第八話 西半球
「えーと、じゃあ、取り敢えずは教えてもらったことをまとめてみるからちょっと待ってて貰っていい?」
「わかった」
了承を貰えたのを確認した後、快太はここ一時間ほどの会話の要約に思考を向け始めた。
霧奈に出会いこの部屋に連れ戻されてから既にかなりの時間が経ったようで、最初は薄暗かったはずの外は最早大分明るんできている。
彼女の表情には心なしか疲労が滲んでいるように見える。出来る限り一度で理解出来るよう努力したつもりではあるのだが、それでもなお何度も何度も聞き直してしまったのは確かなので、少し申し訳なくなってくる。
「……よし。じゃあ話し始めるよ?」
快太はそう前置くと、軽く息を吸って口を開いた。
「今俺がいる場所は光の壁の内側である西半球。かつて西半球は光の壁が現れた瞬間に数々の異世界と接続し、その結果西半球の人類文明の殆どが滅んだ。いずれ異世界との接続は切れたが、流れ込んできた異世界の生物や物質などの諸々の中には西半球に取り残されてしまったものもある。俺達が襲われた化け物みたいなのはその最たる例だと言える……これで大体あってる?」
霧奈が頷いた。
「いや……うーん」
快太は腕を組んで唸った。
蓑虫や蟻塚を筆頭とした日本ではあり得ない事柄の説明として、霧奈の説明は理にかなってはいる。自分が脈打つ植物について「進化の始まりからして別の植物のようだ」と感じた理由も、霧奈の発言に基づけば『それが本来異世界の植物だから』ということになるのだろう。
だが、いくら物事の説明がつくといってもそれだけで完全に信じるのは難しい。そもそも東半球で生きてきた自分には西半球の知識なんて微塵も無いのだ。真実と筋が通っているだけの出鱈目の区別をつけられない以上、西半球に関する他者の発言への疑いの目を捨てきれないのはある程度仕方がないように思う。
加えて、西半球は立ち入れない場所であるという先入観も問題になる。生まれた時には既に光の壁があった自分にとって、西半球に自らがいる、というのはどうしても想像つかない。
「……」
今まで長々と述べてきたのが常識的な理屈と感性における話だ。
実際の自分に関して言えば、事情は大きく変わってくる。
「いや、信じるよ」
「え?」
霧奈は驚いていた。
まあ、「しつこい」と断罪されても仕方のないほどに繰り返し質問をしてきた相手が最後には比較的簡単に認めたとなると、それも当然といえば当然か。
「そもそも言っている内容がわからなくて色々聞き返しちゃったけど……そもそも命の恩人だし、何より善希のことも連れ帰ってくれたんだから、理解さえ出来れば疑う訳ない」
命の恩人という言葉はどこか浮世離れしているように感じられて、口にするのは快太にとって少し恥ずかしかった。
「ショックじゃないの?」
霧奈が聞いてきた。
「言われてみれば……」
快太は自らが全くの平静であることに気がついた。他人事のような言い方になってしまうが、『自分は今西半球にいる』と受け入れた場合、通常ならばなんらかの形で絶望して当たり前のような気がする。
しかし実際の自分はどうだろう。先行きに多少の不安はあるにしろ、特段心が打ちのめされるような感覚はない。
「……目標は変わらないからかな」
理由として思い当たったのはそれだった。
自分がいる場所がどこであろうと、『善希と共に日本へ帰る』という目的は変わらない。障害が増えたために諦めるというのは絶対にありえない。
「まあ、とにかく大丈夫だよ。マジで問題ない」
「ならいいけれど」
口ではそう言いつつも、依然霧奈の表情や言葉の端々にはこちらを慮るような気配が感じられる。心配性なのかとも思ったが、子供の訴えを聞いて自分を助けてくれたことを思うと、単に心根がとても優しい人であるのかもしれない。
そこまで考え終えると同時に、快太の頭にとある二つの疑問が浮かんだ。
