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いたずら (1)

(なんだ……?)


 和宏は、そう口にしようとしたが声にならなかった。全身の感覚がなく、視界には何も映らない……というよりも、目を開いているのかすらわからない。そんな暗闇の中から和宏を呼ぶ声がかすかに聞こえた。

 なんとなく聞き覚えはあった。だが、周波数の遠いラジオのような声からは、誰の声かを判別することすら困難だった。もっとよく聞こえるように耳を傾けようとするも、身体はピクリとも動かず、やがてその声も少しずつ遠く小さくなっていく。和宏が焦りを感じた時だった。


「どこ行くのっ?」


 妙に場違いなアニメ声が、耳元のすぐ近くでキンと響いた。こんな声の持ち主は、和宏の知る限り一人しかいない。間違いなく東子の声である。何のことだよ? ……と軽く答えようとした和宏だったが、やはり口を開くことすら出来なかった。


「行かない方がいいわよ」


 続いて聞こえてきたのは、沙紀の声だった。


(なんだよ……?)

(何言ってんだ、二人とも……?)


 意味が分からない上に、身体はもどかしいほど動いてくれない。それっきり二人の気配は消え、暗闇に一人取り残されたように佇む。

 暗闇の向こう側から和宏を呼ぶ声は、もう聞こえなくなっていた。

 

 ◇◆◇

 

「……っていう夢、だったんだけどさ」


 “りん”の話を聞いていた沙紀と東子が、ふ~ん……と鼻を鳴らした。

 和宏は、なんとも奇妙な夢だ……と思っていた。真っ暗闇で名前を呼ばれる夢。そして、そんな夢に沙紀と東子が出てきたこと。ちょっと引っかかったものを感じて話をしてみたものの、もちろん、二人には何も心当たりはないようだった。


「でも、なんか気になる夢よね~……」

「そうそう。何か暗示してる感じするもんっ! シオリンはどう思う?」

「え……わ、私ですか……?」


 東子が、唐突に栞に話を振る。一瞬困った表情を浮かべた栞であったが、一つ思いついたように切り出した。


「あの、りんさん……、今の話を聞いてて、私思ったんですけど……」


 栞の改まった言い方に、思わず“りん”は身を乗り出す。


「どうしてその夢に私も出演させてくれなかったんですか?」

(……知るかっ!)


 和宏は、真剣なのかボケなのかわからない栞に心の中で力一杯突っ込んだ。その時、五時間目の始まりを告げるチャイムが更衣室内に響いた。


「いっけない! 早く着替えよっ!」


 そう言って、東子と沙紀は急いでセーラー服を脱ぎ始めると同時に、慌てて“りん”も栞も着替え始めた。

 五時間目は体育である。別に時間ギリギリに更衣室に入ったわけではなかったが、何気なく始まった“りん”の夢の話に夢中になってしまったのがまずかったらしい。


「もう! 先生に怒られたらりんのせいよ!」

「俺のせいかよっ!?」


 沙紀の理不尽な言いがかりは、今に始まったことではないため、和宏にとってはもう慣れっこである。和宏は、いつものように突っ込みを返しながら大急ぎで着替えを終え、四人一緒にドタバタと体育館に向かった。すでに、他のクラスメートたちはひとかたまりになって授業が始まるのを待っている。幸い、体育教師の袴田はかまだが体育館に現れたのは“りん”たちがその中に加わった直後だった。

 “りん”たち『三年A組』の女子は全部で十一人。進級時のクラス替えによるメンバーの変更もなく、二年の時と同じ顔ぶれが“りん”の周りに集まっている。普段どおりならば、この広い体育館を全て使っての授業になるところであるが、今日に限っては少々勝手が違った。というのも、体育館にはもうひとかたまりの軍団……三年E組の女子が集まっていたからだ。


「あれ? 今日はどうしたんだ?」

「なんか、E組は授業時間の入れ替えがあったらしいですよ」


 教師の都合などで授業時間が入れ替わるのは、そう珍しいことではない。栞の言葉に、和宏は素直に頷きながらE組を見た。E組の女子は、のどかを含めて総勢十二人であるが、一団の中にのどかの姿は見当たらなかった。


