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第一話 登壇

二話と三話、四話はそれぞれ15時、17時、20時に投稿します

 東半球と西半球。

 世界、つまり地球を二つに分けろと言われたら、大抵の人はそう答えるだろう。

 とはいえこれは人類の歴史の中においてはつい最近出来た風潮らしい。

 七十年ほど遡った、いわゆる前時代の頃の人々は、どちらかといえば北半球、南半球と分けることが多かったとのことだ。

 かつての世界における南北の境界線は赤道なる目に見えない円周線であったらしく、まあ、その成り立ちを聞いた時は成る程と思いもしたのだが、結局のところ今の時代を生きる自分にしてみれば、昔の人は地球を二つに分けるだけのことに随分苦労したのだなあと思わずにはいられない。

 だってそうじゃないか。 

 目に見えぬ線なんぞに頼る必要はない。

 現在の地球は、目に見える光の壁によって東西に分かたれているのだから。



 そこまで読んだところで、彼、四谷快太は手に持っていた本を閉じた。

 本屋の店員が掛けてくれたブックカバーを外し、表紙買いの原因となったその小説本来の姿をじっくりと見つめてみる。

 普段ならば間違っても絶対に買わないような歴史小説だ。まだ序盤も序盤であり、現状それは高校生の自分ですら学校で習っている今の世界についての知識を用いた、半ば作者の前書きのような内容でしかないのだが、案外面白い。

 続きは家に帰ってからゆっくり読むこととしよう、などと考えたところで、快太は今晩の予定が既に埋まっていたのを思い出した。友人の遠村善希が泊まりにくるのだ。

 高校生にもなって男二人でいわゆる“お泊まり会”を設けるのは冷静になってみると少々気色悪いようにも感じるが、まあ、それでも楽しみな気持ちは偽れない。

 事情は違えどお互い親のいない身だ。今晩の予定はある意味ではそんな環境の特権とも言えるやもしれない。

 折角だから次の角を曲がった先にある馴染みの商店で菓子や酒を買って帰ろう。これもまた特権だ。

 数歩の進みの後、快太がその角を曲がった、その時だった。


「……あ」


 彼の視界に、手鏡を見ながら歩いている女子学生と、彼女に向かっていく高速のトラックが映り込んだ。

 それとほぼ同時に、彼は荷物を置き捨て走り出していた。

 速度を一切緩めることなく女子学生を抱きしめ、自らが彼女の緩衝材となるような姿勢で反対側の歩道へと飛び込む。

 三歩半ほどの距離を勢いのまま地面に擦られたところで、快太と彼に依然抱きしめられたままの女子学生は停止した。

 直後、女学生が居た場所をトラックが通り過ぎたのが音でわかった。

 本当に危なかった。あと瞬き一回ほど遅れただけでも、彼女は無事で済まなかっただろう。


「……大丈夫ですか?」


 呆気に取られた表情のまま動かない女子学生に、快太は下から声を掛ける。

 次の瞬間、彼女はわっと泣き出した。 

 自身に命の危機が降りかかっていたと知ったことによる恐怖を追い出すためのものだろうか。凄まじい大声である。

 大学生だか高校生だか知らないが、いずれにしてもこんな音量で泣くのはあまりその年齢に似つかわしくないとも思う。

 その感想を確固たるものにしたいかのようなタイミングで、彼女の泣き声は更に大きくなった。

 彼女の号泣による揺れが、未だ下敷きになったままの快太にも伝わってきた。

 おそらくは出来てしまっている背中の傷が、その揺れで服と擦れ不快かつ強烈な痛みを生む。

 服が冷たい。血で濡れたためだろうか。だとしたら結構な出血だ。

 そこまで思い至り、快太は思わず顔を顰めた。制服の買い替えや怪我の治療には当然ながら金がかかる。急かつ中々の出費だ。考えたくもない。

 女子学生は未だに、泣き続けている。

 泣くのは仕方のないことだ。誰だって、怖い思いは嫌なのだから。

 そう、本当に仕方のないことなのだとわかっているはずなのに。


 『痛い思いをしたのは俺一人じゃないか』


 そんな声が、頭の中で低く響いた。

 頭蓋の内側を乱反射すらし始めたようにすら思えるその声を追い出すために、快太は軽く頭を振り、空を見上げた。

 時間としては見えてもおかしくないはずの夕焼けがまるで見えない。目に映るのは遠くの空の雲ばかり。明日は雨が降りそうだ。

 快太は痛みに耐えつつ立ち上がり、深くため息を吐いた。


「大丈夫か?」


 突如、背後からそんな言葉を掛けられた。ほぼ毎日聞いている声だ。


「あれ、いつの間に?」

「『いつの間に?』じゃねぇよ」


 声の主の正体は遠村善希である。息切れをしているところから考えるに、何処かからこちらを見つけて走ってきたのかもしれない。

 

