私の好きな騎士様はご当主様に夢中なので、私のことなんて眼中にない。どうしたらいい?
大きな屋敷の中、ラフな格好で闊歩する騎士はどこに居ても目に付いた。
緩めのシャツとパンツに身を包む姿は、腰に剣が無ければ、使用人のように見えるほど。
だが、彼はれっきとした騎士であり、それも飛び抜けた強さを意味する上位騎士の称号を持つ。この国にその称号を持つ人間は十にも満たない。
そんな彼がきょろきょろと辺りを見回していた。
コリンナは、またかと思いながら、そっと近づく。
「フランツ様、どうかなさいまして? 探しものですか?」
「ああ、嬢ちゃん。いや、なに、ロイモンド様をお見かけしなかったか?」
予想通りの答えに、コリンナは表情一つ変えずメイド服を揺らした。
「ロイモンド様でしたら、先ほど薬草を見にお出掛けになられましたよ」
「なんだと! またロイモンド様お一人で!? 私を連れずにか!?」
ロイモンドとはこの屋敷、辺境伯家の当主その人である。彼はロイモンド愛に生きている──それは、屋敷中の誰もが知る事実だ。
「いえ、今回はカーティス様もご一緒です」
「なんだと! カーティスが!? あいつばかり気にかけてもらえるとは全く許せん!」
そう憤慨し、ロイモンドと共に出かけたカーティスへと文句を零したが、コリンナは全く動揺しなかった。
「カーティス様は次期当主になられる方ですので、知らなければならないことも多いのでしょう。近頃はより張り切っておられるようですし」
騎士の相手をするよりもそりゃあ息子の後継者教育に力を入れたいだろう、と思うのだ。
「……嬢ちゃん、顔に出てるぞ。私が、カーティスに負けてるとでも?」
「いえ、申し訳ございません。決してそのようなことは。ただ、ロイモンド様も纏わりつくフランツ様から離れたくなったのかもしれませんし」
「そんなわけあるわけないだろう」
真顔のフランツに呆れ果てた。
この妄信さに、この信頼感。
「…………私では勝てそうにない、ですね」
「ん? 当たり前だ。嬢ちゃんに勝てるわけがない! ロイモンド様を一番にお慕いしているのはこの私だからな」
小さい声をわざわざ拾ったフランツは、胸を張ってそう言った。
◇◇◇
コリンナがメイドとして、辺境伯家にやってきたのは十歳のこと。
メイドとして働きつつ、幼いカーティスの話し相手となれる人材として雇われたのだ。
両親は大層喜んだ。国境に面する辺境伯領において、一番の働き先だったからだ。
が、ここにきて、事情が少々変わってきた。
「家からの手紙?」
「そうなんですよ。カーティス様はいいですよね、もう婚約者もいらっしゃる身ですし。後継者教育も順調のようですし」
「手紙、なんだって?」
「ほら、そろそろ結婚が、とか婚期を逃してしまう、だとかそういう類のものですよ、相変わらずね」
コリンナのぼやきにカーティスはああ、と納得したようだった。
結婚する気持ちがあるのなら、そろそろ相手を見つけなければならない年頃だ。
「でもコリンナはフランツのこと、好きだろう?」
「まあ、そうなんですけど。でも向こうは相変わらずロイモンド様一筋ですし。……おそらく恋愛事にも困ってないんでしょう」
辺境伯当主の片腕で、上位騎士。精悍な顔つきで鍛えているから体躯も良い。堅苦しい格好を好まないところも、領民たちには受けがいいと聞いている。
きっと言い寄られることも少なくはないはずで、いつ良い相手が現れてもおかしくない。もちろん、相手の女性がロイモンド至上に目を瞑れるのであれば、だが。
そもそもロイモンドがいれば他には何もいらないと思っている可能性すらある。女性に興味があるならまだ良い方だと思うべきだろうか。
「うーん、まあね。フランツの父上への執着はずっと昔からだしね。よく飽きないなホント」
聞けば、大恩があるらしい。
