第五話 勇者バンジョーの話
白を基調にしたあらゆる建造物が立ち並ぶここはこの国の中心都市、名を『スンサンコーネ』という。
立ち並ぶマーケットを通り抜けて国の奥へ奥へと進む。観光の人も少なくなり静かになってきた頃、私はとある家の戸を叩いた。
間も無く開かれた向こう側には、満面の笑みで私を出迎えてくれる緑髪の青年がいた。
「レイさんではありませんか!お久しぶりです!」
「急にすまないね、カネコくん」
「いえいえ、いつでも歓迎いたしますよ!さぁお入りください、とびっきりの緑茶をご用意します!」
彼はカネコくん。私の友人で街の一等地に暮らす高名な学者だ。ここからかなり離れた小さな島国出身で、その文地の化の違いや発展した歴史を伝えるためこの国に来たらしい。
彼が出す緑色のお茶…リョクチャもその一つだが、これはなかなか美味しい。初めて見た時「藻の浮いた泥水かい?」なんて言ったのは失礼だったな。
…まぁ、その時の彼は道を歩いていた私に「これの味見をしてくれませんか!?」と声をかけてきたので誰しもそんな反応になってしまうのではないかと思うが…。
リョクチャを啜り一息つくと、彼の方から声をかけてくれる。
「それで?本日はどのようなご用件でしょう?」
「……実はね、ちょっと相談があって」
「ほう?珍しいこともあるのですね」
「私だって人並みに悩むことくらいあるよ」
軽口を叩きながら私はゆっくり口を開いた。
数ヶ月前から見知らぬ少年と暮らしていること、その少年が持っているバスケットから食べ物が出てくること。…明らかに、彼が調理したわけではないということ。怖くなってバスケットを突き返してしまったこと。
「酷いことをしてしまったとは思っているよ。だが、今の彼はまるで未知の化け物や不気味なゴーストのように見えてしまってるんだ。見た目はただの子供なのに、なんなんだ彼は、本当に…」
思わず頭を抱えてしまう。私の不安を他所に、カネコくんは顎に手を当て考え込む素振りを見せる。そして立ち上がりながら口を開いた。
「…彼のことはわかりませんが、その食べ物はもしかすると霞かもしれません」
「カスミ?」
「はい、我が国には霞喰いという食事法があるのですが…」
彼は本棚の高いところから分厚い本を取り出すと、とあるページを開いて見せた。
「大昔、神に使える者達が獲得したものとされているものです。食事法といいましたが本質は幻覚のようなもので、実際には何も食べていないのに何故か腹が膨れるとかなんとか」
目を落とした時見えたページにはモヤモヤした黒い物を掬い上げ口に運ぶ人の絵が描かれていて不気味さを加速させた。しかしカネコくんは声色を変えず話し続ける。
「しかし、不思議なことに霞喰いによる体調不良や健康被害などが書かれている資料は一切ないんです。おそらく食べていると思い込む事で脳を騙し、体組織を動かしているのではないかと…」
「そ、そんなことが可能なのかい?」
「不可能ではないです。現にレイさんの体調は悪そうには見えません。…むしろ、炭のようなものばかり食べていた頃よりイキイキしていると思いますよ?」
それを言われてしまうとぐうの音も出ない。昔はロクなモノが作れずセシリアさんにかなり世話になっていたからなぁ…。
…それにしても、興味深い話が出てきたな。一体なぜ彼は私に霞喰いをさせようとしていたんだ…?そんなことをして一体何になるっていうんだ…?
