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(6)

 救急車の中で輝哉はひたすら弥生の手を握り締め声をかけ続けた。リオはそんな彼の肩に座り様子を見守っていた。


(今はまだ大丈夫。でもいつ急変するかもしれない)


 意識はなくとも、弥生の生命力の危うさはまだ感じられない。


 このまま持ち堪えてくれれば誰も哀しませずにすむ。それが本心。


 でも万一弥生に死が迫れば、リオは再び罪を犯すことに迷いはなかった。


 リオはちらっと輝哉の悲痛な横顔を見る。彼は先程リオと再会したことなど忘れてしまって、弥生のことしか考えられないようだった。


(皆は私の想いを分からないって言うのかな……)


 想い人を救いたいから命を懸ける。……もし両思いだったら皆納得するのかなとも思う。


 しかしリオの想い人は他人に心を奪われている。


 その恋敵を命懸けで助けようなんて変と人は言うだろう。


 今のように頭の片隅にも残らない。忘れられてしまうかもしれない。


 そんな人達に命をあげる価値がどこにあるのかと、皆は非難するだろう。


 それでも……とリオは思う。


(私にはあの笑顔がすべてだから)


 自分の存在は輝哉の笑顔を守るためにあった。リオはそう感じていた。


 リオと輝哉が見守るなか、救急車は病院へ到着した。


 色々処置を施されすぐさま弥生は手術室に運ばれる。


 このままでは母子ともに危ないと、一刻の猶予も許されない状況だ。


 手術室の扉が弥生と輝哉を隔てた。


 重い静寂が心をより不安にする。


「……なぜ!」


 苦しい思いを吐き出すように、輝哉は呟きざまに握り拳で壁を叩きつけた。


「なぜまた弥生なんだ!」


 どこに怒りと哀しみをぶつけたらいいのか分からない、だが心に留めておく限界を超えてしまった輝哉は押さえきれない思いを吐き出さずにはいられなかった。


「神様が自分の手元に置きたがっているのか……」


 日頃の弥生のありさまを見ていれば、誰もが彼女を好意的に思う。


 誰にでも好かれる心優しい弥生を、神が欲してもおかしくはない。


 ましてや弥生は今回で2度目。そう思っても不思議ではなかった。


「連れていかないでくれ!」


 悲痛な叫びとともに、輝哉は力を失いその場に崩れるように跪いた。


(輝哉くん……)


 リオは思わず輝哉の前に姿を現しそうになった。


 留まるものの、その形は人間の姿となっていた。


 人の目に映る間際でリオは力を押さえ込んだのだ。


(輝哉くんの前に現れちゃいけない)


 もし姿を現せば、……それでもし弥生の命が危険にさらされたのならば、きっと輝哉は自分にもう一度弥生を助けてくれと頼むだろう。


 頼まれなくてもリオは決心している。


 しかし輝哉自らがリオに頼み、その後リオが戻らないと知った時、彼は自責の念にかられるに違いない。


 輝哉の心に傷を残したくない。それはリオが一番望んでいること。


 輝哉に気づかれずに弥生を救うのがベストとリオは考えていた。


 ただ一つ気になるのはソラのこと。


 自分が消滅した後、ソラが輝哉を責める恐れがあった。


 かといって今ソラに会うわけにはいかなかった。会えば力づくで連れ戻されるのが分かっていたからだ。


(どうあっても輝哉くんには私が抹消されたこと知られるのかもしれない。でもせめて自分が頼んだせいでって思われたくない)


 力づけてあげたい。でも姿を見せるわけにはいかない。


 リオは板ばさみになった。


 そうこうしているうちにいきなり扉が開いた。


 輝哉は瞬時に駆け寄った。もちろんリオもすぐ横にいる。


 中から出てきたのは手術着を身に纏った看護師らしき女性と、そして――。


「あ、あの……」


 急ぎ足の女性は輝哉の存在に気づき立ち止まる。


 手元には保育器の中で横たわる小さな赤子が弱々しい産声をあげていた。


「お父さんですか? 女の子ですよ」


 我が子との初めての対面。


 輝哉の心は複雑だった。


 新しい命の誕生。血をわけた我が子なら涙がでるほど嬉しいもの。……それが一般的な出産だったなら。


「すいません、急ぎますので。後程小児科の方へいらして下さい」


 時間にして僅か十数秒の対面。


 帝王切開で誕生した赤ちゃんは、検査のため早急に運ばれていった。


 我が子を見送った輝哉は、片手で顔を覆い隠した。


「あの子が俺と弥生の……。頼む、生きてくれ!」


 絞り出すような輝哉の声。それは弥生と誕生したばかりの子へのメッセージ。


 リオには輝哉の姿が痛々しかった。


(まだ大丈夫。弥生ちゃんも赤ちゃんも命の力は尽きてないよ)


 そう伝えたい。


 リオはどうしても輝哉を励ましたかった。


 だが声をかけるのはまずい。


 一瞬躊躇したが、リオはそっと両手を伸ばし輝哉をやんわり包み込むように抱いた。


 触れるか触れないかのすれすれ。自分がいるのを気づかれないようにそっと……。


(二人とも今懸命に戦ってるよ。輝哉くんも諦めないで、力強く願って!)


 声にならない声でリオは必死に励ました。


(絶対二人の命は守るから。守ってみせるから。輝哉くんも希望を捨てないで)


「……リオ…ちゃん?」


 輝哉の自分の名を呼ぶ呟く声にリオはびっくりし、輝哉の顔を見上げた。


「そこに……いるの?」


 こっちを見下ろしている輝哉と視線が交わる。


(見えてるの?)


