表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/229

9 逃げ出した目的

【三章】




 なんだかやけに体が重い。

 そう思いながらソファから身を起こすと、体の上にたくさんの毛布が掛けられていたことに気がつく。


「……」


 秋の終わりといえど、これだけあれば絶対に風邪を引かなさそうな、もこもこの塩梅だ。

 眠ったクラウディアに、毛布を掛けてくれる人物など、いまのところ世界にはひとりしかいない。


「ノア?」


 名前を呼んでも、返事はなかった。

 もちろん分かりきったことだ。だって室内には、ノアの持つ魔力の気配が感じられない。


(――思ったよりも、早かったわね)


 きっといずれ、逃げ出すだろうと思っていた。それがいまだったというだけなので、クラウディアは淡々と考えるだけだ。


「んしょ」


 床に降り立つと、花びらがふわりと落ちてくる。


「?」


 いつのまにか、クラウディアの髪には小さな花が飾られていた。

 それはどうやら、部屋に飾られていた花瓶の花を手折ったものらしい。とても小さな白い花で、ほのかに甘い香りがする。


(……毛布とお花の贈り物なんて、初めてだわ)


 横髪からそっと花を外し、窓の光に翳して眺めた。

 そしてクラウディアは、いくつかの魔法を唱えるのである。




***




 かつて、大陸の南に位置する国には、魔力に乏しい第一王子がいた。

 強い魔力を持った両親のあいだに産まれておきながら、使える魔法は庶民と変わらないという王子だ。第一王子はその屈辱を、腹違いの弟である第二王子にぶつけていた。


 この国に生まれた第二王子は、母親が庶民という身の上だ。

 にもかかわらず、彼は父王の才覚をすべて引き継ぎ、類稀なる魔法の使い手となったのである。


 第一王子は、そんな第二王子のことを、徹底的にいたぶった。


『お前は所詮、卑しい女の血を引いているんだ!! どんなにお前が優れていようと、僕の方が上だ』

『お前など死んでも構わない。だって、僕がこの国の王になるんだからな!!』


 第二王子は何度も殺され掛け、生死の境を彷徨った。

 彼らの父王が死に、第一王子が王位を継ぐと、その扱いはもっとひどくなる一方だ。


 第二王子はやがて、異母兄への復讐を決意する。

 それも、兄の元にふたり目の子供が生まれ、兄が幸福の頂きにある真っ最中に。


『やめろ!! 庶子の分際で、僕に牙を剥くなど……う、うわああ!!』



 兄とその妻は、一思いに殺してしまった。


 彼にとって、それは激情に駆られた末の失敗だった。

 だからこそ王になったその男は、憎い兄の子供であり、甥姪にあたる子供たちに、代わりの復讐を始めたのである。



 生まれたばかりの姪は、軟禁状態で手元に置いて。


 ――当時まだ四歳だった幼い甥を、『妹を守りたければ言うことを聞け』と脅し、魔法による奴隷契約を結ばせた。




***




「……っ、は……」


 『ノア』と名付けられた少年は、小さな息を吐き出した。


 ここまで走り続けてきた所為で、心臓がどくどくと音を立てている。

 息も切れ、汗が伝い、喉の奥から血のような味がした。柱の影に座り込み、何度も息を継ぐ。


(ようやく、ここまで来たっていうのに……)


 すぐ傍の廊下から、慌ただしい足音が聞こえてきた。


「探せ、探せ!! 元王子レオンハルトを捕らえて引き摺り出せと、国王陛下のご命令だ!」

「前王の息子が生きていたなど、世間に知られては陛下の権威に関わる……! 総力を上げて、レオンハルトを見つけ出すぞ!」


 魔術師たちが自分を探している。生まれ育った城だというのに、自分にとってここは敵地でしかない。


(落ち着け)


 深く俯いて、思考を巡らせた。


(結界はすべて突破した。あの男がいるのは、この先にある王の間だ)


 その方法は、魔女アーデルハイトの生まれ変わりと名乗る少女、クラウディアに教わった。

 それだけでなく、ここまで来る転移の方法もだ。彼女の『掃除』を手伝う傍ら、ノアはその手法をしっかりと学び、自分の技術として絡め取った。


(クラウディアの魔力さえあれば、突破するのは簡単だろうな。……だけど)


