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梅散らず  作者: 花河燈
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芹沢派と試衛館派

文久三年(1863年) 三月。

 京に残った芹沢一派と試衛館の近藤一派の十七人は、京都守護職にあたっている会津藩の当主、松平容保に京の治安を守りたいという嘆願書を提出した。京の治安の悪さに手を焼いていた容保はそれを認め十七人は会津藩預かりの壬生浪士組となった。


「…一時はどうなる事かと思いました」

斎藤は歳三に入れてもらった茶を啜りながらおっとりと呟いた。

京についた旨を知った斎藤は、歳三達が上洛したという文を貰ってから五日もたたないうちに、歳三達に合流した。そこまでは良かったが、先行きも決まらない毎日がそれから少し続き、物事に無関心な斎藤でさえ、このままでいいものなのかと不安を覚えていた程だったのだ。

だが、やっとこの日、会津藩の預かりになることがかなった。

「そうですよねー斎藤さん。折角ここまで来たっていうのに、まさか浪士隊が江戸に戻されるなんて思ってもみなかったですから。これで帰されてたら斎藤さんは泣くに泣けなかったでしょう」

「…その通りですよ沖田さん」

総司がからかうように前に座る歳三を見て笑った。斎藤も変わらない顔で大きく頷いた。

この二人の機嫌も良い。

夢に近づいたのだから当然である。

永倉達などは喜び勇んで、原田と共に花街に繰り出していった。近藤でさえ余程嬉しかったのだろう芹沢達に連れ立って、飲みに出かけてしまった。

「ふん…良いじゃねーか。とりあえず京に残る事が出来たんだからよ」

 その中で歳三だけがどこか不機嫌だった。

「あれ?土方さん。嬉しくないんですか?会津様の預かりなんて、江戸にいた頃の私達を思えばたいしたもんじゃないですか」

総司の言葉に斎藤も大きく頷いた。

歳三は、じっと腕を組んでいる。

「それ自体は良いんだが、どうもひっかかるんだ」

「…何がです?」

普段あまり多くを語らない斎藤が口を開いた。

京に来た中で、おそらく一番今日という日を待ち望んでいたのは歳三の筈だった。その歳三の渋い顔が斎藤には、気になってしかたなかったのだ。

「芹沢は水戸の天狗党にいたくらいの奴だ。それがなんで京の治安を守るなんて言い出しやがったのかって思ってな」

「確かに、天狗党っていえば、勤皇の活動で有名ですからね」

斎藤が首をかしげた。

勤皇というのは、天皇を主とした国を作ろうという行動を取っている人の事である。勤皇の活動をしたい筈の芹沢が何故、幕府に付いたのか、それは歳三だけでなく斎藤にも疑問に思うところだった。

「でも、人を殺して牢獄に入れられていたのを浪士隊の募集に応じて許してもらったらしいじゃないですか。だから心を入れ替えて公方様に尽くすことにしたとか」

「…総司…お前詳しいな」

てっきりこういう話には疎いと思っていたと言わんばかりの歳三だった。

だが、からかいながらも歳三は総司の事を馬鹿だと思った事は一度もない。一見すると冗談しか言わないように見える総司だが、見るところや聞くべきところはしっかり押えていて、しっかりした意見も持っている。

「山南さんが教えてくれたんです」

「大方そんな事だろーよ」

そう言って、お茶請けの菓子に手をのばして歳三は一つを口に入れた。

だが、どうしても歳三は芹沢の言動に喉に突っかかる魚の小骨のような違和感を感じていた。



会津藩の預かりになる少し前。

ここから先の展望を芹沢達と話し合った事があった。

「ここにきて何もしないでいるわけにもいくまい」

芹沢は八木邸の一番広い部屋に全員を集めて言った。

「確かに、蓄えもじきに底をついてしまうからなぁ」

近藤も弱ったと言った面持ちだった。

将軍家茂の警護で京に来たものの、本来の浪士隊はとっくにその部隊の意味を変え、江戸に帰ってしまった。問題は京に残った者達だった。残った者達は、幕府を裏切った形になってしまった浪士隊の一員でもある。そんな者達を幕府がもう一度召抱えてなどくれるはずもない。かといって、江戸の道場主でしかない近藤には、京の町に頼るツテなどは持っていなかった。

