7 優秀な従僕
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ノアと手を繋いだクラウディアは、にこにこしながら伯父のことを見上げていた。
つい先ほど、こちらを見て「クラウディア」と呼んだ伯父は、自分の口を慌てて塞いでいる。脂汗が滲み、目が動揺に泳いでいて、混乱しきっているようだ。
(いい顔。……だけど、まだ足りないわ)
続いてクラウディアは、伯父の数メートルほど前に立つ魔術師たちを眺めた。
どれもみんな、それなりに腕が立つ者ばかりのようだ。しかし、クラウディアが注目するのは、銀髪をひとつ結びにした赤い目の人物だ。
(あれが、筆頭魔術師のカールハインツ?)
あの男と伯父の会話は、塔の外から魔法で聞いていた。
(見栄えのする男だし、魔力量もなかなかね。でも……)
クラウディアがにこりと微笑みかければ、銀髪の男は僅かに目をみはった。
それを見て、伯父が引き攣った声を上げる。
「あ……にっ、偽物、いいや侵入者だ!! 王女の塔に、侵入者が入ってきたぞ!!」
「あら?」
「おい!! なんのためお前たちに金を払ったと思っているんだ、早くあのガキ共を排除しろ!!」
伯父に急かされたローブの男は、雇われの魔術師だろう。
クラウディアたちを見る彼の目に、子供相手の油断はない。何故ならば彼は、ノアが他の魔術師を倒し、結界を破ったところを目の当たりにしている。
伯父に雇われた魔術師は、警戒心を滲ませながら詠唱を始めた。
「――『雷鳴よ来たれ。混沌を打ち砕き、空を裂きて……』」
「ノア。出来る?」
「ああ」
事も無げに答えたノアは、氷の剣を右手へと出現させた。
つい先ほど、クラウディアが彼に教えたばかりの魔法だ。それを簡単に馴染ませたノアは、魔術師の方へと真っ直ぐに駆け出す。
「『刹那より出でしその力にて、我の敵を……』」
「遅い」
一気に距離を詰めたノアに、魔術師が顔を歪めて言い放った。
「っ、『打ち払え』!!」
「――……」
雷鳴が、魔術師の手のひらから生まれ爆ぜる。
襲い来る白の雷光を、ノアはその剣で薙ぎ払った。顔色も変えず、しなやかな手足をばねにして、身を低くしながら追撃をかわす。
そして、何かを詠唱したようだ。
「『――』」
「うわっ!?」
氷の波のようなものが、魔術師の方に襲い掛かる。レオノーラの悲鳴がして、伯父が彼女を抱きしめた。
けれどもいまのクラウディアは、そんなことを気に留めることもない。
(……氷魔法)
遠くなっていくノアの背を、じいっと見つめる。
(それだけじゃなく、身体強化も使っているの? あの子自身の魔力でなく、私の魔力を吸い上げながら?)
他人の魔力と自分の魔力を混ぜ合わせるのは、案外難しいことなのだ。
それなのにノアは事も無く、それどころか当然のように使いこなしている。
(思った以上……いいえ、想像していなかったくらいの才能だわ)
胸の中に、わくわくとした感情が芽生え始めていた。
(高火力、高純度、高精度……! 粗削りだけど、いずれ私の弟子たちすら及ばなくなりそうなほどの一級品!)
すべての雷撃を交わしたノアが、床を蹴って飛躍する。
そうして剣を振りかぶると、魔術師に向けて一直線に叩き込んだ。
「ぐ……っ!!」
短い悲鳴を上げ、黒いローブの魔術師が倒れ込む。
気を失った彼に縋り付き、伯父が全力で揺さぶった。
「おい! 冗談じゃないぞ、起きろ!! お前たちにいくら払ったと思って……の、残りの魔術師は何をしている!?」
「そんなもの、全員ノアがやっつけちゃったわ」
くすくすと楽しく笑いながら、クラウディアは伯父に教えてあげる。
すると、伯父は憎々し気な表情でカールハインツに声を荒げた。
「筆頭魔術師!! お前は何をしている、早く王女を守……っ、うわあ!」
ごおっと熱風が沸き上がり、床が炎に染められる。
その根源であるカールハインツは、小さな溜め息をひとつ零し、静かなまなざしでこちらを見た。
(目つきだけの冷静さに、惑わされないわよ)
だって、カールハインツの持つ瞳は、苛烈な魔力の持ち主であることを表す赤色だ。
「ノア」
「いい。分かる」
ノアが氷の剣を消し、右手のひらをカールハインツへと向ける。
(随分と、頼もしいこと)
事前に教えた呪文のひとつが、氷魔法でちょうどよかった。
クラウディアはそんなことを思いながら、かりそめの従者と手を繋ぐ。その瞬間、両者がそれぞれに詠唱した。
「『灼熱よ、食らいつくせ』」
「――――『凍結』!」
勝敗など、目で見て確かめるまでもない。
炎を出現させていたものの、カールハインツは本気でなかった。その証拠に、ノアが放った氷魔法の一撃で、炎はあっけなく飲まれてゆく。
