6 そして企みは破られる
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クラウディアの伯父として、後見人の座についているハンネスはその日、朝から忙しく動き回っていた。
身なりを整え、メイドにあれこれ指示を出して、クラウディア付きの侍女たちは全員休ませている。代わりに塔へ連れてきたのは、ハンネスの家で働く侍女たちだ。
そしてハンネスの目の前には、ミルクティー色の髪をした少女が座っている。
けれどもそれは、姪のクラウディア本人ではない。
「――それにしても、クラウディアが魔力無しの娘で好都合だったな」
ハンネスは額の汗を拭いながら、談話室の椅子へと腰を下ろした。
「王城から視察が来ると聞いたときには、どうなることかと思ったが。レオノーラ、お前がクラウディアと同じ髪色をしていて本当に良かった」
「あら。失礼なことを言わないでよ、お父さま」
ミルクティー色の髪をした九歳の少女、レオノーラは、お菓子を食べながら父親を振り返る。
「クラウディアなんて、ぼさぼさの髪でやせ細っていて、痣だらけのみっともない子じゃない。泥を混ぜたみたいな色をしたクラウディアの髪と、この私のつやつやの髪を一緒にしないで」
「おお、すまないなレオノーラ」
「大体、入れ替わりだなんて今更よ! 今までだって、クラウディアのドレスやお菓子や宝石は全部、私たちの物にしてきたのに」
レオノーラは手鏡を覗き込み、ふふんと嬉しそうに目を細める。
「クラウディアなんかより、どう見たって私が本物のお姫さまだわ」
「ああ、その通りだよ。白く透き通る肌に、よく手入れされた髪。お前が本物の王女だと言えば、誰も疑う者はいないだろう」
ハンネスはほっと息をつく。
捨てられたも同然の王女とはいえ、王族の品位を保つためという名目で、クラウディアの養育には毎月の金が用意されていた。
王室にとっては少額だろうが、孤児の出であるハンネスには大金だ。それをほとんど懐に入れ、自分と家族で散財してきたのは、なにもこの時のためではない。
だが、結果としてそれが良い方に働いた。
幼いころから金を掛け、クラウディアの金を注ぎ込んで育てた娘は、王女だと名乗っても遜色ない少女に成長している。
(やれやれ……やせ細り、傷だらけで喋りもしないクラウディアを視察の人間に見られては、養育者としての罰は免れないと慌てたが。クラウディアを殺し、レオノーラを成り代わらせることを思いついて、本当に良かった)
本物のクラウディアを殺したことは、さすがに娘には教えていない。
だが、娘は「王女になれる」という言葉にはしゃぎ、この替え玉計画を素直に受け入れてくれた。親孝行な娘に育ってくれたものだと、ハンネスは喜びを噛みしめる。
「それにしても、クラウディアが家出してくれて清々したわ! 時々会うことがあったけれど、あの子って私が叩いてもつねっても、全然喋らなくて人形みたいだったもの」
「ははは。だがレオノーラ、これから来る視察の前ではやんちゃをせずいい子にしているんだぞ? 『クラウディア』が素晴らしい姫君に育っていると分かれば、私も信頼されてもっと金がせびれる。お前は王女として贅沢三昧だ」
「やったあ! うふふ、楽しみだわ。お父さま、そろそろ視察の人が来る時間じゃない?」
椅子から降りたレオノーラと手を繋ぎ、ハンネスは立ち上がる。
「そうだな。では……」
なんとなく窓の外が気になって、不意にそちらへ目を遣った。
「……」
思い出すのは昨日、クラウディアをこの上階から落とした瞬間のことだ。
二十二階の窓から落とし、下は一面を木々に覆いつくされている。そこは魔物の巣食う森で、魔物除けの魔法を使わないと生きては帰れない。
死体を探すまでもなく、肉食の魔物が処理をしてくれているはずだ。
もっとも、怪しまれることを防ぐため、すぐに確認には行けていないのだが。
(……胸騒ぎがするのは、視察を騙せるかという緊張の所為だろう)
ハンネスは自分に言い聞かせる。
だが、どうにも嫌な予感がしていた。その所為で、昨日あれから大金をはたき、腕の良い魔術師を何人も雇ってしまったほどだ。
(無駄な金を使ったと、分かっている。魔力もない六歳の子供が、あんな高さから落とされて無事なはずもない。なのに……)
落ち着かない気持ちになるのは、クラウディアを窓から落とした瞬間の表情だ。
(あのとき、クラウディアは何故笑ったんだ?)
