#3_目覚め
――ピヨピヨ、ピヨピヨ……!
音が聞こえる。耳をつんざくような風雪の音ではない。
聴いているだけで安らぎを感じる、穏やかな音だ。
――………………?
長らく心地よい状態で意識を失っていたデイビスであったが、聞き覚えのない音でようやく目を覚ました。
――はあっ……!
抑えつけられていたバネが開放されたかのように素早く跳ね起き、同時にその目を開ける。
「うっ……!」
長らく目を瞑っていた影響か、デイビスが目を開けた直後に猛烈な眩しさが彼を襲う。
その目が慣れるまでの間、デイビスは、自分があの吹雪から生還したという事実に安堵していた。
――よかった……! なんとか助かる事ができたぞ……! 目が慣れたらいつもの道から家に帰ろう。
そう頭の中で考えている内に徐々に目が慣れ、目の前の景色が浮き彫りになっていく。
――……え?
デイビスは驚愕した。
言葉を発することもできない。
――ここは……。
デイビスの頭の中でただ一つの同じ言葉は繰り返される。
――ここは……。どこだ……?
そう、彼の目の前には、確かに色鮮やかな森があったのだ。
……✲……✲……
「うわぁ…」
デイビスは森の中を歩いていく。
その目の前の光景にただ唖然とするばかりであった。
何せ、デイビスにとってはこの光景全てが、新鮮なものであったからである。
雪に覆われた土地シルバーチェには色は無く、あるのは雪と針葉樹だけであり、対してこの森には針葉樹とは違い色鮮やかな木々、地面に生える草花、森の間を流れる小川など、多種多様の色彩が彼の目を奪っていた。
「何だこれ!」
気になるものがあればすぐに近づき、観察する。
ここはどこだ、などという疑問はすっかり忘れ、普段しっかりとした青年からは想像できぬ姿、まるで幼子のようだった。
「にしても、空が眩しいな……」
適当に歩きながら、ふと思い出したかのように上を見上げる。
そこにはシルバーチェに無い、青空と日の光が存在していた。
「空がこんなに青いなんて……一体どうしてしまったんだ? しかもあそこだけ妙に眩しいし」
デイビスは、疑問に思いながら手を翳し、目に入る光の眩しさを軽減させながら歩いていると、ふと開けた草原に出た。
草原は風通りが良く、木々からの落ち葉達が風に乗って運ばれていく。
デイビスがそれを目で追っていると、落ち葉達が最終的行き着いた先にあるものを発見した。
地面に突き立てられ、朽ち果て苔むした剣である。
しかもそれは無数に乱立していた。
デイビスはそれらの一つに近付くと、至近距離で観察し始める。
もちろん、それが剣だと分かるはずもなかったが、必死にこれが何なのかを探ろうとする。
そして、ふと突き刺さる剣の元を見ると、そこには、まだ新鮮な香りを放つ一輪の花が置いてあった。
デイビスはそれを見てハッとする。
そう、これらは墓であった。
「これは恐らく、前本で見た墓っていうやつかな。そこに、誰かがあの地面に生えてるやつを取って、ここに置いたのか……?」
そんなことを良いながら、花を動かさないよう静かに後ろへと下がる。
「もしかしたら近くに人が居るかもしれない。とりあえず、またこの開けた場所を進むか」
そしてデイビスが進もうとしたその時だった。
ブルルル……!
何かの音が聞こえ、デイビスが固まる。
それは、明らかにここまでの間で聞き覚えの無い音だった。
デイビスは恐る恐る後ろを振り返る。
何とそこには、全身が水で出来た馬が居た。
「えっ……」
デイビスは思わず言葉を失う。
「ブルルル……!」
「な、なんだ……?」
水で出来た馬がデイビスにそのまま近付こうとする。
「うわ、こっちへ来ないでくれ!」
そう言ってデイビスは開けた草原へと全速力で逃げ出す。
それを見た馬も、ひひーん! と鳴き声を上げながら、デイビスの後を追って走り出す。
「追いかけて来るな……! 頼むから……!」
毎日の薪取りで鍛えられた自慢の脚力を駆使して何とか馬を引き離そうとするが、流石に馬の方が早かった。
パカラッパカラッ!
どんどん近付くその足音に焦っていると……!
「うわっ!」
慣れていない地形を全力で走った影響で、デイビスは躓き転んでしまった。
その直後、転んで動けないでいるデイビスの元へ、馬が走り寄って来る。
「やめろ……!」
怯えるデイビスを気にも留めぬ様子で、触れる寸前まで顔を近付ける馬。
いよいよ本当に触れ合いそうになったその時であった。
「ヒヒンッ!」
馬が急にデイビスから離れ、突然暴れ出した。
「な、何だ……?」
馬は、暴れながら素早く周りを見渡すと、逃げるように、そのまま来た道を走って戻っていった。
「た、助かったのか……?」
走り去って行く馬を見るも、こちらへ戻って来る様子は無い。
「よ、よかったぁ……」
デイビスは安堵し、そのまま草原の上で仰向けになる。
青空と目が合う。
「綺麗な空だ……。……ん?」
空を見ていたデイビスはあることに気付く。
青々とした一面の空が、徐々に灰色に染まっているのだ。
急いで起き上がり、草原を見渡す。
先程まで鮮やかだった木々や花たちには影が落ち、青空は暗雲に支配され、その色が再び覗くことは無かった。
まるで目の前の景色が全てモノクロになったようであった。
「今度は、何だよ……!」
急な景色の変化に困惑するデイビス。
そして、ふとあるものに目が留まった。
――……?
黒い。
色が失われたような景色の中で、ただならぬ存在感を放つ黒い何か。
それらが無数に草原の彼方に存在していた。
デイビスは直感的に感じていた。
――逃げなくてはいけない、と。
デイビスは、黒いそれらとは反対方向へと走り出した。
ゴオオオ!
デイビスの背後から追い風、いや、風圧が押し寄せる。
黒い何かが着実に迫ってきていた。
しかし、デイビスも負けじと走り、その距離を離していく。
「今度は転ばないように気をつけないと……!」
足元を見ながら注意深く走っていたため、今度は転ばずにそのまま走り続ける事が出来ているデイビス。
だが、それが災いし、今度は地形に阻まれてしまう。
「行き止まりか……!」
ふと目の前に現れたのは絶壁。ここは山の麓であった。
足元に注意を傾け、無我夢中で走ったため、徐々に山の麓に近付いていることに気付いていなかったのだ。
次の進路を何とか模索するデイビスであったが――
ガサッ。
背後には既に先程の黒い何かが、もう目の前に到達していた。
その黒い何かは、不思議な事に実体が無く、まるで靄をまとった影の様であった。
黒い靄の影達は、高速でデイビスの周りを取り囲み、退路を塞ぐかのように、周回し始める。
デイビスは、自身の周りを動く、それらをじっと睨むのであった。