山南を見ても、現実問題についての案は持ち合わせてないらしく、苦汁を飲んだような顔で黙っていた。

近藤は、困った時の頼みの綱である、隣に座った歳三に何か良い案はないものかという視線を投げた。

「御公儀が駄目なら、京都守護職に直談判すりゃいいじゃねーか」

歳三が簡単に言ってのけるのを見て、総司と斎藤以外のそこにいた全員がその無謀さに苦笑いをした。

「土方君。どうすれば一浪士にすぎないワシらと会津候がお会いになるというのだ。馬鹿も休み休み言い給え」

芹沢の右腕に当たる新見が、歳三を馬鹿にしたように言った。

「まぁまて、土方の意見を聞いてみろ。笑うのはそれからでも出来る」

道中での大焚火の一件以来、芹沢は歳三の状況判断力に一目置いていた。

「京の治安は各々方も見ただろう。尊攘派の不貞浪士達が町を闊歩し、天誅といっては河原に首がさらされるような所だ」

 そうだろ?と歳三が、よく物見遊山で町に繰り出している原田や永倉に視線を投げた。その惨状を実際の目で見てきた二人は大きく頷く。

「それがどうしたというのだ」

イライラしたような顔で新見が先を促した。この中で一番気の短いと思われていた芹沢は、じっと大きな体を全員の中心に据え、歳三の顔を瞬きもせずに見ているだけだった。

その様子に歳三は少し芹沢の見方を変える。

根っからの無頼者ならば、もったいぶった言い方をする歳三に怒り出すはずなのだが、芹沢はいっこうにその気配を見せない。

大焚火の際も引き際を心得ていた。もしかしたら結構な人物なのかもしれないと歳三は思った。

「幸いにして俺達は、剣の腕には覚えがあるものばかりではないか?」

 歳三が聞けば、そこにいる誰も腕には自信があるらしく、大きく頷いた。

「京の治安に頭を悩ませている京都守護職にしてみたら俺達みたいな奴は渡りに船ってわけじゃねーか。」

「会津候はワシらにお会いになるというのだな」

 黙って話を聞いていた芹沢がやっと口を開いた。

「双方の利害が一致していれば、大抵の人間は動くでしょうよ」

歳三は、行動を起こさなければ何も始まらない事を知っていた。行動すれば幕臣にでも会えるのだ。

時代は、思った以上に切迫しているらしい事を歳三はここにいる誰よりも実感していた。

「うむ…確かに今、京を牛耳っているのは会津候だしな」

芹沢が少し考え込む。

近藤達は、歳三の分析眼に尊敬の眼差しを向けた。普段歳三を見下している山南でさえ、その判断に異論を唱える事をしない。

「もし心配なようならニ・三日、自主的に巡察して成果を持っていけば確実でしょう」

 駄目押しのような案を歳三が言った。

「やってみよう。幸いワシには京に詰めている水戸藩士の兄がいる。頭を下げれば確実だろう。我ら尽忠報国を志に持つ者にしてみれば会津候に仕えられるのは願ってもない事じゃ」

手に持った三百匁はある鉄扇で、ポンと膝を叩くと芹沢はその場をお開きにした。

芹沢の後に続くように、新見以下の芹沢派の者達もその場を後にする。試衛館派の者達はその場に詰めたままだ。

「芹沢の奴…偉そうに」

大焚火の事を根に持っている原田が舌をならした。

「勤皇の志士だったと言う人間が、今や御公儀の犬だ。尽忠報国が聞いて呆れる」

永倉の言葉に、歳三はふと違和感を覚えた。

「志よりもお山の大将になる方が、彼には魅力的なのでしょう」

 山南が近藤に向かって苦笑いしている。

本当にそうなのだろうかと、歳三は思った。水戸の天狗党といえば、過激な水戸藩の中で最も過激な一派だったと土方は聞いている。そんな勤皇の為にかける命が軽い人間が、簡単に思想を変え、国と為とはいえ動けるものなのだろうか。そう考えると歳三は、芹沢鴨という人間が解らなくなった。


