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七・彩絵とニーナ、と大樹



 アトリエに到着した彩絵はリュックを降ろすと、ニーナに促されることなく自らコーヒーを準備する。

 今までニーナの淹れる様子を見たり、自ら試した経験を元に最良と思われる淹れ方を目指す。

 真剣な表情でポットからドリッパーにお湯を注ぐ。すべて落ちきってしまう前に、タイミングを見計らってサーバーからドリッパーを外した。


 出来上がったコーヒーをテーブルに用意してあるふたつのコーヒーカップに注ぐと、ニーナが画材をチェックしていた手を止めて席へつく。

 彼女が香りを確かめ、コーヒーを口へ含むのを待っていた彩絵はすかさず問う。


「どう? 今日は自信あるんだ」

「なるほど。そうだな……」


 ニーナは腕組みして白いカップ内の黒い水面を見つめる。

 彩絵は答えを待ち息を呑む。


「これならギリギリ……」


 ニーナは首を傾げ、両腕をゆっくりバツの形へと持っていく。彩絵が残念そうな表情をした瞬間、にっと笑って見せた。

 彼女の腕は大きく丸を描いている。


「合格」

「やったぁ!」


 両手でガッツポーズを作り、彩絵も自分の席へ座る。

 いきなりミルクを入れた彩絵にニーナは違和感を覚える。そう言えば今日はシュガーポットが置かれていない。


「砂糖入れないの?」

「ニーナ、何も入れないで飲んでるでしょう? まだミルクは入れてるけど、私だってすぐにニーナみたいにブラックで飲むんだから」


 実はこれまでも、それを目指してアトリエや『マダムの庭』で砂糖を少しづつ減らしていたのだ。

 得意気に胸を張る彩絵の言葉に、ニーナから思わず小さな笑い混じりの相槌がこぼれる。


「ふうん」

「? 私、変なこと言った?」

「別に。少しは大人になったってことかな」


 思わぬタイミングでのささやかな賛辞に、彩絵は立ち上がった。


「おおお! 成長した? した?」


 詰め寄る彩絵をニーナはうるさそうに押しのけた。


「調子に乗らない! 少しって言ったの、聞こえなかった?」

「ですよねー」


 残念そうなそぶりで椅子に腰かける彩絵だが、その頬にはまだ嬉しさがにじんでいる。


「あーあ。私もニーナみたいに自由だったら、進路に悩まなくてもいいのにな」

「進路?」


 コーヒーカップを傾けていた彩絵はうなずく。

 ミルクのみのコーヒーは、思っていたよりも苦く感じた。


「私、絵本作家になりたいから、美術専攻のある高校から美大に行くつもりだったの。

 だけど、親も先生も『高校で文系を選択して、大学まで出てからでも絵の勉強は遅くない』って。いざというときに大学出てれば何とかなるからって」


 ニーナは聞きながら幾度か軽くうなずいた。

 絵では食べていけない確率の高さを考えた安全策、といったところなのだろう。

 彩絵は両手でカップのあたたかさを感じながら、ベージュ色のカフェオレを見つめて言う。


「でもさ、他の勉強しながらとか、卒業して働きながらとかの絵の勉強で、絵本作家になれるのかなって」

「じゃあ、彩絵が言う美術系の進路でずっと行けば絵本作家になれる?」

「それがわかればこんなに悩まないよ」


 彩絵には腰かけている椅子が少し大きく、浮いている足をぶらぶらさせながら彩絵が拗ねる。

 ニーナは言葉を探して少し沈黙した後、静かな微笑みを浮かべて言った。


「自由ってさ、彩絵が思っている『自由』とは違うと思うよ」

「え?」


 意味が分からず聞き返したが、ニーナからも質問が帰ってくる。


「彩絵の言う『自由』ってなに?」

「えっと……」


 熱くなってきた両手のひらをカップの側面から解放させ、彩絵は宙を見つめて考えつつ答える。


「束縛とかしがらみとかにとらわれずに、自分の思うようにできるってこと?」

「おっ、難しい言葉知ってるね。わかってるなら、自由に選べばいいよ。彩絵はどうして決められないの?」

「だって、美専に行っても美大に進学できなかったら? 美大に行っても絵本作家になれなかったら? 普通の大学に行っておけばよかったって思っちゃうんじゃない?」

「ふっ……あははは!」


