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梅散らず  作者: 花河燈
13/27

隊内の不満

「やはりそうか」

歳三は、監察である島田が持ってきた情報に、一つ溜息を付いた。外では木に止まった蝉が止めど無く鳴いていて、それが歳三の神経を逆撫でる。

「はい。永倉さんを始め、かなり今の新選組…局長に対しての不満が高まっているようです」

 島田は、大きな体からは想像もつかないような小さな声で歳三に報告する。

歳三はそれを聞いて顔をしかめた。禁門の変と言われた長州との戦い以降、幕府の方針が長州の征伐という方向に動いていた。当然会津藩お抱えである新選組にも長州征伐に先だって兵を増強しろという達しが出ている。それにあたり近々、新選組も人数を増員する事になっていた。となると、攘夷を訴えっている筈の新選組の思想からは離れていく事になる。そうなれば隊士の不満が募るのは無理もない事なのだ。

歳三が労をねぎらおうと島田の顔を見れば、急いで報告に来たのか島田の顔には汗が伝っていた。

(本当に気真面目な男だ。こういう所は近藤さんに似ているな)

歳三は口元を緩めた。だが、近藤と大きく違う所は、朴念仁な近藤とは対照的に島田は大きな体に似合わず細かい気配りが出来る男なのである。年が歳三よりも十近く上な事もあって、隊士達からの信頼も厚く頼りにされている。監察でありながら島田が隊士達から相談事をよくされているのは隊務以外では口が堅い男だからだろう。

歳三は、畳の上に投げ捨ててあった団扇を拾い上げ自分に向けて数度扇いだ後、島田に向けて風を送ってやる。

「その件について何か隊内で動きそうな気配はあるか?」

歳三は、扇ぎながら淡々と話を続けた。

「藤堂さんと永倉さんが、何かを企てている様子ですが」

副長である歳三に風を送られて島田は慌てて歳三から団扇を奪う。そして副長がそんな事をしなくていいと嗜めて、今度は歳三に向かって扇ぎはじめた。

「藤堂と永倉か…」

歳三は、腕を組んだ。

「藤堂さんは、御公儀の犬になっている現状を嘆いておられました。永倉さんは局長に対してかなり思うところがあるようです」

「…」

 歳三は黙りこんだ。

(藤堂には悪いが今は御公儀の覚えをめでたくする方が先決だ。だが永倉の言う事はあながち放ってはおけねーかもしれない。確かに最近の近藤さんは隊士に対して高圧的な態度を取る事が多くなった気がする)

「島田。藤堂と永倉に近づいて奴らが過激になりすぎないようにしながら、それとなく動き見張っていてくれ」

「解りました」

少しの異も唱えずに、島田は頷いた。

あまりのあっさりさに歳三の方が戸惑う。

「お前は今の新選組のあり方に不満はないのか?」

「私は、あなたに付いて行くと決めている人間です。副長が決めた方針に間違いはないと思っています。たとえ今が本意でない状況だったとしても」

「そうかご苦労だった」

実直な島田の不器用な言葉に、歳三は静かに頷いた。

「副長…仕事の話が終わったので言わせて貰いますが」

 島田の声の調子が、部下の者から年上の者へと変わる。

「な…なんだよ」

(こういう声の時の島田は碌な事言いやがらねぇ)

