第一話 勇者チケットの話
「うーん…どうしたものか…」
鍋底にこびり付いた穀物は一向に取れる様子はなく、なんとか皿に移したものはドロドロの炭の塊ばかり。これだけを見てお粥だと気づける人はいないだろう。作った張本人の私だって半信半疑なのだから。
失敗した料理を前にため息をつく。
時刻はもう遅く森を抜けて街まで行って買い物をする気力は湧かない。今日の分の穀物は使い切ってしまったしお腹は変わらず空いている。もうこうなったら諦めてこの炭を食べるしかないのか…?
そんなことを考えていると、突然扉が叩かれた。こんな夜に客なんて珍しいと扉を開くが、そこには誰もおらず夜の帳が広がっているだけだった。
「イタズラか…?全く…」
扉を閉めようとしたその時、私の手はピタリと止まった。
そこにいたのは小さな少年だった。褐色の肌に紺色の髪、そして何より美しい金色の瞳に目が惹かれた。そんな容姿とは対照的に、服はボロ布を羽織っているだけで靴も履いていない。そして片手にはなぜかバスケットを持っている。
ここら辺では見ない子供に少し警戒しながらも私は彼に話しかける。
「えーっと…こんばんわ?」
「………」
「キミ…迷子かな?お父さんかお母さんは?」
「………」
何も言わない。その上なぜか私のことをじっとしている。なんなんだ、何を考えているんだ?
悩みの種が増えてしまったがこのまま外に置いておく訳にもいかない。
「とりあえず中に入って…あぁそうだ、なにか食べるかい?確か…」
そこでキッチンに目が行き私はまたため息をついた。
そうだった。今は私の食事さえなかったんだった。いや、まずはこの惨状の片付けからか…?
頭を抱えた私のことをジッと見ていた彼は持っていたバスケットを私の前に差し出した。
「……」
「え?くれるのかい?でもこれは、キミのものなんじゃ…」
少年は頷いた。それでも私にバスケットを差し出してくる。
あぁ、こんな小さい子供に気を使わせてしまうなんて申し訳ないな。
せめて綺麗なお皿に盛り付けようと思いバスケットを開ける。
そこには出来立てのように湯気の立ったお粥があった。
私は思わず固まった。この子はなぜ出来立てのお粥をバスケットに持ってきたのか?そもそもどういう原理でここまで温かさを保っているんだ?こんな子供に魔法が使えるとは思わないし…。
困惑する私をよそに、彼はすでに椅子に座って食事を待っている。
話ながらも聞けばいいかと私はお粥を取り分けた。
ーーー
「ごちそうさまでした、美味しかったよ」
手を合わせ笑顔でそう告げると、彼は空のお皿を前に小さく頷いた。
…お粥の中にはかき混ぜられた卵が入っており微かな塩味が効いていて美味しかった。しかし結局なんでお粥が入っていたのかは答えてくれなかった。本当に不思議な子供だなぁ…。
とにかく話を聞かなければ。私はテーブルに肘をつき彼の目を見ながら話しかけた。
「えっと…自己紹介がまだだったね。私はレイモンド。レイモンド・カーターだ。キミの名前は?」
「………」
「…これからどうしようか?」
「………」
相変わらず返事は無言。困り果てていると、彼はふと顔を上げた。
「勇者の話を聞かせろ」
それは見た目で想像していたより低く威圧感のある声だった。初めて聞いた彼の声に驚きながらも、私は少し彼に近づき話を続ける。
「もちろん構わないけど…なんで私に聞くんだい?」
「ここにあるのは勇者の墓なんだろ?お前の見た勇者の話を聞きたい」
彼は金色の瞳をジッとこちらに向けている。随分と真剣な眼差しだ。
…ここの墓守になってかなりの時間が経ったが、勇者なんて名前何年ぶりに聞いたか。平和な世界の中で生きていれば思い出す事を忘れてしまっても当然だと思っていたが。
だったら、この子にかつての勇気ある者の話をするのも悪くないんじゃないか?
私は立ち上がり彼に答える。
「わかった、いいよ。でもその前にお皿を片付けようか。私の話は長くなるからね」
彼は頷くと皿を持って私の後ろに着いてくる。誰かと共に過ごすなんて久しぶりだな。洗い終わったら温かいミルクを作ってあげよう。
ーーー
そもそも勇者ってなんだと思う?
大体の人間は魔王を打ち倒した者の名前を上げるんだろうけど、実は魔王を倒す道中で倒れた者も勇者と呼ばれているんだ。それはなんでだと思う?
…それはね、"魔王に挑む"という勇気ある行動をした者の総称として「勇者」と言う言葉があるからさ。
だからこの世に勇者は大勢いたし、どの勇者も誰かにとっては最も勇気ある者だと言われる。
さて…最初は私が最も勇気があると思う者、チケットについて話そうか。
※
「母さん、俺は絶対に生きて帰って来ますから。魔王を倒し、世界に平和を取り戻してきますから!」
始まりは母の手の温もりをゆっくり離した時だった。
勇者チケットは一番最初に魔王に挑んだ者だ。
彼の道のりはまさに前人未到。鋭い岩壁とも呼べる山道を越え、歪に割られた海域を越え、魔王の根城へと向かった彼の冒険の困難さは言わずもがな。勇者の道中で一番過酷だったものは誰かと聞かれれば私は真っ先に彼の名前を上げるだろう。
彼の足はいつも鈍痛に襲われ、彼の腕は武者震いでもないのに小刻みに痙攣し、彼が身にまとっていた防具はいつ燃えて鉄に戻っても仕方がないくらい歪んでいた。
それでも彼は前を向いた。打倒すべき目標の魔王だけを見て。
しかし彼は敗れた。
魔王までの道のりを超えた後、彼に魔王を倒せる体力は残っていなかった。待ち構えていた魔王は彼を嘲るかのように彼の頭を軽く砕いたのだった。
では、彼の冒険は無駄だったのか?
私は否と答えよう。
実はね、彼は地図を記していたんだ。自分が破れた時、後に続く者が辛い思いをせず魔王城まで辿り着けるように。それをあらゆる人間が伝え、繋ぎ合わせたおかげでこの世界の大まかな地図ができた。そこにはもちろん魔王城までの道も記されていたんだ。
彼がいたからこそ魔王城への道は開かれ、彼がいなければ後の勇者が出る事はなかった。彼は勇者の中でも最も勇気と希望に溢れたものだった。
ーーー
「…といった話だったんだが…どうだったかな?」
彼は顔色一つ変えず頷いた。ずっと私の話を黙って聞いていたが、満足してもらえたのだろうか…。
飲みやすくなったホットミルクを啜る。時計を見るともう夜の九時頃を指していた。そろそろ眠らなければ明日の仕事に支障が出てしまう。
私は立ち上がり、寝室から毛布を数枚持ってソファの上に敷いていく。
「今日はもう遅い。私はここで寝るから、キミはベッドで寝なさい」
彼は首を傾げた。…何かおかしなことを言っただろうか?
寝室へと案内し毛布をかける。こちらを見る彼に対し私は微笑みながら頭を撫でた。
「暖かくして寝るんだよ、おやすみなさい」
こうして、私と彼の不思議な二人暮らしが始まった。
初連載です。よろしくお願いします。