12
ギラギラとした日射しが、青葉を煌めかせジリジリと地面を焦がす。
長椅子を木陰に移動させたエレンは、暑さに溶けたかのように、その上でダラダラと寝そべっていた。
彼女は新しい命を授かっていた。
体調が優れないのも、式が使役しずらいのも、妊娠したせいだとわかった。
愛しい黒バラ様の子供が、私のお腹にいる。 なんと幸せな事だろうか。
『離縁してもいい』と言ってはみたが、撤回させて欲しい。 それには、『ネルはエレンだ』と告げなければならないのだが、どうにも敷居が高い。
そして、そのツケが回ってきたようだ。
厳しい顔つきのヴィンセントが、大股でヅカヅカと私に近づいてくる。
「奥様、まだ打ち明けていなかったのですか!」と、声を張り上げながら。
何時だかも、同じように小言を言われていた。
そんな事を思い出しながら、小難しい顔で私を見下ろす彼を見上げていた。
彼の差し出す指先には、社交シーズンを締めくくる王宮舞踏会の招待状と、もう一通の手紙。 ヴィンセント宛てだった。
「奥様!どうなさるおつもりですか?」
「どうするも、何も………」
そう言いながら、私は少し膨らみ初めた下腹部を撫でる。
「まだ、ドレスは着れるわよ」
「そうではありません! だから、早く同一人物だと打ち明けてくださればっ」
頭を抱えるヴィンセントを見ながら、苦笑いするしかない。
先ほど、ヴィンセントが差し出していた手紙には、『国王にエレン・ペルラとの婚姻の解消を願い出た』とあった。
※※※
ゲオルクの屋敷の者達は、皆が知っていた。
ルカスが『ネル』と愛おしそうに呼ぶ女性は、この屋敷の女主人、エレンだと。
しかし、ルカスだけがその事実を知らない。
この世で、一番毛嫌いしている女性『エレン』が『ネル』だと。
屋敷の者達は、まさか、主が女主人を見間違える事はないだろうと、想像もしていなかった。
「ネル」と呼びながら、エレンの後を追いかけるルカスを、微笑ましく見ていたのだった。
冬のあの要塞での反乱を、二人で収めた事で、仲違いが修復されたと思っていたのだ。
「本当に、どうされるおつもりですかっ!」
ヴィンセントが声を張り上げ、再び同じ質問をエレンに投げ掛ける。 彼女はお腹をさすりながら、その膨らみを愛おしく見つめていた。
「王都でちゃんと伝えるわよ。カイとノアも同行してくれるって言うし………」
流石にいきなり「私は『ネル』そして、この子はあなたの子よ」と言われても、信じてはもらえないだろう。
なので、カイとノアにそれとなくネルとエレンが同一人物だと匂わせてもらってから、打ち明けようと考えた。
「大丈夫よ。上手くいくわ」
そう言って、エレンはヴィンセントに微笑んだ。
※※※
妊娠中は式を使役しづらい。 その為に侍女のローザと護衛騎士のミゲルが私の代わりに式を使役していた。
なので、彼らを王都へ連れて行くのを断念した。
代わりに、ルカスが良く知るロデリクス公爵家から来た侍女を数人連れていく事にした。
彼女達も、私が『ネル』と同一人物だという証言してくれると言う。
しかし、現実はそう簡単にはいかなかった。
王都に用意されたコーゼル邸は、黒バラ様の息のかかった使用人で占められていて、話どころか姿を見ることもできなかった。
連れの侍女達も、ロデリクス公爵の権威を借り、私と黒バラ様との話し合いの場を確保しようと試みたらしいが、タウンハウスの執事は、けんもほろろに突き放したそうだ。
黒バラ様に会えるのは、『王宮舞踏会』その日のみ。 それも、馬車に同乗することもない、宮殿のエントランスで待っている、という。
「ここまで嫌われているのに、私が『ネル』だと知ったら、黒バラ様はどうなってしまうのかしら……」
エレンは急に怖くなった。 どうやっても、喜ぶ黒バラ様が想像できない。 怒り狂う彼ならば、容易く想像できるのだが。
少し重たくなった身体で、自分にあてがわれた中庭を散策してた。 その姿をタウンハウスの使用人に見られているとも気付かずに。
※※※
王宮舞踏会当日、私は言われた通りに宮殿のエントランスに一人でやって来た。
