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梅散らず  作者: 花河燈
22/27

別離

江戸に敗走した新選組は、隊士達の傷が癒えるとすぐに甲陽鎮撫隊と名前を変え、甲府城を接収する事を命じられた。

恭順派である陸軍総裁の勝海舟が、薩長から覚えの悪い主戦派の新選組が江戸にいるのを嫌った為だ。

甲府城を接収した暁には、新選組に甲府100万石を分け与えるという餌を与え追い払おうというのだ。

(空手形で追い払おうっていうのか。案の定、とかげの尻尾切りかよ)

ありもしない幕府からの褒美の裏にあるものを感じ取っている歳三は、甲府へ進軍する中で自嘲した。

幕府を最後まで諦めなかった近藤に対して、幕府そのものが先に匙を投げてしまっているのだ。忠誠を尽くしてきた者達を邪魔だからといって、体よく追い払う幕府に対しての恨み言は、歳三の頭には浮かんでは来なかった。ただ、やはり駄目だったのかという諦めの気持ちと、ならばどうすれば良いという気持ちが同居しているだけである。武士になれば国は変わると、変える事が出来ると思っていた。だがその武士というもの自体がなくなっている事に、歳三は気付いた。

幕府は崩れ。徳川に戦う意志はないのだ。

歳三は江戸を出る時に、武士というものの象徴でもある髷を切った。着物から洋服と言われる西洋の着物に変えると今まで常識であったものが崩れて行くのを感じていた。

(武士の時代が終わったっていうなら、俺が武士でいる必要はなくなってだけだ。時代について行けば良い事さ)

 この時、歳三は武士である事を捨てた。

そして刀で戦う事を諦め、武器を新調し、隊士達に銃の訓練をさせたのだ。

そして、この三月に新選組改め甲陽鎮撫隊は江戸を出立して甲州を目指した訳だが、甲府城に行く途中、近藤の一存で日野に泊まって行く事になり歳三は眉を潜める。

(一刻を争うって言う時に何を考えていやがるんだ近藤さんは)

歳三は、江戸に戻って妻子に会ってからの近藤がどこか戦意を喪失しているように思えてならなかったのだ。

日野に入ると、英雄扱いで迎えられ即日宴会になだれ込んだ。だが、歳三はその場から抜け出し、早々に彦五郎の家に戻ってしまう。

 姉のノブは髪を切った洋服姿の歳三を見て、目をぱちくりさせたが、似合うわよと笑って家の中に招き入れた。

 

「土方さん。髪邪魔じゃないですか」

宴会を同じように抜け出してきた総司が、歳三のいる部屋にやってきて、歳三の短くなった髪に触れた。

「軽くて気分も軽くなるくらいだ」

どこをとっても気分が軽そうではない声の低さで歳三は唸った。江戸に置いてくる筈だった総司を連れてきてしまったのも歳三の気分を落ちこませている要因の一つでもある。

(俺はとことん身内には甘ぇ)

大坂で総司が戦いたかったと切なそうに言っていたのを思うと、とても江戸に残れとは言えなかったのだ。

「その割には不機嫌じゃないですか。近藤先生達はお酒を飲んで地元の人達と盛り上がっているというのに」

何故一人で、暗い部屋にいるのかと尋ね、総司は行灯に火を入れると歳三の顔を覗きこんだ。

もう一つの要因を出されて、歳三は眉間に深い皺を寄せる。

「俺達は今、戦に行く最中なんだぜ?騒ぐなら甲府城を接収してから騒げばいい。こんな所で道草食ってるのを敵は待っててはくれないんだ」

どこか、気力のかけている近藤を歳三は心配しながらも苛立っていた。京での戦のすさまじさを知らない近藤はどこか呑気だった。

「土方さん」

総司は、苛立ちを隠さない歳三を黙って見る。これほどピリピリと張り詰めた歳三を目の当たりにしたのは、長い付合いの中でもはじめてだったのだ。それほどの気持ちで臨んでも、勝てなかった相手だったという事がわかり総司は自らを顧みた。

歳三が心配そうな顔をしたのを無視して、何も言われないのを良い事に、ここまで付いて来てしまった。それが歳三の心配の種を増やす事にしかならない事を解っていながら、総司は歳三と供に戦いたいという自分の欲求を優先させてしまったのだ。多分、自分の体では足手まといにしかならないと解っていながら、死ぬのなら戦場で死にたいという我侭の為に。

(それのどこが土方さんの右腕だっていうんだ)