「あそこの歩道橋の上通ってて、なんか人が少しずつ集まってるなって思ったら中心にお前がいるんだもんよ。まあ、最初はまたいつもみたいなことしたのかくらいの感じだったのによく見たらワイシャツに血がついててビビるわそんなん」


 善希は息切れの合間を縫ってそう捲し立てると、少し呼吸を整えた上で再び話し出した。


「で、どうするよ? このままだと警察……はわかんねぇけど救急車は確実に来るぜ?」

「嫌だなぁ」

「まあ、だよな。ちょっと我慢しろよ」

「あー、この先にある酒屋寄ってもらっていい?」

「いや、取り敢えずは送り返すわ。どうせ泊まりなんだからそれは後でもいいだろ」


 酒の購入は個人的に中々洒落た思いつきのつもりであったので、その勢いのままに酒屋へ行けないのは正直悔しいが、善希の言うことも最もだ。

 快太が“渋々”の気持ちを敢えて隠さずに頷くと、善希は揶揄うように乾いた笑いを上げて快太を肩に担いだ。彼が用いたのはなんと片腕の力のみである。

 

「相変わらずの馬鹿力だね」

「出来たら運ぶのは女子が良いんだけどな」

「代わりとしては申し分ないでしょ?」

「調子に乗んな」


 取り止めのない会話に笑い合いながら、二人は快太の家へと向かった。

 


 夜になり、夕食や風呂、洗濯といった家事を済ませた快太は、いつも通り母の仏壇の前に座り、手を合わせていた。

 母が死んでから既に年単位の時間が経っている。

 当時、自分はどうしたらいいかわからなかった。

 幼い頃に出て行ったと聞く顔も知らない父親の連絡先など当然同じく知るはずがない。

 天涯孤独だと思った。まともな生活は不可能だろうと思った。というよりそもそも諦めており、人に当たり散らすようなこともしばしばあった。

 しかし、自分は今もこうしてある程度幸せに生活出来ており、それはきっと周りにいてくれた人たちのおかげだ。かくいう善希もその一人である。本当に心の底から感謝している。

 目を開け、線香を香炉に建てた後、快太は手で風を送り蝋燭の火を消した。

 それとほぼ同時に、玄関の扉が開く。


「色々買ってきたから食おうぜ」


 言うまでもなく善希だ。その両手にぶら下がっているビニール袋の中身は、これまた言うまでもなく酒や各種菓子だろう。


「この時間あの酒屋空いてるの?」

「いや、開いてなかった。しゃあねぇからコンビニで買ってきたんだよ」

「年齢確認は?」

「うっかり押し間違えたんだよ」

「……まあ、そりゃそうか」

「おうそりゃそうだよ。……あ、一円玉出来たから今のうちに返してもいいか」

「ああ忘れてた。別にいいのに」

「そうもいかないだろ」


 袋の一つを受け取るために向かった玄関で、快太は善希から袋と共に一円を受け取った。

 いつのまにか定着した約束ごとのようなものだ。双方共あまり贅沢を出来る経済状況ではないので、こういった機会においても出前などは取らず、食事は“泊める側”が作っているのだが、その際、“泊まる側”は“泊める側”に対して“一人分の材料費と百円ほどの手間賃”を支払うことになっているのである。

 今の一円玉は夕食時、元の善希の持ち合わせでは丁度は払えなかった分だろう。映画を見ながらであったので記憶が曖昧だ。


「よしゲームやろうぜ」

「先にお酒とかの金額教えてよ」

「あ、そうか。今レシート出すからちょっと待ってくれ……てかさっきの一円別に今でも良かったな」

「まあ確かに。じゃあ俺はコントローラー探しとくよ」


 テレビ台の引き出しを開けつつ、快太は時計を見上げた。深夜と夜の狭間といったところだろうか。

 視界の端に映る窓から、夜空を揺らぐ洗濯物が見える。明日の朝、自分が起きられる気はしない。寝る前に取り込もう。

 そんな思考と共にカーテンを閉めた。


 

