崩壊
黙って引く事は、しねーと思っていたが薩摩の奴ら、公卿を抱えこんでいやがったのか」
歳三は伏見奉行所の中で、唇を噛む。
慶応三年(1867年)十二月九日、朝廷は王政復古の大号令を発令した。それにより従来の政治体制は廃止される事になり、総裁、議定、参与という三職によって天皇の元、政治が成される事となった。
当初、議定に選ばれた土佐の藩主(山内容堂)だけは、大政奉還を成した徳川慶喜を会議に参与させるべきだと説いていた。
だが結局、議席に徳川の名はなく、それが薩摩の陰謀である事は間違いがないと歳三は踏んでいた。結局、内戦を嫌った徳川慶喜は下坂。歳三達も一端はそれに同行した。だが、新選組は伏見奉行所に引き返し、陣を張ったのだ。それは、このまま薩摩が大人しく引き下がるとは思ってなかったからである。
歳三は、伏見奉行所の中で眉を潜めていた。役人がいなくなった奉行所の中は、新選組の隊士達の殺伐とした気で満ち溢れている。
「戦は避けられないだろうな」
傍に座った近藤が、歳三の顔を厳しい目で見た。
歳三は、刀を握り締めて頷く。
「ああ。慶喜公は大人しく引き下がったが、薩長の野郎がそれを許すとはおもわねぇよ」
握り締めた刀をドンと床に叩きつけて、歳三は苛立った。
「…だな。薩摩や長州は、御公儀がなくなっただけではよしとしてはおるまいからな。どうやら徳川そのものを潰したいらしい」
静かに近藤は目を閉じる。
「負ける訳にはいかない戦だ」
(勝たなければ、俺達が生き延びる道はねー)
歳三は噛み締めるように呟いた。
「ああそうだな歳。負けたれば俺達の京でやってきた事は全て無になる」
近藤が溜息を付く。
「確かに、薩長に公家を抑えられている今、徳川方は不利かもしれねーが、勝てば官軍って事だろう」
そういいながらも歳三は自嘲する。こうなってはじめて長州の気持ちが解ったのだ。きっと長州は幕府に嫌気がさし、それでも認める事が出来なかったという事なのだろう。歳三は今、自分が薩摩に抱く思いを長州のそれに見立てて複雑な心境に唇を歪めた。
「ああ。そうだな」
近藤は、歳三の迷いのない言葉に大きく頷く。
近藤が、御陵衛士の残党に狙撃される二日前、十六日の事であった。
「総司…近藤さんが撃たれた」
伏見奉行所にある一室で、寝ている総司の枕元に座って歳三が言った。
「なんですって?それで近藤先生は」
目をパチリと開け、総司は布団を押しのけ起き上がる。
「肩を撃ちぬかれただけで、命に別状はない」
「そう…ですか。不幸中の幸いですね」
歳三の言葉を聞いて、総司はほっと肩の力を抜いた。
「不幸中の幸いって言えば、お前の方がそうだぜ?」
「私ですか?」
きょとんとした顔で、総司は歳三の顔を見る。
「ああ。お前、近藤さんの妾の家にいたら襲われてたんだぜ?」
「ははは…こちらに移ったのと入れ違いだったんですかぁ。狙った人も気の毒に…」
乾いた笑いを総司は浮かべた。
コホコホと噎せる総司の背中を歳三はさすってやる。
「何を呑気な事を言ってやがる。お前、あそこで寝ててみろ。今頃」
「斬られてますかねぇ」
病身の身をからかうように、総司は笑う。その笑いに、戦えないのであれば、斬られても良かったという色が滲んでいるのを見て、歳三は顔をしかめた。
「いや…お前が斬られるとは思っちゃいないが、無事に越した事はないだろーが」
「まぁ…そうですね」
曖昧に総司は頷く。
「なぁ…総司。お前に頼みがあるんだ」
「私に頼みですか?」
「ああ。お前にしか頼めねぇ」
いつもなら、そこで目を輝かせるであろう総司が、この日は笑わなかった。死刑宣告でも受けるような顔をしている。
「…想像はつきますが、何ですか」
「近藤さんを連れて、大坂に向かってくれ」
歳三は、聞き分けろという願いを込めて、総司の目を覗きこんだ。
「…私に戦は無理だと言うんですね」
淡々と総司は呟いた。その言葉とは裏側に、布団を握りこんだ拳は震えている。
「そうじゃねーよ。俺はお前しか近藤さんを任せられる人間がいねーから頼んでるんだ」
歳三の必死さに、総司は自分がどれだけ気を使われているかを知る。
「なら、良いんです。解りました、しっかり近藤先生をお守りしながら大坂に行きますよ。ですが土方さん」