会津藩預かりの壬生浪士組になり、新入隊士も増えた頃、芹沢がまずした事は、商人から借りた金で隊服を作る事だった。

浅葱色に白でだんだら模様を染め抜いた隊服は、赤穂浪士のそれを真似たものだというが、隊内では不評だった。

その声を代表した歳三がある日芹沢に聞いた。

「何故、あそこまで目立つ色にする必要があったのですかな。あれでは敵に逃げてくれといっているようなものかと思いますが」

「あれは切腹裃の色だ。それぐらいの気合で望むのだという証でもある。目立つのは、そうした方が早く京の町に壬生浪士組の名が広がるではないか」

普段意見をされる事を死ぬほど嫌う芹沢は、何故か歳三の言葉には鉄扇を振り上げる事なく耳を傾けた。

そして丁寧に説明まで入れて話してくれる。

話を聞けば、一々もっともで、歳三は芹沢に対して異論を唱える事が出来なかった。

だが、歳三の芹沢に対する違和感は日増しに強くなっていく。

そして芹沢は、会津藩に召抱えられた後、日々酒に溺れ問題ばかりを起こすようになったのだ。

大坂に出向けば、前に立ちはだかった力士が気に入らないと斬り捨て、花街に行けば女が気に入らないと女の髪を切ってしまう。力士を斬ってしまった件の尻拭いに相撲興行を行えば、あてつけのように生糸商の大和屋を焼き討ちしてしまう。