まだ今ほどの実力が無かった頃に引き取ってもらい、ロイモンド自らが鍛え上げたことでフランツは頭角を現したそうだ。
上位騎士の称号を得て、辺境伯家での立場を確立したフランツは、子が親に懐くように、ロイモンドを慕うようになったんだとか。
どれもコリンナが屋敷で働き始める前の話。
手紙をひらひらとさせ、小さく唸った。
「私、別に結婚を絶対にしたいってわけじゃないんです。ずっとここでお仕事をするのもいいかなと思うんですよね。お仕事も楽しくて、皆さんも優しくて、いずれカーティス様のお子様にも会えるかもしれませんし」
「っ、気が早いな!?」
「そうでしょうか? でもそういうことですよ。別にここでずっと働かせてもらえたらそれはそれで幸せなんです」
コリンナはカーティスにそう零し、目を伏せた。
ずっと変わらなければいいのにと思うけれど、難しいだろう。両親は諦めないだろうから。
「ああ、フランツもいるしね。……ねえそういえば、コリンナはフランツのどこがいいの」
問われて顔を上げた。出会った頃の幼いカーティスはもういない。とうに立派になった姿を感慨深く思う。
「いや、ちゃんと聞いたことなかったなと思って。言いたくなければ別に言わなくてもいいんだけど」
「……怒らないで聞いてくださいます?」
「え? あ、うん。もちろん」
簡単に頷いたカーティスに、疑い深く「本当に?」を繰り返したのち、コリンナは幾分声を抑えて話し出した。
「……じゃあ、言いますけど。私、ここへ来た当初、苦手だったんですよ。むしろ嫌い? といいますか、関わりたくないといいますか。他でもないカーティス様のことなんですけれど」
「んん? え、僕?」
「そんな驚いた顔をしたって駄目ですよ。そりゃあ、そうですよ。絶対同僚たちは同意してくれると思いますよ。今ではそんなこと見る影もないほどご立派に成長されましたが、私が来た当初のカーティス様なんて、荒れてましたよ。暴れん坊ですよ。逃げ回るわ、泥だらけで虫は捕まえてくるわ、それを人が掃除をしたところにばら撒くわ……」
「うん、ごめんて。僕が酷かったのはちゃんと覚えてるから……その、それで?」
「ふふ、ええ、それで私はそんなカーティス様のお話相手として雇われたわけですから、どうにか話す機会を作ろうと必死でして」
幼いカーティスが好きそうな場所を片っ端から見回っていた。
高い屋根の上、茂みの中、樹木の上、城壁の外などなど。幼い子供は大人が禁止することを好むと聞いて、危ない場所をとくに探した。ぶつくさと文句を言いながら。
そんな投げやりの行動だったから天罰が下ったのかもしれない。
メイド服のままだったのも良くなかった。城壁近くの木によじ登っていたときだ。スカートのどこかが引っ掛かり、身動きが取れなくなってしまったのだ。
居場所なんて誰にも伝えていない。奥まった場所で普段は誰も近づかない。
そんなところに来てくれたのが、フランツだった。
『嬢ちゃん、大丈夫か? そんな恰好で木になんか登るから……今降ろしてやるからちょっと待ってな』
そう言うと、するっと降ろしてくれたのだ。
コリンナは安心から思わず泣いた。慣れない辺境伯家での仕事、任されたはずのカーティスの話し相手はまともにできない。不安ばかりの中、木にまで引っかかる。
惨めな泣き言だったが、フランツは黙って聞いてくれた。
『無理して探そうとしなくたって、嬢ちゃんの頑張りを見ている人はいるし、カーティスの奴も実は気にしているようだし。がむしゃらにやるのもいいとは思うけどな、もっと楽に構えてればいいんだぞ。特にカーティス相手なら、なおさら』
後から聞いた話だが、見かけないコリンナの居場所を聞きにきたのがカーティスだったらしい。それからは少し打ち解けたようで話し相手の役目を果たせるようになったのだけれど。それはさておき。
このときから世界の色が変わったのだ。
