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いたずら (4)

 のどかが入っていったという赤茶色を基調とした建物は、レンガ造り風の外見によって、あまり病院らしく見えなかった。だが、この病院は県下でも一、二を争う最新の設備を持った医療施設であり、最近この場所に開設したばかりの新進の総合病院である。

 昼間ならば、通院患者や見舞い客などで人通りの絶えない正面玄関前も、すでに診療時間の終わった時間帯とあって閑散としていた。“りん”たち四人は、病院の敷地外から五十メートルほど先の正面玄関とその周辺を見渡した。当然のことながら、のどかの姿は見受けられなかった。


「のどか、いないね……」

「そりゃあ、俺たちがモタモタしちゃったからな……」

 

 のどかを尾行して同じバスにまで乗ったというのに、失敗してこの有様である。のどかとて目的があってバスに乗ったのであろうから、いつまでもバス停に留まっているはずもない。問題は、ここで降りた後、のどかはどこに行ったのか、だ。


「本当にのどかがここに入っていくのを見たワケ?」

「そ、そう改めて聞かれると自信なくなりますけど……」


 沙紀の問いに、栞は申し訳なさそうに言い淀んだ。栞がかけている眼鏡は近眼用だが、遠くまでよく見える……といえるほど矯正されるわけでもないため、見間違いの可能性は否定できなかった。


「とりあえずさ、行ってみようよ。他に手がかりがないんだしさ」


 確かに和宏のいうとおり、周辺を見渡してものどかの姿はなく、栞の言葉を頼りにするしかないように思われた。沙紀も東子も大きく頷き、四人は普段めったにくることのない病院の空気に気後れを感じながら、正面玄関へと歩いていった。

 両開きの自動ドアが開くと、近くの待合スペースに座っている老人が“りん”たちに無遠慮な視線を投げかけた。制服を着た女子高生四人組は、やはりこの場では特異としか言いようがなかった。そういった視線を避けるため、“りん”たちは一旦待合室の隅に避難した。向けられた視線がなくなったことを確認し、四人は待合室を隅々まで見渡した……が、やはりのどかの姿は見当たらなかった。


「やっぱりいないね……」

「かといって他に探すアテもないし……」


 東子と沙紀は、せっかくバスに乗ってここまで来たのに……という無念さ混じりに肩を落とした。だが、和宏はまだ諦めていなかった。


「じゃあさ、中をもっと探そう」


 また突拍子のないことを……とでもいいたげな表情で、沙紀と東子が“りん”の顔を見返した。


「でも、この病院相当広いわよ」

「そうそう。探しきれないよっ!」


 待合室から東西に一直線に伸びる廊下は相当に長く、一つのフロアがかなりの広さであろうことは容易に想像できる。沙紀と東子の言い分ももっともだった。


「確かに広いですけど、東棟と西棟に分かれているので、二手に分かれてしらみつぶしすればどうでしょう?」


 そこへ助け舟を出したのは栞だった。栞のいうとおり、二手に分かれて東棟と西棟をワンフロアずつ見ていけば、病院の中をくまなく探索することは可能である。そこまでいうなら……と沙紀も東子も了承したため、沙紀・東子組と“りん”・栞組に分かれた四人はのどかの捜索を開始することになった。

 沙紀たちは西棟へ、“りん”たちは東棟へ。“りん”と栞は、キョロキョロと辺りを見渡しながら、緩やかな曲線を描く長い廊下を歩いた。無論、すぐにのどかが見つかるはずもなく、階段を上がりつつ捜索範囲を広げていった。


「りんさん……」

「……ん?」

「バスの中でののんちゃんの様子……りんさんはどう思いました?」


 栞は、視線をあちらこちらに動かしながら“りん”に話しかけた。それは和宏も気になっていることだった。妙に思いつめたような固い表情は、和宏の目に焼きついていたからだ。


「やっぱりそうですよね。私も気になっちゃって……。ちょっと、お兄さんが病気で亡くなった時のこと思い出しちゃいました……」


 和宏は、のどかの過去のことをほとんど知らない。栞の何気ない台詞であったが、和宏はピクリと反応した。


「お兄さんって……病気だったんだ?」

「ええ、確か……悪性腫瘍がんだったと聞いてます」

「……っ」


 さして珍しくない病名ではあるが、かといってあまり身近に感じる病気でもない。どちらかといえば、ある程度年を取ってから患う病気……というのが和宏の持っているイメージだった。


