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二・マダムの庭




「ああああ、足痛いぃ~」


 一歩、一歩と重い足取りを勧めながら彩絵が唸る。隣の大樹は彩絵のリュックを腕に掛けて平然と歩いている。

 二人は下校途中である。学校から家へ向かうバスをバス停ひとつ早く下車し、ある場所へと向かっていた。


「今日何度目だよ、それ」


 呆れ顔の大樹を恨めしそうに見上げ、彩絵はその顔に指を突き付けた。


「大樹が悪いんじゃない! 急に逃げ出したりして……」

「逃げてない! あれは、少しでも遅刻の可能性を少なく、しようと……」


 我ながら苦しい言い訳だと大樹は思ったが、足の疲労にさいなまれている彩絵はそこには突っ込む余裕もない。再び重い足を引きずり歩く。


「だからってバス停ひとつ分走る? 『このまま次のバス停までランニングだ!』って今時スポーツマンガでもやらないよ」

「バスに乗れないと遅刻確定だったろ」


 朝の騒動で乗り損ねた二つのバスの次のバスに乗り、かつ学校まで走るのが遅刻を回避する唯一の方法だった。

 もちろん、それは大樹の話。彩絵は先に降りるため降車後走るほどではないが、やはり同じバスに乗らなくては遅刻となる。

 ぐうの音も出ない彩絵に、大樹はここぞとばかりに兄貴然と振る舞う。


「だから早く起きろって。アレ、ちゃんと使ってるか?」

「あれっ?」

「誕生日にあげた目覚まし時計……」


 言いながら隣を見たが、彩絵はすでに大樹の隣にいない。

 彩絵は通りの角を曲がって見えた目的地の違和感に、足の痛みを忘れて小走りに駆け寄っていた。


 そこはレンガ壁の倉庫だった建物を改装した喫茶店『マダムの庭』である。

 レトロな型板ガラスの小窓がしつらえられた木製ドアに張り紙がされている。


『諸事情によりしばらく臨時休業いたします。

       マダムの庭 店主 森下ミツ』


「えーーー! なにこれ! 臨時休業って、しばらくっていつまで?」

「また気まぐれで旅行にでもでかけたんじゃあないのか?」


 彩絵の後ろまで歩いて来た大樹はぎょっとする。突然彩絵が店のドアを叩き始めたのだ。


「ミッちゃーん! いないの? あけてー! あけてよう!!」

「こ、こら彩絵。やめろって」


 近所の迷惑にもなると慌てて、大樹が彩絵を羽交い絞めにしてドアから引き離す。

 彩絵は両腕をぶんぶんと振り回し抵抗する。


「ミッちゃんのスイーツがない帰り道なんて帰る意味ないの!」

「はぁ?」


 あろうことか地団太まで踏んでいる。地団太を踏む様子こそ今時マンガでも見ない。

 すると店のドアが勢いよく開いた。同時に彩絵を上回る大きな声が響く。


「うるさいよ!」

「ミッちゃん!」


 彩絵の顔がぱっと笑顔になり、羽交い絞めているままの大樹の腕をうるさそうに払う。ついでに、返せと言わんばかりに自分のリュックもひったくる。

 自分で持たせたくせに、と大樹はその言葉を飲み込んだ。

 二人の様子をほほえましく見つめるのはマダムの庭の店主、ミツである。


 五十歳半ばのミツは派手な柄物のシャツに、これまた別柄の派手なロングスカートを合わせている。

 その上から白い割烹着を来た様子は『マダム』というよりは定食屋のおばちゃんである。

 

