東帰
春風に 吹きさそはれて 山桜
散りても人に おしまるるかな
伊東が山南の死をそう詠んだ。その事で、山南が脱走時に書いた文の中で糾弾されていた歳三は、山南を死に追いやったと隊内で陰口を叩かれるようになった。
中には、山南を落とし入れる為に、わざと歳三が脱走させるように仕向けたのだと言うものまでがいる。
元々、言いたい奴には言わせておけと思っている歳三は、弁解の一つもせず、淡々と西本願寺への屯所移転の計画を進めていた。
「歳。少し良いか」
近藤が、移転したばかりの西本願寺の広い屯所内を探しまわり、やっと見つけた歳三に、幾分息を切らせながら声をかけた。
引越し作業もあらかた終わり、西本願寺内のどこを訓練場所に使おうかと散策していた歳三は、近藤の声に振り返る。
「ああ…近藤さんか。」
「探したよ。広いのも困りものだな」
いささかウンザリした顔で近藤は腰に手をあてた。
近藤のその言葉に、歳三は最近固まったまま動かなかった表情を幾分和らげた。そして、そのまま広い庭園を眺める。
「本当に広いな」
血生臭さとは縁遠いこの場所が屯所に向いてない事など歳三にはわかっている事だった。副長としての歳三ではなく、風流人の土方歳三ならば、この景色の中に新選組の屯所を置く事の無粋さは眉を潜めるもの以外のなにものでもない事である。
歳三は、目を細めて辺りを見回した。
「なぁ歳よ。ここはお前が言う通り広い。そこでもっと隊士の人数を増やそうと思うんだがどう思う」
近藤は空を見上げながら世間話をするように言った。
「そりゃあ。増えるに越した事はねーが…伊東さんは何て言ってるんだ?」
「ああ。もう了解は取ったよ」
「そうか。なら俺から言う事はねーなぁ」
歳三はその場にしゃがみ込んで、草をむしり始めた。
「なら、話は早いんだが、お前さんが今度は江戸に行ってくんねーか?」
「…」
引っ越したばかりで片付けなければならない仕事が山のようにある歳三は、怪訝そうな顔を向ける。
「いや…最近歳は仕事のしすぎだと総司がぼやいていたからな。休養も兼ねて行ったらどうかと思ってな」
勝手に名前を拝借した総司に、内心で手を合わせながら、近藤は惚けてみせた。
「…」
(勇さんは隠し事が下手だ)
歳三は苦笑いを浮かべる。それは近藤だけではなく、気を使わせてしまっている自分自身にも向けられているものだった。
「ほら。総司も連れて、やじきた道中で行けば…」
近藤は歳三の顔色を伺いながら、目を白黒させて言った。
近藤はなんとしても歳三を休ませてやりたかったのだ。誹謗中傷の中で毅然として仕事をする歳三の姿が、近藤は見ていて痛々しかった。山南と歳三の間にあった事実を知っている者は本当に少ない。それ故いらぬ憶測が飛び交ってしまうのは仕方のない事だとしても、傷が癒えるまではそっとしておいてやりたいと近藤は思っていたのだ。
「勇さん。仕事なら俺ぁ受けるが、気を使ってくれてるならお断りだ」
そう言いながら歳三は、むしった草を一まとめにする。
「…」
近藤はバツの悪そうな顔を一瞬浮かべ、次には局長の顔になった。
「勿論。仕事として行ってもらうつもりだ。行ってくれるか?歳」
「ああ。それなら異論はないぜ。…だが、一緒に行く相手は総司じゃねー、伊東さんだ。あとは斎藤をつけてくれればそれでいい」
「伊東君か」
近藤は信じられないと言ったように、自分も座って歳三の顔を覗きこんだ。
「ああ」
「正気か?」
それではなんの為に東帰させるのか解らないと近藤は言いそうになる。山南を唆した伊東を同行させれば、歳三の傷口に塩を塗るようなものなのだ。
「勿論だ。近藤さんが出掛けている事が多い現状で、俺がいなくなった屯所に奴を一人にはしておけないからな」
副長の顔をした歳三が、当然とばかりに言い放つ。近藤は歳三の迷いのない顔を見ると諦めたように肩を竦めた。
「では三人で東帰してもらう事にしよう」
「ああ解った」
歳三は頷きながら、内心で近藤に感謝の言葉を呟いていた。
「土方さん。どういう事ですかぁぁぁ」
叫び声を上げているのは、おのずと知れた総司である。了解も取らず襖を開ける総司に、歳三は視線だけを向けた。