 声を上げて笑うニーナを初めて見た彩絵は驚いた。

 が、すぐに笑われているという事実に苛立ちを覚えてニーナに食ってかかる。


「笑い事じゃないよ! 真剣に話してるのに」


 今まさに、自分は人生の分岐点に立たされている。

 この間、美術部の中で回ってきたノベルゲームみたいに。『どうしますか?』の言葉に続く選択肢のどちらを選んだかによって物語は進んでいく。

 ただ、バッドエンド……自分の場合、絵本作家になれないルートを選んでしまったからといって、人生はやり直しがきかないのだ。


 ふくれる彩絵の肩をポンポンと叩いて、ニーナは居住まいを正す。


「ごめんごめん。でも、そんなんじゃあどっちを選んでもおんなじだよ」

「私に才能がないから?」


 すっかりマイナス思考になってしまった彩絵に、ニーナは笑いをこらえつつ首を横に振る。


「違うって。才能も、まぁ多少大事かもしれないけど。大事なのは覚悟だよ」

「なんか大樹みたいな単語出てきた」


 幾度となく『覚悟を決めろ』と言われている彩絵はげんなりする。

 ニーナは初めて会った日の朝の二人のやり取りを覚えているらしく、


「あー、武士道ってやつ? 『決めて迷うな』ってのは当たりだね。選んだ先の未来がどうなるかなんてわからないのに、起きてもいないことを怖がるだけ無駄。

 大切なのは、自分で選んだ道を信じて進む覚悟があるかないか」


 言葉通り迷いなく言い切るニーナの横顔を彩絵はじっと見つめる。

 きっと、ニーナはずっとそうして進んできたのだろう。


 ニーナが彩絵を振り返ったため、ふたりの視線がぶつかる。


「常に進んでいく道は自分で選ぶ。その結果を受け止めるのも、自分。それが自由じゃないの」

「自由って大変なんだね」


 彩絵は憧憬と不安が入り混じった弱い笑みを浮かべた。

 ニーナのような強さを、自分も持てるだろうか。


 そんな彩絵の様子に、ニーナは人差し指を立てて見せた。


「ひとつ、いいことを教えてあげようか? 実は失敗ってことをなくす魔法がある」

「本当! 知りたい!!」


 魔法、という言葉に心が浮き立ち彩絵のテンションが浮上する。


「簡単だよ」


 ニーナは人差し指を杖に見立ててくるりと回すと彩絵に向けた。


「あきらめないこと」

「……は?」

「エジソンているでしょ。電球発明した人。電球できるまでに一万回とか失敗したらしいんだけどね、本人に言わせたらそれは失敗じゃないんだって」

「どういうこと?」

「一万通りの、うまく行かない方法を見つけた、ってこと」

「ああ……そういう?」


 逆転の発想というやつなのだろうか。

 人によって、考え方によって、物事の見方は変わってくるということか。


 気づかないうちに熟慮するようになってきている彩絵を、ニーナは満足そうに見つめて立ち上がる。


「要は彩絵が絵本作家になることさえ諦めなければ、どの道を選んでも失敗ではないってこと。

 はい、今日はここまで。帰る時間だよ」

「うん」


 名残惜しそうに残りのカフェオレを飲みきると、空いたカップはきちんとシンクまで持っていく。

 脱いでいたパーカーを制服の上に羽織り、リュックを背負うとニーナに向き直る。


「教えてもらったこと、よく考えてみるね。ありがと、ニーナ」


 ニーナは返事の代わりに口端を上げて笑顔を返す。

 彩絵について行き、外に出て見送る。

 いつもはしないニーナの行動に少し戸惑いながらも、彩絵は振り向きニーナに手を振りながら角を曲がっていく。

 ニーナもまた、彩絵に手を振って見送った。


 予備動作なく素早く振り返る。

 慌ててアトリエの外壁に引っ込んだ人影に、ニーナはあえて大きな声で呼びかける。


「あれぇ、どうした? 奇遇だね、ストーカー君」

「ストーカーじゃありません!」


 近隣の家を気にしてか抑えた声で抗議しつつ、姿を現したのは大樹だった。

 ニーナは楽しそうに目を細め、極めて友好的な笑顔で返す。


「そう? さっきからコソコソのぞいてたのに? 窓の外から」


 予想以上に早い時間から気づかれていたという事実に、大樹は見るからに動揺し視線をさまよわせている。

 予想を上回るうろたえぶりに、ニーナはそれ以上追及するのがかわいそうになり本題をぶつけた。