「すごい方ねと思ったんです。力を抜いて仕事をするなんて考えもしなかった。しっかりやりなさいと両親からは言い含められて来ていましたし。辺境伯家のお屋敷ですよ、そんなこと許されるはずないと思うじゃないですか」
それからだ、目で追うようになったのは。そして知る。
ロイモンドを尊敬してやまないことも、カーティスを宥めながら剣を教えているということも、気さくで少し意地悪だがちゃんと優しいということも。
自分は上位騎士なんて立派なもんじゃないとラフな格好でいることも、暇なときは屋敷中を見回っていることも、みんなに声を掛けて回っていることも。
知れば知るほど魅力的な人だった。もちろんロイモンドのことも含めて、だ。
言うなれば、コリンナもまたフランツへの想いはそれに近い。仲間意識も芽生えているかもしれない。
「だから、そんな方と一緒に仕事ができるだけでも、幸せだと思うのですよ」
偽りのない言葉だ。
カーティスもそう感じ取ってくれたのだろう、否定はせず、眉を少し下げた。
「僕は本当に、コリンナには幸せになってもらいたいと思ってるんだよね」
「ふふ、ありがとうございます。坊ちゃん本当に成長されましたね」
「坊ちゃん言うなって」
近頃はめっきり忙しいカーティスの休憩時間。習慣になっている話し相手のお仕事は今なお続いていた。
◇◇◇
コリンナが度々あった両親からの手紙におざなりに返事していると、予想もしていなかった事態が起きた。
「コリンナ嬢に会わせていただきたい!」
と、辺境伯家の使用人出入口に正面切ってやってきた男は、なんとコリンナの婚約者だと言う。
働き先にまで乗り込んでくるほどだ。修羅場かと固唾を飲んで同僚たちに見守られる中、コリンナは言った。
「え、どちら様です……?」
同僚たちは一斉に肩透かしを食らいつつ、それはそれで問題ではないかと目配せし合った。
「君がコリンナ嬢か。ようやく会えて嬉しい。ずっと仕事へ行っているからと会えなかったが、きてよかった」
「あの?」
戸惑いまくった顔をしていると、彼はようやくエーミールと名乗った。
「はじめまして、というのも今さらおかしな話か。だがこれまで会えなかったのだ、仕方のないことだろう。おれは君の夫となる男だ」
「夫……ですって?」
「ああ。君のご両親とはもう話が済んでいる。これからは働かなくてもおれが養っていこう。まあ急に、というのも難しいか。おれも仕事というものを理解しているつもりだ。引継ぎやら整理やらもあるだろうし、そうだな、ひと月後辺りでどうだろうか」
一息に紡がれた内容は一切頭に入ってこなかった。
「なんだ、結婚の話が信じられないか? 無理もない。これまで浮いた話もなかったんだろう。だが、これからはちゃんとおれが面倒を見よう、何も心配することはない」
コリンナが反応できないでいるとエーミールの中でどんどん話が進んでいった。
「そうだな、もう少し具体的な話でもできれば、心配は軽くなるだろうか。それがいいな。コリンナ嬢、今日の仕事終わりにでも話の場を設けようか」
「え、ちょっと、困ります!」
「なんでだ? 結婚してやると言ってる。それがなかなか会えもしない。今日わざわざ会いに来たというのに、話くらいいいじゃないか。まさか結婚したくないとでも言うつもりか? ずっとメイドとして働くつもりとでも?」
さすがにカチンときた。なんせ相手は初めて会ったばかり。余計なお世話だ。
確かに、もう二、三年もすれば婚期を逃したと言われるだろう。
けれどコリンナはそれでも構わないのだ。
「それのどこがいけないの! 今日初めて会った貴方にそんなことを言われる筋合いはありません! いいじゃないですか、私が好きで働いているんですから」
「メイド、だぞ? 今はいいかもしれないが、体力ありきの仕事だ。もう少し年を取ればそんなことも言ってられんくなる。後悔しても年を取れば結婚だってそうできないんだから、綺麗なうちに」