恐喝まがいに金を商家から巻き上げ、その金で飲み歩く。


「芹沢局長。よく皆が稽古をしている時に飲み歩けますね」

我慢しきれなくなった藤堂が、隊士達と庭で剣術稽古をしている時、遊里に行こうとする芹沢一派に噛み付いた。

中央で掛け声をかけていた近藤があわてて藤堂の元へ駆けつける。

「ワシは君達みたいなイモ侍とは違うのでな、鍛錬など無用なのだ。のう近藤氏」

芹沢が鉄扇で藤堂の肩を軽く叩く。そしてあきらかに見下すような視線を近藤に投げた。だが、近藤は何も言わない。

「近藤先生。何故何も言わないんだ」

 藤堂が苛立ちを隠せないように、手に持った竹刀を握り締めた。

近藤達が何も言わないのを良い事に、芹沢の腰巾着である新見も調子に乗って藤堂をからかい始める。

「剣の使い方を教えてもらっておるのか鍬の使い方を教えてもらっておるのか」

 芹沢達が声を立てて笑う。藤堂が我慢できずに竹刀を振り上げた。

「藤堂…島田が、お前に稽古つけて貰いたいってよ」

歳三が間合いを計ったように藤堂をいさめる。

藤堂は我に帰ると近藤に頭を下げ、歳三の元へ走りよった。芹沢達は笑いながらその場を去っていく。

「土方さん。何故近藤先生はあんな奴をのさばらせているのですか」

藤堂が憤りを隠しきれない様子で歳三に詰め寄った。

「義理があるのさ芹沢さんに。あの人がいなけりゃ俺達は路頭に迷ってたからな」

近藤さんは義理堅いから…と歳三は苦笑いを浮かべた。

歳三が、隊士達に檄を入れた事でその場の雰囲気が元に戻ったたものの、芹沢の愚行は収まることを知らなかった。

悪い噂はたちまち広まり、京の町の人々は浅黄色の隊服を見るたび壬生狼と蔑むようになっていた。

そのうえ芹沢は、散々借金を重ねた挙句取り立てに来た菱屋の妾を手篭めにしてしまう始末だった。


「なんとかして下さい。芹沢先生が昼間っからお梅殿を連れ込んで悩ましい声を上げさせているので、若い隊士達が困ってしまっています」

そういう泣き言が隊士達から出るのも一度や二度ではい。今日も今日とて歳三の部屋にげっそりした顔の隊士が駆け込んで来ている。

近頃では芹沢が巡察に出る姿を見た者は誰もいなかった。

日も高いうちからお梅を殺している始末なのだ。

「全く女の人って解らないものですね。よく手篭めにした相手の元へ通う気になるもんだ」

たまたま巡察から帰り、歳三の部屋に居合わせた総司が、嫌そうに顔を歪めた。

「よほど良かったんだろうよ」

歳三が人の悪そうな顔で総司と隊士をからかう。

「芹沢先生も先生なら、女も女だ。私は嫌いです。ふしだらな女なんて」

 剣においては無敵の総司も女の事となると勝手は違うようで、潔癖な気がある総司は、お梅の破廉恥さを思い、頬を膨らませた。

「放っておけ。喘ぎ声が聞こえて困るってんなら、聞こえないくらい声をあげて剣術修行に励めばいい」

 歳三はそういって、いつものように隊士を追い払うと、まだブツブツ文句をいっている総司に膝を向けた。

「どうだ?町の様子は」

「不貞浪士より評判は最悪です。このままじゃどちらが悪人かわかりませんよ」

巡察に出ていた時の町人の蔑んだ視線を思い出したのか流石にまいったというように、総司は肩をすくめる。

「…ふん、芹沢さんも尊攘派(尊皇攘夷派)の浪士達より性質が悪いな」

歳三はそこまで言って、ふと自分の言った台詞に神経が少し引っかかるのを感じた。

それは芹沢に対して、ずっと思っている違和感だった。

歳三は文机に向かい書類をしたためていた手を止めると、総司に向き直った。

「隊服を見れば、皆一様に顔をしかめます。悪い噂を広告して歩いているようなものですよ」

総司の嘆きに、歳三の中にある違和感がまた大きくなる。

隊服を作ったのは芹沢だった。会津藩に抱えられたのを芹沢は願ってもない事だと言っていた。

芹沢は、山南達が言っていたように、志など形だけでお山の大将になれれば良かったというただの乱暴者なのだろうかと歳三は思った。

聞くべき耳は持っていて、道理は解っている人間である事は、議論の席でわかっている事だ。聞けば学もあり剣の腕も相当なものであるという。天狗党を指揮していた武田耕雲斎を師事していたとも聞いた。その芹沢がしている行動が考えなしに乱暴して歩いていると歳三は思えなかったのだ。

そして、ふと恐ろしい疑惑が歳三のウチを駆け巡り、その考えがあながち間違いではない事を知り歳三は戦慄した。

「土方さん?」

顔色が変わったのに気付いた総司がどうした事かと、歳三の元へ擦り寄った。

「なぁ…総司…お前が勤皇に命を捧げたとして、それでも御公儀側に付く時ってのはどんな時だ?」

 こわばった顔の歳三を目の当たりにし、総司も固唾を飲んだ。

「普通死んでも御公儀の味方にはつきたくないでしょ」

芹沢は、まさに御公儀に捕らえられて死を待つばかりだった筈の人間なのだ。

「なら総司、その状態で御公儀の中に入るんだったらどんな気持ちで入る」

「入りたくもありませんが、入ったのならその組織を壊す為でしょうね」

「…だろうな」

そこまで言って、何かに気付いた総司は、歳三を仰ぎ見た。

「ま…まさか、芹沢さんは」

「それならば、話は繋がるとはおもわねーか?俺にはどうも芹沢さんが乱暴して歩いてるのが、それのように思えてならねーんだ」

声を低くして言った歳三の言葉に、総司は冷や汗が出た。

あまりの事に、いつもの軽口すら思いつきもしなかった。

「会津…引いては御公儀の名を借りて無頼なまねをして歩けば、確かに町人達は尊攘派の味方になる…」

「そうだ総司。俺は芹沢さんがそこまで読んでやっている事だと思う。実際、会津候は芹沢さんの行動に頭を悩ませている」

だから、隊服を切腹裃にしたのかもしれないと漠然と歳三は思った。しかも自分達の首を絞めかねない局中法度なる厳しい法度も芹沢は作っている。やりすぎれば自分の命がない事など芹沢にも解っているという事だ。

芹沢は己の志の為に、死ぬ事すら利用しようとしている。この出来立ての隊を獅子心中の虫にする事が芹沢の本懐だとすれば、今までの所業につじつまが合うのだ。

「でも、だったらこのままにしておいては…」

「大変な事になるな。総司、すぐに山崎と島田をよんでくれ」

「解りました」

総司はすぐに立ちあがって、監察方の二人を呼びに行く為に、廊下を走っていった。

(まんまと芹沢さんに一本取られたな…)