「お父さま?」
手を繋いだ娘に見上げられ、ハンネスは無理やりに笑顔を作った。
「なんでもない。さあ、伯父さまと行こうか、『クラウディア』」
そうして、娘と共に賓客室へと向かう。
六年もこの塔に通っているが、この部屋を使うのは初めてのことだった。
正妃の嫉妬によって追放された王女であるクラウディアの元に、客人はおろか、国王である実父すら姿を見せた試しがないからだ。
客人たちはすでに控えており、ハンネスたちの姿を見て立ち上がる。
五人のうち、中央に立つ長身の男を見て、レオノーラは小声ではしゃいだ。
「わあ。真ん中にいる銀髪の男の人、すっごく格好いい……!」
娘の言う通り、客人の中に人目を惹く美丈夫が立っている。
銀色の髪を後ろでひとつに結び、真紅に近い赤の瞳を持ったその男は、冷めた目でハンネスを一瞥した。
そのあとで、レオノーラの前に膝をつく。
「……お初にお目に掛かります、クラウディア姫殿下。私はこの度、王城の筆頭魔術師に任命されました、カールハインツ・ライナルト・エクスナーと申します」
(筆頭魔術師だと?)
カールハインツと名乗った男の見た目は、まだ二十代の半ばか後半といったところだろう。
にもかかわらず、屈指の魔術師が集まる王城において、この男が筆頭になったのだという。
それも驚くべきことだが、ハンネスの中に滲むのは、嫌な懸念だった。
(視察というのは、王城の人間が体裁のために来たのではなかったのか? 筆頭魔術師が、何故わざわざクラウディアなんかの元に……)
「はじめまして、カールハインツさま」
頬を染めたレオノーラは、ドレスの裾をちょんと摘まんで頭を下げる。
「わたくし、クラウディア・ナターリエ・ブライトクロイツです。お会いできて、とても嬉しいと思います」
「……早速ではありますが」
カールハインツは立ち上がると、背後にいる四人の魔術師たちに、手を翳すようにして何かを指示した。
「この度の視察における目的は、すでにご承知おきいただいておりますか。ハンネス殿」
「も、目的とは……」
「おや。王女の後見人ともあろうお方が、近隣国との緊張状態を把握されていない?」
冷めた目を向けられてぎくりとするが、同時に怒りも湧き上がる。
仮にも王女の伯父である自分が、はるかに年下の人間にこのような物言いをされる筋合いはないからだ。だが、カールハインツに構う様子はない。
彼は、冷淡に感じられる口ぶりでこう続ける。
「強い魔力を持つお方の存在は、近隣国への抑止力になる。いま一度、すべての王族の魔力を鑑定しなおすべく、我々はここに馳せ参じました」
「そ、そのことであれば……」
冷静になれと自分に言い聞かせながら、ハンネスは咳払いをした。
「クラウディア殿下は、生まれながらにして魔力をお持ちでない身の上。そのことは妃殿下が鑑定に立ち会って、確かな事実だとお伺いしておりますが」
「そうです、立ち会ったのは妃殿下おひとり。……しかし、クラウディアさまが陛下の御子であれば、魔力が皆無ということは考えにくいものでしてね」
嫌な汗が滲みそうになる。
魔力が体に流れているのは、ほとんどが身分の高い人間たちだ。孤児の身の上であるハンネスにも、その娘であるレオノーラにも、魔力など存在していない。
「で、ですが、伯父の私が断言しますよ。クラウディア殿下は、本当に魔力をお持ちではないようで……」
「であれば」
赤い瞳は、レオノーラをつまらなさそうに見下ろす。
「――我々が調査すべき点は、クラウディア姫殿下が『本当に陛下の御子であるか』という点からになってしまいますな」
「な……っ!!」
生まれた動揺をかき消すべく、ハンネスは怒ったふりをした。
「き、君、いくらなんでも失礼ではないか!! 我が妹の不貞を疑うなど、国王陛下への不敬とも取られかねないことだぞ!!」
「ひ、ひどいわ魔術師さま……! 私、本当に本物の王女です!」
レオノーラが両手で顔を覆い、泣き真似を始める。ハンネスは彼女を抱きしめながら、あやすふりをした。
(くそっ、嫌な流れになった。このまま事を荒立てて、有耶無耶にしたままこいつらを追い出そう……!!)
