(4)
妖使界に戻ったリオを待っていたのは、両親と姉そして妖王界からの使者だった。
リオは帰ってくるなり母親にがっしり両肩を掴まれた。
「リオ、あなた何をしたの!? 王様から呼ばれるなんて……」
見ると、母も姉もそして普段は無口な父でさえ泣いていた。
罪悪感がじわりと広がる。
「……禁を犯しました。ごめんなさい」
口にしたとたん、リオの瞳からも涙が零れ落ちた。
「人間に……命を分け与えました」
声が震えた。
弥生に命を分けたことに後悔はなかった。ただ家族を哀しませてしまったことがリオの胸を痛める。
家族を哀しませたくはなかった。だがリオは結果として家族よりも愛した人を選んだのだ。
「なんてことを……」
母親はしばらく言葉を失った。
そして我に返ったようにリオをしっかりと抱きしめ使者を見た。
「この子を連れていかないで。私が代わりになりますから!」
「それはできません」
使者の返事を聞いた母親は益々リオを抱く腕に力を込めた。
家族の強い愛情を感じたリオは何度も何度も心の中で謝った。
「母さん、私覚悟できてるから……」
リオはそっと母親から身を起こした。そして家族三人とソラを見渡す。
「……ごめんなさい」
そう告げた後、リオは自ら使者の元へと歩み寄った。
使者は妖王界への扉を開く。
今まさに二人が妖王界へと踏み出そうとしたその時、リオは最後にもう一度振り返った。
「私、幸せだったよ。育ててくれてありがとう」
笑顔を残し、リオは一歩を踏み出したのだった。
* * *
妖王界に着いたリオは王宮の一室へと連れられてきた。
王宮とはいっても華やかさはなく、静粛な教会の雰囲気に似ている。
部屋の配置は傍聴席のない裁判所といったところだ。
リオは使者に促されるまま、中央の席へと腰をおろした。
5メートル程前には教壇のような机が重々しく置かれている。
リオの心は不思議なほど落ち着いていた。
これからきっと処罰されるだろうという時なのに、その罪をこの身体で受ける覚悟に戸惑いはなかった。
静まり返った部屋に扉を開く重厚な音が響き渡った。
そして二人の従者を引き連れ、高貴な人物がゆっくりと入ってくる。
何事もなく妖使界で暮らしていれば、恐らく一度も姿を目にすることがなかったであろう人物。
オベロン王――妖精三世界のすべての頂点に立つ、妖王界の王、その人であった。
リオも一度だって姿を見たことはない。だが彼の持つ独特のオーラに、リオは机のところで立つ彼がオベロン王であることを直感した。
リオはすぐさま椅子から立ちあがり、その横にひれ伏した。
「そなたがリオか?」
威厳のある声が一瞬リオの息を止める。
「……はい」
俯いたまま、リオは一言答えた。
「顔を上げ、立ちあがるがいい」
恐る恐る言われた通りにする。リオは震えそうになる体を押さえる思いで、重ねた両手をぎゅっと握り締めた。
「今日そなたをここへ呼んだのはそなたが罪を犯したためだ。何の罪か心当たりがあろう?」
そう言ったオベロン王の表情からは何の感情も読み取れなかった。ただ真っ直ぐリオの目を見ていた。
(私、やましいことをしたとは思ってない。胸張って答えよう)
リオもオベロン王をじっと見つめる。
「はい。私は人間に自分の命を分け与えました。その処罰が魂の抹消と知っていて罪を犯しました」
オベロン王はフーと一息吐いた。
「では覚悟はできているというのだな?」
リオは目を閉じ、一度深く呼吸し、再びオベロン王を見る。
「はい」
――迷いのない返事であった。
オベロン王は返事を聞くと壇上から降り、リオの元へ歩み寄ってくる。
リオは王から処罰を受けるべく、彼の前に跪き目を閉じた。
オベロン王がリオの頭上に手をかざす。リオは頭上から降ってくる王の力を感じた。
(父さん、母さん、姉さん、ソラごめんなさい。そして輝哉くんありがとう……)
最期を感じ、リオは心の中で呟いた。
――だがしばらしく、リオが目を開けると、そこには先程と変わらない風景があったのだ。
(……どうして? 私、どうなったの?)
訳も分からず顔を上げると、目の前にオベロン王が立ったままであった。
「あ…あの……」
不思議そうに見上げるリオの両手をオベロン王は握り、視線を近づけようとリオを立ちあがらせた。
「執行猶予をやろう」
「執行猶予?」
オベロン王は頷いた。
「確かにそなたは罪を犯した。だが少女一人の命を救ったことで、もう一つの命を助け夢を叶えたのだ。あのまま少女が亡くなっていたら、青年は間違いなく絶望し自ら命を絶っていたであろう。人間に夢を与えるというそなたの役割は果たされていた。そのことを考慮し、今回は極刑を避けることにしたのだ。だが二度目はないぞ。そなたがもう一度人間に命を分け与えることがあれば、ここに再び来ることもなく、その場でそなたは消滅する。先程の力はそのためのものだ。あと、そなたには2年間の謹慎を命じる。2年間は人間界へ行くことは許さん。よいな?」
思いがけない温情措置に、リオはその場に泣き崩れた。
「ありがとうございます」
その一言が精一杯だった。
* * *
リオが落ち着くのを待ち、使者はリオを連れて彼女の家へ戻ってきた。
重く沈んだ部屋に突如2人が現われた時、幻でも見るように家族とソラがリオを見た。
「リオ……なのか?」
「本当に?」
信じられない思いで呟きながら皆がリオの周りに集まる。
リオはニッコリ微笑んだ。
「ただいま!」
真っ先に彼女を抱き寄せたのは父親だった。
「もう……もう戻ってこないと思っていた。こんなことがあるのか? 我が娘をもう一度この腕に抱けるなんて……」
リオは再び涙が込み上げてきた。父親のこんな感情を吐き出すような言葉を聞いたのは初めてだった。
リオは両腕を父親の背へとまわし、しがみついた。
「ごめんなさい。王様が極刑を避けてくださったの。2年間の謹慎と、同じ罪を犯したら今度こそ消滅って温かい措置をして下さったの」
父は使者の方へ向き直った。
「オベロン王にお伝え下さい。我が娘の命を助けて頂き、何度感謝しても感謝し尽くせませんと。寛大な措置をありがとうございましたと」
「承知しました。では私はこれで失礼します」
一礼すると、使者はもと来た道をまた帰っていった。
「心配かけてごめんなさい」
リオはもう一度謝った。父親の腕から解放されたとたん、今度は母親の抱擁を受ける。
こんな涙もろい母親をリオは見たことがなかった。
「おかえりなさい。もう二度とこんな思いさせないで。……お願いよ、リオ」
「うん。命……大切にするよ」
リオは心に決めていた。
もう一度生きていいということになって、これからどう生きていくべきか。こんなに心配かけてしまったことをどう償えばいいのか。
それにはたった一つ、どうしても果たさなければならない決意があった。
リオはソラを見つめた。
「もう二度と彼とは逢わない。もう二度と家族を哀しませない。……約束する」
(ただこの想いだけは胸に秘めていさせて。今はまだ切なさで苦しいけど、いつかきっと一生の宝物になるから……)
本当なら忘れてしまうか、想いを凍りつかせてしまうのがいい。それはリオにも分かっている。
でもどうしてもあの笑顔を記憶から消し去ってしまいたくなかった。愛するという心を捨て去ってしまいたくなかった。
二度と逢うことはない。それでも大切にしたい想いが、リオの胸の中に満ちていたのだった。