8 お昼寝はとても大事です
「えーん、ノアー」
「……」
ノアに抱き着いて、クラウディアはめそめそと声を上げた。
「……おい」
「このお兄さん、おカオこわい。早くどこかに行ってもらって。えーん、えーん」
「おい。お姫さま」
上からは、呆れた声が降ってくる。
「その泣き真似には無理がある」
「…………」
クラウディアは、わざと出していた泣き声をぴたりと止めた。
「大体、さっきまで炎の中でも平然としていたやつが、いまさら顔の怖い男を見たくらいで泣くものか」
「……むう」
そう言われてノアから顔を離し、口を尖らせる。
クラウディアの瞳を見下ろしたノアは、少し驚いた顔を見せた。だが、クラウディアは構わずに続ける。
「わかんないでしょ。炎よりも怖いカオかもしれないじゃない」
「……いや。確かにちょっとは怖い顔をしているが、さすがにそこまでじゃないだろう」
「じぶんの基準に当てはめて考えるの、よくないわ。もっとひろい視点をもたなきゃダメよ」
「広い視点で考えたとしても、あんたの泣き真似は下手くそだ」
「ええー」
「姫殿下。少々お話をよろしいですか?」
「……」
よろしくはない。
だが、美形だけれど怖い顔を持つカールハインツは、クラウディアを逃がすつもりはないようだった。
どっちがより面倒かを考えて、クラウディアは仕方なく振り返る。
カールハインツは真顔のまま、こちらに対して頭を垂れた。
「私は、陛下より王城筆頭魔術師の座を賜りました、カールハインツ・ライナルト・エクスナーと申します。御身のご無事は喜ばしいことですが、これまでさぞ辛い日々をお過ごしになっていたこととお察しし、お見舞い申し上げます」
「カールハインツさま。わたしの塔におきゃくさまなんて初めてなので、来て下さってとってもうれしいわ」
「……」
カールハインツは顔を上げると、微笑みを作ったクラウディアを見据える。
「素晴らしい、金色の瞳をお持ちですね」
「――……」
それこそは、先ほどノアが驚いた理由に違いない。
クラウディアの瞳は、七色の色彩を持っている。けれどもいまは、魔法で色合いに細工をし、透き通った金色に見せていた。
「こちらの少年は? 鑑定すれば、かなりの魔力値を叩き出しそうな様子でしたが」
「ノアはわたしの従者よ。強くてかっこよかったでしょう?」
「従者。そのような報告は……」
「それ以外は、まだひみつ」
微笑んだままそう言うと、カールハインツが探るように目を細める。
「カールハインツ団長。これより王城から、衛兵が転移して参ります」
「では、ハンネス・ライスターの移送を。娘とやらも共に連れて行ってやるのがいいだろう。……姫殿下とは、場所を変えてお話をさせていただきたく」
「ごめんなさい、カールハインツさま」
クラウディアは、ノアの腕にきゅうっとしがみついて言う。
「わたし、もうすぐおひるねの時間なの」
「……」
すると、カールハインツはその目を丸くした。
「昼寝、とは」
「え! ご存じないんですか、団長!」
伯父の移送を準備していた赤毛の魔術師が、カールハインツに進言する。
「これくらいの小っちゃい子は、ずっと長くは起きていられないんですよ」
「……そうなのか?」
「そうですよ! このくらいの時間に寝かせないと、夕方とかに寝落ちして夜眠れなくなるんです。姫殿下のお昼寝タイムは、いまこの場においての重要項目に該当するかと!」
(そうそう。いい援護だわ、魔術師さん)
部下にそう言われ、カールハインツは小難しい顔でクラウディアを見る。
「……では、そのお昼寝タイムとやらをお取りください。そのあとは、何時ごろにお目覚めのご予定で……」
「さ、いきましょノア。おやすみなさあい」
クラウディアはノアの手を引いて、とことこ歩き始める。ノアは何か言いたげな顔をしたが、大人しくクラウディアについてきた。
階段を上がり、とある部屋に向かう。ふかふかのソファに腰を下ろしたクラウディアは、くあーっとあくびをした。
一方のノアは、室内にあふれる豪奢な調度品を見回して、眩しそうに目をすがめている。
「……なんだ、この悪趣味なギラギラの部屋」
「この塔にたまにやってきて、数時間しか滞在しないおじさまの為に用意された、専用のおへや」
無駄に大きなシャンデリアや、毒々しい色の絨毯など、余計なものが多すぎる。だが、他に選択肢がないのだ。
「わたしのへやは、へやというより牢屋みたいだし……」
「なに?」
「物置がおへやの代わりだったの。そんなところで寝たんじゃ、ドレスがよごれちゃう……ふわあ」
あくびをし、ソファへぽすんと横になった。
すると、ソファの傍に立ったノアが、クラウディアを覗き込むように身を屈める。
「……俺の氷魔法を、あの男の炎にぶつけたとき。あんたからの補助があっただろう」
「あら。よく気が付いたわね」
魔力を使う方だけでなく、感受性も高いらしい。それは、一流の魔術師に欠かせない能力だ。
「俺が魔法を使ったとしても、魔力をあんたから借りた場合、反動はあんたに返ってくるのか?」
「んん……。直接、じぶんで使うときほどじゃないけれど……」
とはいえ、やっぱり反動は少なくないし、眠いものは眠い。
今日のクラウディアは、転移によって塔まで来て、ノアに魔術師四人を倒させた。それから結界を破壊して、再び転移魔法を使い、伯父たちのいる上階に移動したのだ。
そこからノアに魔力を与え、伯父の雇った最後の魔術師のあと、カールハインツと一戦交えさせた。
たった『それだけ』の魔法でも、六歳の体では耐えきれなかったに違いない。
ノアを通していなければ、魔力の調整が出来ずに塔ごと吹き飛ばし、クラウディア自身も気を失っていただろう。
「……あんたと距離が離れていても、魔力の受け取りは出来るのか?」
「もんだいないわ。……魂のけいやく、だから……」
クラウディアは小さな手を伸ばし、ノアの頭をよしよしと撫でる。
「わたしの魔力は、おまえの魔力が気に入ったようだわ」
「……」
「それを加味しても、驚くほどじょうずに使えていた。……ノア、いいこね」
「……ふん」
幼子のように褒めたのが、そんなに気に入らなかっただろうか。
不本意そうに眉根を寄せて、ノアはクラウディアの手を押しのけた。
「あのカールハインツとかいう男。あいつに、何をどこまで説明するんだ」
「せつめい?」
「あんたがアーデルハイトの生まれ変わりだとか。とんでもない魔力の持ち主だとか、そういう話」
「しないわ、そんなもの」
だって、どう考えても面倒くさいことになりそうだ。
「だけど。お前のことは、きちんとしなくちゃ……」
「俺の?」
「そう。王女のそばにずっと置くなら、それなりの理由。……うそ、つかないと」
前世はもっと簡単で、『アーデルハイト』はただ弟子を取るだけでよかったのに。
だが、いよいよ眠くなってきた。
「……お前は、なにも心配しなくていいわ」
「……」
「だってこれは、ごしゅじんさまとしての、責任…………」
クラウディアは、すうっと寝息を立て始める。
だからこそ、ノアが呟いた言葉も聞こえなかった。
「――そんなものは、最初からいらない」
そして、それから数時間後。
クラウディアが目覚めたときには、ノアは塔から姿を消し、居なくなってしまった後だった。