#2_干渉
デイビスは薪置場へと走り始めた。いつも薪を取りに行く時間の景色は少し暗いが、今日は早く出発したためまだ明るく、それはデイビスに一抹の不安すら与えないようだった。
「よお、デイビス。また今日も走ってきたのか!」
大男が、デイビスに声を掛け、それに対してデイビスはいつもの受け答えをする。
全てはいつも通り。
が、しかし――
「デイビス。お前、気を付けろよ」
その言葉に、薪を持ち立ち去ろうとしていたデイビスは止まり、大男の方へと振り返る。
「何で? 急にどうしたんだよ?」
「いや、何だか今日は吹雪いちまいそうな気がしてな」
それは突然の警告であった。
「何でそんなことが分かるんだよ?」
更に疑問を問い掛けるデイビス。
「わからんが、そんな気がしただけだ。気にしなくても良い」
「……分かったよ。ありがとうな」
曖昧な答えに少し拍子抜けしたデイビスは、あまり気にも留めずに後ろを向いたまま家へと走りだそうとする。
ドンッ!
何かに跳ね返り、後ろへのけぞりながら尻餅をつくデイビス。
「痛てて……、全く何だよって……え?」
自身の身体を擦りながら前を見上げるとそこには一人の女性がおり、キリッとした目でデイビスの方を覗いている。
その目の持ち主が誰か、デイビスは一目で分かった。
「イ、イヴェ姉!」
「その呼び方をするな! 私の名前はイ・ヴェ・ナだ!」
イヴェナと言われるその女性は黒のウルフヘアーに紫色のメッシュ、また、見た相手を威圧するような赤い瞳をしており、傍から見た時の印象は近寄り難い存在となっていた。
イヴェナは強引にデイビスの手を引き、その場に立たせ説教を始める。
「全く、走り出す時はちゃんと前を見て、慌てるな。君が怪我したら、アーリはどう感じるのかしっかりと理解しているのか?」
「……はい、すみませんでした」
「今回だけじゃない、君はいつも……」
イヴェナはまるで狙いを定めた射手のように、的確にデイビスの悪かった点をぶっきらぼうな言葉で素早く次々と射抜いていく。それに完全敗北したデイビスは頭が上がらず、ひたすらにイヴェナの言葉に対して相槌を打つ。
――イヴェ姉、しっかりしてて人想いのいい人なんだけど、しっかりし過ぎるのも考えようだよな。いや、自分が悪いんだけどさ……だけどさ……!
一生止まらないイヴェナの言葉を受け続けながら、頭の中でそのようなことを思案するデイビス。
「まあまあ、イヴェナもその編にしといてやれ、俺が最初話しかけたのも悪かったし、デイビスももう十分理解したはずさ。そうだろ?」
デイビスが言葉の矢だらけになったのを、しばらく傍から見ていた大男がイヴェナに声を掛ける。
「う、うん! ちゃんと理解したよ! 本当にごめん!」
デイビスは頭を振り子人形のように、必死にペコペコする。
「はあ……。まあ、おっさんがそう言うなら仕方ない……。とりあえず今度から気を付けるように。ほら、早く行きな。アーリが待ってるんだろ? 心配掛けんなよ」
「ありがとう! イヴェ姉!」
「だーかーら、イヴェ姉じゃなく、イヴェナだ!」
ハハッと笑いながら今度こそ薪置場から走り去っていくデイビスに対して、イヴェナは説教をもっとちゃんとするべきだったと遠くから言葉の矢で射抜こうとするが、もちろん俊足のデイビスに届くことはなかった。そして、少し落胆しながら、全てを微笑ましく眺めていた大男の方へと振り向き、文句を浴びせる。
「何がそんなに面白い? お前もちゃんと指摘しないとダメだろう?」
「いや、この光景も平和の証だなと思って見てただけだ。それに、指摘に関しては俺が居なくても十分だったと思うが?」
にんまりした顔の大男に対して、イヴェナは目を細めて睨んでいる。
「まあ、この話はこれで終わりで言いだろう。それよりどうした? イヴェナ。いつもは夕暮れ時にここに来るのに、今日はやけに早いじゃないか」
自身がずっと持っていた疑問をようやくぶつける大男。それに対してイヴェナは表情を切り替え、神妙な面持ちで理由を語る。
「いや? 特に確証なんてものはないんだが、なんだか今日は吹雪が起きそうな気がしてな。それで早く来たってわけだ」
イヴェナのその言葉に、大男の、気のせいにしたかった自身の勘が、間違いではない可能性に酷く頭を抱えた。
「なるほど、そうか……。お前もそう感じたか……」
「ん? 何だ、お前も、って」
イヴェナの言葉をよそに大男は、デイビスが走り去った方角に目を向ける。
「これは少しばかり、まずいかもしれんな……」
「おい。さっきから聞いているのか。一体どうしたんだ?」
まったく聞く耳を持たない大男にイヴェナは憤慨するが、構わず大男はイヴェナに頼み事をする。
