38 伝説の魔女のたやすい決断
「呪いをもちこまれた国は、自国民どうしの殺し合いでよわってしまった。それはすべての国々で同時に行われて、各国の魔術師たちがきづいたときには、手遅れだったの」
どろりと濁った真っ黒な空を、クラウディアははっきりと思い出せる。
「魔術師たちは、こくみんの救出と治癒、せめこんできた敵との戦い、りょうほうを強いられて消耗したわ。……わたしの国も、例外ではなかったの」
魔術兵たちは、本当に苦しい戦いを強いられた。
守りたかった国民から、本気で殺そうとして攻撃される。
それを極力傷つけないように制御し、治癒し、守らなくてはならない。
そんな中でも敵国は攻めてきて、こちらが必死に助けようとしている国民たちごと、容赦のない攻撃を仕掛けてくるのだ。
「アーデルハイトはね。うまれてからずっと国のために、そのためだけに生かされていたわ」
「……姫さま……」
そのときのことを思い出すと、今でもどこか胸の奥に、ぽっかりと穴が開いたような心地になる。
「五百年まえは、魔女とはつまり巫女のようなものだったの。ひとびとのために魔法をつかって、民につくして……いつもひとり。そんなくらしも悪くはなかったけれど、ちょっとだけさびしかったかしら」
「……」
「夜にねむるとき、そばにだれも居ないのが、ちいさい頃はとてもかなしかった。――だけどそのうち、わたしが人に魔法をおしえられるようになって、弟子をとることがゆるされたの」
嬉しくなって、それはそれはたくさんの弟子を迎えた。
振り返ってみれば、常に二十から三十人の弟子がいただろうか。頼まれれば誰でも迎え入れたし、ついてこれなくていなくなるものを引き止めはしなかった。
結果として、『アーデルハイト』の元に残ったのは、優秀な魔術師である弟子たちだ。
『見て見て、アーデルハイトさま! この魔法理論は上手く出来たと思わない?』
『まあ、本当ね。ついこのあいだ教えたばかりなのにすごいわ、お祝いをしましょう』
『よかったなあ。こいつ、アーデルハイトに褒められたくて頑張ったんだぜ。俺もあとで見てくれよ、魔剣の調整ぶりを!』
『ふふ、いいわ。お昼ご飯を食べたら手合わせにしましょう、他のみんなも呼んでくる?』
『僕が行こう。アーデルハイトたちは畑の苺を摘んできて』
大勢でわいわいと暮らしながら、温かい日々を過ごしたように思う。生まれてから、ずっとひとりで暮らして来たアーデルハイトには、彼らは家族も同然だったのだ。
けれど、そうして暮らしていた国に、呪いを率いた敵兵がやってきた。
「呪いが国にひろがったとき、わたしたちはもちろん、国のために戦うことをのぞまれたわ。……だけど、自国民の呪いのたいしょをしながら強国と戦うことは、うまくいかなかったわね」
弟子たちだけでなく、アーデルハイト自身だって、あのときはもちろん全力で戦った。
それでも、どうしても、どうにもならなかった。
「わたしのかわいい弟子たちは、わたしを守って死にたがったわ」
「!」
何年も傍にいて、彼らの成長を心から喜び、寝食を共にして見守った。
弟子とはいえ、彼らはほとんど年齢も変わらず、アーデルハイトにとっては兄弟や姉妹も同然の存在だ。
そんな弟子たちが、みんな当然のような顔をして、アーデルハイトの盾になろうと足掻いたのだ。
『アーデルハイトさま!! あなたが死んでは、我々は……。お願いです、あなただけでもお逃げください!!』
そんなことが、出来るはずもない。
『あんたが生きていてくれさえすれば、僕らの希望は繋がれるんだ。早く行けよ、頼むから……!!』
たったひとりが生き残って、何が希望だというのだろう。
『俺たちは、お前を生かすためならば、ここで笑って死んでやる』
(――馬鹿ね)
そのとき、彼らの掛けてくれた言葉によって、新しい理論が浮かんできたのだ。