歳三は、多摩にいる兄を思い出して口を曲げた。どうも犬を構っているのを島田に見られてからというもの歳三は島田には弱い。

「最近仕事をしすぎではありませんか」

 島田の嗜めるような声に図星を指された歳三の肩が揺れる。

「…別に、そんな事はねーよ」

「副長に倒れられたら、全員に迷惑がかかります。適度に休みは取ってください」

島田は大きな体をずいっと寄せて歳三を睨みつけた。兄のように心配されては歳三もたまらない。

「大体、飯もまともに取ってないのでしょう」

「…いや」

説教に入った島田に、歳三は肩をすくめた。

「待っててください。私が今善哉を作ってきますから」

甘い物に目がない島田がそう言って席を立つ。

「それまで、一休みしてて下さい」

「…解ったよ」

 歳三は溜息を付いて、文机に出してあった書類を引出しの中にしまい込んだ。


隊内に不穏な空気を孕んだまま、池田屋で負傷した藤堂が静養を兼ねて一足先に江戸に向かう事になったのは、それからすぐのことだった。

理由は、近藤達が後から江戸に隊士募集に行く先駆けとなり、江戸にいる伊東道場の主を新選組に誘うのが目的だった。

藤堂が隊士募集に際して推したのは、藤堂と同じ北辰一刀流を納めた伊東道場の主、伊東大蔵(のち甲子太郎)だった。

伊東は、尊皇攘夷を謳う文武両道の大人物であるという。

それに一も二もなく飛びついたのは近藤だった。早速藤堂は江戸に下る事になったのだが、歳三はその行為がどうも腑に落ちなかった。そもそも隊士募集とは、長州征伐の為の兵を募集するようなものなのだ。幕府の手下になるのに加担するような事を果たしてそれを苦々しく思っている藤堂がするのだろうか。歳三は疑念を拭えないまま、沖田や永倉達と一緒に屯所の門まで藤堂を送り出しに行った。

その場に近藤の姿はない。近藤は色々な藩のお偉方と会談をする為に、遊里に出掛けていた。

「平助。本当に伊東先生は来てくれるのかい?」

同じ北辰一刀流を納めた山南が期待の色を瞳に乗せて言った。

勤皇色の強い山南は、この頃の新選組に不満を持っていた。池田屋の変にも出動せず、蛤御門の変も屯所に詰めていたほどだった。

理想主義の山南が、同じ尊皇攘夷の長州を討てない事など歳三には痛いほど解っていた。だから何も言わずに歳三は山南を総長という実務をしなくても良い地位に据えた。

その山南が伊東の加入を心待ちにしているのは、一目瞭然だった。

「あの人なら、来てくれるさ。説得する自信はあるんだ」

「そうか」

山南がほっとした顔をする。

北辰一刀流の道場主である伊東が、格で言えば格段に下の天然理心流の道場主であった近藤の下になどつけるものなのかと歳三は疑問に思った。

藤堂を見るに、絶対に伊東を口説き落とせると言わんばかりなのだ。

歳三はその様子を門に凭れ掛かりながら瞬きもせずに見ていた。すると、永倉と目を合わせた藤堂が一つ頷くのが目に留まる。

歳三の中の疑念が現実になった瞬間だった。

(何か裏がありやがるな。平助と永倉の間には)

「平助。伊東さんは確か水戸学を学んだと言っていたな」

歳三の射るような目に、内心を読まれると思ったのか藤堂は肩を揺らせた。

「あぁそうだよ。土方さん」

「さぞ勤皇の心が厚いんだろうな」

「それはもう。きっと新選組を良い方に導いてくれる筈だ」

引き攣った笑いを浮かべながら、藤堂は土方に言った。

(これはいよいよ怪しい)

歳三はそう思いながらも、様子を見る事にした。

「伊東さんが来るのが楽しみだ」

 挑戦的な笑みを歳三は浮かべ、藤堂に向き直る。

「そうだろ?土方さん」

ほっとした顔を藤堂は浮かべると、止められてはかなわないとばかりに、その場にいる者に頭を下げ、屯所を後にした。

それを見送って、藤堂の姿が角をまがり見えなくなった頃、始終おとなしかった総司が雄たけびを上げた。

「あーっ!藤堂さんにお土産を頼むのを忘れたぁ」

沖田のその言葉に、その場にいる全員が腹を抱えて笑う。

一見平和なその中で、確実にズレは生じていた。

歳三の疑念が表面化するのは、それから数日後の事だった。


一方、なんとか土方の目を誤魔化せた藤堂は、角を曲がった所で深呼吸をしていた。

(どうもいけねーや。土方さんには何でも見透かされている気がする)

藤堂は、勤皇の心が厚い伊東に、近藤を抹殺した暁に隊の頭になってはくれないものかと頼み込みに行くつもりだったのだ。

それが見つかれば藤堂の命もない。

(後は永倉さんが上手くやってくれる筈だ)