軽い調子で発せられた総司の言葉に歳三は戸惑う。
「な…なんだよ」
「この大事な時に、お腹出して寝ないで下さいよ」
「お前ぇ、俺の事いくつだと思ってやがるんだ」
「ははは」
総司は笑いながら布団から抜け出て、逃げるように部屋を出ていった。
歳三は一人取り残された部屋で、まくれあがった布団を見ていた。
(あいつが悔しいのも解らなくはないが、こんな所で死なせる訳にはいかねーんだ)
歳三は、まくりあがった布団を綺麗に戻して、部屋を後にした。
「沖田さん、体は大丈夫なんですか?」
将棋を打っている斎藤と山崎は声を合わせて総司に振り返った。
「やだなぁ。皆さん口を開けば体・体って…大丈夫ですよ」
「…」
将棋盤の横に座って、総司は苦笑する。
「どちらが強いんですか?」
話題を変えるように、総司が尋ねた。
「三勝一敗で山崎さんの勝ちだ」
負けず嫌いの斎藤が、カチリと音をたてて駒を置きながら言った。
「でも、斎…山口さんも強いのに、それ以上に強いなんて、流石に山崎さんは頭が良いんだなぁ。土方さんが重宝がる訳だ」
「まぐれですわ」
照れたように山崎は頭を掻いた。
「山崎さんが頭が良いのは誰もが認める事だ」
斎藤も頷く。
「ですが、俺には沖田さんや山口さんほど強くはありませんから、戦になったら役には立ちませんよ」
山崎は、王手と言いながら角を置いて苦笑した。
斎藤は負けた理由を探るために、盤に目を落とす。それを尻目に総司は呟いた。
「私よりは、役に立ちますよ。何せ私は、戦に出られませんから」
「沖田さん」
困ったように山崎は斎藤に視線を投げる。
「良いんです解ってますから。ただ、私は近藤先生をお守りする為にここを離れなくてはなりません」
「局長の下坂についてくのか」
盤から顔を上げ、斎藤が総司に尋ねる。斎藤は、薬を売ってまでも上洛すると言っていた総司を思い出し、信じられないような思いが駆け巡っていた。
斎藤は総司という人物を、戦になれば病身を押してでも歳三の隣りを走る男だと思っていたのだ。そして、病床で伏せるよりは、華々しく散る事を望むものだと。
だが、総司は近藤と一緒に大坂に下るというのだ。
斎藤は総司の顔を見た。そして瞳の中にある総司の本心を知り、斎藤は目を見開く。
やはり、総司は本心では戦いたいと思っているのだ。ならば何故と斎藤の目が総司に問う。
「ええ。土方さんに頼まれましたので」
「…」
「だから、私は大坂に行く前に、ここにお願いをしにきたんです」
総司は、真剣な目で、二人の顔を見据えた。
「土方さんが無茶しないように、守ってあげて下さい」
「解った」
斎藤は、総司の口惜しさを受けとめ、神妙に頷く。
「命に代えても」
山崎も総司に向かい合い約束する。
総司はそれを聞いて安心したと言って、その日の午後、近藤と供に大坂へ下っていった。
そして、年が明けて三日。
ついに戦いの火蓋が切って落とされた。
歳三率いる新選組は、伏見奉行所で薩摩藩兵と戦う事になる。だが、火器の少ない新選組の戦う方法といえば、白兵戦しか残されてはいなかった。
歳三は隊士達が止めるのも聞かず最前線で指揮を取る。
「敵が二発目を撃ちこんで来る前に、近づいて斬ってしまえ」
大砲の音が木霊する中、大きな声で歳三が叫ぶ。
弾が雨や霰のように飛び交う中、供に戦う会津藩兵が弾に当たっては倒れて行く。
まるで操り人形のようにバタバタとはじかれては事切れていく仲間を目の端に止めながら、歳三は敵の兵士を睨み付け舌を打った。
(撃っている奴らなんざ、へっぴり腰の奴ばかりじゃねーか)
間合いさえ詰めれるのならば、そこに陣取った敵を壊滅させるのなど造作もない事なのだ。
だが、敵の激しい砲撃の前に隊士達を前方に進める事すらままならない。一発目と二発目の間に、その距離を詰めようにも、連続で打ち出される鉄砲にはどうする事もできなかった。
「ここはもう無理です。奉行所に火の手が上がりました」
誰かの叫び声が当たりに響く。
歳三はそれを耳にすると、隊士達に撤退を告げた。だが、撤退の最中、隊士が二人砲撃の犠牲になってしまう。
そして、新選組は伏見奉行所からの撤退を余儀なくされた。