ここに至るまでに、随分と死なせてしまった。もっと早くに気付けばよかったと、それを悔いてももう遅い。
だけど、いまからでも選ぶことが出来る。
(私ひとりが生き伸びるよりも、あなたたちが生きていてくれた方が、私にとってはずうっと良いわ)
そう思い、戦場で微笑んで口を開いた。
『……これまでの人生を、私なりに国へと捧げて来たつもりだったわ。魔法の理論を研究し、それを常日頃から技術化して、周囲にも惜しみなく分け与えた。もう十分、他人のために生きて来たわよね?』
『……アーデルハイトさま……?』
『決めた』
そして、そのとき急ごしらえで計算した魔法式を、頭の中に思い描く。
『私、これからはもう、自分のやりたいことしかやらないの』
『待て……!! 何をする気だ、アーデルハイト!?』
膨大な魔力を原動力として、新しい魔法を発動させる。
そんなことは、常日頃から行ってきたことだ。
『腹が立つからこうするのよ。これは、私の意地。――このアーデルハイトが、他の魔術師が作った魔法道具に後れを取るなんて、絶対に我慢できないでしょう?』
『やめろ!! 頼むから、使うのであれば俺の命にしろ!!』
弟子たちはみんな、アーデルハイトの代わりに死のうとした。
彼らが本気であることを、もちろん痛いほどに分かっている。アーデルハイトを守るためなら、きっとどんなことだってしてくれる人たちだ。
だからこそ、彼らが全滅してしまうような、そんな道は選びたくなかった。
「わたしだって、てんさいだったのよ」
目の前のノアに向け、クラウディアは冗談めかして笑う。
「あの場で思いついた新しいまほうを、ちゃんと使うことができたはず。せかいじゅうから呪いはきえて、めでたしめでたし」
「…………」
後世において、アーデルハイトは自害したと言い残されているらしい。
けれどもどうやら調べてみれば、いまの時代からは呪いの存在そのものが薄れている。
かつて大きな戦争があったとは知られていても、そこに呪いによる混戦があったことは、史料として残っていないようだった。
(あそこに遺して来た弟子たちが、徹底的に呪いの存在を抹消して回ったのね。そんな中でも、ノアの叔父が奴隷魔術を使えたのは、彼らの先祖であるライナルトが、何かしら伝え残していたからかもしれないわ)
クラウディアがそんな想像をしているあいだも、ノアは少し苦しそうな表情をしながら、目を逸らさず真っ直ぐにこちらを見ていた。
「それが、あなたの『やりたかったこと』ですか?」
「そう。すっごく怒ったから、ぜんりょくでやり返したし、それからもそうやって生きていくことにしたの」
自己犠牲で世界を救ったわけでもなければ、悲劇的な理由があって自害したわけでもない。
ただ、それだけなのだ。
「わかったでしょ? ……おとなだって、こどもだって、いざというときに感情でうごいてしまうのは変わらないのよ」
十八歳だった『アーデルハイト』も、その人格を受け継ぐクラウディアも、九つのノアからしてみれば大人に見えるのかもしれない。けれど、実態はなにも変わらないのだ。
だというのに、ノアは苦しげに口を開く。
「……分かりません」
そして、まなざしを少しも逸らすことなく、クラウディアに告げるのだ。
「あなたがそのときに、どんな感情で動いていようと。……俺はあのとき紛れもなく、あなたが起こした行動によって、呪いの苦しみから解放されました」
「……」
あまりにも率直なノアの言葉に、クラウディアは目を丸くしてしまう。
「あなたの選んだ選択肢によって、誰かの未来に光が訪れたのなら……」
ノアは、クラウディアの前まで踏み出すと、跪いて真正面から視線を合わせた。
「……それは紛れもなく、あなたが救ったことになるはずだ」
「――――……!」




