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桜の下で (2)

「じゃあ大村さん、そっちの端を持って、思い切り広げてもらえませんか」

「う、うん……」


 そう言いながら、栞と大村は大きなレジャーシートを目一杯に広げた。そのままフワリと地面に置かれたレジャーシートは、ゆったりと大人数が座れそうな快適空間を演出した。


「これで上出来ってところかしら」


 沙紀が、風にレジャーシートが飛ばされないように、その四隅に石や水筒を重石代わりに置いていく。たったそれだけの仕事をしただけなのに、さも重労働を終えたかのように胸を張る沙紀を、栞と大村は顔を見合わせながら苦笑することしか出来なかった。


「見て見て! ここからの景色、結構気持ちいいよっ♪」


 裏山の一本桜の木の下……レジャーシートを敷いた場所から少しばかり斜面を下ったところで、東子と山崎が眼下に見えるグラウンドを指差している。タレ目をキラキラと輝かせて振り向く東子の表情は、初めて来た場所で興奮を隠しきれないでいる子どものようだった。


「もう! コッチ手伝わないで何見てんのよ……」


 そう言って、沙紀は口を尖らせた。


「でも見てみろよ。結構新鮮な眺めだぜ?」


 山崎の指差す方にはグラウンドがあった。いつもなら広く感じるグラウンドも、この小高い斜面から見下ろせば箱庭のような小ささだ。誰もいない無人のグラウンドということもあり、確かに新鮮な眺めだった。

 普段は見上げることしか出来ない体育館も、これまた普段お目にかかることのない広々としたシルバーの屋根が午後の日差しを受けて輝いている。午前中に修了式を終え、部活も休みになっている今日は校庭にも体育館にも人の姿はなく、いつもと違う雰囲気に拍車をかけていた。


「確かに新鮮ですよね」

「そうだね。もう午後だから、ほとんど人もいないし」


 栞と大村が、頷きながら同意した。

 今日は修了式。午前中にあった式典で、沙紀たちは無事二年生の全課程を終え、四月からは三年生になるのだ。とはいっても、その前に春休みがある。『花見をしよう』というのどかの提案にイチもニもなく乗ったのは、その開放感があったことを否定できなかった。


「まぁ、花見ってワリには、桜が一本しかないけどな」


 レジャーシートの真上に咲き誇る桜を見上げながら、山崎はおどけた。


「いいじゃないですか。その代わり特等席ですよ。ねぇ、大村さん?」

「そ、そうだね……、真下だし、ね」


 同意を求める栞に大村が頷く。今はちょうど満開の時期である。どこの桜並木も公園も、酒の入った大人たちがバカ騒ぎしていることを考えれば、静かに桜を堪能できるここはまさに特等席といえるだろう。


「あとはお弁当だけだね~♪」


 心底嬉しそうに言う東子を、みなクスクスと笑った。桜よりも食い気。クラス一の食いしん坊の座は当分安泰であった。


「あっ! 来たみたいですよ!」

「噂をすれば……、ね」


 栞と沙紀が同時に上げた声に、全員の目が斜面を登ってくる二人の人影に向いた。無論“りん”とのどかである。


「あれぇ? もうみんな揃ってんのか!?」


 本日のメンバーである沙紀と東子と栞、山崎と大村がすでに準備万端で待ち構えているところを見て、“りん”は目を丸くした。東子は


「そうだよっ♪ あとはお弁当待ちだったの~♪」


 と言いながら、その視線をのどかと“りん”の持つ大きなバスケットに移した。言うまでもなく、のどかお手製の七人分の弁当である。


「あはは、ごめんごめん」


 いかにも中身の詰まった感じのするバスケットをレジャーシートの上に置いたのどかは、惜しげもなくそのフタを開けた。ハムやサラダなどの具がギッチリと詰まったサンドウィッチや、まるで店で買ってきたかのような豪勢なオードブルに、おおっ! ……という声がどこからともなく上がる。“りん”の持っていたバスケットからは“のんちゃん堂”特製の焼きそばが盛り付けされた皿が取り出され、湧き出すように漂い始めたソースの香りに東子の表情は幸せそうに緩んでいた。

 沙紀は、呆れたように苦笑いしながら


「東子《この娘》がもう我慢の限界っぽいから、早く始めちゃった方がよさそうね……」


と提案すると、東子は『心外だ』とでも言わんばかりに頬を膨らませた。


「ええ~!? それじゃまるでアタシが食いしん坊みたいじゃないっ」


 そんな沙紀と東子のやり取りに、一同は


(自覚してなかったのかよっ!?)