 意識を取り戻すと同時に、時計を確認するまでもなく、自らが糸が切れるように眠りへと落ちたことを快太は察した。

 部屋の中を見回すと机の上には空き缶が並んでおり、机の下では善希が眠っている。その手には雑巾が握られている。もしかすると掃除をしてくれていたのかもしれない。


「……うん?」


 手慰みにゴミをまとめているうちにふと気づいた。なんだか、うるさい。

 マラカスを降らずに傾けたような音、それが絶え間なく鳴っている。

 一体何の音なのだろうか。よくよく聞いてみると、なんとなく水を連想しないでも──


「──雨!」 


 これは雨音だ。

 その気づきは未だ僅かに鈍っていた思考を完全に醒ますのに十分だった。

 最悪だ。快太は天を仰いだ。

 外に干してある洗濯物がどうなったのかは想像に難くない。

 面倒で仕方がない。こんな深夜に急発生した雑務ほど面倒なものはない。嘆きたくもなる。

 明日も学校がある以上、叶うことならば何も気づかなかったことにしてこのまま眠ってしまいたいところではあるが……そうも行かないのが物悲しい。


「……よし」


 快太は気持ちを入れ替えようと自らに喝を入れた。

 ただうんざりしていても洗濯物は乾かないのだ。

 さっさと洗濯物を浴室乾燥にでもかけて出来るでも早く寝なおそう。

 快太はようやく完全に身体を起こして軽く伸びをした後、カーテンの隙間から外を覗こうとした。

 出来なかった。

 雨の滴が、窓硝子の一面に張り付いていたためである。

 まあ、そもそもは雨の強さを知るために外を覗こうとしたのだから、窓から外が見えないほどの雨だとわかっただけでも収穫としては十分だ。 

 今の状態のまま外に出ては寝巻きが水浸しになってしまうだろう。

 何か羽織るものはないかと、快太は部屋を出て廊下の上に視線を滑らせた。


「……」


 季節の変わり目ということもあり、いや、それにしても我が事ながらだらしないとは思うのだが、あちらこちらに上着が散らばっている。見なかったふりをしたい物事が更に増えてしまった。


「……よし!」


 さて、洗濯物に意識を戻そう。

 とにかく今は羽織れるものならばなんだっていいのだ。

 快太は最も近くに落ちていた紺色のパーカーを身につけ、ベランダに出た。

 音からわかっていたことではあるが、凄まじい雨である。

 いつから降っているのかは知らないが、少なくとも洗濯物は目で見てわかるほどに濡れ切っている。灰色の服などは最早真っ黒な状態だ。

 この雨の中作業をしなければならないというのは、中々こちらを憂鬱な気分にしてくれる。

 とりあえずはバスタオルから浴室に移していこう。

 快太はありったけのバスタオルを引っ掴み、浴室へ向かおうと廊下の真ん中あたりに設置されている扉を開けた。

 古い家ということもあり、軋んだ高音が廊下に響く。


「……ん? うわっすげぇ雨」


 続けて響いたのは善希の声だった。どうやら起こしてしまったようだ。少し申し訳ないが、この際だから手伝ってもらおう。


「洗濯物取り込んでくれない?」

「任せろ」


 善希の快諾は二つ返事であり、すぐに水溜りを踏み締める音が耳に届いた。早速ベランダに出てくれたのだろう。

 感謝しつつ、この後も何回か往復するのは絶対であろう目の前の扉が閉まらないように、床との間に落ちていたボロ布を噛ませる。

 その作業の途中で、快太はボロ布の正体が今日着ていた制服だと気がついた。

 女子学生の一件の後、家で脱いで確かめてみたらば、やはり予想通り背中に大穴が空いていた制服だ。

 補修でどうにかなる範囲を超えているとわかった瞬間、苛立ちを覚えて放り投げたのだったか。その時の善希のなんとも言い難い視線が印象に残っている。後で捨てよう。

 そんなことを考えながら快太は一度床に置いたバスタオルを再び持ち上げた後、廊下を通り抜け、浴室の扉がある洗面所に足を踏み入れた。


「……なんだコレ」


 乾燥機能を立ち上げてから浴室の扉を開けようとしたところで、快太は足元に落ちているピンポン玉ほどの大きさの“何か”の存在に気がついた。

 それは不思議な質感をしており、どことなく気味が悪い。指で持ち上げるだけならばともかく、掌に乗せるのは少し躊躇われる。

 

「なあコレどうしたらいい?」


 快太が“何か”に気を取られているうちに、善希も洗面所へやってきた。腕肩背中を余すところなく使って洗濯物を運んできたため、顔が隠れている。見たところ残っていた洗濯物を全て一度に回収したようだ。ありがたい。


「浴室乾燥にかけるから取り敢えず床に置いて良いよ。手伝ってくれてありがとう」

「まあ客だからコレくらいはな」

「いや、ありがたいよ。……ところでコレ貴方の?」

「ん? なんだソレ? ちょっと見せてくれよ」

「はい」


 快太は“何か”を差し出された善希の手に向けて落とした。口ぶりからして彼の所有物でもなさそうだが、まあ、見せれば何に使うものなのか程度はわかるかもしれない。


「……え?」


 次の瞬間、何の前触れも無く視界が光で包まれた。ものを考える暇は与えられず、間抜けな声をあげるのが精一杯だった。

 数分経過し、ようやく視界が明瞭になってきた頃、快太はただ唖然として立ち尽くしていた。

 理解出来なかったのだ。

 目の前に広がっている現実とは思えないほどに雄大な森林を。

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