一人になった部屋で歳三は自嘲気味に笑った。


「副長…芹沢局長と新見副長を見張れと言うことですか?」

第一回目の隊士募集で歳三が見初めた島田と山崎が、土方の部屋に訪れたのは、総司が部屋を出ていってから間もなくの事だった。

島田は相撲取りのような体をした巨体の持ち主だった。剣にも槍にも秀でていて、何よりも一本気な性格を歳三は買っていた。

一方の山崎は、背は高いものの中肉で、剣もそれなりに強かったのだが、歳三の目をひいたのは、何よりも鍼灸医の息子だけに豊富な知識と頭の良さだった。

二人とも総司や斎藤のように歳三に男惚れしたクチだったので、歳三の為ならば命を投げ出す事も出来る覚悟の持ち主だった。

それほどの忠誠心を持っている者でなければ、監察方は勤まらない。見つかれば命はないという部署なのだ。

「おう。島田は芹沢の動きや言動に気を配っててくれ。そして山崎は新見の動向を探れ」

島田が隊内での見張りのような役をしているのに対して山崎は屯所の外での仕事が主だっていた。だから、歳三は外に出る事が多い新見に西国出身で地理感のある山崎をつける事にした。

「解りました。何かありましたらすぐ報告にあがります」

山崎は関西訛りの入った言葉で、ぺこりと頭を下げる。

多くを語らない島田も頭を下げて、その場を後にした。


そして、芹沢の件があかるみになったのは、八月十八日の政変が起こった時の事だった。

それは尊王攘夷色を強めていた長州藩と尊攘派の公卿達を公武合体派(朝廷と幕府が手を結んで国を治めれば良いと思っている人達)が京の町から追い出したという事件だった。

それには壬生浪士組も出動していた。迅速に動いた事が評価され、壬生浪士組はただの浪士の集まりから、新撰組という名前の会津藩の部隊になることになった。

誰もがその報を喜ぶ中で、芹沢一派はそれを沈鬱な顔で聞いていた。それを見ていた歳三は、芹沢が勤皇の意志で動いている事を確信した。

山崎から新見が長州藩士達と顔を合わせているとい報告が入ったのは、それから少ししてからの事だった。


そして深夜、局長である近藤に割り当てられている部屋に、歳三と山南はいた。

「何だと?芹沢達がそんな企てをしていたというのか?」

自分達を拾い上げてくれた幕府や会津に忠誠を尽くすと決めている近藤は、芹沢の裏切りに憤りを隠せないと言った感じで唸る。

「あぁ…間違いはねーよ山崎らに調べさせた。このまま会津候に報告に行くか?近藤さん」

 歳三の言葉に異を唱えたのは山南だった。

「だが、そんな大きな事に気付かずにいた事を言うべきではないような気もしますが」

「確かに、折角新撰組という名を得た大事な時期に信用を失墜するようなネタをこちらから言うべきではないのかもしれない。かといってこのまま放っておくわけにもいかんな」

近藤は、少しの間目を閉じた。

「粛清するしかあるまい」

声を忍ばせて言った近藤の言葉に山南も歳三も小さく頷いた。


同じく副長である新見錦が祇園の貸し座敷、山緒で切腹したのは、それから間もなくの事だった。

長州藩士と繋がっていた事を暴かれた新見は、もはやこれまでと何も言うことなしに潔く腹を切った。

その旨を芹沢に報告しても、芹沢はたいして取り乱したりもせずに淡々と頷いただけだった。

そして、新見の追悼という名目で、近藤達は芹沢一派を含めて酒席を設けた。それは、芹沢を酔わせてその夜、暗殺を遂行するためのものだった。

外は夕刻から降り出した雨が本降りになっていて、瓦に当たる雨音が芹沢の運命を嘆いているように歳三の耳に聞こえていた。

何も知らない隊士達は、設けられた酒の席で、嵌めを外して騒いでいる。だが、芹沢は黙々と酒を飲んでいた。

喧騒をくぐり抜けて、歳三は芹沢の傍へと寄った。

そして無言で徳利を差し出す。

「土方か・・」

 冷静な芹沢の口調に、もしかしたら全てを解っているのかもしれないと歳三は思った。

 差し出された杯に酒を注いで、返された杯の酒を飲み尽くす事で歳三は芹沢という男の志の高さに敬意を表した。

