籠012 息詰まる日々
その後、鑽鏨のタクトでも試してみたところ、蜂起の場所に意識を向けていれば、これも問題なく発動することが分かった。
コツを掴んでからは、今まで悩んでいたのが嘘のように魔術が発動する。
身体強化の感覚のようなもんだな。
何度か発動すれば、後はもう手足を動かすように岩錐の出現位置を操作できるようになっていた。
ここまで自在に使えれば、もう魔術は自分のものになったと考えても良いだろう。
発動時に大きな音がするのと、尖っているとはいえ先端は結構鈍いのが、弱点らしい弱点かな。
とはいえ大質量の岩石が、勢い良く地面から襲いかかるのだ。
まともに受ければ、人の身体だって貫いてしまうかもしれない。
そう考えると、今更ながら物騒な魔術を習得してしまったなと思う。
真面目な使い所としては、デムハムドの鉱山を跋扈する憎き魔獣共の駆除だろうか。それ以外には、思いつかないな。
「今日は、ありがとうございました」
私は戻ってきた学園の馬車置き場で、二人の女性に礼を述べた。
偉大な導師、リゲル=ゾディアトス。
実はただの学徒さん、スズメ=ウィンバート。
私が今日掴んだものは、どれほど頭を低くしても足りないくらい大きなものだった。
もちろんクラインの手助けもあったが、二人がいたからこそ、ここまで早く原因を突き止められたというところはあるだろう。
少しでも多くの時間を魔導書に向けていようと、私は必死だった。
けどそんな努力も、ひとつの閃き、気付きによって簡単に塗り替えされてしまう。
ひとつのコツが、ひとつの正道を通った理論が、がむしゃらな努力を軽々と上回るのだ。
知恵や知識とは、なんと偉大なものだろうか。
外はすっかり、夕焼け空だ。街の灼灯にも火が灯り始めている。
馬車によって移動の手間が減ったとはいえ、ガミルの考察や魔術の感覚を掴むためにしばらく練習していたのが、ちょっとした時間の浪費になってしまったのだ。
帰りの馬車の迎えを数時間待たせてしまう結果となってしまったのは、手伝ってくれた三人や、御者さんにも申し訳ないと思っている。
「気にすることはないよ。魔術の行使を正しい方向に導くのが、魔導師の努めだからね」
リゲル導師は夕日を背にして“ははは”と笑った。
胡散臭い爽やかな笑顔も、今はかなり格好良く見える。
この人はひょっとしたら、女性にもモテるのかもしれない。
「少しでもお力になれたなら、嬉しいです。魔術の勉強、がんばってくださいね」
「うん、スズメもありがとう」
荷物を運ぶだけでは足りないくらいの恩を、返してもらっちゃったな。
いつかスズメには、何かしらの形で力になれたらと思う。
「オレは帰る」
クラインにも礼を言おうと思ったが、こいつはこいつでさっさと寮に帰るつもりらしい。
私達の返事も聞かず、曲がった背中は振り返ることなく、早足で遠ざかってゆく。
「クライン、ありがとうな」
「ああ」
そんな無愛想な奴だけど、こいつのおかげでずいぶんと助けられた。
もちろん今日だって例外じゃない。
感謝の気持ちを投げかけると、彼はぶっきらぼうにだけど、確かに受け取ってくれたようである。
「なんというか……変わった人ですね」
そんな彼を、スズメ助手はそう評した。
まあね。慣れてはきたけど、私もそう思うよ。
「なるほどね。どっちもどっちなわけだ」
リゲル導師は何か呟いて苦笑していたが、今の私はその意味を汲み取ることはできなかった。
この後二人とも別れ、私は寮の自室へ戻った。
途中の階段で、買い出しだか浴場だかに向かう女子学徒とすれ違ったのだが、その時に二度も三度も頭を下げられてしまった。
別に何もしてないんだけどな。
「ふんふんふーん」
寮の部屋にも慣れてきた。
今日の成果が良かったこともあって、鼻歌混じりに料理を作っている。
といっても、水暖炉で茹でた卵と、ちょっとしたベーコンサンドだ。
腕が器用だったらもっと良い物を作れたんだけど、この右腕だとさすがに限界があるのだ。
帰り際に、市場で萎れ気味のサラダ菜を安価で購入できたので、バンゴの上にどっさり乗せる。
その上に炙って油の弾けるベーコンを一枚乗せ、大判のシソを一枚だけ貼って、さらに野菜を乗せてバンゴで閉じる。
おっと、いけない。忘れ物だ。
バンゴを開き、シソの上にバジルのソースを少しだけ塗りつけた。
ベーコンと油と香草の芳しい香りが、鼻孔をくすぐる。
「あー、んぐ」
ベーコン、サラダ菜、バンゴ。むしゃり。爽やかでうまい。
ゆで卵、むしゃり。うまい。
水、ごくり。
水だ。うまいわけではない。まぁでも、うまいってことで。
「ふう」
食べ終わって満足感に包まれて、気付く。
食事を摂ってこんな安心感を味わったのも、随分と久々の事だと。
しばらくは魔術の習得の特訓に躍起になっていたから、料理も簡素に、最低限のもので過ごしていたのだ。
「だー」
食事を済ませて口を濯ぎ、歯も綺麗にした私は、髪も解かぬままにベッドへ寝転がる。
口の中に残る久々の凝った料理の後味に、その前の最後にはさて、どんな美味しいものを味わったのかを思い出してみた。
屋台で口にしたイワシかな。違うな。
レモン、それも違う。料理ではない。
雨宿りで入った店の赤ビール。あれも美味しいとは別物か。
昨日までは魔導書と一緒に潜り込んでいたベッドも、今日は久々に安楽の場所だ。
記憶をどんどんさかのぼり、ベッドの上で美味しかったものを思い出してゆく。
柔らかな毛布の感触に口元を緩めながら、日々の味気ない食事を想起する。
それにしても私、随分と質素な食事を続けていたんだな。
「……あ」
記憶を掘り起こしているうちに、食堂でのルウナとの団欒が頭に浮かんできた。
私が以前に食べた美味しい料理。
その最後の思い出は、ルウナとの食事だったのだ。
「……ルウナ」
ルウナとボウマと一緒に食べたチキンソテーは、美味しかった。
久々の友達ができたこともあって、あの時はとても楽しかったことを覚えている。
あの味、あの時間は、嘘じゃない。
それでもルウナは、あの時、何を思って私と……。
「……」
私は毛布に顔を埋め、意識が闇に沈むのを待った。