 リオは姿が消えているかどうか自分を見てみる。確かに人の目には映っていないはずなのに……。


(……見えてるのね)


 輝哉の瞳がそれを物語っていた。


 リオは観念しその姿を輝哉の前にさらした。


「いつ気づいたの?」


「子供と対面した後、かな。二人にずっとついててやりたいって思ったんだ。体を二つに分けてしまいたかった。不安で不安で俺一人ではもう耐えられないって思った時、優しい雰囲気に包まれた気がした。元気付けようとする声が聞こえた気がした。リオちゃんが傍にいるって感じたよ」


 リオの力強い眼差しは以前にも輝哉を励ました。今度も輝哉はそれを感じ取っていたのだ。


「輝哉くん、あのね……」


 リオは弥生の命が予断は許さないがまだ今すぐ消えるものではないことを教えようと思った。そして赤ちゃんの方は無事助かるであろうことも。


 だがリオが続きを言う前に、輝哉はいきなりリオの足元に土下座をしたのだ。


「輝哉くんどうしたの!? そんなことやめて!」


 リオは驚いたが輝哉の胸の内を痛いほど分かっていた。


「リオちゃん、頼む。もう一度だけ弥生と子供を助けてくれ。代わりに何でもする。俺の命と引き換え

てもいいから二人を救ってくれ!」


 輝哉に言わせてはいけないと思ったが、とめることができなかった。


 救うことはできる。しかし自分がどうなったか輝哉が知ったら優しい彼のこと、きっと罪の意識に苛まれ、最悪自ら命を絶つかもしれない。


(どうしたらいいの?)


 どうすれば輝哉の笑顔を守れるのかリオは悩む。


 間の悪いことが更に起こった。


「リオ、お前二度と逢わないって約束したよな。こっち来いよ。家族が待ってるんだぞ!」


 振り返ると声を荒立てたソラがそこにいた。


 ソラはつかつか歩み寄ってくると、土下座のままの輝哉の胸座を掴み彼を無理やり立たせた。


「リオに何頼んでんだよ。お前のせいでリオがどんな目に合ったか分かってんのか!?」


「ソラ、やめて!」


 リオは慌てて間に割って入る。


 輝哉にあのことを知られてはならない。その思いで必死にソラをくいとめようとした。


「帰るから! ……約束守るから輝哉くんを離して!!」


 掴んだ手を離さず、視線だけをリオに向けてソラは問う。


「本当だな?」


 ただ事でない二人の様子に、輝哉は漠然と自分のせいでリオに被害を与えていたことを知った。


 それが恐らく弥生を助けたためだからということも。


 それでもリオは知られたくない一心で、ソラを輝哉から引き離そうと頷く。


「ソラと帰る」


 それを聞いたソラは輝哉を離したその手でリオの手を掴んだ。


「行くぞ」


「ちょっと待って」


 留まるリオに、ソラは訝しげに彼女を見た。


「最後ぐらいきちんとお別れさせて。もう逃げないから」


 切実に訴えるリオの瞳を前にして、躊躇いながらもソラは承諾するしかなかった。


「絶対逃げないな? 俺と帰るな?」


 もう一度確認する。


 リオは真っ直ぐソラの目を見て頷いた。


 ソラは二人から距離を置いた。


「あの後、何かあったんだね?」


 ポツリと輝哉がリオに問う。


 自分が彼女にとんでもない仕打ちをしたのではないかと悩んでいた。


 考えてみれば命を分け与えるなんて簡単にできることではなかったのだ。リオの笑顔に隠された真実を、あの時の輝哉は少しも分かっていなかった。


「……ちょっと罰を受けただけ。輝哉くんが気にすることないよ」


 リオは輝哉に罪を感じさせまいと微笑んで言った。


 そしてリオは輝哉の心を確認しようと口を開く。


「輝哉くん、さっき何でもするから弥生ちゃん達を助けてくれって言ったよね。だったらあなたの心をくれる? 弥生ちゃんを助ける代わりに、あなたは弥生ちゃんや子供と別れるの。彼女の心を裏切るの。……できる?」


 輝哉の顔が苦しみで歪む。長い沈黙が流れた。その間輝哉の心は葛藤し続けた。


 やがて一つの答えに辿り着いた輝哉は、ふと一呼吸し首を横に振った。


「俺には弥生の心を裏切るようなまねできない。もし仮に君の条件を呑んで助けてもらったとしても、事実を知ったら一番苦しむのは弥生だ。与えられた命を手放すかもしれない。……俺は、俺と弥生の心を尊重するよ」


(あなたならそう言うと思ってた)


 自分の命すら差し出せる輝哉が唯一渡せないもの、弥生への想い。


 リオは輝哉の心を分かっていて、それを試すようなまねをしたのだ。


 この二人のためだったらこの命を散らすことに何の不満もなかった。


「輝哉くん、赤ちゃんの命の心配はまずないよ。弥生ちゃんの方も状況は苦しいけどきっと助かるよ。私の助けなんかなくても。……前に言ったよね。私達には生命力の危ない魂が分かるって。だから二人は大丈夫だよ」


 輝哉を安心させたかった。たとえ少しでもいいから。


「本当に……?」


「うん」


 しかしリオには分かっていた。


 赤ちゃんが無事なのは本当だが、弥生の命はここ一日二日が峠になるだろうことを。そして彼女の衰弱からいくと、多分持ち堪えられないだろうことを。


 それでも心の負担を少しでも軽くしてあげたかったのだ。


 そして事実、輝哉はリオの言葉を信じようと努めた。


 輝哉を残し、リオはソラのもとへ戻って行った。


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