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3 抱っこしてちょうだい

 だが、彼はすぐさま顔を顰めると、胸を押さえたまま地面に蹲った。


「あなた、よくそのじょうたいで生きていたものだわ」


 彼を殺そうとしているのは、心臓に植え付けられている強固な魔法の所為だろう。


「奴隷のけいやく。……にげたら死ぬって、ごしゅじんさまに教わらなかったの?」

「っ、は……」


 少年は荒い呼吸を重ねながら、地面に額を擦り付ける。

 痛みがあって苦しいのだろう。少年は身を捩り、ぐっと奥歯を噛み締めているが、悲鳴や泣き言は一切漏らさない。


 それどころか、必死に身を起こして顔を上げると、やはり真っ直ぐにクラウディアを睨みつけるのだ。

 彼の体に纏わりついた黒靄は、彼の命を搾り取ろうとしている。さぞかし辛いだろうに、よくぞその目を保てるものだと思った。


 だが、クラウディアは睨まれたってなんとも思わない。構わず少年に歩み寄って、彼の前にちょこんとしゃがみこむ。


(珍しいものだわ。対象を魔法で縛り付け、死ぬまで従わせるための奴隷契約――いまの時代にも、こんな呪いを使う人間がいるのね)


 奴隷契約の魔法は、強固な制約を発するものだ。

 少年は何かと引き換えに、主人とその契約を結んだのだろう。だが、その契約に違反して逃げ出し、『罰則』を受けることになってしまった。


「それだけじゃないわね。……もしかして、契約をむりやり、ひきちぎろうとした?」

「……うるさい……」

「ばかね。そんなことをしてもあなたは死ぬし、くるしみが増すだけなのに」

「うるさい、黙れ……!!」


 顔はこんなにも綺麗なのに、随分と乱暴な口を利く。

 クラウディアはくちびるを尖らせたが、ふと彼の動きに気がついた。


「……まさか、いまもまだ抵抗して、契約をちぎろうとしているの?」

「――……」


 少年は返事を返さない。

 だが、それは雄弁な沈黙だった。そうでなくともクラウディアには、少年の持つ魔力が、彼の体内で暴れているのがよく分かる。


「そんなことしてもムダよ。死ぬ瞬間まで、すっごくいたくて、くるしいだけよ? あなたがしげきしなければ、黒蛇さんたちもおとなしくしているのに」

「それが、なんだっていうんだ」


 少年はクラウディアを睨みながら、ひどく掠れた声を振り絞る。


「死ぬ瞬間まで、あんな奴の奴隷でいる気はない。たとえ一秒、ほんの一瞬しか逃れられなかろうと、構うものか」


 心臓を押さえる彼の手に、ぐっと強い力が籠るのが分かった。


「生き方は選べなかった。……どうせ命を落とすなら、死ぬ方法くらいは自分で選ぶ」

「ふふっ」


 クラウディアは両手を後ろに組み、くすくすと笑った。


「あなた、やっぱりきれいだわ。だけどすこしだけ愚かなのね」

「……なにを……」


 不快そうな目をした少年を前に、クラウディアは微笑み掛ける。そして、彼に告げた。


「だって、どうせなら」


 心の中で詠唱して、その手に一本の短剣を握る。



「――終わらせる方法などというつまらないものではなく、生きる方法を選びなさいな」

「……っ!?」



 そうして、その剣を自分の左胸へと突き立てた。


「お前……!!」

「――……」


 目を伏せて、魔法の刃が心臓に届いたのを確かめる。

 切先が触れ、魔力がぶわりと溢れたのを感じながら、一気に短剣を引き抜いた。


 ぱたぱたと赤い血が溢れ出し、少年が反射的に顔を顰める。けれどもこの血液は、当然ただの血ではない。


「……血が、光っている……?」


 金色の輝きを帯びた血が、短剣の刃を染めていた。

 クラウディアは、膝をついた少年の顎を掴むと、無理やりに彼を上向かせる。彼の首に絡み付く靄を見下ろし、彼の左胸に剣尖を当てた。


「みにくい鎖はきってあげる。すこしだけの辛抱だから、こわくても暴れちゃだめ」


 少年が目を見開いたので、クラウディアは満足してにこりと微笑む。

 やっぱりこうして近くで眺めても、惚れ惚れするような黒曜石の色だ。くちびるを淡く開き、短く息を吸い込んで、詠唱した。