「私たちが小学六年生の時に突然入院して、それからしばらく闘病生活でした。お父さんはお店で忙しかったので、代わりにのんちゃんが毎日病院に通ってたんです。すごく一生懸命に世話してました。でも、私たちが中学校の入学式の日に……」


 亡くなったんです……という言葉を、栞は思わず呑み込んだ。今年、のどかは高校三年生……中学一年の時に亡くなったということは、ちょうど今から五年前の話である。和宏は、その亡くなった日がちょうど入学式の日であったことに驚きを覚えた。同時に、さらに一つの疑問が頭の中に浮かんだ。


『そうだね。わたしが()()()()()のは……もう三年、いや四年前になるかな』……一年前、初めてのどかに会った時。(「俺、りん」第9話参照)

『でも、中学校に入学してすぐにのんちゃんは引っ越してしまって……』……以前、栞にのどかのことを尋ねた時。(「俺、りん」第114話参照)


 いずれの台詞も和宏の記憶によく残っていた。その頃、悠人が亡くなったのだとすれば、妙に“五年前”にいろいろなことが集中している。和宏は、前を歩く栞の背中にこの奇異な疑問をぶつけようと思った……が、なんとなく聞くのがはばかられるような気がして言葉を呑み込み、代わりに心の中で呟いた。


(五年前……か)


 無口になった二人の足音が長い廊下に響く。つきあたりの階段からさらに上階に昇ろうとした栞が急に立ち止まった。すぐ後を歩いていた“りん”が栞の背中に追突し、「イテッ!」という“りん”の声が上がる。だが、栞はそんな“りん”を気にかけることすら出来ずに固まったままポツリと言った。


「の、のんちゃん……?」


 え……という声とともに“りん”は顔を上げた。


「二人とも……どうしてここに……?」


 上り階段の踊り場には、いるはずのないところにいる“りん”たちを見て、心底驚いた顔をしているのどかが立っていた。


 ◇◆◇


「つまり……のどかが学校休んでたから、様子見に店まで来たら閉まってて、たまたまのどかを見つけたので、みんな一緒についてきてみたら病院ココだった……と?」


 事の顛末をキレイにまとめ上げたのどかの父親……大吾に、“りん”たち四人はコクコクと頷いた。その仕草を見て、大吾は大口を開けて笑い始めた。


「わはは。良かったなぁ、のどか。友だち思いの娘ばっかりで」

「で、でも、一緒のバスに乗ってただなんて……声をかけてくれればよかったのに」


 のどかは、不服そうに口を尖らせた。無理もない話だった。

 “りん”たちとのどかが邂逅した近くの一室が、大吾が入院している病室だった。本来二人部屋ではあるが、相部屋の患者は本日退院したばかりということで空きベッドになっており、ベッドの上には真新しいシーツなどが畳んで置かれていた。

 大吾が横たわっているベッドには、枕元に甲斐甲斐しく花が飾られ、殺風景な病室に彩りを与えている。当の大吾の左足には包帯が巻かれ、動かぬように吊具で固定されていた。誰が見ても立派な“骨折”だ。この近くに住む常連客に出前を頼まれ、特別に配達に来たところ転んでしまった……ということらしい。どこかおっちょこちょいな大吾らしいマヌケな理由であった。


「まぁ、隠れる必要なかったし、声かけようかと思ったんだけど……」

「ねぇ……?」


 そう言いながら、沙紀と東子がなぜか“りん”の方を見る。話が妙な方向に行こうとしていることに気付いた和宏は、咄嗟に沙紀たちに毒づいた。


(待て待て待て! 何の話だ!? 逆だろっ!)

(いいから! 今は話を合わせなさい!)

(やだよ! なんでだよ!)

(あとでパフェ一つ!)

(買収すんな!)


