夢の続きと、初撮影
朝でも夜でもない、曖昧な帳場の空気は、いつもより重かった。
女将は帳簿を開き、薄く息を吐く。
「……不満が上がってるよ。
影だけ見て帰る客が増えてね。
“中は普通だった”ってさ」
怒ってるわけじゃない。
ただ、影が街に起こした歪みを、肌が覚えている。
アキトは黙って聞いていた。
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「で、あんた。
昨日の“飯番”、どうなったんだい」
「……え?」
「え? じゃないよ。
厨房の残り物で何とかしてって言ったろ」
「……あ、ああ」
昨日仕込んだものを思い浮かべる。
今日も似たような残り物──固いパン、冷えた煮汁、よれた野菜。
火を落とすと、湯気が細く立ち、
匂いが静かに広がる。
(……味は悪くない。
けど……これじゃ体の“線”は作れない)
(……もう少しだけ……脂と蛋白がいる)
「なんで自分の分だけ作ってんのさ。
飯番って言ったら全員分だよ」
厨房を覗いた女将に言われ、
女将、セラ、ミア、自分、
ついでに“誰か来たとき用”にもう一人分も作る。
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「いやぁ、本当にうまいねぇ。
あんた、こんなところ抜けて飯屋で働いた方がいいんじゃないか」
女将は笑いながら飯を食べ、
アキトの前に銀貨を置く。
「それはそうと、これは昨日の分。
あんたの影の稼ぎだよ」
アキトは銀貨を見つめ──
そのまま押し戻した。
「返します。
今日、この金で……ひとり、買わせてください」
「……誰をだい」
「今日の客、ひとりです」
「どういう意味だい?」
「夢の続きをしらないと、夢も作れないでしょう」
「粋言い方だね、で、女はどうするんだい」
そう聞かれた瞬間、帳場の扉が勢いよく開いた。
✦
「呼んだぁ!?」
赤毛の女が飛び込んでくる。
笑い声がうるさいほど明るい。
「わたし、アリイ!
影だけじゃ物足りないからさ!
“ちゃんと見られるやつ”もやりたいの!」
「というわけで、男をひとり分買います」
アキトが言うと、
ミアの影が胸の位置でわずかに揺れた。
それは嫉妬ではなく、
“理解できないものが現れたときの揺れ”。
アキトは静かにアリイへ言う。
「アリイ。
本当に見られたいんだよな。
なら……俺に、本番を見せてくれ」
「きゃ〜! 本気!? もちろん! もちろん!」
女将は目頭を押さえた。
「……好きにしな。
ただしミアを泣かせるんじゃないよ。それと、あんたが作った残りの一人分の飯その後にちゃんとあげんだよ」
「ああ、ありがとう」
✦
アキトは部屋にカメラだけ置く。
部屋には入らない。
(この世界に肖像権はまだないはず……
すまない知らない男。
君の息子がどんな状態でも俺は笑わない。
これは商売で……学問なんだ……)
ひとり脳内で土下座しつつ扉を閉め、
外でミアと並ぶ。
「アキトさん……何を考えてるんですか」
ミアは小さく言う。
「私、本番なら……アキトさんに……その……」
「いやミア、そうだけど……
ミアは客前にもう出られないだろ。
女将と約束したし。
それに……俺は無理だ」
2人の空気が、むしろ気まずく沈む。
そのとき──
中から布ずれと笑い声が漏れた。
ミアは胸元を押さえ、
影が細く震えた。
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しばらくして男が先に出て来て、
「いやー! 気持ちよかった!」
とだけ言い残して去る。
続いてアリイが出てくる。
「でさぁ、どうするの!? 撮れた!?」
アキトはカメラを止めに部屋へ入り、
荒れていないベッドを見て──
(……可能性あるな)
とだけ思う。
✦
カメラで撮った映像を見る。
「……人の……こういうの……
余計に……恥ずかしいですね……」
ミアが頬を押さえた。
「一般的だよ。
俺の世界では、な」
「え、私こんな感じなの?
もっと……なんかこう……エロいと思ってたのに」
「思ってるのと映るのが違うのは普通だよ」
アキトは映像を止める。
(……やっぱり、“線”の中身が必要だ)
(……揺れだけじゃ……足りない)
(……濡れ。
声。
触れた音。
扱う仕組み……)
(……まずは……風呂と……ローションだ)
「ミア。
いまのやり取り……普通だと思うか?」
「はい。普通だと思います。
ただ……アリイちゃん、笑いすぎですけど」
「だってさぁ!
なかなか入んないから笑っちゃったんだよ!」
(……やっぱりローション……だな)
✦
「ミア、まだ夜は長い。
影広告……やれるか」
「はい。任せてください」
「えー、私は?」
「アリイは待機。
動きうるさいし笑いすぎ。
まずミアを見て学べ」
「はーー!? なにそれ!」
ミアはわずかにうつむき──
その頬にほんのり艶が乗った。
「……アキトさん。
わたし……もっと綺麗に……できます」
その声に、
アキトはただ静かに頷いた。




