第六話 親友
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目を、開けた。ここは何処だろうか。
不本意な言い方だが、順当にいけば自分は死んだはずだ。
ならば今自分がいる場所は、もしかしたら。
「……地──」
「天国じゃないから」
「あ、そう……誰です?」
会話の相手に思わず質問をぶつけると同時に、快太は様々な諸々に対して我に帰った。
ここはどこだ。目の前の女性は誰だ。自分は何で生きているんだ。
「ちょっと待ってて」
それだけ告げると、彼女は部屋から出て行った。
一人残された快太は、とりあえず布団の上で上半身だけ起き上がり、現在の自分の状況を出来る限り推測してみることにした。
ここはどうも木造の建物の内部のようだ。
部屋の三隅から微かに聞こえる隙間風の音から察するに、この部屋は建物の中では角に位置しているのかもしれない。
続けて、扉のすぐそばに何か上着のような服が掛けてあるのが目に入った。
よく見てみれば、元々自分が着ていた紺色のパーカーだ。蟻塚に蹂躙された際に開いた穴などが補修されている。
さて、今度はもう少し狭く、自分と極めて近いところ、身体の状態や寝かされていたベッド、着ている服に思考を向けてみよう。
まずは身体の状態だ。かなり酷い、そう簡単には治らない怪我だったと思うが、左手の真ん中にまるでそこから指が生えたような赤い線がある以外は全身大方完璧に治療されている。治してくれたことが非常にありがたいのは大前提とした上で、高級かつ貴重な医療器具を使わせてしまったのではと少し不安になってしまう。
次にベッドだ。長く丁寧に使われていることがよくわかる。真っ白とはいかないが目立った汚れはなく、寝心地も良い。
最後に服だ。元々着ていたものは汚れの面から脱がされたのだろう、薄い青色の服に着替えさせられている。洋服屋で購入したものに比べると単純な作りに見える。手作りだろうか。あとは……待て、下の方はどうなっている?
快太は慌てて掛けられていた布団を捲り、下半身を確かめた。
怪我を治してもらったのはほぼ確実である以上、仮に着替えさせられていたとしても文句を言うつもりも権利もないのだが、一応、脱がされたのかどうかだけは知っておきたい。
結論から言えば、ズボンは寝た時に着ていた服、つまり黒いジャージ生地の長ズボンのままだった。
安心したのも束の間、快太はすぐに顔を顰めることになった。自分のズボンについた泥がベッドに汚れをつけてしまっていることに気がついたのだ。
怪我を治してもらった挙句、これだけ綺麗に使われていたベッドに汚れをつけてしまったのが申し訳ない。
なんとか落とすことは出来ないかと爪で優しく擦っていると、突然話しかけられた。
「気にしないで。どのみちぼったくられてるから」
声の主に顔を向けると、そこに居たのは先程の女性だった。、当然といえば当然だ。
「初めまして。わたしは霧奈碧。キミは?」
「四谷快太……です?」
この疑問符は別に自らの名前に確信が持てなくなったがためのものではない。
単に、目の前の女性が学生服を着用していたため、敬語を使うべきか迷ってしまったのだ。まあ、おそらくは命の恩人であることを思えば迷うようなことでもなかったかもしれない。
「聞きたいことは色々あるだろうど……まずはキミがどうして今の状況に至ったかを説明させて」
彼女、霧奈碧はまずそう言った。
霧奈の風貌において最も強く目を引くのは、なんといっても腰のベルトに固定されている刀だろう。装飾は一切為されていないにも関わらず、不思議と荘厳な雰囲気を放っており、銘のある高価なものなのではと思わせてくる。
また、彼女の整った容姿も同等に人の注目を集めておかしくない。目鼻立ちはもちろんとして、個人的には藍色を主とした中に桃色や銀色の雰囲気が含まれている髪色が特に綺麗だと感じる。
そんなことを考えているうちに、快太は彼女がスラックスを身につけていることに気がついた。別に『女性だからスカートを』なんて思想は持ち合わせていないが、ただ物珍しい。
「まあ、そんなに複雑な経緯があるわけでもないのだけれど」
そう前置いてから霧奈は話し出した。
「キミが助けたらしい子供がいたでしょ? あの子がわたしのところに来て森の方を指差したのよ。本当に必死な様子だから流石に気になって……行ってみたらキミが死にかけてた」
「じゃあ、あの子は無事?」
「足は怪我していたけれど、それ以外は」
「……そっか」
とてつもなく、嬉しかった。結果から逆算した感情に過ぎないのは理解している。霧奈が助けてくれたのは偶然に過ぎないのも理解している。
しかし、それでも、子供も自分も命を落とさなかったというのは“善”を完遂出来たようで嬉しかった。
「……」
快太はそこで深く息を吐いた。物事を非常時に一度受け入れることと、柔らかい布団の上で目覚めてから飲み込むことでは必要な覚悟の種類が違うのだと、強く感じていた。
「あの、さ……俺が倒れていたところから少し離れて、誰か……倒れていなかった?」
