒を持っている人と、投げつけるための拳大の石を十個持っている人がいたとする。
この場合、両者の間合いが二十メートルほど開いていたとしても、勝負の行方はわからない。
遠くから石を投げるにしても、ある程度の力と、正確な狙いをつけるにはちょっとした時間がいるし、その割に相手は簡単に避けてしまう。
必ずしも遠くから石を投げられる方が有利とは言えないだろう。
これを魔道士の闘いに置き換えてみた場合、近距離にしか対応できない魔道士と、遠距離にも対応できる魔道士が対峙しているとなれば、話は大きく変わってくる。
まず、魔術の一般的な遠距離攻撃である魔術投擲は、どんなに重い物体でも飛ばすことができる。
拳大の石なんてケチなスケールではない。
漬物石でも墓石でも、それが魔術生成物であれば、杖を振った勢いの分だけ飛んでゆくだろう。
次に、魔術投擲は狙いが正確だ。自分の腕力では到底投げられないような遠距離であっても、ある程度の訓練で精度さえ上げていれば、思い通りの場所に魔術を放つことはそう難しいことではないらしい。
ある程度の熟練者ともなれば、杖を振る最中に飛ばす位置を微調整できるのだとか。
魔術戦では、何よりも距離が重要だ。棍棒と石の闘いとは次元が違う。
距離によって魔術の射程は変化するし、それによって行動範囲が変われば、回避の成功率も揺らぐだろう。
床などの魔術環境も加われば、闘いの様相はもっと複雑になる。
戦場に遮蔽物が生み出されれば、単純な対峙という括りだけでは量りきれなくもなるだろう。
魔術による遠距離戦闘は、実に奥が深い。
まだまだ魔道の世界を遠巻きに伺うだけの私だが、学べば学ぶほどに、魔術投擲の持つ戦略性、有用性には強く感心してしまう。
しかし私は、その魔術投擲が使えない。
魔術投擲や環境魔術を上手く操作するルウナを相手にして、苦戦を強いられることはまず間違いないだろう。
クラインから実戦的な注意を受けつつ、鉄つぶてを用いた魔術の回避特訓と、動きながら術発動の練習を重ねてはいるのだが、闘技演習でどこまでやれるかは未知数である。
身近な人が水魔術を扱えれば高度な特訓ができたんだろうけど、クラインは水魔術が使えない。
マコ導師は忙しそうだし、再びリゲル導師を頼るのは畏れ多い。というより、私闘で導師さんの手まで煩わせたくない。
結局、私は水魔術を使った実戦的な特訓を行うことの無いまま、本番当日を迎えたのであった。
緊張を打つ鐘の音が、学園内に響き渡った。
「あ、時間ですね。キリもいいですし、一限目はこれで終わりまーす」
朝一番の講義が終わった。終わってから、今日の講義がほとんど頭に残っていない事に気付く。
ルウナに宣言した闘技演習の予定時間は、前と同じ昼。
一限は百分。二限も百分。あと二時間ほどで、私の闘技演習が始まるのだ。
「おお、緊張してきた……」
汗ばんだ手を強く擦り合わせながら、うずくまる。
今日に至るまでに最善の準備は整えてきたつもりだが、それでもいつものことで、武者震いというのか、緊張で居てもたってもいられなくなる。
いっそのこと、今すぐ闘技演習場に乗り込んで戦ってやりたいが、まだ二時間もある。そう考えると、今の状況は私にとって生殺しにも近いものであった。
マコ先生、ごめんなさい。でも今日だけは、早く講義終わってくれ。
「ロッカ、ちょっとは落ち着きなさいよ……」
「落ち着かない……」
闘技演習の噂は、私が公に近い場所で宣言したせいでもあるが、既に学園内に広まっている。
例によって、今日講義室へ向かう途中にも「がんばれ」とか「負けるな」とか声を掛けられた。