額に浮かんだ脂汗を袖で拭うと、藤堂は江戸に行く足を早めた。


その日、歳三は巡察の当番にあたってない沖田と供に、道場で隊士の剣術の稽古にあたっていた。そこには永倉もいる。

「まだまだぁ。お前ぇら何度死ねば解るんだ。間合いを瞬間で見極めるんだ」

歳三の怒鳴り声が炸裂していた。平隊士が面と胴を付けているのに対して、歳三は面すらつけていない。

「やれやれ、土方さんったら元気なんだから」

夏の暑さに閉口気味の総司が、道場の隅に行って手拭で顔を拭いた。

「自己流であそこまで強いのは、土方さんしかしらねーなぁ」

隣にどすっと腰を降ろした永倉が、胴を外しながらからかうような口調で言った。

「本当そうですよね。天然理心流では目録取りでしかないくせに、実戦ではやたら強いんだからやになっちゃいますよ。実戦であの人、斬られた事ないんですよ?」

 信じられないと総司は身震いをして見せた。

「鬼だって、隊士の奴らが怖がるわけだぜ」

 手を後ろについて、永倉は天井を見上げる。

「何人相手をしても疲れないんですから。人間からは離れてますよ」

「ぱっつぁん。総司。なにサボってやがる」

隅で自分の悪口を話している事を聞きとがめた歳三が振り向き様に怒鳴りつけた。

「あれで、寝る間も惜しんで仕事してるっていうんだから信じられませんよね」

総司は、わざとらしく永倉に耳打ちしてみせる。

「違いねぇ」

「お前らっ」

歳三の怒号に二人は肩をすくめると、渋々立ちあがった。総司は仕方なしに防具をつけようとして手を止める。内から熱しられたような暑さにどうしても我慢しきれずに、総司は閉め切られた道場の木戸を思いっきり開いた。

一瞬、拭き抜けていく風に、総司は目を細める。

「あれ?近藤先生だ」

屯所を出て行こうとする近藤を目にとめた総司が何気に呟いた。

途端、傍にいた永倉の眉間に皺が寄る。永倉は近藤が出ていった門を睨みつけて言った。

「全く、昼間っからいい気なもんだぜ。どうせ会合とかなんとか言って飲んで歌って女抱いてるんだろ?」

「…」

総司が困ったような顔をして、門を眺めた。師である近藤を悪く言われれば反論するのが当然なのだが、実際最近の近藤は永倉の言葉通りだったので総司には何も言えなかったのだ。

ただ事でない雰囲気を察知した歳三は打合いをやめて、隊士同士でやるように指示すると、永倉と総司がいるところに足を向けた。

永倉が更に激昂して柱を叩く。

「俺らが、暑い中死ぬ思いで稽古してるってのに、最近じゃ道場にすら顔をだしゃぁしねー」

 舌打ちまで付け加える永倉の憤りに、永倉の近藤に対する鬱憤が、相当溜まっている事を歳三は感じていた。

「近藤さんには近藤さんの仕事があるんだ。解ってやれ」

歳三は宥めるように永倉の肩を軽く叩いた。永倉は視線を道場に戻すと大きく息を吐く。

「でも、最近の近藤さんは何か違うぜ?土方さんあんたもそう思ってる所があるだろ?」

幾分か落ち着いた永倉は、それでも歳三から視線を離す事なく言い放った。

「…」

歳三は腕を組んだ。

確かに言われた通り、最近の近藤には歳三も少し思う所があるのだ。実際、隊士達の剣術指導を近藤にやらせないでいたのは歳三自身だったのだが、それは近藤が駄目だと言っても指導してしまうような面倒見の良い人物だったからだ。

歳三は、隊の統制を考えて、近藤を隊の中での好かれ役に。歳三自身は嫌われ役に徹しようと思っていたのだ。それを隊士達に示す為の申し出だったのだが、最近の近藤は剣術指導をしないのが当然と言わんばかりに道場へ顔を出さない。それどころか隊士達を家来のように使ってしまうところが、日々の生活で垣間見られるようになっていたのだ。それは、近藤が局長である所に利を見出した者達がではじめたのが原因だった。

立身出世の野心に燃える、武田観柳斎や谷三十郎といった胡麻すりの上手い隊士達が、近藤を殿様のように持ち上げるようになった。その者達は、外から帰った近藤の足を拭いてやるほどの献身ぶりで。その上毎日のように諸藩の偉い方と会談しているのだ。近藤が自分を殿様だと思ってしまう事は、考えてみれば仕方のない事なのかもしれない。