 面白半分で尾行してました……などと言えば確実にのどかの逆鱗に触れるだろう。沙紀といえどもさすがにそれは怖いらしい。そんな“りん”と沙紀の不毛なヒソヒソ話に、のどかは不思議そうに首を傾げていた。


「多分、みんな……のんちゃんのことが心配だったんですよ」

「そ、そうそう! さすがシオリン!」


 栞のフォローに、沙紀と東子が手を叩いて喜び、“りん”は肩をすくめながら苦笑いを浮かべる。なんとなくぎこちなかった部屋の空気が、ようやく和らいだように和宏は感じた。


「ところで嬢ちゃんたち……」

「は、はい……?」

「見たとこ学校帰りみたいだけど……まだ帰らなくて大丈夫かい?」


 そう言いながら、大吾は病室備え付けのデジタル時計を見た。その数字を見て“りん”たちは「あっ!」と声を上げた。


「も、もう七時半過ぎてる!」

「やば! 私、七時までには帰るって言ってあったのに!」

「私もです!」


 “りん”が、沙紀が、栞が……口々に叫ぶ。のどかが生徒手帳にメモしていたバスの時刻表を調べると、次のバスの到着時刻が間近だった。“りん”たちは、大吾にあいさつをしつつ病室を出ようとした。


「のどか! 嬢ちゃんたちをバス停まで見送ってやりな」

「……うん」


 わざわざそこまでしてもらう必要はないと思ったものの、問答する時間も惜しかった一行は、そのまま部屋を出た。長い廊下を静かに小走りで抜け、正面玄関を出ると、面会時間がもうすぐ終わろうとしているためか、もうほとんど人通りがなかった。バス停は、病院の敷地を出ればすぐそこである。院内を急いで駆け抜けたおかげで、なんとか間に合いそうだった。“りん”たちは走るのをやめて一息ついた。


「なんとか大丈夫みたいですね」

「良かったわ。次のバス来るまでなんて待ってられないもの」

「アタシんちは遅くなっても大丈夫だよっ♪ 両親帰ってくるの遅いしっ♪」


 そう言いながら得意げな顔で胸を張る東子に、沙紀は


「それはアンタんちが特別なだけでしょ! お父さんもお母さんもちょっと変わり者だし」


と、呆れ顔で答えた。

 沙紀と東子は幼馴染のため、互いの両親のことも知っているのだろう。東子もまた相当に変わった娘である。その両親の話は、ちょっとだけ和宏の興味を引いた。


「なんだよ、変わり者って?」

「東子の家に行ったらイヤでもわかるわよ」


 そう答えた沙紀は、東子と一緒に意味ありげな笑みを浮かべるだけだった。


「のんちゃん。私たちならもう大丈夫ですよ」


 栞は、振り返りながら、四人の後ろを歩いていたのどかに笑いかけた。ここまで一緒に走ってきたせいか、まだ軽く息を弾ませているのどかを見て、沙紀も


「そうよ。多分バスもすぐに来るし……」


と、言いながら笑いかけた。頷くのどかを、病院のインフォメーションボードの電灯が薄く照らす。その表情は、何故か和宏にバスの中で見たのどかのことを思い起こさせた。あの妙に思いつめた表情を。

 

(なんだろう……?)


 感じるのは、ほんの小さなモヤモヤした疑問。答えも……その正体がなんなのかさえわからない。だが、和宏の胸中に確実に引っかかっている。

 伏し目がちののどかの顔が、車のヘッドライトに照らされて白く浮かび上がった。“りん”が道路の方に目を向けると、行き交う乗用車の中に、ちょうどバスらしきヘッドライトが眩しく光っていた。四人の中で最も目がいい沙紀が、バスのフロントに掲げられた行き先案内パネルを凝視する。


「あのバスよ!」


 そう叫びながら、また沙紀が走り出すと、東子と栞もそれに続いた。とはいえ、バス停まではもう目と鼻の先であることを考えれば、走らずともゆっくりと間に合うだろう。和宏は、沙紀たちのせっかちさを笑いながら、バス停に向かって歩き出そうとした。その時だった。和宏は、背後からセーラー服の袖をクイッと引っ張られて引き止められた。


(――っ)