総司は唇を噛み締めた。

何をする事が一番歳三にとって優位に動くかを考えなければならないのだ。

総司は自分自身がどうするべきなのかという答えをもう出していた。たとえ二度と生きて歳三に会えなくなったとしても。

それでも自分がすべきなのは歳三が戦いやすい状態を作る事。

それが一番の最優先事項なのだ。

足手まといにしかならない自分はこの場にいるべきではない。

総司は、部屋を見渡した。部屋の中は、歳三が居候していた時のままで。総司は柱に彫った自分の落書きに目を細める。日野に出稽古に来る度、泊まっていた部屋に懐かしさを感じた。あの頃の総司は、まだ宗次郎と名乗っていて、遊んでくれる歳三の後をいつもいつも付いて回っていたのだ。江戸に歳三が来ると解った時にはとても嬉しかったのを総司はしっかりと覚えている。ここまで、思い起こせば総司は何時でも、歳三の後を付いていたのだ。それはこれからも変わらないものだと信じていた。だが、ここでそれも終わるのだ。総司は、歳三の顔を忘れないようにとしっかり目に焼きつけた。

じっと見られて居心地の悪くなった歳三は、顔を反らせて照れたように頭を掻く。

(こういう顔は昔と全く変わらないんだからなぁ土方さんは…)

それを総司は、微笑ましそうに眺める。そして歳三が無事に志をとげられるようにと心の奥底で切実に祈った。そして、決心が鈍らないように、総司はぐっと拳を握りこんだ。

「土方さん。私はここで皆さんとお別れします」

 総司の凛とした言葉が、静かな部屋に響く。

「総司」

歳三がはっとそらしていた顔を戻した。

「私は、江戸に帰って療養します」

出来るだけの笑顔を張りつけて、総司はさっぱりと言い切った。

「そうか…お前はそれで良いのなら、そうしろ」

歳三は静かに総司の決心を受け止める。

「何、辛気臭い顔をしてるんですか。私は江戸に戻って必ず病を治してきます。そうしたら今度こそ土方さんの隣りを走り抜けてみせる」

総司の願いが、切なくて歳三はうつむいてしまう。

「だから、下を向かないで下さい。土方さんはいつだって前を向いてなくちゃ」

 総司の手が歳三の肩に触れた。そこから伝わる体温が、総司が生きている事を実感して、歳三は顔を上げる。このぬくもりが消えないようにと願いながら、出来るだけの笑顔で歳三は答えた。

「ああ。そうだな…追って来い。俺は待ってるぜ」

「はい。待っててください」

総司はことさら元気に歳三に向かって頷いた。



総司が歳三の部屋を出ると、宴会を抜け出してきたらしい斎藤が立っていた。

「斎藤さん。あとは頼みます」

 総司はすれ違い様、斎藤にそう言って、逃げるようにその場を去って行く。

「…ああ」

斎藤はすれ違い様に、総司の目から月に反射して光るものを見た気がした。

歳三と総司の会話の内容は聞かなくても斎藤には簡単に想像がつく。斎藤は歳三の部屋に訪れるのをやめ、宴会の席へ引き返す事にした。



「今度こそ入隊させてくれるよな。歳さん」

日野を出発しようとしている歳三達の所に現れたのは、京で歳三に入隊を断わられた松本捨助である。捨助の顔には、以前のような軽さはなく、しっかりと命をかける覚悟のある者の重さがあった。

「良いじゃないですか。入隊させてあげたら。今度は家の人の了承も取っているみたいですし」

総司が捨助の入隊を歳三に勧める。一人でも歳三と供に戦う人間が増えるのに越した事はないのだ。

(皆、馬鹿ばっかりだ)

歳三は静かに目を閉じると、緊張した面持ちで判断を待っている捨助の背中を叩いた。

「頼もしいかぎりだ。期待してるぜ捨助」

「歳さん」

 ぱっと捨助の顔に光りが差す。それを羨ましそうに総司は目を細め、捨助の肩を軽く叩いた。

「私の分も頑張ってくださいね」

「沖田先生は行かないのですか」

行けないのだと答えようとして、総司は思い留まる。

「ええ。行かないんです」

 総司は、捨助から歳三に視線を移して言いきった。

そして、進軍する歳三達を笑顔で見送る総司に手を振り返し、総司の姿が見えなくなった時。

ふと視界が悪くなったのを歳三は知る。

視界を遮るものが何か気付いたのは、馬のたずなを握る手に冷たいモノが落ちたからだ。

空を見上げても雨が降っている様子はなかった。

上を向いた拍子に顎に伝う生暖かいもので、はじめて自分が泣いている事を知る。

あわてて、それを拭っても涙は止まる事を知らなかった。歳三は舌を打つ。

(一体、俺はどうしたってんだ)

