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執務室で書類と格闘していたエレンが顔を上げる。 そして、スッと立ち上がり侍女のローザを探し始めた。
ゲオルクに入る主要街道の一つから、エレンに信号が送られてきたのだ。 道標の式が連絡してれた。
上手く説明できないが、脳裏に映像が流し込まれるのだ。 そこには、馬で駆け抜ける黒バラ様一団が映っていた。
使用人の休憩室を覗き、ローザを見つけたエレンは、声をかけた。
「ローザ、黒バラ様が来たみたい」
丁度、休憩時間だったのか、数人の使用人がくつろいでいた。
窓の外は、早くも暗くなり始め、嫌でも冬の訪れを感じる。 その上、冷たい雨が降り始めていた。
そのまま、執事のヴィンセントを探し、ルカス様がこちらに向かっていることを伝える。
始めの頃は警戒心丸出しで、まるで意見を聞かなかった彼だったが、今は、少しだけ信頼してくれているように感じてきた。 ほんの少しだけだが。
式についても、理解したようだった。
※※※
『式』は魔法のような能力の一種で、式札を使用して、意のままに操る事ができる。
持ち主の魔力量に比例して、『式』の能力は変わる。
魔法が主流のこの世界で『式神使い』は、かなり珍しい。
ペルラ家は、代々『式神』を操っていた。 もちろん、普通に魔法も扱える。
エレンは、複数の式を一度に扱えた。 そして、ゲオルクの要所に式を配置していた。
※※※
(こんな時期にどうしたのかしら?)
連絡も無しに、突然に来訪する黒バラ様を不思議に思いながらも、私は、あちらこちらの部屋の暖炉に火をを入れて回っていた。
再び式から連絡が入る。 屋敷の門を通過したらしい。
そろそろ、玄関に向かった方が良さそうだ。 後方に控えている式に、執事への伝言を頼む。
エントランスホールへと続く階段を降りていると、丁度、黒バラ様が濡れたコートを侍女に預けている所だった。
「おかえりなさいませ。旦那様」
「あぁ」
素っ気ない返事しか、もらえなかったが充分だ。 春まで会えないと思っていたのに、こうして会えた。 自然、顔が綻ぶ。
「防衛の為に、必要な私兵を持つ許可が出た。しばらく滞在する」
そう言うと、黒バラ様はタイミング良く姿を見せた執事に、一言二言声をかけ、彼と共にスタスタと歩いていってしまう。私を一度も見ること無く。
後には、居心地が悪そうな、数人の騎士達が取り残されていた。
たぶん、黒バラ様は自身の執務室に向かわれたのだろうから、続きの間にお通しすれば良いだろう。
侍女達がコートを預かるの待ち、部屋へと案内した。
※※※
エレンに『黒バラ様』と呼ばれているルカス・ロデリクス・コーゼル子爵は、半年ぶりに訪れた我が領地の変わり様に驚いていた。
アルセ地区に入ったとたん、景色が一変したのだ。
街道を挟み、荒れ地だった所は植林され、家畜の放牧地になっているようだ。 そして、黄色く色づいた広大な牧草地が遠くまで延びていた。
木々が色づき、黄色い実が、たわわに成っているのも見えた。
ゲオルクに着く頃には、辺りがうっすらと暗くなってきていた。 そして、まだ荒削りだが、街がぐるりと城壁に守られている事に気付いた。 いったい、いつ、誰が、このような指示をだしたのだろうか。
街道は綺麗に整備されていて、建物も増えていた。 住民も増えたのだろう。 暗くて全体が把握できないのが残念だ。
屋敷の回りにも、なにやら手を加える様相で、足場や山積みになった石が見える。
そして、エントランスには『悪女』エレンが、薄ら笑いを浮かべ待ち構えていた。
何の連絡もしていないのに、客人を迎える準備をしていたようだ。
さすが、魔女の申し子と言われるだけある。空恐ろしい。
ロデリクス公爵家から連れてきた使用人達も、彼女を信頼しているのも気分が悪い。 以前はあれ程嫌っていたではないか。
それとなく執事のヴィンセントに尋ねてみるが、「ご自身で調べて下さい」と相手にもしてくれない。
わざわざ彼女に時間を使うのも勿体無く、「どうでもいい」と考え直した。
彼女とは同じ建物の中にいるのだが、居住空間が分かれているので、すれ違う事もないだろう。
このような些末事に気を取られている暇はない。 隣国の襲来に備えて、防衛を整えるように命が下っている。
そんな事を考えながら、ルカス・コーゼル子爵は執務室に続く部屋で、腹心の部下達、オスカー、ノア、カイの三人とコーゼル領の地図を見ながら、話し合いを始めた。