「うるさい。この屯所は天井が高くて声が響くんだ。静かに叫べ」
「静かになんて叫べるわけないでしょう」
ぷりぷり怒りながら、部屋にずかずか入って歳三の傍まで行って総司はどっかりと腰を降ろした。
「全くお前は口が減らない」
「口は一つです。これ以上減ったらなくなっちゃうじゃないですか」
「そういうのを屁理屈というんだ」
歳三は一つ溜息をつくと、総司のほうに体を向ける。総司は、歳三に言い込められて、頬を膨らませていた。
「ところで、土方さん。今度の東帰で私が留守番だなんてどういう事ですかぁぁ」
「そう言うことだ」
至極あっさり歳三は言い放つ。
「いつもいつも私ばっかり置いてけぼりなんですもん。斎藤さんばかりずるいですよ」
恨みがましい視線を歳三に向けた。その視線に慣れている歳三はあっさりそれをかわす。だが総司の機嫌のとり方も心得ていた。
「お前には頼みたい事が別にあるんだ」
「私に頼みたい事?」
総司は少々訝しげな顔をしながらもまんざらじゃない顔で、歳三の言葉を待った。単純である。
「ああ。今のこの屯所の雰囲気はどうだ」
「良いとは言えませんよねぇ。何せ鬼がいると評判ですから」
総司のあてこすりに歳三は口を歪めた。
「そうだ。だからお前は、屯所に残って雰囲気を良くするように尽力してくれ」
「わかりました。では東帰に着いて行くのは諦める事にします」
総司があっさり引き下がってくれた事に、安堵の溜息をつく歳三だった。こう見えて総司は言い出したら聞かないのだ。
「ところで土方さん。日野には行かれるんですか?おノブさん楽しみだろうなぁ」
総司の言葉に、歳三は顔を横に振った。
「公用で江戸に行くだけだからなぁ。行くつもりはねーよ」
「えぇー、そんなぁ。預け物を頼もうと思ったのに」
総司が残念だとばかりに肩を落とす。
「そんな大事なものなのか」
「大事なものです。ねえ土方さん、私が江戸行き諦めるかわりに届け物してきて下さいよ」
「解ったよ。行ってくりゃ良いんだろうが。でどこへ行きゃ良いんだ」
押しきられる形で歳三は不承不承頷いた。
「彦五郎さん…おのぶさんの所に文を一通お願いしたいんです。出立の日までには用意しますから」
総司に拝み倒されて、結局歳三は出立の日に総司からそれを受け取ると、江戸に旅立っていった。
どうせ行くならと日野への土産を嬉々として作っている歳三の姿を総司が見ていた事実を歳三は知らない。
中仙道を通って江戸に向かう道は険しい道のりだった。と言っても現実に通る道の事ではなくて、この場合の険しさというのは、その道中の雰囲気を差している。
歳三と伊東、斎藤の三人での江戸行きは、山南の切腹の後だけあって無謀なものだと斎藤は思っていた。
歳三と伊東の間に、わだかまりがあるのを斎藤は知っている。それ故に、良い雰囲気で旅を楽しめるとは斎藤とて思ってはいなかった。
だが、元々言葉の少ない斎藤も、流石に二日間歩いても、会話の一言も交わされない様を見るのはとても苦痛なものなのだ。
(こういう役は俺より沖田さんの方が向いている)
内心では胃が痛くなるような思いをしながらも斎藤の顔からは涼しげな顔が崩れる事はない。それが誰からも第一印象を保てる秘訣であると言う事を利口者の斎藤は良く知っていた。しかもそれが間者を務める自分には必要不可欠なのも。
歳三には伊東に近寄れと言われている。故に今の斎藤は歳三にべったりというわけにもいかなかった。
だが、さすがにこの雰囲気をなんとかせねばと思い、斎藤は立ち上がる事にする。
「伊東さんは、和歌を嗜まれるのですよね」
「はい。和歌は良いですよ。どうです斎藤君も詠まれますか?」
伊東は柔和な顔で斎藤に向き直った。
「俺みたいな無粋者には、とても詠めませんよ。それよりもご存知でしたか?土方さんも詠まれるんですよ」
前を歩く歳三がビクリと肩を強張らせる。
「え…土方君が?」
心底意外だという顔で伊東は瞬きも忘れ歳三を見た。伊東は初対面で味わった屈辱感から、歳三を冷酷無比で手段を選ばない出世欲の塊のような男だと信じていたのだ。そんな歳三が優美なものを好んで詠むような和歌を嗜むとは伊東としては思いもしなかった。