リゲル導師が来訪したこともあって、どの程度の話題性があるのかはわからないが、きっと観覧席は人で賑わうのだろう。
私の耳に届かない席では前回と同じように、どこの勢力が優勢だの、派閥がどうだの、属性科の奴らが好き勝手に評論するのだろう。
ああ、そんなどうでも良いことを考えると、まだ身体が疼きだした。
「でも、ロッカもほんと、闘技演習好きよね。中級保護は安全だから、やめろって言うわけじゃないけど」
「好き、っていうか……譲れないものがあるから、戦うだけで」
「うふふっ、なにそれ、かっこい」
「あ、今の無し、ちょっと恥ずかしいな。いや、そんな仰々しいもんじゃなくてさ」
纏まらない言葉を慌てて取り繕うのに、四苦八苦する。
その間に、私の緊張は薄らいできた。
ソーニャと話すと一時的にでも魔術と離れた気持ちになれるから、心が落ち着くな。
「とにかく……負けっぱなしは性にあわないからね。ガツンといってみるよ」
「うんうん、シンプルでいいわね」
「な、なんだよそれ」
「良い意味で言ったのよー」
まったく。
けどまあ、やることはシンプルだ。
負けたままではいられない。だから勝つ。それに間違いはない。
私が戦うための動機は、将来のために杖士隊や魔導士を目指す学徒達と比べると、意志が弱いとか、幼いとか言われるかもしれないけど。
そうやって人を決め付け、見下す奴らに我慢ならないのは、譲れぬ本心である。
愚直で結構だ。
私は、気に食わない奴の鼻を折ってやるまで……。
「ロッカぁ」
「でッ」
突如背中から覆い被さる重圧に、私は机の上に鼻を打ち付けた。
痛みや鼻血の確認の前に、奇襲を敢行した張本人の首根っこを掴んで持ち上げる。
「ボーウーマぁ、今のはシャレにならないくらい痛かったぞオイ」
「でへへへ」
「でへへじゃねー」
「あいだだだだだだ!?」
拳でこめかみを挟み込み、ぐりぐり。
そのまま浮かせる。こめかみで浮かせてぐりぐり。
身体強化で守るとは卑怯だな。同じ分だけこっちも強化してやる。ぐりぐり。
「反省しとけ」
「うぁあー……」
しばらく騒がしいお仕置きを続けた後、魂の抜けたボウマを机の上に捨てる。
だらりと力なく項垂れ伏す少女の姿からは、普段は有り余っている活力は微塵も見られない。
こういう仕打ちに遭っても毎回全く懲りないのだから、逆にすごいと思う。
「ろ、ロッカぁ……今日はルウナと戦うんでしょ……」
もさもさの髪がぼさぼさに乱れたボウマの置物が、苦しげなうめき声を出した。
「ああ、そうだよ。二限目終わったら、すぐいくつもり」
「ロッカはルウナ、嫌いなのかぁ……?」
「……」
嫌い、か。
ルウナをぎゃふんと言わせてやりたい。叩きのめしたい。
そんな物騒な気持ちは、間違いなく私の中にはある。
「嫌いじゃないよ」
でも、嫌いにはなれない。
真面目っぽくて、優等生な感じで、ちょっと苦手な人柄ではあるけど……ルウナを全否定するほど、私は彼女を嫌いだとは思っていない。
許せない。問いただしたい。そりゃ、明るい気持ちかっていうと違うと思うけどさ。
それでもナタリーに向けたような。ドス黒く燃える感情でないのは確かだ。
「んへ、そか」
私の返事に満足したのか、ボウマは口だけでにんまりと微笑んだ。
目はボサボサの髪に隠れて見えないが、きっとそちらも……。
「……」
「んがぁ! やめぃ!」
「いて」
そっと前髪をめくろうとしたら、手を弾かれてしまった。
ボウマの前髪のヴェールは、未だ謎に包まれている。
厳かな鐘の音が響いた。
二限目、決闘前の最後の講義が始まる。