と、心の中で盛大に突っ込みを入れた。


 ◇◆◇


 満開の桜を揺らした気まぐれな春風がヒラヒラと散る花びらをさらい、一点の曇りもない澄んだ青空に小さな飛行機が音もなく一筋のヒコーキ雲を落書きしていく。

 楽しい時間は過ぎるのが早い。のどかの弁当を全て平らげた一行は、大きなレジャーシートの上で輪になっておしゃべりに興じていた。


「しっかし美味かったよな。さすがは食べ物屋の娘……ってことか」


 山崎の率直な感想に“りん”も力強く頷いた。今日、のどかが朝早く起きて作ったという弁当は、店で売られていたものだと説明されれば簡単に信じてしまうほどの出来栄えだったからだ。


「のんちゃんは、ちっちゃい頃からお料理が上手だったんです」


 へぇ……という感心の声をもらしながら山崎は


「今もちっちゃいけどな」


と、余計な一言を冗談めかして付け加えた。


「こ、これでも去年より背は伸びてるんだよ!」


 恨めしそうに山崎を睨みながら、身長百四十五センチ……いや、百四十()センチになったのどかが反論する。山崎は、ワリィワリィ……とでも言うように肩をすくめた。

 不意に、聞き慣れたチャイムが無人の学校に響き渡った。時間は十五時ちょうど……いつもなら六時間目の終了を知らせるチャイムである。もちろん、今日はもう授業があるわけではなく、無人の校庭やグラウンドの雰囲気と相まって、非日常を引き立てる情景だった。


「もうすぐアタシたち三年生になるんだね~」


 そうつぶやいたのは、さっきまで「食べ過ぎて動けな~いっ」と言ってみんなを笑わせていた東子だった。


「ホントね……。なんか実感湧かないけど、最近は進路相談の話とか増えてきたし、これからこんなにのんびり出来なくなるのかしらね……」


 沙紀の憂鬱そうにボヤキにも、東子はあくまで能天気に答えた。


「アタシ、声優になるために専門学校に行くから全然平気~♪」


 東子の声は絵に描いたようなアニメ声であることや、アニメキャラのモノマネが妙に上手いことはすでに全員が知っている。まさに天職……と誰もが思った。だが、東子のお気楽な発言とは対照的に、沙紀の声のトーンは低めだった。


「東子はいいわよね。私なんか親の方針で絶対に大学行けって言われてるのよ。もうすぐ家庭教師つけられちゃうんだから」

「お、お前……大学行けるだけの頭あったっけ?」


 山崎があまりにも不用意すぎる台詞を吐くと同時に、沙紀の右手が山崎の額をがっしりと掴んだ。久しぶりに発動した沙紀のアイアンクローだ。


「だから家庭教師って話をしてるでしょうが! 人の話を聞きなさい、アンタはっ!」

「イデデデデッ!」


 危うく同じ台詞をこぼしそうになっていた和宏は、肝を冷やしながら身代わりになった山崎に感謝した。沙紀は、右手に込めた力を緩めて“りん”の方を向き直った。


「そういえば、りんはどうするんだっけ?」

「……」


 和宏は、言葉に詰まったように黙り込んだ。なにしろ、今でこそ和宏は“りん”を()()()()()が、将来もそうしているつもりはなかった。元どおり“瀬乃江和宏”戻れる保証があるわけではないものの、漠然と『そのうち元に戻れるだろう』と思っていたからだ。加えて、自分自身……つまり元の世界の“瀬乃江和宏”の進路すら決めていない和宏には、“りん”の進路など思いも寄らぬことでもあった。