「私は、このメイドの仕事が好きで、ずっと続けたいと思っていて!」
聞く耳を持たないエーミール相手にどう帰ってもらえばいいのか思案し始めたとき、聞き馴染んだ声がした。
「続ければいいじゃないか、メイドの仕事。なんだなんだ、嬢ちゃんにお客さんか? どうしたこんなに集まって」
「フランツ様!」
見守っていた同僚たちが簡単に説明してくれると、フランツは驚いたように目を丸くした。
「え、嬢ちゃん、結婚するのか? この男と?」
指差されたエーミールは苛々と叫んだ。
「なんだお前は! 話に割って入ってくるなんて無作法な! 辺境伯家には相応しくないんじゃないか?」
いつものようにラフな格好のフランツは、何故だか腰に剣がない。
エーミールには使用人のように見えたのだろう。フランツに対する態度は横柄なものだった。
「なんだと。まさか辺境伯様に相応しくないと言ったか? 聞き捨てならん! 私が相応しくなければ、一体誰が相応しいと言うんだ!」
「客に乱暴な口調を使うお前なんかよりは、おれのほうが十分務まるってもんだろ」
「客? ああ、嬢ちゃんのか。嬢ちゃんの返事も聞かずべらべらとしゃべり続ける男が夫だなんて。しかもメイドの仕事を続けさせてももらえない? 結婚したっていいことないんじゃないか?」
と最後のセリフはコリンナに向けて言う。
全くもって同意だが、エーミールにはよほど気に食わないことだったろう。
「馬鹿か! 女は結婚すれば夫の仕事を手伝い、家を守るものだろ。何のために結婚すると思ってる! どこからきたんだ、この田舎者が!」
すごい剣幕だが、対するフランツはきょとんとした顔だ。あえて、コリンナに向かって首を傾げた。
「え、結婚すると、辞めるのか?」
煽るんですね、と思いながらも溜息交じりに答えてあげた。知らないのは本当だろうから。
「普通、結婚すれば働きませんよ。妻は、夫の仕事を補佐すること、家を守ることが勤め。男性側もそのつもりで妻を娶るのです。外へ働きに出ることは、ほとんどないでしょうね」
「では、結婚すればこの屋敷から出るということか?」
「そうなるでしょう。両親も、諦めないでしょうから、この縁談は願ってもないもののはず。孫の顔も見たいのでしょうし。まあいずれは」
コリンナの模範解答を聞いて、エーミールの怒りは落ち着いてきたようだった。
「なんだ、ちゃんとわかってるじゃないか! あとは日取りということか。おれは今すぐにでもと思っているが、君はそうではない、と。そこの妥協点を……」
なにやらまた一人で話を進めていく。が、なんとかご帰宅願えそうな流れになったのでほっと胸を撫で下ろしていた。
しかし、簡単に状況を覆す男、フランツ。余計な一言を口にした。
「うむ。それは困る」
エーミールが大きな舌打ちを鳴らす。落ち着いていたイライラを見事に復活させてしまった。
「はあ? なんなんだ、お前、さっきから」
「嬢ちゃんがいなくなるなんて考えられん」
「お前には関係ない」
「いや、あるさ。初めましての君より、私の方が付き合いが長いわけだしな」
「この、ふざけるな……!」
見かけ通りというべきか、エーミールは感情が行動に直結するタイプのようで、そう言うや否や、フランツの胸元に掴みかかった。
遠巻きに見ていた使用人たちから悲鳴が上がった。
しかし、いくら軽装といえどフランツは使用人ではなく鍛え上げられた騎士なので、当然のことながら、びくともしない。
エーミールは壁にぶつかったように跳ね返された。呆然と首を傾げた様子を見るに、何が起こったのか理解できないようだった。
「…………え?」
「なあ、本気を出していいんだぞ」
フランツが何食わぬ顔でさらに煽るものだから、エーミールは静かに、何事もなかったように手を離した。