「イヴェナ、薪なら後で俺が責任持ってお前の家に届ける。その代わり、デイビスの後を追って、あいつの家まで付き添ってやってくれ」
「全く……さっきから私の話を聞かないと思えば、急に頼み事か? 随分と都合が良いな?」
そのような文句を言いながらも、イヴェナは自身の靴の紐をきつく結び直す。
「おい、数日は困らない量の薪じゃなかったら許さないからな、ガイヴ」
「勿論」
その言葉を聞くや否やイヴェナは走り去っていった。薪置場の大男、――ガイブは、神妙な面持ちで二人が走り去った方角を心配そうに見据えるのだった。
――✲――✲――
「くそっ、さっきまで雪なんて降ってなかったのに……!」
雪の上を走るデイビス。その周りの景色には変化が生じていた。
先程までの明るく見通しのよい景色はどこにもなく、今では大粒の雪が振り始め、段々と強まる向かい風が壁となり、文句を言うデイビスの前に立ち塞がる。
毎日走っているこの道すら、その両足に錘をつけたかのような重い一歩でしか進むことが出来ない状態であった。
「一体、何が起きてるっていうんだ……! あっ……!」
自身が置かれているこの状況に疑問を投げかけるデイビスであったが、とある言葉をここで思い出した。
――「いや、何だか今日は吹雪いちまいそうな気がしてな」
先程のガイヴの言葉である。
その言葉からデイビスは、今のこの状況が吹雪の前触れであることを思い知らされた。信じたくはなかった、だがそうでなければ説明がつかないこの状況。
早く帰らなくてはならない。自身の両脚に鞭打ちながら必死にその歩みを進めていく。
一歩、一歩、いつもより高く積もった雪に足を取られながらもデイビスは、諦めることはなかった。
ヒュー! と音を立てながら更に雪風が強まっていく。一帯は完全に吹雪となった。デイビスのその視界も徐々に白く覆われ、もはや先を見通すことは出来ていなかった。
いつも見えている闇黒の空もその姿を完全に隠し、一面白の世界にデイビスだけが存在していた。
そしてそのデイビスも、今は降りかかる雪によって白に染め上げられようとしている。
――「あなたの事を想って言ってるのよ」
デイビスは昨夜のアーリの言葉を思い出し、そして自分の犯した過ちに酷く後悔の念を抱く。
――母さんの言う事を聞いていれば、こんな事には……!
だが、もう遅い。いくら後悔してもこの状況は変わらないのであった。
「くっ……!」
デイビスの顔が歪み、その場で片膝をつく。その拍子に、手に持っていた薪を落としてしまった。
薪を拾おうとするも――
「うわ……!」
殺人的な暴風が地面を撫で、落とした薪を吹雪の白いカーテンの中へ運んでいってしまった。
あまりの暴風と肌に刺さるような豪雪に、デイビスの動きは遂に止まる。
「くそ……! 絶対に母さんの元へ……帰るんだ……!」
このまま風に飛ばされてしまいそうな意識を保ち、更に決意を固め、身体に力を入れる。
デイビスの視界が更に雪に覆われ白くなる。目を開けることもままならない。周りの音も風によって掻き消され、耳には何も音が入ってこない。だが、それでも耐えていた。
「絶対に……! 帰る……!」
目を瞑り、ひたすらにその場で耐え凌ごうとするデイビス。
そこであることにようやく気が付いた。
「……?」
デイビスは周りを眺める。
そう、音がしない。
更には、周りの景色が白一色になっていた。
「何だ……? どうなってるんだ……?」
デイビスは身体の力を抜き、立ち上がり周りを見渡す。何も無い白い空間にデイビスが一人でぽつんと立っている。
「いでよ」
何も音がないはずの空間に、声が響く。
「な、なんだ……?」
「いでよ」
繰り返される言葉にデイビスは困惑し、再度周りを見渡すも、声の主らしき人物は見当たらない。
「誰か居るのか……!?」
「いでよ」
繰り返されることで段々と不気味さを増す謎の言葉だったが、その繰り返しも終わりを告げることになる。
「いでよ」
「だから何……」
「この世界に、光を……!」
一際大きい音で謎の言葉が響いたかと思ったその時。
「うっ……!」
ピカリ、と空間が眩く光り、デイビスが眩しそうに目を手で隠す。
そして目を再び開けたデイビスに再び暴風と雪が襲ってきた。白一色の空間は見当たらず、景色は猛吹雪の中に逆戻りしていた。
「な、今のは……! 一体!」
ゴオオオ!
自身の幻覚を疑うデイビスをよそに、暴風と雪が先程までとは比べ物にならない程強まる。
耳をつんざく風雪の勢いはどんどん強くなり、デイビスの意識は遂に白に染められる。
「か、母さん……」
その言葉は誰にも届かない。
「……ごめん」
パタリ、と雪の上に倒れたデイビスの意識はそこで途絶えた――