「あら、今日はのんちゃん、見学みたいですね」


 栞の視線を追うと、その先には一人だけジャージに着替えることもなく、セーラー服姿のまま体育座りをしているのどかの姿が確かにあった。のどかは“りん”たちの視線に気付くと二人に向かって小さく手を振ったが、その仕草はどことなく緩慢で、まるで自分の腕すら重々しく感じているような弱々しさが感じられた。


「なぁ、なんかのどかのヤツ……」


 身体の具合でも悪いんじゃ……と、栞に話しかけようとした瞬間、袴田の一言がチクリと届いた。


「おい、萱坂! 野球じゃなくてガッカリしてるのはわかるが、ちゃんとコッチに集中せんか!」


 少々よそ見をし過ぎたらしい。思わず舌を出した“りん”に、隣に立っていた東子がそっと耳打ちした。


「あのねっ、今日は『走り高跳び』するんだってっ♪」


 聞き慣れない競技名に、和宏の思考が一瞬止まる。その間にも、走り高跳び用の着地マットを袴田と栞たち何人かの女子が協力して所定の位置まで運び出していく。最後にバーをセットした袴田が、少々気取りながらパンパンと手を叩いた。


「じゃあ、順番に飛んでみろー! 最初は三十センチだ! 少しずつ上げていくからなー!」


 口々に「えー!」とか「ムリー!」などと言う不平がもれる。袴田は


「これくらい飛べんヤツがいるかー!」


と言って、ビシっと突っ込んだ。実際、三十センチ程度ならば誰でも飛べるはずであるが、一番最初に飛ぶのは勇気がいるものだ。誰が先に行く……? とばかりにお互いがお互いを探るように顔を見合わせ、やがて、それらの行き交う視線がある一人の顔で止まった。


「ここはやっぱ萱坂さんよね!」

「うん、りんなら大丈夫!」

「幸い、飛びたくてウズウズしてるようですし……!」


 してねぇよ! ……と、栞に突っ込み返しを入れる間もなく“りん”は最前列に押し出されてしまった。たとえ三年生になろうとも、相変らずA組の団結コンビネーションのクオリティは高かった。

 もともと勉強で机に座っているよりも身体を動かしている方が好きな和宏である。観念したように“りん”は走り出した。踏み切り直前、バーの手前で背中を向けてジャンプすると、かなり低く設定されたバーの遥か上を“りん”の肢体が美しい弧を描いて超えていく。そのまま背中からマットの上に落ちた“りん”に、おぉ~! という驚嘆の声とともに拍手が起きた。しかもそれはA組からだけではなくE組の一部からも聞こえてきた。


「すごいすご~いっ♪」

「ホントの走り高跳びみた~い!」


 和宏の運動神経は並ではない。本職でないにもかかわらずサマになったジャンプに、賞賛の声が惜しみなく飛んだ。遺憾なく発揮された“りん”の身体の柔軟性の為せる技だ。

 一人が飛ぶと、気持ち的なハードルが下がったせいか、みな次々と飛び始めた。そして、全員が飛び終わったところで袴田がバーを十センチ高くセットし直し、また全員が飛ぶ……の繰り返し。最初は低かったバーは、こうして少しずつ高くなっていった。しかし、なんとか全員飛べたのは五十センチまで。六十センチになると、最初の脱落者が出た。おばさんのような小太り体型の上野である。

 ドタドタとした助走から『飛ぶ』というよりも『落ちる』という表現の方が近いほど滞空時間の少ないジャンプだった。案の定、上野の肢体は六十センチの高さにセットされたバーの上に見事に『落下』し、嫌な音ともに木製のバーをへし折ってしまった。もちろん狙ったわけではなかったため、上野も悪びれることなくいつもどおりのダミ声で豪快に笑い飛ばすだけだった。袴田は呆れたように


「お前はもう飛ばんでいい……」


と呟いた。上野は


「えぇ~……わざとじゃないのにぃ~……」


と可愛らしく口を尖らせたが、残念ながら大して可愛くはなかった。

 スペアのバーが持ち出され、後続のジャンプが再会された。だが、その後も脱落の連鎖は続いた。


「えぃっ!」


 可愛らしい掛け声とともに背面飛びを仕掛けた東子の小さな身体は、マットとバーの間をスルリと通り抜けていった。


(間くぐったー!)


