森と、救いと、立たない理由
静かだった。
風が木々を揺らす音しか聞こえない。
大学の帰り道──アダルト業界の最終面接に落ち、
ビデオカメラを抱えて夜道を歩いていたはずだった。
気づけば、森の土の上に倒れていた。
(……ここ、どこだ……?)
右手には、唯一残ったビデオカメラ。
スマホもバッグもない。
見覚えのない森。空気も、匂いも、音も違う。
胸の奥では、面接官の声がまだ響いていた。
「“演出がないと立たない男”は使えないよ。」
普通の可愛さじゃダメ。
光、影、構図、意味──
“画”が成立しないと興奮できない。
相手じゃない、俺のほうがおかしい。
深く息を吐いた、そのとき。
――ぁ……っ!
か細い声。
考えるより先に走り出す。
茂みを抜けた瞬間──息が止まった。
少女が、小鬼のような緑色の化け物に抱えられていた。
恐怖すべきなのに、
同時に目を奪われるほど綺麗だった。
逆光で髪が柔らかく光を透かし、
涙で濡れた頬が宝石のように輝き、
どこか日本人離れした整った顔。
乱れているのに、透明感だけが残っている。
気づけばカメラを構えていた。
レンズが淡く光り、
液晶の映像が空中にふわりと映し出される。
次の瞬間──
化け物の動きがピタリと止まった。
少女がこちらを振り向く。
涙のにじんだ瞳が震え、弱く声が漏れる。
「……たすけ……て……」
ハッとしてカメラを落とし、少女を抱き上げて走った。
軽い。
温かい。
震える呼吸が肩に触れる。
(……綺麗だ……
本当に……?)
木陰に逃れ、少女をそっと下ろす。
「……わ、私は……ミア……
助けてくださって……本当に……」
涙の跡が光を反射し、
乱れた髪が柔らかく揺れる。
そのとき。
「ミア!!」
鋭い女の声が森を裂いた。
剣を背負った女が駆け寄り、ミアを抱きしめる。
ミアが泣きながら叫ぶ。
「セラさん……!」
“セラ”と呼ばれた女はミアを確認すると、
鋭い視線で俺を見る。
「……あんた、何者?」
「た、助けただけです!」
ミアが必死に言う。
「この人が……助けてくれたんです!」
セラは少しだけ表情を緩める。
「そうか。
なら礼は言うよ。
話はうちの──娼館で聞く。」
「……娼館?」
思わず繰り返す。
セラがじろりと俺を見た。
「アキトさん。
娼館は……お嫌いですか?」
「いや、嫌いとかじゃなくて……知らなくて……!」
誤解されたくなくて慌てる。
ミアが袖をぎゅっと掴む。
「……アキトさん……
怖がらないでください……
わ、私……その……働いていて……」
声が細くなる。
セラはミアの頭をやさしく撫でる。
「大丈夫。
この人は嫌ってる顔じゃない。」
そして俺を見る。
「娼館はただの仕事場だよ。
ミアが働いてる。それだけさ。」
ミアの肩が震える。
胸が痛んだ。
「……嫌いじゃないよ。
本当に、驚いただけだ。」
ミアがほっと息を吐く。
その表情は、泣き腫らした瞳さえ綺麗だった。
そこで思い出す。
「あ……カメラ……!」
魔物の足元に置いてきた。
「じゃあ俺はこれで──拾ってくる!」
走り出しかけた瞬間、
セラが腕を掴んだ。
「ダメ。」
低くも優しい声。
「今戻ったら死ぬ。
魔物が巣に帰ってくる時間だ。」
「でも、あれがないと……!」
声が震えた。
カメラは、俺の人生そのものだ。
セラは静かに言う。
「落とし物は逃げない。
でもミアは……今支えてやらないと折れる。」
ミアを見る。
袖を掴む手は小さくて温かくて震えている。
泣き疲れた顔は儚く、
それでも息を呑むほど綺麗だった。
「……お願いします……アキトさん……」
断れるわけがなかった。
「……わかった。ミアを先に。」
◆ ◆ ◆
娼館に着くと、女将がミアを抱きしめた。
「よく……生きて帰ってきたねぇ……」
ミアの泣き顔は光に照らされて、儚く美しい。
女将は俺を見る。
「……あんた、ミアを助けてくれたんだってね。
この子をそんなふうに見てくれる男は、
そう多くないよ。」
ミアが少しだけ顔を上げる。
その表情が安らぐ。
女将は続ける。
「でも……見受けの話は取り消しだ。
“攫われた”ってだけで嫌う男も多い。
この国じゃ、あまりに偏見が強いんだよ。」
ミアの肩が震える。
女将は俺に向き直り、ゆっくり言った。
「……アキト。
ミアの相手をしてやっておくれ。」
「えっ!?!?」
ミアは真っ赤になったが、
それでも俺を見る。
涙の跡がきらりと光る。
セラが腕を組む。
「ミアは今、自信を失ってる。
支えてやれないか?」
ミアが震えながら、静かに微笑む。
「……お願いします……」
二人きりの部屋。
静かだった。
隣の部屋は確かに人の動く気配があるのに──
声が一切聞こえない。
ミアは震えていたが、
光に照らされた横顔はあまりにも綺麗だった。
「……私……ちゃんとできます……
怖かったけど……
アキトさんなら……大丈夫って……
思ったんです……」
胸が締めつけられる。
(……綺麗だ……
本当に……)
なのに──
立たなかった。
(……なんで……
ミアじゃなくて……俺の問題だ……)
ミアが泣きそうに呟く。
「……やっぱり……私……ダメなんでしょうか……」
「違う!!」
叫んでいた。
「ミアは悪くない。
本当に綺麗で……
魅力的で……
本当に、ミアのせいじゃない!」
ミアが涙の中で目を丸くする。
「……じゃあ……」
声が震える。
俺は静かに、絞り出すように言った。
「俺は……“演出”がないと興奮できない。
光とか……構図とか……
そういう“画”が整ってないと……ダメなんだ。
ミアが悪いわけじゃない。」
ミアが涙をぬぐう。
「……よかった……
嫌われたんじゃ……なかった……」
「絶対に違う。」
ミアはほっと息を吐き、弱く笑う。
その笑顔がまた、苦しいほど綺麗だった。
俺は天井を見上げて呟いた。
「……演出がない世界なら……
俺が作るしかないよな。」
こうして──アキトの奇妙な性癖が、
異世界に“新しい文化”を作りはじめる。