だが近藤を疎む者が出来てくるのは、歳三としては否とするところだったのだ。

「確かに、近藤先生が道場に来ないのは淋しいですねぇ」

総司も苦々しく思っているらしく溜息を付いた。

「まぁ…近藤さんにここを任せてくれって言ったのは俺だしな」

「でも、昔の近藤さんなら、来るなっていっても道場に来た筈だぜ?」

永倉が手に持った手拭いを忌々しそうに握り締めた。

「そうですねぇ。昔は先生自ら道場の雑巾がけをしてたくらいですからねぇ。あれをされちゃうと私なんかサボれなくて困っちゃいましたもん」

総司が江戸にいた頃を懐かしむように言う。

「…きっと、近藤さんには近藤さんにしか解らない苦労があるんだろ」

歳三は、そう言う事しか出来なかった。

眉を潜めたまま、歳三は道場を後にした。そして汗になった体を清めようと井戸に向かう。

永倉だけでなく、総司までもが近藤に対して思う所があったという事が、歳三にしてみれば、ただ事でない現実だと思わざるを得なくなった。

だからと言って、近藤を諌める手立ては歳三にはなかった。諌めれば武田や谷のような者達が、近藤の弁護にまわる事で、近藤自身が試衛館の者達よりも武田や谷のような者を重宝がってしまう可能性があるからだ。