手も足も出なかったことで冷静さを取り戻した彼は、乱れた衣服をそそっと直す。
「…………今日のところは、これで退散しよう。コリンナ嬢も急な話で整理もつかないようだからな。また来る」
そうして去っていった嵐──ではなく、自称婚約者。力量の差は見極められる男のようだ。
コリンナは安堵の息を漏らした。
「フランツ様、ありがとうございました」
「いやいいんだが。なんなんだ、今の男は。嬢ちゃんの婚約者だか何だか言ってたが、君は面識がなさそうだったろう」
コリンナにとっても、何も知らない出来事だったが、思い当たることはある。
変わりたくないともそろそろ言っていられないのだろう。
「おそらく、両親が探してきた縁談の相手でしょう。私のところには相談がなかったところを見ると、本気で結婚を押し進めるつもりなのでしょう」
「……嬢ちゃんは、したいのか? 結婚。したくないならそれでもいいと思うが」
「さっきも申し上げましたでしょう。普通、女は結婚すると家に入るんです。結婚したくないわけではありませんが、メイドを続けながらというのはなかなか難しいですので、悩むところですね。ああ、いい方法が一つありました」
フランツは結婚をするもしないも自由だと言う。誰にも文句を言わせないほどの力を手にしたフランツだからこその言葉に、コリンナは嫉妬したのだ。
誰もがみんな、好きに生きられるわけじゃない。
だからこれは、自分の悩みとは無縁のフランツへの、ちょっとした意趣返しのつもりだった。
「──でしたら、フランツ様が結婚してくださいます? 妻が働き続けても構わないのでしょう?」
「本気か?」
フランツは眉をひそめた。その顔があまりにも真剣で、後悔した。こんな風に口に出すつもりじゃなかったのに。
「冗談ですよ」
「はあ、嬢ちゃん。そんなこと軽々しく言うもんじゃないんだぞ」
コリンナは「すみません」と笑って、暗い顔を悟られないよう努めたのだった。
◇◇◇
二度目の嵐は、正門から現れた。より強力になって。
「辺境伯様! 辺境伯様にお目通りを!」
エーミールが人を連れて再びやってきたのだ。
綺麗めの衣服を身に纏ってはいるが、決して高価な品物ではない。
後ろに控える男女二人組は、コリンナの両親だ。
「ああ、辺境伯様。急な訪問、申し訳ございません。が、こちらといたしましてもあまり余裕のある状況ではございませんで」
客間に通された父と母は、低姿勢ではあるものの、言いたいことは言うらしい。そのために来たのだろう。
向かい合って座るのはロイモンドだ。彼は理解ある顔を見せる。
「気持ちはわかる。娘を持つと心配にもなろう」
「ああ、辺境伯様。そう言ってもらえると信じておりました。あの子は私たちの一人娘。ここで働かせていただいていることは大変感謝しております。けれども! このままでは一生結婚しないのではないかと不安で心配で……」
「……だそうだ、コリンナ」
コリンナとフランツもこの部屋に呼ばれていた。
テーブルから少し離れて立ってはいたが、話は聞こえている。
「私としては、君は優秀だからね、カーティスも懐いているし、ずっと働いてほしいと思っているけれど。ご両親の気持ちもわからなくはない。君の気持ちを尊重しよう。どうしたい?」
問われて少し目を瞑る。
「……私、は」
悩む。
働き続けたいのは事実。この屋敷が好きなのも、少しでも長くフランツの傍に居たいのもまた事実で、今はまだ諦められそうにない。
けれど両親もまたきっと諦めない。コリンナがいくら働きたいとごねたところで。
コリンナが自身の信念のもと働きたいのと同様に、彼らは彼らの信念のもと、娘を送り出したいのだ。どちらかが譲らない限り、ずっと平行線。
口ごもるとロイモンドが遮るように口を開いた。
「ふむ。ご両親は、彼女が結婚すれば、それでいいと仰る?」