この時ばかりは、自分が一番前を進んでいて良かったと歳三は思った。下を向きそうになる自分に渇を入れて、前を向く。そして、今からやらなければならない事を見据える。

(俺には涙なんか流している暇なんかねー)

歳三は馬のたずなをぎゅっと握り締めた。


歳三達が駒飼に到着した四日には、すでに新政府軍東山道鎮撫隊の手に、甲府城が落ちてしまっていたのだ。

日野で寄り道などせず、甲府に向かっていればという事を歳三は思ってもなるべく考えないようにしていた。

(なっちまったもんはしょうがないさ)

勝海舟には、戦をするなと念を推されている。

だからといって、取られてしまった城をそのままにしておく事もできない。敵の数は、歳三達甲陽鎮撫隊200人をはるかに上回っていた。

歳三は、近藤にそのまま待機するように言うと、自分は単騎甲州街道を駆け戻り、神奈川宿に駐屯している筈の菜っ葉隊に応援を願いに行く。だが、菜っ葉隊は神奈川宿にはすでになく、江戸城警備の為に江戸に戻っているという事だった。歳三はその足で江戸に向かった。

(頼むから戦をはじめないでいてくれよ近藤さん)

一度も馬を休ませる事なく走り続け、江戸に到着した歳三は、菜っ葉隊を仕切る隊長に援軍を頼みこんだ。

「甲陽鎮撫隊副長の内藤隼人です。急ぎの用あって甲州から参りました」

歳三は、新選組から甲陽鎮撫隊に名前を変えた時に一緒に貰った変名を名乗る。

「これは遠い所、ご足労でした。でどのような御用向きで?」

「甲府城が敵の手に渡ってしまった。奪取したいのだが援軍をお願いできないだろうか」

息を切らせた歳三の迫力に、菜っ葉隊の隊長は引きこまれそうになる。

「だ…駄目だ。援軍は出せない。戦をするなと言い含められているのは内藤殿も承知の筈でしょう」

「ですが」

「命令を遂行出来なかった悔しい気持ちは解り申すが、甲府城は捨て置くのが得策。大体貴殿達が接収出来なかったのが悪いのでしょう」

「っ」

図星をさされて、歳三の顔が朱に染まる。

歳三は、援軍を得られないまま、甲府へ馬を走らせた。

近藤達が東山道鎮撫隊と一線を交え、大敗したという報を耳にしたのは、江戸を出てすぐ馬に水を飲ませている時の事だった。傍にある茶屋で旅人が話しているのが歳三の耳に入る。

歳三が旅人に詰めより状況を聞くと旅人は、大人と子供の喧嘩のようだったと教えてくれる。

(あれほど援軍が来るまで待てって言ったのに)

苛立つ心を抑え歳三は、旅人に頭を下げると、また馬に跨った。


 結局歳三は、数人の隊士を連れた近藤と八王子で落ち合う事が出来た。

「歳…負けちまったよ」

近藤は、疲れたような顔で歳三の顔を見る。

宿屋の一室で、近藤は御陵衛士の残党に撃たれた肩の傷の手当てをしていた。戦で無理に動いた為に傷が悪化したのだ。

「こっちの犠牲は?」

「二人隊士が死んだ」

近藤の意気消沈ぶりに、かける言葉を見つけられずに歳三は新しいさらしを近藤に渡してやる。

犠牲者の少なさが、戦の一方的さを物語っていた。戦という形にすらならなかったのかもしれないと歳三は思った。

「これからどうするんだ?新八や左ノ助は?」

「あいつらには隊士達をまとめておいてくれるように頼んである。俺は肩の傷が悪化したから一足先に江戸に帰らせてもらう事にした」

「そうか…また隊士を募集しなきゃならねーな」

「ああ…そうだな」

 ことさら明るく言う歳三に、近藤は曖昧な顔で頷いた。そんな気弱な近藤に歳三は一抹の不安を覚えずにはいられなかった。



江戸に戻り、感情のすれ違いから近藤が永倉と原田達と袂を分かつ事になったのはそれからすぐの事である。

怪我の為、戦線を離脱した近藤は、江戸で落ち合うまでの隊士の指揮を永倉と原田に任せた。だが、その意味を永久に指揮権を譲り渡したと取り違えた二人は、会津行きを近藤の許しもないままに決定した。それに憤慨した近藤は、二人に家来ならば許すと高圧的な態度を取ってしまう。元々近藤に不満を抱えていた永倉と原田も感情を爆発させた。家来になったつもりはない、同志の筈だと言い置いて二人は新選組から去っていった。