「そ、そうだな……、と、とりあえずはその……『甲子園』かな……」


 どもりながら、歯切れ悪く答える。沙紀は呆れながら肩をすくめたが、山崎は“我が意を得たり”といった感じで大きく頷いた。


「おお、そうだよな! さすが萱坂! 俺も甲子園最優先だぜ。その後のことなんざ知るかってんだ!」


 “りん”は今夏、女性として初めて甲子園予選に参加する。予選は一発勝負のトーナメントであり、敗退すればそこで“甲子園への道”は終わりだ。だからこそ今予選に賭ける“りん”と山崎の意気込みは違った。


「大村さんは……どうするんですか?」

「え……ボ、ボク……?」


 栞の質問に驚いた大村は、大きな身体を小さくしながら答えた。


「ボクは、卒業したらすぐに親父の会社を手伝うことになってるんだ」

「えぇ!? 大村さんのお父様って社長さんなんですか?」


 スゴイっ……と目を丸くする栞だったが、大村は申し訳なさそうに続けた。


「か、会社って言っても小さな町工場だけどね……」


 大村の謙遜でも何でもなく、どう贔屓目に見ても零細企業としかいいようがないほどの小さな工場なのは事実だった。経営も決して楽ではなかったが、そこには日々汗水垂らして寡黙に働き続ける父親がいることを大村は知っていた。


「そ、園田さんは……?」

「私は大学に行きます。教師になるのが夢なんです」


 栞はハッキリと言い放った。栞らしい明確な目標だった。みな、それぞれの将来を思い描いている。いささか肩身の狭くなる思いを抱えながら、和宏は一人だけ……まだ話に上っていないことに気付いた。


(のどかは……?)


 他のみんなが将来を語り合う中、“りん”の隣に座るのどかは一言もしゃべることなく黙ったまま。和宏は、ソッとのどかの方へと視線を向けた。

 のどかは、南風がサワサワと桜を揺らす様をただ見つめていた。その大きな瞳で、どこか遠くを見つめながら。


(……っ)


 和宏の心臓がトクンと跳ねる。沙紀たちは、相変らず楽しそうにおしゃべりをしていた。まるで別世界に佇んでいるかのような表情に、和宏は一瞬息を呑んだ。その気配が伝わったのか、のどかはふと気付いたように顔を和宏に向けた。


「どうしたんだい?」

「……」


 のどかは何も気付いていない様子で、その表情もいつもの穏やかなものに戻っていた。和宏は、見てはいけないものを見てしまったかのように、思わずドギマギした。


「い、いや……、その……熱心に桜を見上げてたから……どうしたのかと思って……」


 少し慌てた感じの“りん”を見て、のどかがクスリと笑う。その中学生のような童顔が、なぜか今だけは大人っぽく感じられた。


「なんでもないよ……」


 本当にそうなのか……? そう思った瞬間、東子がのどかの背中に抱きついた。


「のどかは“のんちゃん堂”を受け継ぐんだモンねぇ~っ♪」


 沙紀たちのしていた“将来”の話は、いつの間にか巡り巡ってのどかの話になっていたらしい。なぜか嬉しそうな東子に、のどかの身体が固まった。


「え……い、いやだよ! わたしは……」

「でも、のどかは一人娘でしょ?」

「そ、そうだけど……」

「じゃあ、のどかしかいないじゃないっ♪」


 のどかの家は、今は父親の大吾とのどかの二人暮らしである。当然、大吾の跡継ぎはのどかしかいない。


「そうだぞ久保! “のんちゃん堂”の味を絶やしたら俺ら承知しねぇからな!」

「そうそう! 絶対ダメだからねっ♪」


 のんちゃん堂の焼きそばをいたく気にいっている山崎と東子が、共同戦線を張るように真剣な表情でのどかに迫る。さすがののどかもタジタジになっていた。


「な、なんでわたし怒られてるのかな……?」


 確かに、傍から見れば山崎と東子から一方的に怒られているようにも見える。小さな体をさらに小さくして、何故かシュンとなっているのどかの姿に“りん”は思わず吹き出した。恨めしそうに“りん”を見るのどかが可笑しくて、さらに笑った。

 他に誰もいない静かな裏山……その桜の下で七人の笑い声が響く。一際強く吹いた春一番は、桜の花びらを空高く舞い上げていった。

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