 左胸を手で押さえ、シャツをぐっと握り込む。


「……」


 ノアは大きく深呼吸をし、座り込んでいた床から立ち上がると、立てかけていた氷の剣を掴んだ。


『お前の魔力はね。攻撃特化の性質を持っているの』


 クラウディアが、今朝方そんな風に言っていたのを思い出す。


『攻撃力は最上級だわ。その代わり、瞬間的に発動させたり、柔軟に形を変えるのが苦手なのよ』

『なら、どうすればいいんだ』

『簡単なこと。戦闘時は常に発動させておいて、形状を変えなければいいと思わない? ――たとえば、魔法で剣を作っておいて、その剣を使って戦うの』


 小さな少女は、そう言ってくすっと笑った。


『でもこれは、あくまで「お前自身の魔力だけ」を使う場合』

『……つまり、あんたの魔力を使う場合は……』

『そうよ、お前にそんな不得手はなくなる。瞬間的に、柔軟に、最高火力の攻撃魔法を出すことが出来るわ!』


 実質、クラウディアの塔での戦いは簡単だった。

 ノアの剣で結界をこじ開け、クラウディアの魔力で隙間を押し広げる。魔術師の魔法を剣で弾き、氷魔法の波で炎を押し潰した。


 そんな魔法を与えられて、高揚しなかったといえば嘘になる。


(……虫の良い話だ。あいつに命を救われておきながら、従うふりをして裏切って、逃げたくせに)


 この城の結界を破るのに、どうしてもクラウディアの魔力が必要だった。

 しかし、眷属であるノアが魔法を使うと、その反動は彼女に戻るのだ。


 城に入ってから最上階に至るまで、すべて自分の魔法だけを使ってきた。

 だが、最初の転移と結界破りの際に借りた魔力だけでも、塔に置いてきたクラウディアに負担は掛かっているだろう。


(あいつの魔力を、これ以上使うわけにはいかない)


 閉じていた目をゆっくりと開き、王の間へと駆け出した。

 見取り図は頭に入っている。生まれてから四年間、自分の家として過ごした城だ。


「居たぞ! あの黒髪の子供、間違いない、レオンハルト王子だ!」

「気をつけろ、一級魔術師がすでに十人以上やられている!! 拘束魔法を……ぐあっ!!」


 魔術師たちを剣で薙ぎ払い、身を低くして廊下を走る。背後から縄状の光が伸びてきて、ノアの右足首に絡み付いた。


「く……!!」


 ぎしりと軋む音がする。

 氷の剣で斬り、身を捩って、すぐさま体勢を直した。


(あと少し……!!)


 廊下の先に、王の間の重厚な扉が見える。

 先ほどと違い、身体強化の魔法は施していない。無茶な動きをするたびに、体のあちこちがずきずきと痛んだ。


 それでも、残りわずかで辿り着く。


 そう思った瞬間に、扉の内側で何かが爆ぜた。


「……っ!!」


 爆風とも呼べる熱風が、猛烈な音を立てて通り抜ける。

 皮膚が焼けずに済んだのは、咄嗟に防壁を張ったからだ。事実、ノアの後ろにいた魔術師たちは、顔や腕を押さえて悲鳴を上げている。


「まだ生きていたのか。レオンハルト」

「……」


 現れたのは、異母兄の息子であるノアを奴隷にし、犬以下の扱いを続けていた男だった。


 父やノアとは違う、金色の髪。

 それでいてノアと同じ、真っ黒な虹彩を持つ瞳。


 この国の現王である男が、その手に炎を纏いながら、ノアを見下ろしている。

 ノアは透明な剣を握りしめ、まっすぐに男を睨みつけた。


「……妹を、返してもらう」

「ほう?」


 現王はにやりと笑い、その顎の髭を手で撫でる。


「まさか、アンナに起きたことを理解していないのか?」

「……」

「いいや違うな。理解したからこそ、お前の犬小屋を壊して逃げ出したということらしい」


 くつくつと喉を鳴らして笑い、現王が目を細める。


「残念だよレオンハルト。お前が兄上に似ていれば、私はもっと愉快な気持ちになれた! どちらかといえばその顔は、お前の母君に似ているからなあ」

「……」

「何度もお前に言っただろう? 私はずっと、お前の母君をお慕いしていた。その所為で、兄上への復讐をお前に肩代わりさせているときも、ついつい手心を加えてしまったんだよ」