「近藤さん、このままここにいても仕方がない。新八達の事は残念だがくよくよはしてられない。五兵衛新田へ向かおう」

神田和泉橋の医学所で療養していた近藤の元に訪れた歳三が、力付けるように言った。

歳三は永倉と原田が抜けてからも、感情を乱す事なく隊士募集に尽力していたのだ。近藤には、どんなに窮地に立たされてもへこたれない歳三の根性が信じられなかった。

「五兵衛新田?」

「あぁ。そこの名主の家を借りる事が出来る事になった。そこで改めて隊士募集をしよう」

「ああ。そうだなぁ」

近藤はどこか力の抜けた目で歳三を見た。京で精力的に動いていた事が遠い昔の事のように感じられて近藤は苦笑する。江戸で道場を開いていた頃では考えられないほどの出世をし、今では欲しかった武士という地位を持った。将軍にも会えるほどに出世したものの、地位をくれた幕府はもうない。忠誠を誓ってきた徳川からは疎んじられ、江戸を体よく追い払われた。残っているのは敗軍の将となっている自分だけなのだ。近藤の中に絶望感が生まれる。

「何、一度負けたくらいで弱気になってるんだよ近藤さん。そんなに賊軍と言われるのが嫌なのかよ」

 歳三の言葉に、嫌だと頷きかけて近藤は止める。

「…俺は何が正義なのか解らなくなったよ」

「長州の奴らだって、ついこないだまでは逆賊と言われていたんだぜ?錦の御旗がどうだっていうんだ。旗一枚で何が変わる」

 それをいう歳三の目には迷いがない。

近藤は、歳三の強さが理解できなかった。今まで、強くあれたのは自分が正しい事をしていると思っていたからだ。尊皇の元に徳川に仕え、近藤自身が誇らしいと思えるほどの自信があったからこそ何でも出来てきたのだ。その徳川が逆賊と呼ばれ、今や朝敵とされている。しかも近藤達は主人である徳川が望んでいる恭順とは正反対の主戦を唱えているのだ。そんな状況で自分に正義はあるのだろうか。そう考えれば考えるほど、近藤は何の為に戦っているのか解らなくなっていた。

「なぁ、歳。俺達のやっている事は、正しいのか」

「正しいって自分が思ってりゃ正しいんだ。その為に俺らは戦っているんだろ?俺は少なくとも薩長が作ろうとしている世の中だけは糞食らえって思っている。だから戦う。それだけの事だ」

「お前は強いなぁ」

 近藤は、歳三を眩しそうに眺めた。



 それから数日が経った三月も半ばに差しかかった頃。

歳三達は、五兵衛新田の名主・金子左内邸の母屋を借りきって陣営にする事に成功した。歳三は当初の予定通り隊士を増やす事に専念し、隊士は瞬く間に二百人に膨れ上がった。そして、入って来た隊士達に銃器を扱う訓練をさせる。

そんな毎日の中で、近藤もなんとか士気を取り戻し、掛け声を上げている。歳三がその様子を見て胸を撫で下ろしたのも束の間。歳三が偵察させていた斥候から、新政府軍が接近しているとの報を耳にする。数日後には目と鼻の先である千住宿に着いてしまう事を知り、歳三達は隊士二百名を率いて流山へ向かった。

だが、歳三が想像していたよりも、新政府軍の足並みは早かった。見る見る間に新政府軍が流山本陣を取り囲んでしまったのだ。

「潮時だよ、歳。俺は切腹する」

「…近藤さん」

(まだ諦める時じゃねーよ)