「なぁ土方よ。おぬしは武士にとっての死をどう思う」

突然、ふられた話題に歳三は戸惑った。

「…」

「ワシは、志の為に死んでいけるそれが武士だと思っておる」

歳三は動く事も出来ずに、芹沢を見ていた。

やはり、芹沢には高い志があったのだ。命をかける意味を知っている。そして、芹沢は自分に訪れるであろう末路も理解している台詞だった。

そんな芹沢を志士だと歳三は思った。

「俺は…死んだら何もできないと思っている。成し得る事が一番大事だ。士道に洵じるのも結構だが、完遂するまでは俺は死ねないし死ぬ気もない」

「ほう面白い事をいう。武士道とは散る事を指しているようなものだが、土方は成すべき事の為なら生きるというのか」

芹沢は杯をぐいっと煽ると歳三の目を覗き込んだ。

「生きる。大体俺が武士になりたかったのは、武士でなければ国を変えられないからだ。百姓のままで国が変えられるようなら俺は武士になどなってはいませんよ」

 武士である事に誇りを持っている芹沢の前で言う事ではないと知りながら歳三は挑むように芹沢を見た。

芹沢の目が大きく見開かれる。

「ははは。面白い事をいう男だのぉ。ではお前の士道は目的を遂げる事と言うのだな」

「それを士道というなら、そうなるでしょうな」

歳三の言葉を聞いて芹沢は満足そうに頷いた。

「のぅ・・土方、お主の心には報国の思いはあるか」

「なければ、ここにはおりますまい」

歳三は、芝居がかったように軽く笑ったが、喉がはりついて、乾いた息が漏れるだけだった。

「世の中は、同じ思いを持っていても何故一つにまとまる事はないのかの」

それは、芹沢と歳三の思想の違いを言ったものか、尊攘派と佐幕派の事を言ったものなのか歳三には計り兼ねた。

だが、歳三自身もまた芹沢と同じ事を思っていたのだ。

思想が違わなければ、芹沢だって殺さずにいられるのかもしれない。

国を思う心は誰も同じなのだ。

「まとめるために俺達は生きて死んでいくのでしょう」

「そうだったな」

そう言って芹沢は、手に持った鉄扇を開いてあおいだ。

そこに書いてある尽忠報国という字を一生歳三は忘れないのだと心に決めていた。


そして、歳三は返り血を浴びたまま、何時の間にか土砂降りなっていた雨に打たれていた。

芹沢を斬った手の感触が、随分経ったのに消えない。

歳三の頭に八木邸に押し入った時の状況が駆け巡る。

芹沢一派を酔わせ先に引き上げさせた後、角屋に近藤を残し山南、総司、原田と連れ立って、歳三は酔った芹沢一派を粛清する事になっていた。

襲われたように見せる為、全員が黒装束で忍び込んだ。

そして寝ていた筈の芹沢に剣を向けた時、芹沢は笑ったのだ。

「ワシはワシの士道を貫いた。…後悔はしておらん。…土方…お前は…お前の士道…を貫け」

そう耳元で呟いて歳三の刀を身に受けながらこと切れた。数度痙攣して動かなくなった体を見て、はじめて歳三は人一人の命を奪った事の重みを実感した。

(俺の士道…か)

芹沢という一人の漢をこの手にかけた事を歳三は後悔していない。このまま芹沢を生かしておけば、出来たばかりの新選組が崩壊してしまうのは明らかだった。

(あんたの死は無駄にしねーよ。芹沢さん。俺は新選組を強くし、力を持たせて国を変える。目的の為には手段は選ばない。それが俺の士道だ)

頬に打ち付ける雨がつーっと首を流れていく。

雨は全てを流し去っていく。おびただしく浴びた返り血も何もかも。だが、歳三に残した芹沢の言葉の意味だけは、その雨に流される事なく深く深く染みこまれていった。


 歳三が鬼と言われる新選組の副長に豹変したのはこの時からである。必要以上にしゃべることもなくなり、笑う事も少なくなった。そんな歳三の変わりようを江戸からの仲間はいぶかしんだが、歳三はそれについて何も言おうとはしなかった。


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