 この男に受けてきた仕打ちの中で、手心などを加えられた覚えはない。

 だが、自分の身に受けたことなど、一切がどうでもよかった。


「……妹を、こちらに渡せ」


 ノアはゆっくりと繰り返す。

 それでも、現王はにやにやと笑うばかりだ。


「いいことを思いついたな。せっかくお前が戻ってきたことだし、今度はその顔を焼いてしまおう」

「……」

「そうすれば、思いっ切りお前を苦しめられる! なあ、それはどうだ?」


 現王が右手に纏う炎が、ゆらりと大きく膨れあがる。


「妙案だと、思うだろう……!!」

「っ」


 そして、黒煙を吹きながら襲い掛かってきた。

 冷静に、慎重に、正確に流れを見極める。氷の剣を真っ直ぐに構え、それを大きく振り下ろした。


「く……!!」


 炎の流れがふたつに割れ、ノアの左右を通り抜ける。

 剣が弾き飛ばされそうになり、渾身の力で耐える。炎というよりも、膨大な水の流れに歯向かっているような感覚だ。


「ははは。あの兄の子とは思えんほどの、素晴らしい魔力量だなあ!! だが荒削り、未熟、あまりにも甘い!!」

「!!」


 氷の剣が砕けると同時に、咄嗟の防壁を目の前に張った。


 けれども完全には防御できない。

 炎の熱から逃れた代わり、ノアの体は弾き飛ばされ、背中を床へと打ちつけた。


「か、は……っ」


 肺に伝わった衝撃で、呼吸がうまく出来なくなる。

 咳き込みながら、すぐさま身を起こして体勢を直した。再び氷の剣を出現させ、その手に握り込んでみるものの、こんなものではあの男に届かない。


(退くな。……あの男に押し負けるな。何があっても)

「諦めろ。なにせお前は、父親のしたことの償いを私にしなくてはいけない運命だ」


 現王は、心から楽しそうにノアを見下ろす。


「お前はあの男の代わりとして、一生私に嬲られて生きるんだよ」

「……」


 ノアは、まっすぐにその男を睨みつけた。


「…………生き様は、自分で選ぶ」

「なに?」


 ノアの言葉に、現王のその双眸がぐっと歪んだ。


「恩人に、『死に様ではなく生き様を選べ』と言われた。……だったら、たとえここで死んだとしても、妹の亡骸をお前から取り戻す」

「……ふん……!!」


 品のない舌打ちと共に、現王は再び炎を纏った。


「貴様、まさか本当に、アンナが死んだと分かっていながら戻ってきたのか! なんと愚かな……」

「生きているあいだに守れなかったんだ。死んだあとまで、あいつをひとりにしておけるものか」


 だが、その望みはきっと叶わない。


 目の前の男との戦力差など、ここに来るまでもなく痛感している。

 クラウディアの魔力を使ったなら、あるいは勝てたのかもしれない。だが、その選択肢は最初から選ぶ気が無かった。


(……クラウディアを裏切り、勝手に力を借りて、ここまで来た)


 呼吸を練り、剣の柄を強く握り込む。


(これ以上、あいつに負担の掛かることはしない)

「……ずっとだ。奴隷の鎖を首につけても、お前はずっとその不快な目で、私のことを見続ける」


 次の一撃が来たら、それで終わりだ。


「顔を焼くだけでは足りないな。お前をもう一度捕まえたら、今度はその目も焼いてやろう!!」

「っ!!」


 迫り来る炎を前に、覚悟を決めたその瞬間。


「――とんでもない愚考だわ」

「!!」


 すぐ傍で、さらりとミルクティー色の髪が揺れた。


「な……」


 華奢だが、ちゃんと大人の大きさをした手が、ノアの右肩に添えられる。

 見上げるとそこには、十六歳くらいの美しい少女が立っていて、鮮やかな微笑みを浮かべていた。


「馬鹿には理解できないのね。この子の持つ、黒曜石のような色の瞳が、どれほど美しいものなのか」

「まさか……」

「そうでしょう? ノア」


 信じられない気持ちになる。

 けれどもそれは間違いなく、ノアが裏切って置いてきた、あの少女だ。


「あんた、どうしてここに」

「ふふ」


 大人の姿をしたクラウディアは、炎にまっすぐ手のひらを向ける。


「――『排除』」

「!!」


 その瞬間、雷鳴のような轟音を立てて、放たれた炎が弾き飛ばされた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