26 可愛い従者に見せたいもの
ノアが不機嫌そうにしていたのは、そのことが理由で間違いない。それは分かっていたけれど、敢えて弁解もしなかった。
「じまんのノアを、おとうさまに見せてあげたいでしょう」
「……姫さま」
「だってね、ノア」
クラウディアは微笑んで、この可愛らしい従僕に告げる。
「――おまえには、たくさんの『可能性』があるのだもの」
「……っ」
それはもう、素晴らしい未来を選ぶことが出来るのだ。
たくさんの魔力を持っている。それを制御し、応用し、短期間で使いこなすような天賦の才もある。
大国の王族という血筋であり、頭脳はいたって明晰だ。しなやかな四肢はよく動き、これからどんどん成長して、背も高く体格のいい美丈夫となるのだろう。
「おまえのちからは、すべての人にみとめられるべきだわ。最低でも、この国でいちばんの王さまくらいには」
「……っ、俺は」
「もしかしたら、ヴィルにいさまや、エルにいさまにも、ほしがられるかも」
そう告げると、ノアがぐっと眉根を寄せる。
(追放された王女の従僕であるよりも。――本当は、お父さまやお兄さまたちの従者になった方が、お前には沢山の未来が訪れるわ)
言葉に出さなかったその思いを、ノアは感じ取ったのだろうか。
「冗談じゃあない」
ノアは静かに上半身を起こして、寝転んだままのクラウディアを見下ろした。
その瞳には、憤りの感情が燻っている。
クラウディアが仰向けに寝返りを打ち、見上げてみると、空よりもよっぽどノアの瞳が眩しかった。
「言ったでしょう。俺はあなたの犬で良いと」
「……ええ。聞いたわ」
微笑みながら、ゆっくりと頷く。
ノアは、怒りを帯びた真摯な表情で、クラウディアに真っ直ぐ告げるのだ。
「俺は、あなたに救われた」
「――――……」
ざあっと吹き抜けた晩秋の風が、季節外れの花々を揺らした。
「叔父の元から逃げ出し、無我夢中で転移した先のあの森で、あのまま野垂れ死ぬんだと思っていました。……ひどく惨めで、すべて奪われたんだと悔しくて、けれどもなにも出来ないんだと分かり切っていた」
出会ったときのノアを思い出す。
幼いながらに魔法へ抗い、地面に這いつくばりながらもクラウディアを睨んだ少年が、心の中でどんなことを考えていたのかに耳を傾けた。
「あなたを裏切って転移してからも、あとはこのまま死んでも構わないと思っていました。なのにあなたは、もう一度俺を助けてくれたばかりか、妹を弔ってくれた。……『よく頑張った』と、俺にそう言って下さったでしょう」
クラウディアは微笑んだまま、もう一度頷く。
「――俺はあのとき、『まだ生きていたい』と、生まれて初めてそう思った」
ほんの一か月前のことだから、もちろんはっきりと覚えている。
あの時のノアは、泣きそうな顔をしていた。
けれどもそれを必死に堪え、クラウディアに忠誠を誓ったのだ。いまのノアは、あのときよりももっと切実なまなざしでこう告げてくる。
「だから、あなたの犬でいい。……他の生き方はいらない」
その言葉こそ、本当に健気な忠犬のようだ。
(ノアはいつだって、真っ直ぐね)
素直でない振る舞いで強がったり、大人びた背伸びをしてみせたりすることはあっても、すべてはクラウディアに頼られたいが故だ。
守ろうとしてくれているのが、よく分かる。
だからこそクラウディアは、はっきりと告げることにした。
「それはね、ノア」
そっと小さな手を伸ばし、やさしくノアの頬に触れる。
「おまえがまだ、ほかの生きかたを知らないからだわ」
「……っ」
そう告げると、ノアがぐっと顔を歪めた。
「違う。……俺は、あんたのことが……!」
「わたしが?」
「……!」
聞き返すと、ノアが強く拳を握り込んだのが伝わってくる。
ノアはそのまま深く俯くと、拳をほどいた手で目元を覆い、独白のような声をぽつりと零した。
「…………心配、なんです」
「しんぱい?」
これはまた、新鮮な言葉を向けられたものだ。
前世アーデルハイトのころはもちろん、追放された王女だったクラウディアにとっても、誰かから心配された経験はほとんど無い。
けれどもこの一か月を振り返れば、ノアがクラウディアを庇おうとしてくれたのは、確かに『心配』とも呼べそうなのだった。
「……前世のあなたは死んでいます」
「そうね。もしいきていたら、518さいのおばあちゃんだわ、ふふ!」
「命を落とした理由は、自害だと言われている」
懐かしい過去をノアに話されて、クラウディアは微笑みに目を細める。
「その理由は後世に残っていません。遺言のたぐいは、あなたの弟子たちによって秘匿されている」
「かわいい。わたしにひみつで、いっしょうけんめいしらべたのね?」
「何故死んだのかと、そんなことを聞くつもりは俺には無いです。ただ、最強の魔女でありながら突如自死を選んだアーデルハイトの危うさは、いまのあなたにも引き継がれている」
(……本当に、真摯な目で私を案じるものだわ)
クラウディアはそうっと起き上がって、花畑の中に座り込んだ。
花びらが絡まっていたのか、ノアはクラウディアの髪へと触れながら、言葉を続ける。
「……どうしてわざわざ、お父上を挑発するような言動を取るのですか」
「そのほうが、おもしろそうだったからよ」
「本当に? ――父君の不興を買った上で、その関心を俺に移し、あなたから俺を取り上げさせるおつもりだったのでは?」
「ふふ」
短い期間で、随分とクラウディアのことを理解してくれている。
ノアの言ってみせた通りだった。
クラウディアはこの、優秀で、可能性の塊のような従僕に、クラウディアの傍にいる以外の未来を見付けてあげたい。
(だって、こんなに良い子なんだもの)
心から、そう思う。
(広い世界を知って、色んな人に出会って。――そうして開ける膨大な未来が、あなたの行く手には存在している)
そのことを口にしないまま、クラウディアはノアの左胸に触れた。
「!」
途端に強い風が吹いて、ノアが反射的に目を瞑る。
そうして彼が目を開くと、クラウディアは十六歳ほどの姿に、ノアは十九歳くらいの外見に変わっていた。
「……姫さま……」
大人の姿になったノアの、呆れたようなその声音に、同じく大人の姿になったクラウディアは心から笑う。