歳三にしてみればそれだけは避けねばならない事だった。

武田や谷は出世をしたいという名誉欲で動いているだけなのだ。志があっての事ではない。

そのような者に、力を持たせれば内部から新選組は駄目になってしまう。

歳三は考えた。

永倉が原田を伴って何かをしようとしている事を、島田や斎藤の中間報告を聞いて歳三は知っている。

だが、具体的に永倉達が何をしようとしているかまでは歳三には解ってはいない。

しかし、このまま近藤が一人歩きするのを放っておくわけにはいかないのだ。

幸い永倉達には、歳三が信頼を置いている、斎藤と島田が近づけてある。

ならばいっそ永倉達に便乗してみようかという思いが歳三の中を占めた。

歳三は腹を決めると汲み上げた井戸水を頭からかぶった。

井戸水は冷たく気持ち良く、嫌な気分を洗い流してくれそうな気がして歳三は空を見上げた。


「何?新八が会津候に建白書を出すだと?」

元治元年(1864年)八月の末。

ついに、永倉が起こそうとしている事が歳三の耳に入る。

永倉の動向を探るように命を受けていた斎藤が、永倉や原田が巡察に出ているのを見計らい、ひっそりと土方の部屋を訪れた。

外はもう日が暮れていて、蝉の音も聞こえなくなっていた。

歳三は、刀の手入れをしていた手を止めて、斎藤に向き直る。

「建白書が出来次第。会津候の元へ出掛けるつもりとの事」

斎藤が淡々と事実のみを話す。

「詳しい内容はどんなものだ?」

「局長の非行五箇条を上げて、局長が一つでも申し開きが出来なければ局長に切腹を所望するそうです。それで一つでも申し開きを局長が出来た場合は永倉さん達が切腹すると」

「新八らは、近藤さんを粛清しようとしているのか」

「はい。今の組のあり方をかなり憂いている様子でした。もしかすると藤堂さんの東帰も一枚かんでいるかもしれません」

「斎藤。お前もそう思うか?」

「大方。局長を失脚させて、伊東大蔵を局長の座に据えようとしているのかと」

斎藤の聡明さに、歳三は満足げに頷いた。

斎藤の言った事は、歳三が思っていた事だったのだ。

「流石に近藤さんを殺させるわけにはいかないな」

 永倉達の企てを使って近藤を諌めようとしているものの、歳三としては、親友であり組の頭である近藤を殺されてしまってはかなわない。

「では、阻止する方向に動かしますか?」

「いや…」

当然、阻止の命が下ると思っていた斎藤は、顔を上げた。

「斎藤と島田も建白書に連名してくれ」

「…っ!」

普段あまり表情を出さない斎藤の顔が思いきり引き攣った。

切腹を言い渡されたようなものである。

悲壮な顔をした斎藤を見た歳三は声を立てて笑った。

「悪いようにいはしねーよ」

江戸にいた頃の砕けた口調に斎藤はやっと肩の力を抜く。

「今から会津候にその旨を書いた書状を出す。だから安心してもいいぜ?」

「…」

 納得がいかないのか斎藤の顔は浮かない顔をしていた。

「なんでそんな回りくどい事するって顔してやがるな」

「何故ですか?土方さんなら阻止する気になれば何時でもできるでしょう」

「まぁな」

「ならばどうして」

 言い募る斎藤に、歳三は苦笑した。

「なぁ斎藤。お前最近の近藤さんをどう思う」

「あ…」

 斎藤は何かに気づいたように声を上げる。斎藤もこのところの近藤の態度に、隊士からの不満が上がっている事を知っていた。

「俺は組織の頭って言うのは、皆から好かれる立場でなければならねーと思ってるんだ」

「では、局長にそれを気付いてもらう為に…」

「そうだ。だが、お前ぇを始め、島田や新八に死んでもらっちゃ困るから先に手を回して置くって訳だ」

「なるほど」

 歳三の頭の良さに、斎藤は改めて尊敬の意を抱く。

「やってくれるか?」

歳三が斎藤の傍に一歩踏み出した。

期待を込めた眼差しを向けられ、斎藤はゴクリと唾を飲みこむ。

「解りました。島田さんにも伝えておきます」

「ただし、謹慎処分にはなってもらうがな」

「えぇっ…」

斎藤の眉が心なしかハの字に下がった。

「処分が解けたら好きな酒を浴びるほど飲ませてやるよ」

「土方さんには本当にかなわないな」

斎藤はそう言って頭を掻くと、部屋を後にした。


そして後日、会津候の取り計らいで永倉の建白書は水に流される事となった。

前もって黒谷の松平容保の元へ呼ばれていた近藤と永倉は和解する事となり、近藤自身がわが身を省み、多いに反省した事でその場は丸く収まったのだ。

その様子を見た斎藤が内心でほっと胸を撫で下ろしていた。

だが、黒谷からの帰り道。

どこで聞きつけていたのか近藤の腰巾着である武田が、このような自体になったのは自分のせいだと近藤に向かって自分の首を斬れと首を差し出した。

それを見た斎藤が、その胡麻すりに大きな溜息を付いたのはいうまでもない。

その事を後から聞いた歳三は、斎藤以上に憤慨した。

だが、一番今回の事で納得がいってない人間が一人いた。

「また、私だけのけ者にしましたね」

歳三の部屋で、大きく頬を膨らめているのは総司である。

歳三は、総司を無視して書類をまとめていた。

「大体、土方さんときたらいつもいつも斎藤さんに大切な所ばかりを任せるんだもの」

「餅は餅屋だろ」

「なんで私は駄目なんですか?」

歳三の手から書類を取り上げて、総司は噛み付く。

「お前にはこういう役は無理だ」

「島田さんに頼めて、何故私に出来ないっていうんですか?」

「総司…それは島田に失礼だろ」

呆れ顔で歳三は言った。

「だって島田さんほど嘘が付けない人はいないでしょ」

「…全く」

「なんですか」

喧嘩上等とばかりに、総司の鼻息は荒い。

「お前を間者に潜り込ませた時の事を考えてみろ」

「私が間者になったらですか?」

「そうだ」

総司は顎に手を掛け少しだけ歳三に言われた事を想像してみた。

「完璧に仕事を遂行する姿しか想像できませんが」

能天気な総司に、歳三は軽い眩暈を覚える。

「例えば、今回の建白書の兼でお前を使ってみろ。近藤先生の弟子で俺にベッタリのお前が建白書に署名するって言って誰が信じるっていうんだ」

「あ…そうか。それもそうですねぇ」

 全く考えてなかったと言うように、総司は両手をポンと叩いた。

「だからお前には間者は無理だっていうんだ」

「…」

総司は口を尖らせた。

「そんなに間者になりたきゃ、ここには来るな」

「嫌です」

「なら間者は諦めろ」

「解りました。良いですよー。私には誰にも出来ない仕事があるんですから」

ふて腐った総司が、歳三の文机にべったりとへばりついた。

「どんな仕事だっていうんだ」

「決まってるじゃないですかぁ。土方さんのお守ですよお守り」

総司は、そう言って歳三の赤くなって怒る顔を見ると、逃げるように歳三の部屋を後にした。

部屋を出ていった時の総司の顔からは、不満の念はすっかり消えていた。


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