「え? ええ。わたくしどもの思いとしては、その通りです。わたくしたちが安心して娘を任せられる方に嫁いでさえもらえれば、心配はなくなるというもの。働きたいというのならそれでも構わない。ただ、やはり妻は家に入ってほしいと男性には思われるでしょうから」
「つまり、働き続けてもいいと言う男ならば働くことは構わない、ということかい」
「仰る通りで」
睨むエーミールに多少怯みながらも、両親は首を縦に振る。
愉しそうにロイモンドは手を打った。
「では、そうだね、フランツなんかはどうだい? 私おすすめの男なのだけれど」
「ふ、ふらんつ!?」
変な声を上げたのは、エーミールだった。両親も目を見開いていた。
「え、フランツ、様と言えば、国内屈指の騎士。そんな方を辺境伯様はコリンナ嬢に勧める、と仰る? まさか! おれの縁談を断りたいからとでまかせを……」
「ちなみにこれがそのフランツなんだけれど」
と、使用人のような格好の男を指すものだから、エーミールは面食らった。ちらりと腰を見れば上位騎士にのみ与えられるとされる剣がある。
突撃した男がフランツだと思い知った今、気分はきっと最悪だろう。若干青ざめていた。
「ああ、そういえば君たちは面識があったね。ふふ、フランツ、知っているよ。君がわざわざ剣を置いて彼に会いに行ったことを」
「…………カーティスめ、余計なことを」
「そう怒らなくとも。コリンナにどんな男が会いにきたのか気になったんだろう? だから自分の立場を隠して会いに行った。その剣があるとすぐに上位騎士のフランツだと悟られてしまうから」
肩書きがあると人間は本心を隠すものだ。
本音で話してもらえるように、本心を知るために、上位騎士であることを振りかざさない。悪になりそうなものを少しでも知っておくために。
それは、他でもないロイモンドからのアドバイスだという。
「どうだろう? フランツ? 結婚は考えられないか?」
最愛のロイモンドの言葉にすら反応しなかった。
フランツはじっとコリンナを見る。いつかのように眉をひそめてはいなかった。
「私は、フランツ様がいいです!」
気付くと口から飛び出していた。
「二度会っただけの男性よりも、ずっと一緒に働いてきたフランツ様がいいんです!」
もう後戻りはできない。
駄目で元々。もし駄目なら、フランツを──この場所で働くことを、諦める理由になる。
「ずっと見ていました。恩人のロイモンド様に恩を返そうとされているところも、文句を言いながらも剣を通じてカーティス様との掛け合いを楽しんでおられることも、誰かが困っていないかと声を掛けながら見守っているところも。もしも、フランツ様が嫌でなければ……っ他に想う方がいらっしゃらなければ! ……私を妻にしていただけませんか」
気丈に言うつもりが最後は声が震えてしまった。
だからまさか驚いた顔が、笑顔になるなんて思いもしなかったのだ。
「そうだな、そうしようか。嬢ちゃんをこの男──他の男には任せられない」
コリンナが周りを見回すと、ロイモンドは変わらず愉しげで、夢だったのではないかと思ったほど。
両親を見ると驚きに口元を押さえていたから、現実だと認識できた。
居たたまれなくなったのはエーミール一人である。
「……くそっ、もういい。そんな他の男に懸想している女なんか嫁にしたところで。釣り合わないことに後から嘆いても知らんからな。おれなら普通の幸せを手に入れられたんだ。せいぜい飽きられんようにすることだな!」
エーミールは顔面蒼白のまま、一声吠えて、肩を落として帰って行った。
両親はもちろん満面の笑みである。まさかフランツ様に娶ってもらえるとは、と嬉々として帰宅した。これから忙しくなるぞ、とも聞こえたけれど、再び暴走されても困る。釘を刺しておく必要があるかもしれない。
コリンナとフランツは並んで、彼らを見送った。