 普通に飛ぶよりも、却って難しそうな芸当である。“超絶運動神経ゼロ娘”との異名をとる東子の、逆の意味での神業に、全員がお腹を抱えながら笑い転げた。自分のジャンプのイメージと違っていたからか、さかんに首を傾げていた東子だったが、大きな笑いを取れたことで満足したらしく、先に脱落した上野の隣にチョコンと座って上機嫌だった。

 バーが高くなるにつれ、さらに脱落者が増えていき、その高さが九十センチになる頃には、勝負の行方は完全に二人の一騎打ちに収斂されていた。“りん”と沙紀……もちろん、この二人のことである。


「跳んだ!」

「萱坂さん、すごい!」


 バーの高さは、ちょうど一メートル。高跳び専門の陸上部員なら大したことのない高さだが、ただの野球部員である“りん”とバスケ部の沙紀が跳ぶには高すぎるほどの高さだ。やはり運動神経は並でない二人である。


「二人ともまだ余裕ありそうだから、チョビチョビしないで一気にこれくらいいってみるか!」


 袴田は、教師らしい責任感を微塵も感じさせないほど軽い台詞とともに、バーを百五十センチにセットした。完全に“りん”と沙紀の対決を楽しんでいる様子だった。


「ちょ……、センセ高すぎ!」


 思わず文句が口をついた“りん”であったが、もはや周りは無責任に盛り上がっていた。


「よーし、いけいけ!」

「アンタたちなら跳べる! アタシたちはそう信じてる!」


 もうメチャクチャなノリだ。困ったように“りん”と顔を見合わせた沙紀は、諦めのタメ息混じりに走り出した。不恰好な背面飛びながら、ここまでバスケ部らしい力強いジャンプ力で飛んできた沙紀が、バーの手前で力一杯踏み切った……が、いくらなんでも高すぎた。沙紀の足に引っかかったバーが床に転げ落ち、あ~あ……という皆のタメ息がもれる。

 ムリに決まってるじゃない……と言いたげに口をへの字に曲げながら、沙紀がマットから立ち上がる。沙紀の身長は百七十センチ……目線と同じ高さのバーを越えるのは、いかにジャンプ力のある沙紀でもムリな相談だった。

 最後の一人になった“りん”に全員の視線が集まる。だが、集中している時の和宏にそんな視線は届かない。まるでバッターと相対する時のようにバーを睨みつけながら“りん”は走り出した。

 バーの手前で踏み切って、目一杯のジャンプ。持ち前の身体の柔らかさを活かして、バーの上ギリギリを“りん”の肢体が越えていく。これは跳べるかも……っ と息を呑んだギャラリーたち。だが、もう一歩のところで“りん”の身体がかすってしまい、惜しくもバーは転がり落ちてしまった。


「あ~あ……」

「惜しい!」


 そんな声が、隣のE組からも上がった。サバサバした表情で立ち上がった“りん”は、照れくさそうにポニーテールをくるくると弄んだ。


「ま、いくらなんでもムリよね、あれは」


 沙紀が、珍しく同情したような表情で“りん”に話しかけた。とはいえ、もし“りん”が跳べていたら、負けず嫌いな沙紀のこと……ムリヤリ理由をつけてでももう一回跳ぶと言い張ったであろう。


「タハハ、そうだなー。いくらなんでも……のどかの身長より高かったし」


 “りん”は、そう言いながら笑った。のどかの身長はわずか百四十六センチ……バーの方が四センチも高いのだ。釣られて笑った沙紀を横目に“りん”はE組の方を見た。

 E組の方も、二チームに分かれてバスケの試合が進行中だった。五人対五人の対戦であったが、真剣プレーには程遠く、かったるそうにプレイしている生徒の方が多かった。壁際には、座りながら得点係をしているジャージ姿の女子が一人。その他には生徒の姿は見当たらなかった。和宏は、思わず声に出して呟いた。


(あれ? のどかは……?)


 最初、体育館の壁際に座っていたはずののどかは、いつの間にかいなくなっていた。




 ――To Be Continued

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