「きゃあああっ!」
レオノーラの大きな悲鳴と共に、じゅうっと蒸気の飛沫が上がった。
燃え滾る炎が氷を焼き、けれども結局は掻き消える。ばきばきと氷が軋みながら、床に敷かれた炎の海を潰し進めた。
賓客室は、透明な氷に覆われる。
クラウディアはノアから手を離すと、こつりと靴音を鳴らし、カールハインツの前に歩み出た。
「――王女クラウディアは、このわたし」
最初から分かっていたであろう魔術師に、にっこりと最上級の笑みを向ける。
「ご用はなあに? おきゃくさま」
「……」
カールハインツは目を伏せると、氷の上に膝をつき、跪いた。
そうして深々と頭を下げ、こう述べる。
「大変なご無礼を働きましたこと、お許しください。……クラウディア、姫殿下」
「な……っ、ち、違う! 何を言うんだ、そのガキはクラウディアなどでは……!!」
なおも言い募ろうとする伯父に、クラウディアはゆっくりと視線を向ける。
「おじさまは、そう思いたいわよね」
「……っ!?」
「だって、おじさまは知っているんだもの。ほんものの『クラウディア』が、生きてここにいるのは変だなあっていうこと」
「そ、それは……!!」
ごくりと喉の鳴る音がする。
ゆっくりと顔を上げたカールハインツが、ひどく冷めた目で伯父を見た。
その表情を見れば、カールハインツの想像していることなど明白だ。
「ね、おじさま。普通、魔法をつかえない六歳のこどもが、塔のてっぺんから落とされたら死んじゃうものねえ?」
「やめ……、なっ、なにを言っているんだ! 俺は、俺はそんなつもりじゃ……」
「聞こえないわ」
理解できないという顔をした伯父に、クラウディアは静かな目を向けた。
「――『ごめんなさい』が、聞こえてこないと言ったの」
「ひ……っ!!」
引き攣った声が、娘の前で情けなく漏らされる。
けれども親の矜持など、クラウディアにとってはどうでも良いことだ。
「悪いことをしたら、ごめんなさいしないと。おじさまは大人なんだから、ちゃんと教わっているはずよ?」
「ごっ、ごめ、ご……」
「そうそう、おじさま良い子! ……ちゃんとゆるしてあげるから、クラウディアのことも『ごめんなさい』したら許してね?」
ミルクティー色の髪をさらりと耳に掛け、クラウディアは微笑む。
「おじさまを、塔から落としてごめんなさいって。……ちゃんとできるように、いまから練習しなくっちゃ」
「……っ!!」
伯父の顔が、絶望の色に染め上げられた。
床にへなへなと座り込んだ伯父は、逃れられないことを悟ったようだ。クラウディアはカールハインツを見上げると、彼に告げる。
「おきゃくさま。おとうさまからのお金の行先は、全部おじさまに聞いてくださる?」
「仰せの通りに。相応の罰が下されるよう、手配いたしましょう」
「よかったわ。おじさまの家にあるものだけじゃなく、愛人の家にあるものも全部調べてね」
その言葉に、レオノーラが愕然として父を見る。
「あ、愛人……!? お父さま、一体どういうことなの!?」
「違う! 違うんだ、レオノーラ!! ああ、どうか父をそんな目で見ないでくれ……!!」
ぎゃあぎゃあと喚き始めたレオノーラの声がうるさくて、クラウディアは両手で耳を塞いだ。
(培ってきた財産の剥奪。信頼の失墜。家族からも愛人からも見捨てられて、娘の軽蔑と妻からの罵倒を浴びながら、失意の中での投獄……。正直なところ、私を侮辱しておいてこのくらいでは温いけれど、まあいいわ)
何しろ今回は、面白いものを見せてもらった。
「ノア」
魔術師たちが、伯父を拘束しようと動き始める。
そんなざわめきの中、部屋の隅で自分の手のひらを見つめていた従僕に、クラウディアはとことこと歩み寄った。
「怪我はない?」
「ああ」
「そう。いいこね」
「言われた通りに動いただけだ。なんてことはない」
とはいっても、ノアがやったのは並大抵のことではない。
本人もそれは分かっているのだろう。黒色の瞳でクラウディアを見下ろすと、ノアはふっと暗い笑みを浮かべ、言い放つ。
「――あんたの魔力があれば、なんでも出来そうだ」
「ふふ」
ぞくぞくするような嬉しさに、クラウディアも笑った。
これは思いのほか、面白いものを見つけてしまったかもしれない。そんなことを考えていると、後ろから声を掛けられる。
「失礼」
「……」
カールハインツを振り返り、クラウディアはしばらく沈黙した。
(どうしようかしら)
「姫殿下?」
正直なところ、困ったことになったかもしれない。
(……この男の相手をするのは、すっごく面倒くさそうだわ……)
そう思い、迷わずノアを見上げる。
そして、ぎゅうっとノアにしがみついた。