 歳三は肩を竦めて、溜息を付いた。

「もう無理だ。完全に取り囲まれた」

「逃げて立てなおせば済む事だ」

 歳三は右手で畳を叩きつけた。

「どうやって逃げるというんだ」

「まだ探せば抜け道はどこかにある筈だ。今それを偵察しているんじゃねーか」

歳三は、ぎらぎらした目で近藤を睨みつけた。近藤は、歳三の目を真っ向から受けとめ、そしてその上で口を開いた。

「では、切腹をやめて、俺は官軍に投降しよう」

 近藤が薩長を官軍と言った事が、歳三の神経をさらに逆撫でる。

「近藤さんッ何を言ってやがるんだよ。それこそ犬死じゃねーか。奴らは官軍なんかじゃねーよ。薩長だ」

 近藤は穏やかな笑みを浮かべた。その近藤のあきらめとも取れるような顔に歳三は苛立つ。膝に置いた手が震えていた。

「なぁに、向こうはわしを新選組の近藤だとは思っておらんよ」

 敵は自分の事を甲陽鎮撫隊の大久保大和だと思っているだろうと近藤は続けた。

「話せばわかる。歳は一足先に隊士達を連れて会津に向かって待っていろ。すぐに帰ってくるさ」

 そう言って、近藤は買い物にでも行くように立ちあがる。歳三は慌てて後を追い、前に周り込んで近藤の進む道をふさいだ。

「近藤さん! 駄目だ行くな。奴らはそんなに甘くねぇよ」

 歳三は、近藤の羽織を掴む。近藤は、子供を慰めるように歳三の背中をポンポンと叩いた。

「…そんな事ぁわしにだって解っとるよ」

 近藤は静かに目を閉じる。

 歳三は、羽織を握り締めたまま、絶望的な眼差しを近藤に向けた。

「だったら何故」

 近藤は苦笑いを浮かべて、歳三の手を羽織から離させた。

「わしが出ていけば、官軍は気を緩める。そうすればお前達が逃げる事が出来るだろう」

「近藤さんを犠牲にして、逃げるなんて事ぁできねーよ」

 歳三は首を横に振る。

「わしにはその責任がある。歳…感情的にならずに冷静に考えてみろ」

「…」

「今、包囲されている現状があるのは事実だ。逃げ道は多分ない。そうなれば隊士達を守るのは隊長である俺の勤めだ」

「ならば、俺が行けば済む事だ」

「駄目だ。正直俺はもう戦う事に疲れたんだ。ここから先はお前の方が戦えるよ」

 近藤が慰めるように、歳三の目を覗きこんだ。

「…みすみす敵の手に落ちると解っていて行かせられない」

「情に流されるな。今までだって隊士達にそう言ってきたお前は何処へ行った」

「っ」

「お前はここからも戦って、先に行ける人間だ」

「…近藤さんも一緒に戦えばいいじゃねーか…」

 近藤は緩く首を横に振った。

「なぁ歳よ、俺とお前は同じように武士を目指してきたが、武士そのものを望んだ俺と、その地位を利用する為に武士を望んだお前では大きな差があるのだろうよ。俺はお前みたいに洋装にする事も髷を落とす事も出来ん。刀の時代が終わる今、俺の存在は対して役には立たんよ」

「…」

「お前にしか頼める奴はいない。俺達の正義は間違っていない事をお前が示せ。解ってくれ歳」

近藤の声が、歳三の耳元で聞こえる。

(それが、近藤さんが決めた事か…)

「…解った」

「歳。後を頼むぞ。お前が望んだ世の中が来るのを楽しみにしている」

 近藤ががしっと歳三の肩を掴んだ。

「ああ。その代わり約束だ。戻ってきてくれ」

 歳三の無茶な言い出しに近藤は小さく微笑んで答える。

「一世一台の大舞台だ。官軍相手に名演技でも披露してくるさ」

「しみったれた演技なんかしやがったらゆるさねーからな。勇さんっ」

 日野にいた頃の呼び方で歳三は近藤を呼んだ。

 肩に置かれていた近藤の手が、歳三から離れる。そして、近藤は二度と振りかえらずに部屋を出ていった。

(くそったれ)

歳三は近藤を止める事が出来ない自分へのやり場のない怒りを壁にぶつけた。だが、自己嫌悪に陥る暇も歳三には残されてはいない。近藤が、自分達を助ける為に、新政府軍に下ったというのなら、歳三はなんとしても全員を無事に逃さなくてはならないのだ。

「山口を呼んでくれ」

自分の身の回りの世話をしている小姓の市村に、斎藤を呼びにいかせた。

そして、すぐに来た斎藤に、歳三は指示を出す。

「近藤さんが、薩長に下った」

「なんですと?」

 ただ事ではない事に、斎藤の顔色も変わる。

「俺達を逃す為だ。山口、今から薩長の兵が引くのを見計らって全員を逃す。そして上手く逃げる事が出来たら俺の変わりに隊を引っ張って会津まで連れていってくれ」

「土方さんはどうされるのですか?」

「俺は、薩長に下った近藤さんを助けに行く」

(出来る限りの事はさせてくれ。しても良いよな勇さん)

歳三は低く唸ると刀を腰に差しこみ、馬に跨った。


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