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翌日、心地よい雑音に包まれた屋敷でルカスは目を覚ました。 パチパチと薪が弾ぜる音だった。
あまりにも気分が良く、まだ夢の中なのか……と勘違いする程だった。 こんなに目覚めが良いのは、いつ以来だろうか。
昨晩話し合った、要塞の建設候補地に向かう道中で、カイが言い出した。
「目覚めがとても良かった」と。
それに続いて、ノアとオスカーまでもが「ルカス様も、珍しく顔色がいい」と言い出した。
「あの緑の瞳の夫人は薄気味悪いが、この屋敷は居心地が良い。さすが、公爵家の使用人達だ」
そう話がまとまった所で、ゲオルクの中心街、悪女エレンが商館と呼ぶ建物に到着した。
ここで、街の有力者と落ち合うことになっていた。
※※※
「たった半年で、ここまで整備できるものなのか?」
馬車から降り立ったルカス達は、目を見張るのだった。
商館を中心に広場が広がり、東西南北に大通りが延びていた。 また、運河が引き込まれており、船着き場には商人達の賑やかな声がする。
そして、たくさんの人々が行き交い、数ヶ国の異国の言葉が聞き取れる。
広場を囲むようにある店には、食糧品を中心に様々な品物が売られていて、王都で見たことのあるような特産品も、いくつか売られているのに気がついた。
(こんなに発展しているとは、思わなかった)
ルカスは驚くと同時に、あの悪女は、どれだけの男性を誑かしたのだろう。と気分が悪くなるのだった。
「領主夫人は、やり手ですよ」
いつの間にか、ルカス達の隣に街の責任者達が近寄っていた。 そして、続ける。
「あっという間に住民達の心を掴んでしまいましたよ」
聞けば悪女は、来た早々に「私がここにいる間は、平和を約束する。 その変わり、この街を繁栄させて頂戴」と、住民達の前で演説をしたそうだ。
そして、妖しげな魔法を使い、あっという間に街の様相を一変させた。
子供達や仕事を失った大人達に仕事を斡旋し、孤児達には住まいと食事、教育の機会を。 一部の孤児には、弟子という形で仕事も提供したのだ。
また、彼女自ら野盗退治に乗りだし、時には積み荷の護衛を引き受ける事もあったそうだ。
そして、改心した盗賊達で商団の自警団を編成した。
近くに港もあり、運河を利用しての交易は交通の弁が良く、また、陸路も主要街道に繋がっているので、交易都市として成り立つはずだ。 それが、彼女の持論だった。
そして、戦争さえ起きなければ、孤児も生まれず、仕事を失い盗賊になるしかない兵士も増えないだろう。
だから、私は私に与えられたこのアルセ地区を全力で戦火から守る。 そう彼女は、いい続けているそうだ。
誇らしげに我が妻エレンの事を話す彼らを、ルカスは密かにバカにしていた。
(なぜ、そんな夢物語に感心するのだろうか。 戦争があろうとなかろうと、孤児は増えるし盗賊も現れるのに)
※※※
「妻を誉めて頂けて光栄です。 それで、要塞の建設候補地なのだが……」
商館の会議室で、それぞれのギルドの責任者達、自警団の責任者達とルカス達が話し合う。
どこに要塞を作ればコーゼル領アルセ地区の安全が守られるか。 それを一番良く理解している彼らの意見を聞きたかった。
彼らはいつも、戦火の中心にいた。
ところが彼らは顔を見合せ、口を揃えてこう言った。
「奥方様に聞かれた方がいい」
「ちょうど、候補地の一つにその要塞を建てていますよ」
「なんでも近くに炭鉱が見つかったので、都合がいいとかなんとか………」
ルカスは驚いた。 ついこの間まで戦火に見舞われていたこの地で、炭鉱だと? それに要塞。
どんな男が入れ知恵をしているのだろうか。 知らない間に街が発展している事に、軽く嫉妬心が芽生える。ここは、俺の領地だ。
なぜ、知らない事が多いのか。
※※※
エレンが建設しているという要塞にルカス達はむかう。
自警団の団長に「山の中腹に山小屋があるので、そこに泊まるといい」そう言われて、半日程、馬を走らせた。
国境沿いの山の中腹に差し掛かる頃、吐く息も白い寒空の下、見上げる程の堅固な要塞が姿を現した。
山小屋らしき建物の回りで、職人達が暖を取りながら作業を続けている。 彼らは怪訝な様子でルカス達を見ていた。
その時、コロコロと響く女の笑い声が響いてきた。 なんと場違いな声だろうか。 こんな、むさ苦しい場所に。
その声の持ち主は、休憩中であろう職人達のお椀に、湯気の立つスープを、ひとすくい入れていく。 一言二言話しかけながら、スープを提供している彼女の笑顔は、見ているこちらまで顔が綻ぶようだ。
「街の娘達ですかね。ほら」
ノアが指し示す方向には、手伝いをしている数人の娘の姿が見えた。 あの女の護衛騎士や専属侍女の姿もある。
しかし、当の本人の姿はない。 あの女の居場所を聞いて回るのも癪に障る。
ルカスは給仕をしている、笑顔の可愛らしい女性に近付いていくと、その彼女は動きを止め、身を固くした。 顔つきまで強ばっていた。
「このように寒い中、感謝する」
ルカスが声をかけると、彼女の頬が赤らんだ。 その様子があまりにも可愛らしく、思わず彼の頬も緩む。
踵を返したルカスは、灰色の空にそびえ立つ要塞を仰ぎ見る。 癪に障るが、この要塞は見事だった。 あの女は、どんな技術者をたらしこんでいるのだろう。