とっくのとうにわかりきっている現実についても尚、用いたくない言葉があった。
すぐにそれはある意味卑劣な行為だと気づく。
「一人、いた。でも……」
彼女が言い淀んだ先に待ち受ける言葉が何かなど、考えるまでもない。
「いや、ごめん。大丈夫。わかっていだんだけど……言いたくなくて」
「……彼は地下よ。これが鍵。あんまり身体にいい場所ではないらしいから、程々にね」
彼女がこちらへ差し出した手の中身は鍵だった。金属製の輪によってそれと繋げられた付札には、“安置所 一番”と記されている。具体的に何を安置する場所なのかは書かれていない。ただ、その番号からは命の温かみを感じなかった。
「ありがとう」
快太は鍵を掌へ刺さるかというほどに握り締めると、ベッドから出て扉へと歩いた。
視界は明瞭で思考も冴えている。足取りだけがひたすらに重たい。目にさえしなければ、現実を改変する余地はあるのではないかと、シュレディンガーの猫をあまりにも都合良く解釈したような考えが脳内を循環している。
途中で、霧奈に対して何かもう一言くらい口にしてから来るべきだったかもしれないと、ふと思った。簡単なことが抜け落ちてしまうあたり、やはり今の自分は、冷静ではあっても平静ではないのだろう。
そんな思考の最中、気づけば階段を下り終え、どこか重苦しい雰囲気を纏った扉の前に立っていた。
霧奈に渡された鍵を一つだけ空いていた穴へ差し込み、回す。
軽い抵抗の後、解錠の際に鳴り響く独特の音を立てて扉が開いた。
「……」
繰り返し言う。わかっていたことだ。“安置所”という言葉の響きなんぞを考えずとも、善希の死は自分で目にした確かな事実だ。
喉が動かない。口の中には唾が溜まっていく気持ち悪さがあるというのに、何も飲み込みたくはなかった。
その部屋に置かれていたのは十の台座だった。左側の五つ、右側の奥から数えて四つは普通の状態であり、上に敷かれた白い布も真っ平になっている。
だが、入ってすぐのところにある台座だけは違った。そこだけは、白い布が小さな山を成していた。まるで、“何か忌避されるもの”を覆い隠すように。
「……」
無言で慎重に布を捲る。今しがたまでの感情が嘘のように、意外にも躊躇いは無かった。
「……ありがとう」
一言告げて、布を掛け直し部屋を出た。
扉を閉めてから挿し放してあった鍵を来た時とは逆に回す。鳴る音は同じだ。
鍵を抜いて振り返ると、そこには霧奈が立っていた。
「ごめん、多分色々お世話になっていて、その、お金とかも、絶対後で返すよ。……ちょっと一回外に出てもいいかな?」
「……屋上が開放されてるわ」
彼女が指を立てて言った。
鍵を渡してから、今度は階段を上り、突き当たりの扉を開けた。妙に湿った風が正面から身体を撫でる。
設置されていたベンチに腰掛けてから、霧奈はもしかすると心配してくれていたのでは、と思い当たった。だとすると先程の物言いは少し失礼だったかもしれない。
深く、深く、身体を巡る酸素全てを入れ替えるような勢いで息を吐き出す。善希のことを思い出す。
嗚咽は無かった。息遣いも静かなものだった。だが、ふと意識した時には既に頬は濡れていた。
「……」
どれほどの時間が経ったかもわからない。ただ、なんと無く気配を感じて顔を上げた。
霧奈だ。微妙なという意味合いではなく真に言い表し難い、しかしこちらを慮ってくれていることは確かな、そんな表情をしている。
「……友達だったの?」
「うん」
彼女の言葉に対する自分の相槌は、驚くほどに子供染みていた。
「少し、話を聞いてもらってもいい? 今日会ったばっかで申し訳ないんだけれど」
「……」
彼女は頷いたのを確認してから、快太は話し出した。
「……別にさ、俺達は仲が良かったけど、お互いがお互いの全てだったってわけじゃないんだ。二人とも他の友達も結構いたし、俺もあいつも相手の爆笑した時の顔ってのはあんまり見たことがないんじゃないかな」
記憶を探っても、二人だけの会話の中でどちらかが満面の笑みになっている状況には心当たりがない。
「でも、お互い予定が無い日はいつも一緒にいた」
何もない日ほど連んでいた。
「例えばさ、どっちかがどっちかにお金を払う状況になったとして、俺達はお互い自分が受け取る側だったら十数円少なくても気にしないと思う。だけど、渡す側は必ず一円単位で多くもなく少なくもなくキッチリ返したりしてて、まあ、むしろだからこそなのかも……ごめん、この話は訳わからないよね」
快太は苦笑した。話の内容があまりにも散乱としている。気持ちの整理のために思ったことを口にしているだけとはいえ、聞き手がいるからにはもう少しまとめるべきか。
「要するに、もっと下らない話で言えば、笑える暴言とか、笑える下ネタとかそういうもののラインが全く同じで……一緒にいるとすごく楽だった」
そこでようやく気がついた。
「親友だったんだ」
後悔は最後の瞬間に交わした言葉がまるで特別なものでなく、結局は一度たりとも“親友”だと明言出来なかったことに集約していた。
自分の哀泣にはいつの間にか嗚咽が混じっていた。