歳三達は、その後千両松の要害を利して、敵を迎え撃つ事にするものの、相手が持つ銃器の威力の前にはどうする事も出来なかった。
歳三は前方で指揮している最中、後方より走ってきた隊士から井上の死を知る。
(源さんが…死んだのか)
歳三は静かに、敵を睨みつける。
成す術もなくやられる悔しさを歳三は、かみ締めていた。
(ちくしょー。あんな奴ら刀なら負けはしないのに、どんなに憎くても近づく事すらできねー)
「土方さん。ここはもう駄目です。引きましょう。これ以上ここにいても犠牲を増すだけです」
先ほどから傍を一時も離れずに付いてくる斎藤が歳三に向かって叫んだ。
山崎も斎藤の意見に頷いた。
「このままおめおめと引き下がれるか。源さんが死んじまったってのに」
歳三が感情的に怒鳴る。
「指揮する立場の貴方がここで感情的になってどうするのですか」
斎藤のたしなめにも耳を傾けず、歳三は前に進もうとする。
その時だ。
「副長危ない」
山崎の声がしたと同時に、前方の敵から銃弾が浴びせ掛けられる。さすがにここまでかと思った歳三は、無念さに目をぎゅっと閉じた。歳三は一瞬撃たれたのかという錯覚に陥る。だが、その弾雨がおさまっても歳三に撃たれた形跡はなかった。
ふと目を開けると、前には自分を庇った為に撃たれた山崎の姿があったのだ。
「山崎っ」
何故かばったのだと、続ける事も出来ずに詰め寄った。傍にいた斎藤も銃弾が肩の当たりを掠ったのか血を流している。
「土方…副長…冷静に…」
三箇所も撃たれた山崎がにこりと笑って、歳三を宥める。そして傷が痛むのか顔を顰めて荒く息を吐いた。
(俺が感情的になどならずに…撤退していれば…)
山崎の顔色は今にも死にそうな程蒼白になっている。歳三はいつもの無表情な仮面を脱ぎ捨て、泣き出しそうな顔で山崎を見ていた。
「土方さん。貴方がしっかりしなくてどうするんですか」
斎藤の声で、歳三は我に返る。
(駄目だ俺がしっかりしなけりゃ。犠牲者が増えるだけだ)
「全軍撤退だ。誰かト板を持って来い。山崎君が負傷した」
歳三は、大声で叫んだ。
止む事のない砲撃を避けながら敗走する事に屈辱感を味わいながら、歳三は刀で戦う事の無意味さを痛感していた。そして、同時に夷狄と戦う事の無謀さもかみ締めていた。
この薩摩や長州でさえ夷狄と戦って負けているのだ。歳三の中で音を立てて何かが変わっていく。
だが幕軍は、諸藩の相次ぐ寝返りにあい、それからも敗戦を重ねた。歳三は二度と感情に走る事なく采配をふるった。傍にいる斎藤から見ても驚くほど冷静に指示を出している。最小限の犠牲で食い止める事ができたのは歳三の冷静な判断があっての事だと斎藤は改めて思った。
六日。大坂まで逃げ延びた新選組は、定宿としている八軒屋にある京屋忠兵衛方に投宿した。
「近藤さん。すまねえ大負けだ」
歳三の無念な顔に、近藤は暖かい顔で向かえた。
「また、しきりなおせばいい事じゃないか。どうしたんだらしくない」
「源さんが…その他大勢の隊士が犠牲になった」
「そうか」
「俺は総司に謝ってくるよ」
井上は総司の親戚だった。歳三は沈鬱な顔で総司の元へと足を向けた。
「総司…」
「どうしたんですか。土方さんらしくもないションボリした顔で」
敗走した事をすでに斎藤から聞いている総司が、元気付けるように聞いた。
歳三は、陣羽織を着たまま総司の元に跪くと頭を下げる。
「すまない。源さんを死なせちまった」
「すまない。なんて土方さんらしくもない」
総司は、からかうように笑う。いつもならここで、二・三言帰ってくる筈の文句が歳三の口から出る事はない。
頭を上げようとしない歳三に総司は小さく溜息を付いた。
「戦ですから仕方ありませんよ。それにきっと源さんは満足している筈です」
総司が歳三の肩に手を添えた。
「山崎も俺を庇って重症だ。俺が感情的になったからだ」
歳三の自分を責める言葉に総司は眉を潜める。
「何。弱気な事を言ってるんですか。私は戦いたくても戦わせて貰えなかったんですよ?」
「総司、あんなの戦じゃねーよ。戦う事すらさせてもらえねーんだ。相手の間合いに入る事さえできねぇ」
歳三は、思い出しても胸糞悪いというように、畳を叩いた。普段はあまり激昂しない歳三の様子に、総司はこの戦がとてつもないものであった事を知る。