隣に並ぶのはこれまでもあったことだが、どこか気恥ずかしい。見上げるといつもは凛々しい顔が困ったように眉を下げていた。
「嬢ちゃんに言われっぱなしじゃあ、ちょっと格好つかないからな」
ぽんぽんと頭を撫でてくれるのは、働き始めるようになってから変わらない。ごつごつした大きな手は温かく、安心した。
「君が屋敷からいなくなるかと思うと焦ってしまった。そんなこと、考えたこともなかったからな。仕事が好きなのも知っている。誇りにしていることも知っている。だから私とずっとここで働いていくのだと思っていたんだぞ。ロイモンド様から私が夫になれば、と聞いて、ひどく納得した。その手があったかと。嬢ちゃんも私がいいと言ってくれたもんだから、私も手放したくなくなった。私の前から、絶対にいなくならないと約束してくれ」
コリンナの手を取り、自身の膝を折り曲げた。指の先には、フランツの瞳。
「え! ちょ、こんなことできたんです!?」
「お。知ってたか? まあこのくらいは」
手を取って跪いた上での、手の甲への口づけは、騎士からの忠誠の証。それが異性だった場合にはプロポーズとなる。
大柄の男が目の前で跪く姿はなかなか強烈で、きっと忘れようとしても忘れられない。そんなことを思いつつ、コリンナは幸せに浸ったのだった。
◇◇◇
「おお、うまくやったようだね」
ロイモンドの執務室に顔を出せば、彼は優しく出迎えてくれた。
興奮はいまだ冷めていない。
「ロイモンド様のおかげです!」
「いや、コリンナがそれだけ魅力的だったということだよ」
「まさかこんなにもうまくいくなんて」
「君のご両親もこれで何の心配もなくなるわけだ」
ロイモンドも机の上には手紙が広げられていた。コリンナの両親からのものだ。
長々と綴られていたのは、「縁談を探していたところ妙な男に目を付けられた。人の話を聞かない男で、コリンナの婚約者になったつもりでいるようだ。一応は貴族のようで下手に断れない。もしかしたら辺境伯様にご迷惑をお掛けしてしまうかも」といった内容だ。
これを読んだロイモンドは、カーティスから事情を聞くと、すぐさまコリンナを呼び出した。
そしてまさかの、フランツと添い遂げたいと思うなら協力しようじゃないか、となんとも力強いお言葉をいただいたのだ。
コリンナはすかさず飛びついた。最後のチャンスに違いなかったからだ。
両親にはロイモンド自ら「屋敷内の良い男を紹介する、上手くまとまればこのまま働かせて構わないか」といった旨の手紙を書き、承諾は得てしまっていた。長く心配していた婚姻に、辺境伯からの紹介となれば、二つ返事だったろう。
「といっても私はただ選択肢を提示したに過ぎないからね。フランツもコリンナを気に入っていたからこその結果だ」
そう言うが、コリンナはロイモンドのおかげだと本気で思っている。
何せ、ロイモンド命のあの男。同じ選択肢をロイモンドから聞かされたのと、他の人間から聞かされるのとでは同じ結果になろうはずもない。実際コリンナが提示したときとはまるで反応が違う。
しかしロイモンドにとっても思惑があったようで。
「私もフランツには、私以外の人間にもっと目を向けてほしいと思っていたからね、とても利のある話だったわけだよ。ああ、もちろん、慕われることが嫌なわけではないよ。ただ心配にもなるだろう? 私を一番に思ってくれていたとしても、私はフランツを一番には考えられない。フランツを一番に考えてくれる君が、傍に居てくれるなら安心できるから」
ということらしいので、コリンナとは利害が一致したのだろう。
そうしてコリンナは変わることなく、これまで通り辺境伯家で働き続けることになったのである。
ただ、一つ変わったことと言えば。
二人が並んで笑い合うことが増え、時々、草木の影での逢瀬を楽しむ二人を見かけるようになったとか。
おしまい