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亡者の一室  作者: 刹那
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第6話【疑惑】



「部屋の中に誰かがいた…と」


それは男性の声だった。

髪型も、顔つきも、体型も定かではない。

ただ一つ確かなのは、彼が警察官だという事実だけ。

声色から察するに恐らく20〜30代だろう。


どうやらマンションの住人が通報してくれたらしい。

今は、数分前にパトカーのサイレンと共にやってきた複数の警察官が私の部屋を調べている最中だ。

安全が確認されるまでの間、私は玄関先で状況説明を求められていた。


「はい。ベッドの下にいた誰かに足を掴まれたんです」


「なるほど…」


メモを取っているのか、ボールペンをメモ帳に擦り付けるようなシャカシャカという不規則な音が耳に入る。


「窓が開いていたので、もしかしたら窓から入ったのかもしれません」


私がそう言うとメモ帳をなぞる音が止まり、代わりにトンットンッと突つく音に変わった。


「さっきベランダを見てみましたけど、ここは6階ですし、隣の部屋とも仕切りの壁があるので窓からの侵入は不可能だと思いますが…」


「相手が幽霊でもない限りな」と、誰かが隣から口を挟む。

別の警官が割り込んできたようだ。


「あ、先輩。中の様子はどうでしたか?」


「誰も居やしねーよ。不審者の目撃情報も無し。今日はもう撤収するぞ」


ぶっきらぼうな態度。

先輩と呼ばれたその警官からは、真面目に捜査をしている気概がまるで感じられなかった。


「そんな…。本当にちゃんと調べてくれたんですか?」


「…もしも侵入者がいたとして、逃走するなら玄関を通るしかない。が、あれだけ集まってた人が何も見てないんだ。つまり最初から中には誰もいなかった」


「でも私、足を掴まれたんです!」


「毛布が絡まったとか、机に当たった可能性だって充分にある。何も見たわけじゃないんだろ?」


「ちょっと先輩…」


言い過ぎですよといわんばかりに、横から弱々しい制止が入る。

確かに私は何も見えない。

だがいくら障害者として見下されることに慣れてるとはいえ、あまりに言いたい放題の警官に沸々と怒りが込み上げてきた。

寒さで握り締めていたこぶしに余計な力が加わる。


「信じてくれないんですか!?」


「まあ、誰もいなかった…が、もしかしたら“何か“はいたのかもな」


「?」


まるで言葉の意味が分からず首を傾げる私に、その警官は続ける。


「あんたこそ信じてるか?」


「何をですか?」


「幽霊ってやつをさ」


幽霊?

まさかこの期に及んでそんな単語が飛び出るとは思ってもみなかった。

教会や病院の関係者から尋ねられるならまだしも、こと警官が事件の聴取中に持ち出すような話題ではないだろう。

私が聞きたいのは本当に侵入経路は存在しないのか、部屋に一片の痕跡も残っていないのかというもっと現実的なアプローチであって、そんなオカルト的な慰めではない。

ひょっとして馬鹿にされているのかとも思ったが、どうもその語り口からは嘲笑の意図は感じられない。

まるで狐にでもつままれた気分だ。


「あ、そういえばここ…」


私が困惑して言葉に詰まっていると、若い警官がふと思い出したようにボソリと呟く。


「先月女性の飛び降り自殺があった部屋ですよね?」


「え…、自殺?」


先月?この部屋で?


まさか、と思った。

でもそんなはずないと否定する気持ちは、すぐに消え失せる。

何故ならずっと抱いていた疑念が、これでようやく腑に落ちたからだ。

相場よりも安すぎる家賃。

障害者であることも問題にされず、トントン拍子に進んだ賃貸契約。

運が良かったのではない。

悪かったのだ。

不動産会社はその秘密を私に打ち明けることなく、ずっと隠し通していた。


「いわゆる事故物件ってやつさ。あんた…もしかして知らされてなかったのか?」


「…はい」


「おおっと、ならこの部屋よりも不動産会社にガサ入れした方が良さそうだな」


「そうですね先輩。事故物件の隠蔽は重大な告知義務違反です」


「ま、そういうことだ。すぐにでも引っ越したいなら不動産会社には口添えしとくよ」


コツンッと硬い靴先が石床を叩く音と共に、1人分の足音が私の横を通り過ぎた。

どうやら話を一方的に切った先輩警官の方が立ち去ったらしい。

ずりずりと靴底を地面に擦るようなだらしのない足音。

すれ違いざま、タバコの煙が染み付いた衣服の香りが真横からフワッと顔にかぶさり、私は思わず眉間に皺を寄せた。


「それじゃあ、もしまた何かあればいつでも駆けつけますので」


「あの…!」


帰ろうとする若い警官を、私はとっさに呼び止めてしまう。

用があったわけではない。

ただ、このまま独りになりたくないという漠然とした不安が口を突いて出ただけだ。

とはいえ、きっと頼んだところで一晩中警護などしてくれるわけもないだろう。

彼らからすれば今の私は、何も起きていないのに大騒ぎした異常者でしかないのだから。

そこまで考えて、下唇を噛む。

言葉が出てこない。

警官がずっと何事かと待っている。

とにかく呼び止めたからには何か言わなければ。


「…幽霊なんて、いませんよね?」


我ながら酷いアドリブだ。

しかしそんな即席の台詞にも、警官は笑うことなく業務的で丁寧な返事を送ってくれた。


「安心してください。幽霊よりも怖いのは人間の方ですから」


…否定はしないんだ。と、心の声。

その時の警官がどんな表情をしていたのか、私に知る術はない。

「ではこれで失礼します」と規則正しい足音が遠ざかる。

徐々に小さくなるその音が消えてしまわぬ内に、私も部屋の中に入り、すぐに玄関に鍵をかけた。

あとは、窓。

既に警官がロックをかけてくれていたが、念の為に何度も腕に力を込めて窓をガタガタと揺らし、執拗に確認する。

玄関も窓も完全に閉じられている。

これでもう誰もこの部屋に入ることはできない。

そこまでして、ベッドに入り、毛布を頭からかぶって温もりに包まれても、張り詰めた緊張の糸は一向に緩む気配はなかった。


幽霊?

私は幽霊に足を掴まれたとでもいうのか。

…馬鹿馬鹿しい。

あれは絶対に人間の手だった。

冷たい指が肌を這う感触を思い出し、ぶるりと悪寒に襲われる。

でも家中調べても誰もいなかったのだから、“そういうこと”なのかもしれない。

密封された毛布の中で、自分の吐き出す淀んだ空気が溜まっていく。

息苦しさにくらくらとした目眩を覚えるも、毛布の外には足先さえ出したくはなかった。

こうしている間も、あるはずのない視線がどこからともなくこちらに向けられているような気がしてならないからだ。


とうとう私は、この日眠ることができなかった。


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