「『破却』」

「――っ!!」


 どちらかの心臓が、どくんと大きく跳ね上がった。

 少年の左胸に、クラウディアの剣が突き立てられる。呪いのような魔力が逆流し、靄の黒色が濃くなった。


 奴隷契約の魔法が暴れている。右手に握り込んだ剣の柄が、とろけてぐつぐつと煮えたぎるようだ。


「あら。逆らうの」


 その感触が新鮮で面白く、クラウディアはくすりと笑う。


「いまのわたしの体では駄目ね。しかたないから、あなたの奴隷契約をうわがきするわ」

「上書き……?」


 少年は苦しげに顔を歪めたが、クラウディアから決して視線を逸らさない。


「あんしんなさい。首輪はすぐに、はずしてあげる」

「っ、……!!」


 彼が何かを言い掛けた途端、ぱきんと何かが割れる音がした。


 目を開けていられないほどの風が吹き、ドレスの裾をはためかせる。

 ミルクティー色の髪を押さえたクラウディアは、風が止んだあとにそっと瞼を開けた。


「……これは……」


 少年が、信じられないものを見るような顔で辺りを見回す。

 すっかり黒い靄の晴れた森は、柔らかな静寂に満ちていた。少年は続いて、シャツに包まれた自分の左胸を見下ろす。


 そこには黒い蛇はおろか、短剣で刺された傷もない。

 クラウディアの手にしていた短剣も、しゅわりと溶けて消えている。


「罰則を、止めたのか? それだけじゃない、俺の奴隷契約まで……」


 問い掛けに、ふわりとあくびをしながら答えた。


「はずれてはいないわ。つなぎ変えただけ」

「繋ぎ変える?」

「あなたの魂につけられていた、くさりの先を。前のごしゅじんさまから、わたしにかえたの」


 ドレスの裾をぽんぽんと払うが、小さな手では上手くいかない。

 こんなに汚れが目立つのなら、ドレスを白になんかしなければよかった。クラウディアはむうっとくちびるを曲げつつも、少年を見上げた。


「後はただ、わたしがけいやくを破棄するだけでいい。あなた、おなまえは?」

「……持っていない」

「そう。では、すこしのあいだノアとよぶわ」


 名前がないことに深く触れなかったのが、そんなにおかしなことだろうか。

 ノアと名付けた少年は、警戒心を隠さない目でクラウディアを見る。


「お前は一体なんだ。どう考えても、ただの子供じゃないだろう」

「んん……。おしえてあげるのはかまわないし、けいやくの破棄もしないといけないけれど……」


 先ほどから、ふわふわと地面が揺れている。

 クラウディアはノアに手を翳し、簡単な魔法をひとつ詠唱した。


「『治癒』」

「!」


 ふわりと光の球が生まれ、ノアの周りをくるりと回る。


「これで元気になったでしょう? かわりにわたしを抱っこして」

「な……おい、ちょっと待て!」


 有無を言わさず手を伸ばすと、ノアは反射的にクラウディアを抱き留めた。

 クラウディアの額が、ちょうどノアの腹あたりにくる身長差だろうか。抱き上げてもらうには足りないようで、心の底から残念に思う。


「あのね、とってもねむたいの」

「……は?」

「たぶん、魔力の使いすぎ……からだ、たえられなくて、げんかい……ふわあ」


 大きなあくびをしたあと、クラウディアはふにゃふにゃとノアにくっつく。


「待て。まさか寝る気か、ここで?」

「おくってって……。……わたしの、おうち、むにゃ……」

「おい……!!」


 そこまで言って、ふっと意識が途切れるのを感じた。


 こてんと頭をノアに預け、クラウディアは寝息を立て始める。ノアがいくら揺さぶっても、ちょっとやそっとでは目覚めそうになかった。

 眠ったクラウディアを抱えたノアは、途方に暮れた声でこう呟く。


「……お前の家なんて、聞いてない……」




こちらの話も連載中です。


ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する

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