「毎度毎度けたたましいね、あんた達は」

「こいつと一緒にしないでください……って!?」


 うるさくしていたのは彩絵だけです、と書いた顔ですましている大樹のスニーカーの横を彩絵が蹴りつけたのだ。

 放っとくといつまでもじゃれ合うことになる。ミツは二人に向けてドアを大きく開けた。


「とにかく入んな」

「やった、やった」


 両手を上げて右足、左足とぴょんぴょん跳ねる彩絵。大樹は礼儀正しくミツに一礼する。


「すみません、お休み中に」

「休みったってね、体調悪いとかそういうんじゃあないから気にすんじゃないよ。ちょっとした事情があってね」

「事情?」


 首をかしげる大樹の横で、待ちきれない彩絵が二人をなだめるように両手を振る。


「まーまー、立ち話もなんだから中入ろ?」

「それお前が言う?」

「相変わらず仲が良いこと。さ、入んな」


 ミツの言葉に触発されて『仲なんか良くないわ』と言わんばかりに牽制し合いながら店内へ入る。

 後ろでドアが閉まった勢いでドアベルが鳴る中、大樹は違和感を感じてふと足を止めた。

 彩絵の方はまったく気にした様子もない。三席しかないテーブル席のうち、カウンターに一番近いいつもの席に座る。


「ミッちゃん、私クリームあんみつね!」

「アンタは本当にメニューにないものばっかり頼むねぇ。うちは『ふらんすかふぇー』だって言ってんだろ? くれーむぶりゅれとかせっかく苦労して……」

「でも今日はクリームあんみつ気分なの! ないの?」


 お預けをくらった子犬のような顔で見つめてくる彩絵に、ミツはにやりと笑む。


「あるよ。大樹は?」

「俺はコーヒーを……あと、そのクレーム・ブリュレも」

「大樹は気遣いのできるいい子だねぇ。待ってな」


 ミツは白いレースの長暖簾をくぐって厨房へ向かう。

 彩絵はテーブルの上に置かれたメニュー表を手に取って、クレーム・ブリュレが追加されているのを確認する。


「メニュー増えてたんだ。ひと口ちょうだいね」

「まったく。あまりミツさんにわがまま言うなよ。……彩絵は気にならないのか?」

「なにが?」

「この臭いだよ。シンナー、っていうのでもないけど」


 入った時から揮発性の臭いが店内に充満している。

 改装しているのかと思ったのだが、そんな様子もなく不思議に思っていたのだ。

 言われて、彩絵は改めて周囲の臭いをかぐ。


「あ、そういえばするかも」

「鼻詰まってんのか?」

「詰まってません! 部活中の美術室に比べたら快適だよ」


 彩絵が所属している美術部では油彩画を教えているのだ。

 絵の具を溶くのに使用する揮発油を大人数で使用するため、換気をしていても慣れない者は具合が悪くなったりもする。


「あー、あのテルミンだかなんだか」

「テレピン! むしろ落ち着く感じで全然気づかなかった」

「シンナー中毒」


 うえっとえづくふりで言う大樹にムッとして彩絵も言い返す。


「男子剣道部の防具とかの臭いより全っ然マシですー。あの一回も掃除されてないハムスター小屋みたいなの最悪! 大樹こそ剣道中毒じゃない。家が道場なのに学校も剣道部」

「うるさいな。好きでやってるんだから放っとけよ」


 大樹は幼い頃から両親が仕事で忙しく、剣道道場を営む祖父に厳しく育てられた。

 現在通う高校を選んだのも、強豪剣道部を有するためというのがひとつの理由だ。

 もちろん、通学バス経路が彩絵が通う中学校の延長上にあるというのも理由ではあるが……。

 文武ともに部活動に力を入れている校風であり、美術部も『俺校アピール』に含まれていた通り高い水準を誇る。


 部活の話から連想して大樹が言う。


「それより、先生にも言われたんじゃないのか?」

「……言われた」


 失敗した、と見るからにテンションが下がる彩絵に大樹が悪気なく追い打ちをかける。


「もう来週だぞ? 三者面談」

「三者面談ねぇ。お客の中にもいたよ、子供の進路で悩んでるって」


 いつの間にかカウンター内に戻ってきていたミツが話に入る。

 彩絵は長年使い古されてぐったりとした巨大なテディベアのようにだらしなくイスにもたれた。


「ねー、なんで親が子供の進路で悩むの? 子供の事なんだから子供に任せてくれればいいのに」

「そりゃあ、親だからね。子供の将来を心配するのは当然だよ」


 彩絵は急に起き上がりミツの方へ身を乗り出す。ミツが自分の身の上を話したのを聞いたことがないからだ。


「ミッちゃんも? そうだった?」

「アタシゃ……」