聞くべきどうか、正直悩む。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とは言うものの、流石に今更感が否めない内容だからだ。
「どうしたの?」
霧奈の問いかけにより、快太は我に返った。判断に迷っている雰囲気が伝わってしまったらしい。
まあ、ならばむしろ話は早い。場の流れに乗じて疑問を解決してしまおう。
「すごく遅い感じのする質問なんだけどさ……」
快太はそう前置いてから脳内に留まっている二つの疑問を口にした。
「貴方って日本人だよね? あとそれとは関係ないんだけどあの子供って結局どうなったんだっけ?」
「今更……?」
霧奈が本日二回目の唖然とした顔を見せた。品のある整った顔立ちをした彼女がする驚きや呆れの表情は、なんとなく可憐さを感じさせる。
「まあ、教えるのは構わないけど」
少し間を空けて霧奈がそう言った。
先程感じたことと連なって、淡白な口調に反してなんだかんだ割と親切な人だと思いつつあったところだが、その感覚は正しかったようだ。
「まず、わたしは日本人よ。名前もそうでしょ? まあキミもそこから考えたんだろうけど。で、あの子供は……」
突然彼女の表情がばつの悪そうなものへ変化した。
「子供は……?」
一体どうしたのか。快太は不思議だった。
足の怪我を除き子供が無事であったことを教えてくれたのは彼女だ。それはまさか嘘ではなかろうから、口籠る理由は全く謎だ。
「その……どこにいるかわからないの」
「え?」
「いや、でも死んでいるとかはないはずだからね? 怪我も治したし、その時持ってた食料も渡した……というか盗まれたんだけど、とにかく飢え死にしていることはないわ」
「ちょっと?」
快太は思わず待ったをかけた。予想もしていなかった物騒で剣呑な言葉が聞こえてきたためだ。
「言葉のまま、と言えばそうなのかもしれないし、他にも話すべきことはあるんだろうけど……もう少し詳しく聞いても?」
「……一瞬でも外に出ればある程度わかると思う」
霧奈はそう言うと立ち上がり、部屋の扉へと歩いた。更にはそれを開けて廊下に出て行く。
彼女の足取りはどことなく重いように見える。外に出たくない理由でもあるのだろうか。
「……?」
訳もわからないまま、快太もパーカーを羽織ってから後に続いた。階段を降りて一階へ向かう。ちなみに、先程までも用いていた、昨晩快太が寝泊まりした部屋は二階の角部屋である。
ひたすらに通路を歩き出口らしき大扉の前まで来たところで、霧奈が足を止めた。
「一応わたしが気をつけておくけど……キミも注意はしておいて」
まるでこれから危険な場所へ赴くかのような物言いだ。
屋上での一件の際は正直余裕が無かったため、未だ自分はこの宿の外の光景を知らない。しかし、夜の間にも特に騒音等を感じなかった以上、少なくともいわゆる世紀末というほどに治安が悪い街ではないはずだ。外に出た瞬間に死の危険が迫ってくるなんてことは予想し難い。
霧奈の言葉に対し神妙な顔で頷きつつも、快太の内心における認識はそんなものであった。
「じゃあ、開けるわよ」
霧奈が扉を引いた。
そして次の瞬間、快太は先程の認識が全く舐め腐っていたと嫌というほどに自覚させられた。
何かが顔を目掛けて飛んできたのだ。最初は極めて小さな点に過ぎなかったそれが近づく度に巨大化し、鋭利な先端を明らかにする。
矢だと気づいた時には既に遅く、快太に頭を貫かれる以外の未来は残されていないように思えた。
だが、そうはならなかった。
突如矢が二つに分かれて地面に落ちたのだ。直後金属音が小さく響いた方向に視線をやると、霧奈の刀を鞘に納めている姿が目に入った。
何もかも見えなかったが、助けてもらったことだけは確かだ。礼の言葉を述べるために快太は口を開いた。
「……ありがとう?」
微妙に尻上がりな、疑問符を連想する喋り方になってしまったのは驚嘆と畏怖を混ぜ込んだ、一言にまとめるならば『ドン引き』となるであろう感情を隠し切れなかったためである。