伊東の驚いた顔に満足そうな顔をして斎藤は笑う。
「ええ。とても秀逸な和歌を詠まれますよ。俳句への感想は控えさせてもらいますが」
斎藤の言葉に、我慢の限界になった歳三は真っ赤な顔をして振り返った。
「斎藤。なんでお前がそれを知っている」
「え…沖田さんに伺ったに決まっているではありませんか」
「…っ総司のヤロー」
歳三は口の中で呟いて、居心地悪そうな顔をした。珍しく頬が赤い。その顔を見て伊東はつい思っている事を口にしてしまう。
「土方君は、そんな顔も出来るのですね。屯所では渋い顔ばかりなされているから、私はあなたを感情がないのかと思っていました」
歯に衣を着せない伊東の言い様に、歳三は唇を尖らせる。
「感情がないわけねーだろ。鬼にだって感情くれぇあるさ」
「ははは…」
伊東は、声を立てて笑った。
なんとか行けそうだと斎藤はほっと胸を撫で下ろしながら前を見た。すると坂道の所で大八車が轍に足を取られて立ち往生している。力づくで出そうとしている荷は今にもこぼれそうだった。
先を歩く歳三が、その大八車に気付く。そして足を速めそこに行くと、運の悪い事に歳三の足元にその荷が崩れ始めたのだ。
「ひ…お…お武家様。申し訳ありません」
農民と思われる風体の老人は平身低頭で歳三に頭を下げた。無礼討ちされても仕方のない状況に、老人は蒼白になりながら震えていた。
「無礼ではないか。こちらは」
伊東が掛けつけた足で、農民に怒鳴りつける。それを歳三は片手で嗜めた。
「伊東さん。良いんだ」
歳三は農民に頭を上げるように言った。
「じいさん、謝る事ぁねーよ。俺は困ってるのを見て助けにきただけだからよ」
そう言って、屯所では見せた事もないような顔で、農民に笑いかけた。歳三は自分の手が汚れる事もいとわずに農民がこぼした荷物を拾い上げてやる。
「土方君はああいう人なのかい」
出世の鬼だと思っていた人間が、階級を全く気にしていない様に伊東は今度こそ度肝を抜かれた。
「少なくても江戸にいる頃はああでしたけど」
斎藤は苦笑いで答え、歳三を手伝う為に大八車の傍に駆け寄った。
元々どこか人の良い所がある伊東は、それに加わる事にした。
歳三はそれを意外そうな顔で見つめている。自分の手を消して汚さないと思っていた伊東が農民の荷を持ち上げているのだ。
思想の違いや手段を選ばない事への気に食わなさはあるものの、伊東も国を思っている人間の一人であるという事が歳三からも見てとれていた。
「まさか伊東さんが手伝うとは思わなかったよ」
旅篭に着いて、風呂に入った歳三は酒を片手に上機嫌に言った。
「私も土方君がまさか困っている農民の大八車を手伝いに行くような御仁だとは思っていませんでした」
「一人を助けられずに、報国たぁおかしな事だからな」
当然だと続けて、歳三は酒を煽る。その様子を見ていた伊東は歳三の事を見直していた。もし、伊東が望むのと同じ方向に国を変えたいと思っている人間であるなら、歳三とは上手くやっていけるのかもしれないと。そう思えるほどに。
「私も勉強させられました。京を出てからというもの土方君の意外な一面ばかりを見せられる」
「和歌を嗜まれている事もでしょう」
斎藤が横槍をいれる。
歳三が斎藤を睨みつけ、にやりと顔を見て笑うと次の瞬間、斎藤に浴びるような酒を飲ませた。
久しぶりに笑ったのを実感している歳三だった。
それを見た斎藤は、散々飲まされたのにもかかわらず手酌で注いで盃を空けた。
一度隊務を離れてしまえば、反目しあっている筈の伊東と歳三が笑って酒が飲みあえる事が、どこか斎藤には切なく感じていた。
順調に旅はすすんだ。新入隊士の募集も上手くいき、目安の人数に早々に到達した歳三は、総司に頼まれている文を届に、姉の家でもある佐藤彦五郎の家に足を運ぶ事にした。
本来ならば、意地もあって立ち寄るつもりもなかった日野に、立ち寄れる事になって、歳三は密かに機嫌が良かった。
「歳三。元気にしてたか」
彦五郎とノブが玄関先まで迎えに出て、笑顔で迎え入れてくれる。
持ってきた土産を渡すと、部屋の隅で、照れくさそうに歳三に頭を下げる少年の姿があった。以前は小さかった甥っ子の源之助が、一人前に成長したのを見て歳三は時が経つ早さを感じる。
