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亡者の一室  作者: 刹那
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第5話【逃避】


小刻みに漏れ出る息を唇で塞いで、静かに耳を澄ませる。

とにかく今はそうする他手立てがない。

やがて遠くの方からポタッと水滴の落ちる音が微かに聴こえてきた。

キッチンからか、あるいは浴室からか。

今日最後に水を使ったのは洗面台なので、恐らくこれはそこの蛇口からもたらされたもの。

理解するや、その方角に浴室の様相がうっすら浮かび上がる。

浴室の向かい側にはキッチンがある。

そこには食器棚や冷蔵庫が置かれ、左側に通路、壁、トイレ、玄関。

手がかりが手がかりを呼び、パズルのピースをはめ込んでいくみたいに頭の中で徐々に見取り図を組み上げていく。

そうだ、冷静になれ。

そうすればまた、世界が視えてくる。

だが一音をヒントに積み上げていったそんなイメージは、別の一音によって無情にも崩れ去ることとなった。


ピッ!


と、突然私の真下から鳴った電子音。


「え…」


それは間違いなく無くしたはずのリモコンの発する音だった。

私の予想を裏付けるかの如く、頭上のエアコンが轟々と動き始める。

やはりそうだ。

でも、どうしてベッドの下なんかにリモコンがあるのだろうか。

いやそれよりも“何故触れてもいないのに勝手に動いたのだろうか“


温風が頬をかすめ、ブルリと鳥肌が立つ。

冷えきった体がずっと望んでいたはずの温もりなのに、背筋はより一層凍りついた。

たちまち周囲から景色が消え、意識はベッドの下ただ一点に集中する。

開いた窓、音を立てたリモコン。

連想は最悪の一途を辿り、本来この部屋に存在するはずのない者の姿を、私の真下に浮かび上がらせた。



ベッドの下に、誰かがいる。



それは確信に近かった。


『都内のマンションに住む20代の女性が、部屋に侵入してきた何者かによって殺害されました』


ニュースキャスターがどこかで聞いたことのあるような文言を淡々と読み上げる。

テレビ画面越しではなく、頭の中で、恐ろしげに。

一刻も早くこの部屋から出て行けと、本能が鞭打つ。

しかし恐怖で固まった体は、まるで猛獣と対峙した時のようにゆっくりと動かすのが精一杯だった。

ぶるぶる震える手で毛布を剥がし、お尻を浮かせる。


ギシッギシッ


体重の乗った腕がベッドを鳴かせ、生きた心地がしない。

息を止めながら、私はそのまま慎重にベッドから足を下ろす。

そっと、静かに。

そうして冷え切った裸足の指先がフローリングマットに触れた


次の瞬間


誰かが私の足首を掴んだ。


「ひっ…!」


それは突然の出来事だった。

冷たい手指の感触が足首に絡みつき、強い力で私を押さえつける。


「いやあぁあ!!」


私は一心不乱に足を振り乱した。

前も後ろも分からぬ中、倒れて頭をテーブルにぶつけ、腕の皮膚が壁に削られても前へ前へと這い続けた。

ずっと叫んでいた気がする。

叫びながら、掌の感覚だけを頼りに床や壁を伝ってどうにか玄関へと辿り着いた私は、無我夢中で扉を開けた。


ぶわっと強い通り風が私を勢いよく部屋の外に押し出す。

逃げ出すことに頭を支配されて前のめりになっていた私は、その急激な勢いを止めることができなかった。

通路の柵に胸がぶつかり、足裏が通路から離れる。

ここは6階。

落ちれば命は無い。

私はとっさに柵にしがみつき、浮き上がる体を何とか押し留めた。

バタン!と後ろから扉が激しく閉まる音が響いた。

強風に煽られたのか、それとも何者かによって閉められたのか。


「…大丈夫ですか?」


通路の奥から、女性の声。

恐らく私に対して投げかけられたものだろう。

それに呼応するかのように続々と階段をパタパタと駆ける足音や、窓や扉の開く音がする。

きっと他の住人が私の悲鳴を聞きつけて出てきてくれたに違いない。

助かった…。

私はずりずりと柵に体重を預けながらその場にしゃがみ込んだ。

緊張がとけた途端、凍てつくような外気の抱擁を今になって強く感じ、ぶるりと身を震わせた。


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