「てっきり彩絵を連れに来たんだと思ってたんだけど。あたしに用事?」


 いつものどこか気だるげな表情で、しかしはっきりと明瞭なアルトの声で問われ。

 大樹は意を決し、ニーナの前へ足早に歩を進める。


「どういうつもりで彩絵をここに出入りさせているんですか」

「つもりも何も」


 ニーナはそっけない返事を返しながら大樹に歩み寄り、彼の直前で左手を二度、横に払う。

『どけ』と言わんばかりのそれに、大樹は一瞬ムッとした。

 が、自身が開け放したままのドアの前で屋内への通路をふさいでいたことに気付き、さっと横に避ける。


「彩絵がここに来たいって言ってるから。無理強いしてるわけじゃない」


 アトリエ内に入り、ドアは開けたままニーナは言う。

 彼女の背中に、大樹は外から訴える。


「彩絵はすぐ影響されるから……深く考えもせずにあなたについて行きたいって言いだしかねない」

「あぁ……そう」


 ニーナは大樹の思考に思い当たりうなずいた。

 確信をもって、大樹のそれが良いアイディアだと、そう見える笑顔で振り返る。


「なるほど、それもいいかもね」


 大樹は墓穴を掘ってしまったと反射的にニーナの方へ進み出る形でアトリエ内に踏み込み言う。


「困ります!」

「誰が?」


 ニーナからの問いに大樹は言葉を詰まらせた。

 そんな大樹にニーナは試すような笑みを浮かべ畳みかける。


「大樹が彩絵におせっかい焼くのは本当に彩絵のため?

 毎日大樹が迎えに行くたびに母親に起こされて。大樹にバスに乗せてもらって?

 それに甘えるから、彩絵はいつまでたってもひとりで起きられないんだよ」

「同じ高校になれば俺が」

「彩絵が就職する頃になっても、ずっとあんたが迎えに行くつもり? 彩絵がそうして欲しいって言ったの?」


 鋭いニーナの声に、大樹は返す言葉もなく。

 彼女の言葉を黙って受けるしかできなかった。


「何をどうするかは彩絵の自由。あんたにとやかく言う権利はないんじゃないの」


 そこまで言って、ニーナは小さく息を吐いた。

 両の拳を身体の両脇で握りしめじっと床を見つめている大樹に、一転して明るい声をかける。


「あらら、ちょっと意地悪しすぎちゃったかな」


 ニーナとて大樹を責めるつもりで言ったわけではない。


 自分のためにしているのか、彩絵のためにしているのか。

 もちろん自身の側からの一方的な視点では何が正解かなんてないのだろうが、一つに固執しすぎると視野が狭くなってしまうものだ。

 同じことの繰り返しは心地よくはあるだろう。しかし同時に新たな可能性を奪うことにもなりかねない。

 彩絵にも、もちろん大樹にとっても。


「彩絵はさ、大樹が思っているよりもしっかりした子だよ。ま、とろくて天然ぽいところはあるけどね」


 大樹はニーナと視線を合わせないまま、


「だから心配なんですよ」


 わずかな苛立ちを含んだ短い言葉を残し、アトリエを出る。

 出て、去ろうとした直前。大樹は入口に踏みとどまり、まっすぐニーナを見つめて姿勢を正し一礼した。


 ニーナは思わず破顔し、入口まで大樹を追いかけた。


「青春だねぇ。いいねー若いって!」


 大きな声で、大樹には迷惑であろうエールを送る。

 大樹も不器用だがまっすぐでいい子だ。心を乱していても礼を欠かないのは身についた習慣か。確か家が隣で剣道道場と彩絵が言っていた。

 当たり前のように隣にいた幼馴染が、自分から離れていくのが怖いのだろう。


 ニーナはドアを閉めてテーブルへ戻る。


 しかし、先刻告げた通り。

 彩絵がどの道を進むのか、選ぶのは彩絵自身だ。彩絵が納得して選んだ道でなくては、どの道を選んだとしても後悔するだろう。

 周りの説得に納得して安全な道を行くのか、それとも絵の道に進むのか……。


 そこまで考えて、ぬるくなったコーヒーを口に運んだニーナの中に大樹の言葉がふと思い起こされた。


「彩絵と、ねぇ……」


 小さなつぶやきは誰にも届くことなく、アトリエ内を包む静寂に吸い込まれていった。

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