「土方さん。あまり落ちこんだら駄目ですよ。山崎さんだって貴方を庇って撃たれたのならば本望なはずだ」
「総司…」
「私なら本望です。きっと今、山崎さんが近くにいたら私は自慢されて大変だ」
総司はからからと笑った。そして厳しい目になり続ける。
「私や山崎さんなどは、土方さんの志の為に命をかけた人間だ。貴方が生き延びて志をまっとうしてくれるのであればそれでいい。それが私達が生きた証になるんです。だから貴方は全員の夢を抱え、命を抱え頑張らなくてはいけないんだ」
歳三は、総司の言う言葉の一言一言を噛み締めるように聞いていた。
「俺は…」
「土方さんは梅の花が好きなんですよね」
「い…いきなり何言い出すんだ」
俳句の事を突然出され、戸惑いと恥ずかしさが歳三を襲った。
「だって、土方さん言ってたじゃないですか。梅は折られて折られて強くなるんだって」
歳三は、その言葉に目を見開く。
(そうだ。俺は梅の花が好きだった筈だ)
「だから、土方さんは一回や二回負けた所で、屁とも思わなくても良いんです。十回負けようが最後に笑えればそれで良い」
「ああ…そうだったな。武器がつりあわないっていうなら、釣り合わせれば良い事だ」
精気を取り戻した顔で、歳三は頬を緩めた。
その後、歳三は近藤と供に、大阪城へ徹底抗戦を進言するために訪れた。だが、そこには進言する相手の姿はもうなかったのだ。
「慶喜公も容保公も江戸に逃げ帰ったですと?」
多くの兵が、生死を賭けて戦っている中で逃げるなど信じられないという声で、歳三は叫んだ。
「これでは負けるわけだ」
近藤ががくりと膝をついて呟く。だが、そのままにもしておけず、今後の采配をどうするのかを問うために、残っているお偉方の人間に判断を仰ぎに行った。
一方歳三は、城内で同じように怒りを顔に滲ませている人物を見つけ声をかけた。
「あなたも苦汁を飲まされた口ですか」
「ああそうだがあなたは?」
声をかけられた男は、体を歳三の方に向ける。
男は不思議な格好をしていた。西洋の着物に身を包み髷を落としたその姿は異国の人間のそれと大差がなかった。
だが、日本人である事はあきらかで、歳三は戸惑いに、無遠慮な視線でその人物を眺めてしまう。
そして、問いかけられていた事に気付き、歳三は照れたように頭を下げた。
「私は新選組の副長、土方歳三です」
歳三が名前を名乗れば、今度は男の方が目を白黒させる。
男にしてみれば、話に聞いている鬼の副長が、これほど上品で柔和な顔をした男だとは思っていなかったのだ。
「徹底抗戦を進言する為に参ったのですが、この通りです」
歳三が苦笑して見せた。
男もそれに苦笑で答える。
「君もそうでしたか。私は海軍副総裁で、艦隊を率いている筈の榎本武揚です」
「あなたが…」
「ですが、率いていた筈の開陽丸は、もうここにはいませんが」
逃げ帰った慶喜達に皮肉を込めて、榎本は口を歪めた。
「榎本さんは、これからどうなさるつもりですか」
「私は一端、江戸に引き返し戦いに備えるつもりですよ」
「戦いに備える?それは奇遇ですな。私達も再戦を望んでおります」
二人は、いたずらを思いついた子供のようにニヤリと笑い合った。そして、榎本はさり気に手を差し出す。歳三はその意味が解らず首をかしげた。
「握手というんですよ。異国では、こうして手と手を合わせて、友好を示すのです」
歳三は手を取られ、握手というものをはじめて経験する。
手を握り合う事に戸惑いを感じながらも笑顔で答えた。
そして、好印象を抱いたこの男にただならぬ縁を感じながら、近藤が戻ってきたのを目に止め、歳三は軽く会釈をすると、その場を後にした。結局、歳三達は船で江戸に帰る事になり榎本とは船の上で再会する事となった。
出会いがあれば別れもある。
江戸に向かう船の中。負傷していた山崎が逝った。
最後に撃たれたのが自分で良かったと歳三に告げて。
歳三は、水葬される山崎が、海に落ちて行くのを静かに眺めていた。海に沈む音を聞いて、歳三は信頼のおける優秀な監察がもう二度と帰らない事を実感する。
いつも文句一つ言わず、付き従ってきた部下の死に、歳三は自分がせねばならない事を噛み締めていた。