源之助の頭をガシガシと撫でて、元気だったかと聞けば、元気だと答えた。
「あ。そうだ彦さん。総司のやろーから文を預かってきたんだ」
懐にしまいこんでいた文を彦五郎に渡す。
「なんだか大事な文だって話だぜ」
歳三の言葉に、受け取った文を読んだ彦五郎は、大声で笑った。
「お前ぇ総司に騙されたんだ」
「え?」
歳三は、彦五郎から総司の文を受けとって、それをまじまじと見た。
そこには、歳三がそちらに行くからよろしくとの事が書いてあるだけだった。
「総司のやろー。騙しやがって」
口では罵詈雑言を並べても、歳三の表情は柔らかい。
それは、総司の心が痛いほど伝わったからだ。
近藤さんだけでなく総司も心配していたのだ。近頃の歳三に余裕がなくなっている事を。
総司が粋に計らってくれたおかげで、歳三は意地も張らずに、日野に来る事が出来たのだ。
歳三は、幼い頃何時も遊んでいた河原に足を向けた。
静かな川の流れは、歳三の気持ちを癒してくれるのには十分だった。
殺伐とした京の町とは比べものにならないのどかさの中に、歳三は身を沈める。春の風が気持ち良かった。
幼い頃の歳三は、ここで侍になりたいと決めたのだ。実際、その願いがかなった自分が落ちこんでいてどうすると歳三は自分を叱咤する。
子供が河原でちゃんばらをしているのを見て、幼い頃の自分とかぶり歳三は目を細めた。
日が暮れ始め、ノブが呼びに来るその声までが、昔のままで、歳三は何故か泣きたくなった。流石に良い年をして泣くわけにもいかず、困ったような顔をして歳三はその場に立ち上がる。
沸きあがった郷愁の念に歳三はうろたえた。
この生活を捨てたのは歳三自身なのだ。それ以上に、国の為に生きる道を選んだ。選んだ自分が、感傷に慕っている事の愚かさに、歳三は苦笑いを漏らした。
歳三自身が選び、正しいと思った道を一歩一歩踏みしめていくしかないと思い知る。落ち込んだり迷ったりしている暇は歳三にはないのだ。
原点に戻れた歳三は、迷いが吹っ切れていた。
日野から江戸に戻る頃には、冗談が言えるほどに。
源之助を新選組に勧誘した事で、ノブからお叱りを受け、逃げ帰るように歳三は日野を後にした。
甥を勧誘できるような場所なのだと、ノブには思っていて欲しかったのだ。勝手ばかりをしている自分を少しでも心配しないようにという歳三なりの不器用な優しさである。
「土方さんお姉さん孝行は出来ましたか?」
斎藤は、伊東がいないのを見計らって、旅篭についた歳三をからかう事で迎えた。道中散々酒を飲まされ、二日酔いに苦しめられた斎藤の意趣返しである。
「…ふん」
「沖田さんの話だと、土方さんはお姉さんにだけは弱いとの事でしたから」
「あいつは言わなくて良い事までべらべらと」
歳三は、日野で密かに総司に感謝していた事も忘れ、京にいる総司に悪態をついた。
「ところで伊東さんは?」
歳三は今気付いたというように、斎藤に尋ねる。
「ああ。藤堂さんが一緒に合流して帰るとの事でしたので、迎えに行っているんですよ」
「そうか」
「そろそろ京が恋しくなりませんか?土方さん」
図星をさされた歳三は、茶を飲む事で誤魔化す。
事実、歳三は早く帰って、一刻も早く隊務に戻りたかったのだ。
山南の切腹以降、どこか弱っていた歳三の目に、強い光が戻った事へ斎藤は頼もしさを感じていた。
そして、京に帰って待っていた一言は、やはりこの人であった。
「どういう事ですか?土方さん」
行く時と同じ総司の悲鳴である。
「ねーものはねー」
「お土産くらい買って来てくれたって良いじゃないですかぁ」
総司は何も買って来てもらえなかった事を拗ねていた。
「土方さんだけ。家で羽伸ばしてきたなんてずるいですよ」
ぼそりと漏らした総司の言葉に、歳三は思い出したというように総司の頭をぽかりと殴った。
「お前の土産はこれで十分だ。大体なんだあの文は」
「酷い。私が折角気を利かせてあげたのに」
本気で拗ね始めた総司に、歳三は仕方がねーとばかりに、懐からそっと土産を取り出した。
「お前ぇはこれでも食ってろ」
懐から取り出したそれは、総司の好きな桜餅だった。




