4 眷属の提案
【二章】
すっかり夜が更けたころ。
森の外れにある宿の一室で、ゆったりしたナイトドレスを身に纏ったクラウディアは、向かいの寝台に腰かけたノアに尋ねた。
「五百年前の魔女、アーデルハイトを知っている?」
「……伝説の魔法使いだろう」
宿屋の風呂を使い、泥や血の汚れを落としたノアは、宿屋の子供が着られなくなった服を着てこざっぱりとしている。
濡れていた黒髪も乾きかけて、毛先にふわふわと軽い癖が出ていた。
こうして見ると、ノアの外見はやはり整っている。身なりを整えれば、貴族や王族の血筋だと簡単に人を信じ込ませるだろう。
ただし、黒曜石の瞳は獣のようにクラウディアを睨みつけ、その手には短剣を握っているのだが。
「『世界を変えた魔女』だとか、『現代魔術の源流』だとか呼ばれてる。それくらい、誰でも知ってることだ」
「ふふ。そう、ありがとう」
「……そんなことより」
短剣の切っ先をクラウディアに向け、ノアは上目遣いにこちらを睨んだ。
「あんた一体誰なんだ?」
「私?」
尋ねられ、クラウディアはことんと首をかしげる。
そのあとで、わざとらしい泣き真似で悲しみを表現した。
「ひどいわノア。恩人を忘れるだなんて」
「俺が森で会ったのは、五歳くらいのチビだ」
どこかうんざりした顔をしながら、ノアは身構える。
「――あんたみたいな、大人じゃない」
「ううん……」
クラウディアは、寝台から少し身を乗り出すと、壁際の姿見で自分の姿を眺めた。
そこには、十六歳くらいの美しい少女が映り込んでいる。
すらりと伸びた手足に、大人びた面差し。
胸元は柔らかく豊かに膨らみ、腰はきゅうっとくびれている。ただし、甘いミルクティー色をした髪は、子供の姿と変わらない。
「本当はもっと、二十歳くらいの外見を作りたかったのだけれど」
「作る?」
「ちょっと眠って魔力が回復したから、一時的に大人の姿になったの。変身の場面、あなたもその目で見たはずだけど」
「……」
それはつい先ほど、この宿屋がある村に到着する直前のことだ。
「どちらも子供のままでは、宿屋だって泊めてくれないでしょう? まさか、あなたが私を背負ったまま、森の外まで出るとは思わなかったから」
「お前が『家』とやらを説明せずに寝たからだ。何もかも、説明が足りなさすぎる」
「だから、いま説明してあげてたじゃない」
ぎしりと音を立て、寝台のふちに座り直した。
向かいの寝台のノアは、刃先を僅かに下げながら言う。
「まさか、自分がアーデルハイトだって言うつもりか?」
「厳密に言えば、その生まれ変わり。今世での身分はこの国の王女、クラウディア・ナターリエ・ブライトクロイツ。六歳よ」
「……」
素直に信じる気にならないと、ノアの顔には書いてある。
だが、クラウディアがにこりと微笑めば、むくれた顔のまま短剣を仕舞った。
「あら。『信じたくない』ってお顔をしているのに、もういいの?」
「信じたくないのと、信じられないのはまったく別だ。信じたくはないが……」
その瞬間、クラウディアの胸の辺りがぽんっと小さな音を立てた。
ふわふわとした煙が生まれ、それが晴れると、クラウディアは六歳の体に戻っている。
ちょこんと寝台の上に座り、足が床に届かなくなった小さなクラウディアを見て、ノアは忌々しそうな顔をした。
「……こんなでたらめな魔法の使い方、ちょっとやそっとの理由じゃあ、納得できないからな」
「あなた、やっぱり魔法の心得があるのね」
クラウディアは、ふうんとノアを観察する。
彼の体の内側には、純度の高い魔力が流れていた。
極めつけは、魔力の性質を表す瞳の色が、クラウディアすら見たことのないほどの漆黒だということである。
「……あんたが、魔女アーデルハイトの生まれ変わり……」
ノアはぽつりと呟いた。
クラウディアの中身を年上だと認めたのか、子供の姿に戻っても、呼び方が『お前』から『あんた』に変化したままだ。
「じゃああんた、中身はさっきみたいな大人なのか」
「ふふ、そうよ。お姉ちゃんみたいに思ってくれていいわよ」
「嫌だ」
心底嫌そうな顔で断られたあと、ノアは「もうひとつ」と尋ねてきた。
「……俺とあんたのあいだには、新しい奴隷契約が結ばれているのか」
「ちょっとちがうわ。それよりも強い、眷属けいやくの魔法よ」
「眷属……」
言葉の意味を噛み締めるように、少年の声が呟く。
「さっきから、感じたこともないくらい大きくて、強い魔力が流れ込んでいるのが分かる。……ここに」
ノアは、白いシャツに覆われた自分の左胸を手で押さえる。
「これは、あんたの魔力なんだな」
「そう。眷属は、わたしの魔力を使うことができるの」
「……」
「いやかもしれないけど、がまんしてね。明日の朝まで寝て、わたしが元気になったら、ほどいてあげるから」
するとノアは、真摯な目でこう言った。
「このままでいい」
思わぬ言葉だったので、クラウディアはきょとんとする。
「なぜ?」
「あんたの魔力を利用できるのは、俺にとっては好都合だ」
その言葉に、クラウディアは『ふうん』と目を細めた。
ノアに事情があることくらい、先ほどの状況を鑑みれば明白だ。
十歳にも満たない子供が、あんな古臭い奴隷契約の魔法に絡めとられ、逃げ出すために命を落とそうとしていた。
(それが、面白い事情であればいいのだけれど……)
「代償が必要なら、それを払う」
クラウディアの値踏みを察してか、ノアはそう言った。
「払えるの? あなたに……いいえ、お前に、このわたしへの代償が?」
「あんたにとって、俺には何らかの価値がある。だからこそ、あのとき俺を生かしたんだろう」
「……っ、ふふ!」
なんだか楽しくなってきて、クラウディアはくすくすと笑う。
寝台からぴょんと降り、ノアの前に歩み寄ると、彼のことを下からぐっと見上げた。
「今世のわたしはね、やりたいことしかしないの。わたしの眷属になるのなら、それに付き合ってもらうことになるわ。ほんとうにいいの?」
「……従う」
「お前は奴隷から逃げ出した。わたしのもとで、もっと辛いおもいをするかもしれないわ。それでも?」
「従う」
漆黒の瞳でクラウディアを見下ろして、ノアが紡ぐ。
「生き方を選べと言ったのは、あんただろう?」
(――どう見ても、子供が自分の望む生き方を選んだ目ではないけれど――)
クラウディアは、悪い魔女の微笑みをふわりと浮かべた。
「いいわ」
何しろ今世のクラウディアは、やりたいことだけをやると決めているのだ。
「では、さっそくあした、わたしの塔にかえりましょう」
「……そこで、何をするんだ?」
「そうね」
クラウディアは、先ほど自分を突き落とした伯父の顔を思い浮かべつつ、ノアに告げる。
「大掃除、といったところかしら」