馬車の扉が開かれると、そこには黒バラ様が手を差し出し、待ち構えていた。
その手を取り、あの雪の日を思い出す。 その結果が私の中に芽吹いている。 自然、手がそこに向かう。
久しぶりの宮殿は、相変わらずきらびやかで、豪華なシャンデリアが天井を埋め尽くしていた。
黒バラ様の腕を取り、進む私に降り注ぐ囁き声。 いまだ悪女の噂は付いて回っているのだろうか。
明るい曲調の音楽が奏でられ、舞踏会が始まった。
当たり前のように黒バラ様は、私をリードして踊り始める。 しかし、どことなく機嫌が悪かった。
あの告白をするのなら、今なのだろう。
でも、明らかに不機嫌な黒バラ様に告白する勇気が出なかった。
が、曲の盛り上がりにあわせて、意を決した。
「ルカス様……」
「エレン。聞きたいことがある」
会話が重なった。 ところが、黒バラ様は気にする様子もなく続ける。
「屋敷の者が言っていたが、妊娠しているのか?」
感情の感じられない、その抑揚のない話し方に、ドキリとする。 妊娠の話の前に、私がネルだと伝えるのが先だと慌てた。
「その事なのですが………」
「妊娠しているのかっ!」
まだ、曲目は終わっていなかったが、黒バラ様は私の腕を掴み、引きずるようにしてホールから連れ出した。
そして、手近な部屋に私を押し込んだ。
「これが最後だ。 妊娠しているのか? 誰の子だ?」
黒バラ様は、私を入り口近くの壁に縫い止める。 押さえつけられた腕が、ズキリと痛む。
「―――貴方の子よ」
なぜだか、涙がこぼれてきた。
「嘘だ。君と私は『白い結婚』のはずだ……。嘘は止めてくれ」
喉の奥から声を絞り出すように、彼は唸る。
押さえつけらていた腕に力がこもり、部屋の中央に位置するベッドに、引きずるように連れていかれ、そして、押し倒された。
「痛いっ!離してっ!」
覆い被さるようにして、私を見下ろす彼の瞳は深い闇夜のようであり、少し濡れているようにも見えた。
「誰だ? 誰の子だ?」
かすれた声で問いただす彼に、怒りが湧いてきた。なぜ、彼が辛そうなのだろうか。
「そういう貴方はどうなのですか? どなたと不貞を働いたのですか?」
彼の眉がピクリと動いた。
「ヴィンセントに、私の侍女と婚姻したいと伝えたそうですね」
押さえつけられていた腕の力が弱まった。 私は彼を撥ね飛ばして起き上がり、彼と対峙する。
「私の事はいい。君の話が聞きたい」
「いいえ! 貴方は私と離縁したいのですよね? 」
「ツンとすましてばかりのつまらない女よりも、コロコロと明るく笑うネルに惹かれた! それだけだっ!」
半ば、投げやりな告白をした彼は、次はお前の番だと言うように、私に睨みを利かせてきた。
「残念だけど、ネルはいないわ」
「ハッ」とバカにしたように笑った彼は「そういう君だって、ミゲルとどうなんだ?」と問うてきた。
―――驚いた。 急に何を言い出すのだろう。 ミゲルを……私の騎士を、そんな風に見ていただなんて。
「もういい。 屋敷に戻って荷造りでもするんだな」
唖然とする私を見下したように、彼は口元を歪ませて、せせら笑っている。
悔しさで涙が溢れてくるが、必死に平静を取り繕い、床に転がる靴を履いた。
「そうそう、私の『ネル』にひどい事をするんじゃないぞ」
彼は追い討ちを掛けるように、私の背中に侮辱の言葉を投げつけてきた。
本当は、こんな風に打ち明けたくなかった。もっと、ちゃんと話合って、仲を修復したかった。 が、仕方がない。
扉に手を掛けていた私は、キッと彼を睨み言い放つ。
「あなたの大好きな『ネル』は、あなたが一番憎らしく思っている女、この私よっ!」
「まだ、言うのか!」
ルカスは飛ぶような勢いで、私に近寄り肩に手を掛けた。 振りほどこうとする私と揉み合いになり、拍子にドレスの襟元が破れ、肩口が覗いた。
そこに覗いた刀傷に、彼の視線が釘付けになる。
「まさか………本当に!?」
「えぇ、そうよ。私が『ネル』よ。これは、貴方が処置してくれたあの傷よっ!」
私は叫ぶように、そう答えると、逃げるようにして、部屋を飛び出した。