 振り返ると、のどかが“りん”のセーラー服を摘んだまま……俯いていた。その表情を、うかがい知ることは出来なかったが、和宏を掴む手はギュウっと固く結ばれている。


「のどか……?」


 和宏の問いかけに、のどかは返事をしなかった。代わりに、和宏を掴むのどかの力がさらに篭る。


 まるで、行かないでくれとせがむ子どものように――。




 ただならぬ雰囲気。和宏の頭の中に、あのバスの中で見たのどかの思いつめた表情が再びよぎった。


「……」


 何かを呟くのどかの声が“りん”の耳をついた。だが、その蚊の泣くような声がなんと呟いたのかまではわからなかった。“りん”は、紡がれるであろうのどかの台詞を待ち、息を呑むことなく静かに耳を澄ます。だが、次の瞬間聞こえてきたのは全く違う声だった。


「りんー! もうバスが来たわよ! 急ぎなさいー!」


 沙紀のバカでかい声が辺りに響き、のどかの肩がピクリと動く。“りん”のセーラー服を摘んでいたのどかの右手がソッと離れた。


「のど……か?」


 かすかに震える肩。それを抑えつけるようにのどかがゆっくりと顔を上げる。その、つい先ほどまでヴェールに包まれていた表情には笑みが浮かんでいた。


「ごめん、和宏、なんでもないよ……」


 なんでもないはずないだろう……と、和宏は思った。この張り詰めた空気がそういっている、と。だが、のどかが紡いだ台詞は、その和宏の思いを先回りしていた。


「ちょっと……いたずらしてみただけ……」

「い、いたずらぁ……!?」


 和宏は、戸惑いを感じながらのどかの顔を二度三度と見直した。いつもの笑顔と同じに見える。しかし、何かが違う。まるで……何かを抑えつけているような。


(いや、というよりも……)


 このまま今にも消え去ってしまいそうな――。




 湧き上がる不安感が“りん”の心臓が強くノックする。そんなバカな……と笑い飛ばせない自分がいる。間違いなく滑稽な不安であるにもかかわらず、一度湧き上がった不安はなかなか消えなかった。


「りんってばー!」


 再び沙紀の声が響いた。もうバスはバス停に停車しようとしていた。急がなくては乗り遅れてしまうだろうし、おまけに次のバスが何時になるのかすらわからない。かといって、このままのどかを放っていくのもはばかられる。だが、迷う和宏の背中を押したのは、意外にものどかの方だった。


「ほら、急がないと乗り遅れちゃうよ」

「……で、でも……」


 のどかの顔をいったりきたりする“りん”の視線が弱々しい。その躊躇いがちな和宏の気持ちを見抜いたようにのどかは言った。


「大丈夫だよ。明日は必ず……学校に行くから」


 そう言って、もう一度のどかはニッコリと笑った。先ほどの儚げな笑顔ではなく、和宏をときめかせるいつもの笑顔。“りん”の心臓が、さっきとは別の意味で強く鼓動し早鐘のように脈打つ。和宏は、無意識に息を呑んだ。


「絶対……だな?」

「うん、絶対」


 のどかは、そう力強く答えた。それだけで和宏の不安が解消したわけではなかったが、沙紀たちを待たせていることを考えれば、これ以上モタモタしているわけにもいかなかった。


「わかった。じゃあ……明日な」

「うん、また明日ね」


 “りん”は、のどかに軽く手を振りながら踵を返した。そのままバス停まで一直線に疾走し、乗り込むと同時に扉は閉められた。沙紀と東子と栞は、ホッと胸を撫で下ろしていた。


「もう! ハラハラさせないでよ!」

「そうですよ。もう間に合わないかと思いました」

「タハハ、ごめんごめん」


 “りん”は、照れ隠しするように笑いながら謝った。

 車内には他にサラリーマンらしき客が数人乗っているだけ。四人がバスの最後部に腰を下ろすと同時に、バスは大きなディーゼルエンジン音を響かせてゆっくりと動き出した。窓の外を見ていた東子が、いつもの甲高いアニメ声で嬉しそうに言った。


「見て見てっ♪ のどかが手を振ってるよっ♪」


 バス停の前に佇みながら、右手を大きく振るのどかに“りん”たちも車内から手を振り返す。元々小さなのどかの身体が、遠ざかるにつれさらに小さくなっていく。のどかは、その姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。

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