無言で考えていると、カネコくんがカップを置いて声をかけてきた。
「時にレイさん、ワタクシからも一つお聞きしたいことが」
「ん?なんだい?」
「レイさんが仰っていた少年とは、その扉の後ろに隠れている彼のことですか?」
私は思わず立ち上がり後ろに振り返る。同時に扉の向こうの影が微かに揺らめき、顔を覗かせた。
「つ、付いてきていたのか…」
「……」
彼は私をじっと見つめている。
いつから付いてきていたんだ?まさかとは思うが、乗り合い馬車の荷台から?どうしてそこまで…。
困惑している私の横をカネコくんが通り彼に笑いかける。
「はじめまして。ワタクシはカネコです。以後お見知り置きを」
手を差し伸べるが彼は警戒しているようで少し後ろに下がってしまう。その時、後ろに置いてあったバスケットが倒れた。慌てて拾う彼にカネコくんは優しい口調で続けた。
「…少年、突然ですがワタクシはお腹が空きました。そのバスケットを見せていただきますか?」
「あ、おい…」
「大丈夫ですよ、レイさん」
私は恐る恐る彼の方を見ると、警戒が少し解けたのかバスケットをカネコくんの前に置いた。カネコくんは礼を言って中身を開けると、手招きをして私にバスケットの中身を見せた。
「…か、空…?」
そこには何も入っていなかった。手を入れてみてもなんの感覚もない。困惑していると、カネコくんが口を開いた。
「…これはワタクシの想像なのですが、このバスケットはレイさんが望んだ食べ物を生み出すものではないのでしょうか?」
「私が…?」
「はい。だからワタクシが望んでも何も現れなかったのです。きっと彼はレイさんの役に立ちたかったのでしょう。まぁ、仕組みは全くもってわかりませんが…」
彼の方を見るとまっすぐな目でこちらを見ていた。
…本当にそうなのか?彼の心の中はわからない。それに…今はなんて声をかければいいのか、わからない。
思わず顔を逸らすと、カネコくんが明るい声色で私に声をかけてきた。
「レイさん、ワタクシパンケーキが食べたくなりました」
「え?パ、パンケーキ?」
「はい、贅沢にハニーもバターもいっぱい乗ったやつがいいです。三段くらい乗っているとなおよし」
そう言って彼は私にバスケットを押し付けてくる。彼がやりたい事を察した私は艶やかな蜜のかかった大きくフワフワのパンケーキを想像し、バスケットを開けてみた。
「不思議だな、本当に…」
一瞬で現れたパンケーキは出来立てのように温かく、甘い香りがこの部屋全体を包み込んだ。カネコくんはそれを見て感嘆の声を上げひとつまみのパンケーキを口に含んだ。
「んー!これすっごく美味しいですよ!」
「そうかい、そりゃよかった…」
笑みを浮かべていた彼だったがふと手を止めた。どうしたんだ?と聞いてみると、彼は眉を下げて笑ってみせた。
「やはり三段は多かったようです。少しお腹が膨れてしまいました。レイさん、彼の分の緑茶も淹れますから、ぜひ三人で食べませんか?」
私は思わず笑ってしまい、彼に声をかける。
「彼のリョクチャは美味しいよ。おいで」
彼はこちらに目を向けた後、テーブルの席についた。三人でパンケーキを頬張りながら食べている中、いつもの通り勇者の話をすることとなった。私は今日のことを思い出し、この話をすることにした。
「勇者バンジョーの話を知っているかな」
ーーー
「オレについて来い!ガハハハハ!!」
バンジョーは豪快な男だった。
かつて小さな港町で漁師をしていた彼だったが、ある日突然大型船を用意して船旅に出ると言い出したんだ。
理由を聞けば「海が呼んでる」と言って笑っていたよ。周りの人達は呆れていたが、一人で船を出すわけにはいかないと何人かの漁師がついて行った。
その乗組員は驚いていたよ。その港町の側に魔王の手下の群勢がいたんだから。それを見たバンジョーは奴らを迎撃し、殲滅させた。船に取り付けていた錨を振り回してね。なかなかだろう?
そうしてバンジョー達は海を渡り魔王の手下を倒していった。彼らの一歩一歩は小さかったが、確実に世界を平和に近づけていったんだ。
しかし、ずっと上手くはいかなかった。
実はバンジョーは病に侵されていたんだよ。心臓が徐々に蝕まれ、本来なら寝たきりで治療しなくてはいけない程の病にね。
だけどバンジョーはそうしなかった。黙って死ぬくらいならせめて愛する家族が生きるこれからの世界を守りたいと海へ出たんだ。その意図を汲んで船員は誰も帰ろうとは言わなかった。
そうしたある日のこと。バンジョー達の前に魔王の側近が現れた。
奴は「雷の魔神」の二つ名を持ち魔王の手下の中でも一二を争う実力者でね。誰もが尻込みし震えていた中、バンジョーだけは錨を持って魔神に立ち向かったんだ。
船員は全員小舟を使って脱出したから事の顛末はあまり伝わっていない。だが彼らが帰ってきてから数百年もの間、その海域で魔王の手下や魔物が現れることがなかったという。
きっとバンジョーが倒してくれたんだと思った人々は感謝の意を込めて彼の故郷にバンジョーの銅像を建てた。
今でも船乗りの間では錨を模したお守りを作るんだ。どんな困難にも笑って立ち向かえるように、という意味を込めてね。
ーーー
話が終わりチラリと彼の方を見ている。心配していたが杞憂だったようだ。いつものように無邪気な目でこちらを見ている。ふと前を向くとカネコくんは小さく拍手していた。
「やはりレイさんは博識ですねぇ。この時代にこんなに勇者の話ができる人はなかなかいませんよ」
「そんなすごいことじゃないよ。ただ仕事柄知ることが多かっただけさ」
とはいえ、学者に博識と言われるのは少しだけ嬉しい。そんなフワフワした気持ちのまま雑談は進み、気がつけば夕日が照っていた。
「今日は突然押しかけてすまなかったね」
「いえいえ!久しぶりに会えてよかったです!またきてくださいね、少年も!」
「……」
彼はカネコくんに向かって小さく手を振った。
私達はそれから乗合馬車へと乗り家路に着いた。会話こそなかったが、迷子にならないようにと繋いだ手はずっと離さなかった。