紙一枚の価値と、受付嬢の“理解”
店主は鼻紙の束を指で弾きながら言った。
「しかし変だよな。こんだけ柔らかく作れるのに、誰も使いやしない」
アキトは聞いた。
「……売れない理由は“高かった記憶”だけか?」
「それが一番でかい。昔の紙は羊皮紙だの木皮紙だの、そりゃ高級だった。
庶民は“紙を使う=贅沢”って刷り込まれてるんだよ」
「記憶が……文化を止めてるわけか」
店主は肩をすくめた。
「まあな。誰かが“別の使い道”を広めりゃ変わるんだろうが……
紙を大量に使う商売なんて、聞いたことがない」
その言葉に、アキトの脳がわずかに点灯した。
(……大量に使う商売……
ローティスを拭くため……
これを消費する場所……)
だが、店主はまだそこに結びつかない。
店主は逆に興味津々でアキトを見た。
「ところで兄さん、その瓶はなんだ? 油かい?」
アキトはローティスの瓶を見せた。
「油に近いが……滑りを良くする液体だ。……塗るための」
「ほほう。そんな使い方があるのか。
で、これは何に使う? 手か? 肘か?」
アリイがなぜか胸を張って言う。
「お・し・り♡」
「黙れ」
店主はケラケラ笑いながら続けた。
「拭くための紙……か。へえ、紙を“消耗品”として使うのか。
そんな発想、聞いたことがないな」
(……文化の壁は“用途”から崩れる……
紙を贅沢品から“消耗品”に変えれば……
街全体が変わる……)
店主が言った。
「もし紙を大量に使う連中がいたら……この街の紙屋は救われるんだがな」
アキトは心の中で答えた。
(いる。
いや……作る。
“影の後”に紙を使う文化を……俺が作る)
店主はそこでふと真顔になった。
「ところで、兄さんたち。ギルド証は持ってるか?」
「ギルド……?」
「商売するなら必要だろ。商会ギルドか、教会の印章か。
それがないと街の外でも、酒場でも売れん」
ミアが小さく影を揺らす。
「……知らなかった……」
店主は言った。
「まあ、誰かの紹介があれば通れるかもしれんが……
“旅人が勝手に売り歩く”のは無理だ。
……この街は、そういう仕組みで動いてる」
(商売の許可……
ローティスを売るには……
“文化”だけじゃ足りない。制度が必要だ……)
ミアがそっとアキトの袖をつまんだ。
「……アキトさん。
文化って……物だけじゃなくて……街そのものなんですね……」
アキトは深く息を吸った。
(ローティス。紙。影広告。
そして……ギルドという制度文化。
全部つながる場所へ……進むしかない)
アキトは店主に向き直る。
「店主さん、この紙──全部買う。
そしてまた来る。……商売の準備をして」
店主は驚いた顔で笑った。
「兄さん、面白いな。楽しみにしてるよ」
街のざわめきの中で、
アキトは文化の“次の線”を掴みかけていた。
◆
商会ギルドの建物は、朝の日差しに照らされて鈍い黄金のように輝いていた。
アキトは扉の前で深く息を吸う。
(ローティスを売るには……ここが大事だ)
ミアとセラは緊張し、アリイはなぜかウキウキしている。
「ねえアキト! 受付って可愛い子多いよね? 多いよね!?」
「知らん」
扉を押すと、中は帳簿の匂いと皮紙の乾いた空気で満ちていた。
カウンターの奥から、
栗色の髪の受付嬢が顔を上げた。
「いらっしゃいませ。本日のご用件は──」
アリイが手を挙げる。
「アタシたち! 商売はじめたいの! 許可ちょーだい!」
受付嬢は目を瞬かせ、柔らかく笑った。
「商売開始には“ギルド承認”が必要です。取り扱い品は……?」
アキトはローティスの瓶を差し出した。
「これだ」
受付嬢は瓶を見つめ、色と粘りに戸惑う。
「……え、これは……油? ではなさそうですが……用途は?」
アキトが説明しようとすると、
アリイが胸を張って言う。
「“塗る”の! で、こう……気持ちよくなるやつ!」
「ちょっと黙れアリイ」
受付嬢は頬を少し赤くしつつ咳払いした。
「では……失礼ですが、効果を確認しないと登録できませんので……」
そこで、アリイがパッと受付嬢の手を取った。
「じゃ、分かりやすいとこで試そっか♡」
「アリイ、待て」
だが遅かった。
アリイは受付奥の扉を指差した。
「トイレ貸して!」
受付嬢は動揺しつつも、
「えっ……あ……た、確かに、確認は必要で……その……」
と言いながらアリイに引きずられていく。
バタン、と扉が閉まる。
沈黙。
ミアが影を小さく揺らしながら言う。
「……アリイちゃん……強い……」
セラはため息をつきつつカウンターに肘を置き、
「……まあ、あれで理解してもらえるなら早いだろ」
とぼそり。
数分後。
ゆっくり扉が開き、受付嬢が戻ってきた。
頬を真っ赤にし、手を胸元でぎゅっと握りしめ、
「……つ、使い方……よく……わかりました……
こ、こ、これは……すごいです………痛くない……んですね……」
アキトは目を伏せた。
「……すまない。アリイが勝手に……」
「い、いえっ! だ、大変……参考になりましたので……!
ギルドとしても……えっと……問題なく登録できます……!」
セラが小声でアキトに言う。
「……あの受付嬢、二度とアリイを忘れられないだろうな」
その時、アリイが鼻紙をひらひらさせながら戻ってくる。
「セラ、女同士でって、ここではよくあるのか? 」
「あるわけないだろ、だから言ったんだ……」
「アキト!! これね、すぐ拭けて便利!!
受付のお姉さんにあげたら喜んでたよ!」
受付嬢はさらに赤くなった。
セラは紙を睨む。
「……それを早く捨ててやれ。受付嬢のためだ」
アキトは額を押さえつつも、
(鼻紙……ローティス……“後処理文化”がここでも成立する……
清潔と快適性を街に刻む第一歩……)
と確信する。
受付嬢は姿勢を整え、書類を差し出した。
「こちらが“移動商い許可証”です。
これがあれば街の外でも、夜の飲み屋でも販売できます」
アキトは受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとう。……助かった」
受付嬢は胸に手を当て、まだ頬を染めたまま言う。
「……いえ……本当に……参考にはなりましたので……っ」
アリイは胸を張って言う。
「ギルドも落ちたね! アタシの魅力に!」
「違う。ローティスだ」
しかし受付嬢は、アリイと目が合うとビクッとして顔を伏せた。
(……アリイ、恐ろしいな……)
そのままギルドを出ると、
ミアがぽつりと言う。
「……女性も、案外ありですね」
「ミアはもっちもありか、なら、男同士はどうだ」
「男同士!? 」
全員の声が揃った。
「まあ、時期にな」
「え?! 」
「まずはローティスだ(受付嬢の制服が乱れてるの最高だ)」
アキトの足取りは街の喧騒の中、軽くなっていた。