 言いかけて、期待に満ちた彩絵の視線に気づく。ミツは注文の品が乗ったステンレスのトレイをテーブルに運ぶ。


「アタシのことはいいの! ほれ、できたよ」


 目の前に置かれたクリームあんみつは抹茶アイスに特盛ホイップの白とあんこのコントラストが美しい。

 大好きな白玉も多めに入っている上、苺と黄桃が彩を添えている。


 三者面談や進路の悩みなど吹き飛んだ彩絵は喜び勇んでスプーンを手にした。


「待ってましたー!」

「今日は営業日じゃないからお代はいいからね」

「すみません。いただきます」


 大樹は自身の前にコーヒーとクレームブリュレが置かれる際にミツに会釈する。

 いち早くひと口ふた口スプーンを運んだ彩絵は、口の中に広がる甘味が喜びに変換されていくのを味わいながら言う。


「っあー! このために今日一日勉強頑張ったって気がする」

「どうせ授業中にラッコ描いてたんだろ」

「らっこ?」


 彩絵を茶化す大樹にミツが訪ねる。大樹は彩絵が止めるより早くミツに暴露する。


「こいつ今ラッコの絵本描いてて……」

「わーわーわー! なんでもない、なんでもない」


 彩絵はそのままじろりと大樹をにらみつける。


「た い き!」


 その時、ドアベルが鳴り外からの来客を知らせる。同時に張りのあるアルトの声が店内に響いた。


「騒々しいなぁ。今日休みにしたんじゃなかったの」


 肩にボストンバッグをかけた長身の女性はミツに言ったあと、彩絵と大樹に向き直る。


「あんた達は朝から晩までずっとそんな調子なわけ?」


 面白いものでも見るかのように、猫に似た目で二人を見てくる。彩絵と大樹はどちらからともなく顔を見合わせる。


「あれ? 朝、ほら。バス停で」

「え?」


 大樹は見覚えのあるボストンバッグに気が付いた。彼女は二人の反応の理由に思い当たり、


「すぐ逃げてったからわかんないのか。ほら」


 ボストンバッグと一緒に持っていた着古しのトレンチコートを見せたところで彩絵も気がついた。


「あ! あのホームレスの人!?」

「ホームレスって……ま、定住してないってとこは当たってるか」


 三人のやり取りを見ていたミツは納得した様子で笑う。


「なんだ、サスペンスだ死体だって騒いで逃げたってのはあんた達かい」

「「逃げてない!」」


 同時に立ち上がり言い訳を放った二人は一瞬顔を見合せ、さらに同時に相手を糾弾する。


「逃げたのは大樹」

「あれは彩絵が寝坊」

「ハイハイ、二人の仲の良さはもうわかったから。頭にガンガン響くんだよね」


 店の奥に向かって歩いていく彼女に、ミツのあきれ声がかかる。


「ただの二日酔いだろ」

「ミッちゃんの知り合いだったんだ」

「こいつはニーナ。恩人の娘で……なんだかんだ長い付き合いかね。こっちは」


 ミツが二人を紹介しようとすると、ニーナは二人の顔をそれぞれ見ながら


「大樹と彩絵ね。よろしく」


 口の端を上げて微笑んで見せた。

 彩絵はその様子に見とれてしまった。背が高く、メンズライクな服が似合うかっこいい女性。日本人のように見えるが、名前が――。


「ニーナ……?」


 ぼうっとした様子の彩絵の頭を下げさせながら、大樹はニーナに一礼する。


「よろしくお願いします」


 ニーナは店奥の壁の前にボストンバッグとコートを置き、開けたバッグの中を探りながら言う。


「ねーお腹すいたからなんか作ってよ、おばちゃん」

「ん? おばちゃん?」


 聞き捨てならない、と聞き返すミツ。ニーナはミツのその反応に面倒臭そうに頭を掻いてから立ち上がり、ミツの方へ向き直る。

 紳士のように姿勢を正し、


「Je veux déjeuner. S'il vous plaît, madame」


 流暢なフランス語でお願いしつつ優雅に礼をして見せる。ミツは満足する返答を得て大きくうなずいた。


「よろしい。きちっと仕事したら出してやるよ。働かざる者」

「食うべからず、ね。さー、もう乾いたかなー」


 二人のやり取りを見ていた大樹は、見るともなしに見た腕時計が指す時間に驚き「もうこんな時間か」と残っていたコーヒーを飲み干す。


「ミツさん、ごちそうさまでした」

「バイトかい? 頑張っといで」

「ありがとうございます。彩絵、残ってるクレーム・ブリュレは食べていいからな。あまり長居しないで帰れよ」


 帰り支度をし席を立ちながら大樹が言う。最後の言葉は閉めかけのドアから言い残して去って行った。


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