レオノーラを後ろに庇い、ハンネスはカールハインツを睨みつける。
「申し訳ないが、クラウディア殿下は大変傷ついていらっしゃる。この場はお引き取り願――……」
その瞬間。
「!?」
ずん、と大きな地響きが聞こえ、足場が大きく揺らいだ気がした。
「な、なんだ……!?」
「大変です、ハンネスさま!!」
駆けつけてきたのは、つい昨日大金を払って搔き集めた傭兵魔術師のひとりだ。
黒いローブを纏った魔術師は、血相を変えながら早口に報告してくる。
「結界です。魔物の侵入を防ぐための結界が、破られたようで!!」
「なに!?」
この塔には普段から、森の魔物を引き寄せないための結界が張られている。
『招かれざる客を中に入れない』という、古典的だが強力な魔法だ。この結界がある限り、魔物や人間の類はすべて、中にいる人物から招かれないと入れないことになっている。
「まさか、結界が外から破られたというのか!? ドラゴンがこじ開けようとしても開かないという、王城魔術師たちの結界だぞ!?」
ハンネスが動揺しているあいだに、カールハインツが部下たちに命令を下した。
「――総員。敵襲に備えて構えを」
「はっ」
そんなやりとりのあいだにも、再び塔が大きく揺れる。
強大な力で殴りつけられているかのような、そんな衝撃を感じる揺れだ。テーブルが跳ね、ティーカップが床に落ち、置物が無残にも落下して割れる。
こうなってはもう、視察どころの話ではない。
「戦闘態勢に移行する。来い」
「きゃああっ!! お父さま怖い、助けて!!」
「馬鹿っ、俺はお前の『伯父さま』だろう!!」
レオノーラを慌てて抱き締めながら、カールハインツたちの背中を視線で追う。
そのとき、賓客室の扉が開け放たれた。
「いやあっ!!」
大きな音に驚いて、レオノーラがしがみついてくる。ハンネスも息を呑んだのは、扉の向こうに人影があったからだ。
(……子供……!?)
そこには、黒髪の少年が立っていた。
整った顔立ちをしているようだが、その目はいかにも生意気で、やけに気位が高そうな雰囲気を帯びている。
少年は漆黒の瞳でレオノーラを見たあと、数秒の後に、その目をハンネスの方へと向けた。
「――……」
(ぐ……っ)
冷ややかで、軽蔑のこもったまなざしだ。
突然現れたあんな子供に、このような視線を向けられるいわれはない。ハンネスは叱りつけようとしたが、声が出ないことに気が付いた。
「あ……?」
自分の体が震えている。
ともすれば座り込みそうなほどに、情けなくも膝が笑っていた。その理由が、少年の瞳に睨みつけられているからだということを、数秒してからようやく理解する。
本能が、無意識に彼を恐れていたのだ。
(まさか、あのガキが結界を破ったのか? ……右手に、剣らしきものを……)
少年はふっと短く息を吐くと、今度はカールハインツに目を向ける。
それを見て、ハンネスは少しだけほっとしつつ、どうにか声を絞り出した。
「ま……魔術師殿! この子供は侵入者です!! 何者かは知りませんが、早く捕らえて……」
「……」
だが、カールハインツは一歩も動こうとしない。
そうこうしているあいだに、少年の手から剣が消える。
彼は扉の横に控え、誰かに道を譲るような所作をして跪き、現れた人物の手を取った。
「な……っ?」
ハンネスは思わず絶句する。
少年に手を取られ、社交界の姫君のように現れたのは、見慣れているようで見知らぬ子供だったからだ。
「……まさか、あれは……」
紅茶にミルクを溶かしたような、甘い白茶色の髪。
人形のように細い手足と、その繊細さを際立たせるように豊かなフリルのドレス。その色白さは少し病的にも感じるが、どこか神秘的な雰囲気すら帯びている。
母親にそっくりな、美しい外見。
こちらに向けられたその瞳は、オパールの宝石のように色とりどりの光を帯びていた。
「ちょうどいい頃合いのようで、うれしいわ」
その少女は、にっこりと鮮やかな微笑みを浮かべ、少し舌足らずな声で言った。
「ごきげんよう。愚かなおじさま」
「く、クラウディア――……!?」