譲る気はない
犯罪組織ドミネーションには、絶対に守らなくてはいけないルールがある。
トップに逆らわない事、幹部は何を犠牲にしても自分の身を守る事、トップと幹部を守るためならどんな命令も従う事、互いの了承なく組織内の人間に対して攻撃しない事。
トップや幹部に従い、互いに攻撃しない事が原則とされている。
一方で、互いに了承があれば攻撃し合ってもよいと定められている。その場合は幹部かエージェントの立ち合いのもとに、攻撃の結果で互いに何があっても、禍根を残さないと誓わなければならない。
シェイドは口の端を上げる。
「俺の言動に納得できないなら、それでもいい。ちょうどエージェントがいる。あんたさえ良ければ、この場で決着を付けてもいいぜ。どうする? エリス」
この場にいるエージェントであるセレネは震えあがった。
「私は認めません。幹部同士が争うなんて、間違っていると思います」
セレネは上目遣いで、シェイドに揺れる瞳を向ける。
「私のせいで争うなんて許されません。ドミネーションにとって害悪です。髪の毛くらい捧げます。どうか怒りを収めてください」
「あんたは少し黙ってろ」
シェイドはセレネの頭をポンポンと軽く叩き、エリスを睨み付ける。
「俺は主張を曲げる気は無い。エージェントを軽々しく扱わない事を要求する。エリス、あんたはどうだ?」
「エージェントなんて奴隷のために、どうしてそんなに必死になるの? 理解できないわ」
「エージェントを指導するのは、だいたい俺だからな。無下に扱われたら俺が軽んじられたようで腹が立つぜ」
シェイドの全身から、暗い闇があふれる。
エリスは頬に片手をあてて、溜め息を吐いた。
「困った人だわ。自分の役割を理解していないのかしら。世界警察に捕まっちゃうし」
「任務は遂行中だし、世界警察の話なんてしてねぇよ。あんたが俺と争う気があるか、聞かせろ」
シェイドは回答を求めるが、エリスは思案していた。
一対一で戦えば、どちらが勝つのか分からない。エリスが命を落とす恐れもある。かといって、ドミネーションのトップであるジェノが、エリスに味方をするとは限らない。
セレネの髪を切ろうとした事は不利に働くだろう。
しかし、シェイドの言いなりになるのも癪だ。
「元はブレス王家の奴隷だった分際で、よく言うわね」
本音が漏れた。
その呟きは、その場にいる全員に届いていた。
どよめきが沸く。
シェイドは低い声で笑った。
「俺のプライバシーを公言した事も、神に伝えるぜ」
「あなたは誤魔化せば良かったのよ。いくらでもやりようはあったわ」
犯罪組織ドミネーションのメンバーのいう神とは、ジェノの呼び名である。
エリスの口調は落ち着き払っているが、表情に焦りがにじんでいる。
ジェノは良い意味で悪い意味でも、絶対的に人を信頼する事がない。判断を求められれば、あくまで当事者たちの言動を注意深く観察する。
エリスの主張を退けて、敵に回る恐れもある。
そんな表情を、シェイドは見逃さない。
「謝るなら今のうちだぜ。プライバシーの公言は忘れてやるが、エージェントを軽んじる事はやめろ」
エリスは唇をかんだ。
言い返す言葉はない。しかし、絶対に認めたくない。
エリス自身は高貴な存在で、誰にも覆されるべきではない。
エリスは自分に言い聞かすように呟く。
「私が間違っているなんて、ありえないわ」
震えながら呟いた。
その呟きに応えるように、事態が急激に変動する。
セレネの両目が虚ろになり、生気を失った。
「アクア・ウィンド、ルースレス・ナイフ」
無慈悲な風のナイフの標的は、シェイドだった。
至近距離で不意をつかれたシェイドは、咄嗟に右腕で首元と左手をかばった。
「イービル・ナイト、シャドウ・バインド」
右腕から血が滴るのも構わずに、セレネに魔術を掛けた。
セレネの影が歪み、セレネは身動きが取れなくなる。やがて両膝をついた。コバルトブルーのドレスの裾がふわりと軽く浮かび、床に力なく広がった。
シェイドは舌打ちした。
「……操られてやがる」
「彼女に魔術を掛けるなんてかわいそうだわ。ファントム・ジュエリー、エンジェル・ブラッド」
シェイドが分析している最中に、エリスがほくそ笑んだ。
赤い光の輪がセレネの頭上に浮かぶ。
赤い輪は光の粒をまき散らし、セレネの影と混じり合う。セレネの影が元通りになって身動きが取れるようになると、セレネはすぐに立ち上がった。
「アクア・ウィンド、ルースレス・ナイフ」
「イービル・ナイト、ロバリィ」
シェイドに風のナイフが迫り来るが、すぐに黒く染め上げられ、シェイドの意のままに動くようになる。
黒い刃が縦横無尽に駆けずり回る。床を砕いて消えた。
その場にいる人々は悲鳴をあげて大広間の入り口まで走る。
逃げる人々を尻目に、シェイドは溜め息を吐いた。
「イクリプスだな。セレネがこんなに簡単に操られるなんて」
「あらあら、仲間割れを人のせいにするの?」
エリスは口元に片手を当てて上品に笑った。
その間にも、セレネは呪文を唱える。
「アクア・ウィンド、ルースレス・ナイフ」
「イービル・ナイト、ロバリィ」
シェイドは淡々と呟き、風のナイフを黒く染める。
黒い刃が床を砕くのを、エリスは笑って見ていた。
「いつまでもそうしていると、セレネは魔力が尽きて、命を落としてしまうわ。あなたは良いのでしょうけど」
「イクリプスはどこにいる? あいつを倒せばセレネが助かる」
シェイドは怒りを隠さずに問いかけた。
エリスは軽く首を横に振った。
「あの人はいつもどこにいるのか分からないの」
「やっぱりイクリプスはいるんだな」
シェイドは鋭い眼光のまま、ニヤついた。
「セレネを助けてあいつも倒す。どちらも譲る気はないぜ」
 




