23 父王からの提案
※昨日も更新しています。前話をお読みで無い方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
一方で、周囲の護衛は真っ青になり、言葉を発するどころではない。そしてもちろん、兄王子を始めとした子供たちも同様だ。
エミリアの表情は強張っていて、いまにも座り込んでしまいそうだった。
だが、誰より血相を変えていたのは、エミリアと同じ赤色の髪を持つ女性である。
「エミリア!!」
その女性は足早に歩み出ると、エミリアの手首を強く掴んだ。
(彼女が正妃、イルメラね)
美しく華やかな女性だが、表情には焦りが浮かんでいる。
まるで、娘が国王に泥をぶつけたことそのものよりも、もっと切実な問題を抱えているかのようだ。
「あなた、何ということをしたのですか!!」
「あ……わ、私……」
「陛下に対し、このような悪戯をするだなんてとんでもない……!! 何かあったら、一体どうするのです!?」
「だって、だって、お母さま!!」
エミリアはいやいやと首を横に振って、クラウディアを指さす。
「私じゃない。あの子が悪いの、全部あの子が……!!」
「……なんですって?」
(あらあら。証拠もないのに疑われてしまったわ)
もちろん、そんなのはクラウディアにとってもどうでもいい。
けれどもイルメラは、アメジスト色の瞳に怒りを燃やしながら、クラウディアを強く睨み付けた。
「そうなのですか? エミリア、あなたに落ち度はないのですね?」
「え、ええ、お母さま! あの子が私に意地悪をするから、こんなことになったの!」
「なんて子なのでしょう……!! お聞きになりましたか? 陛下! エミリアがこのような振る舞いをしたのは、どうやらすべてクラウディア姫殿下の……」
その瞬間、ここまでずっと黙っていた父王フォルクハルトが、ようやく口を開く。
「――おい」
「……っ!?」
イルメラが、反射的にエミリアを庇うようにして抱き締めた。
「やかましいぞ、先ほどから」
フォルクハルトの放った声音は、母親が咄嗟に娘を庇おうとしてしまうほどに、冷淡で威圧的だった。
彼は、泥に塗れた衣服を軽く払うようにしたあと、面倒臭そうに言い捨てる。
「これくらいの些事で、ぎゃあぎゃあと喚きおって。このようなもの、汚れたら召し替えて捨てればよい」
「へ、陛下……」
「そんなことよりも」
フォルクハルトの指は、真っ直ぐにイルメラとエミリアを指差す。
「感情的に喚く人間の方が、傍に置くにはよほど不快だ。エミリアを連れて下がれ」
「ですが……!! お聞きください、クラウディア姫殿下はきっと、他の子供たちにも危害を加えるでしょう! その前に」
「同じことを、二度も言わせるか?」
「……!!」
父王フォルクハルトの瞳は、ガーネットの色をした赤色だ。
瞳の色は、魔力の性質と、それを司る本人の気質を表している。燃えるような赤い瞳は、それだけで周囲の人間を抑えつけるかのようだ。
正妃イルメラは、夫に対する怯えの色を見せたあと、深く俯いた。
「……お言葉に従います、陛下」
「お母さま……。わ、私」
「何をしているの! 早くおいでなさい、エミリア!」
イルメラは立ち上がると、泥だらけなエミリアの手を手首を掴んで歩き始める。
すれ違いざま、どうやらイルメラは、クラウディアのことを強く睨みつけたようだ。
あくまで想像になってしまうのは、クラウディアの前に立ったノアが、少年らしい小さな背中で庇ってくれたからだった。
(ノアは本当に、一生懸命私を守ろうとしてくれるのね)
クラウディアは、ノアの背中に顔を埋める。くすくすと笑ってしまっているのは、当のノアには伝わっているだろう。
だから、ノアにしか聞こえないくらいの声で囁いた。
「ふふ、すねないで、ノア。うれしくてわらっているのよ?」
「姫さま……」
「……それよりも。このあとは、くれぐれもいい子にしていてね」
イルメラたちの気配が消えたあと、父王はこう言い放った。
「こちらを見よ、姫」
ノアは動こうとしなかったが、クラウディアがそっと背に触れて合図をすると、素直に聞き入れてすぐに身を引いた。
父王との間は、これで何者にも遮られない。
そしてクラウディアは、改めて父の姿を見上げた。父王フォルクハルトも、静かにこちらを見下ろしている。
先ほどまでの冷徹さは無いものの、随分と気だるげな表情だ。生まれてから六年間、一度も対面したことの無い娘を見ている表情とは思えない。
フォルクハルトの金色の髪や、その長い睫毛は、中庭に降り注ぐ陽光によって淡く発光しているかのようだった。
(客観的に見て、外見の美しい男。……でも)
フォルクハルトは、仏頂面に近い表情のまま、やがてその口を開く。
「こちらに来い。この父が、お前を抱き上げてやろうではないか」
その言葉を聞いて、長兄のヴィルヘルムが目を丸くした。
「ち、父上が……!? エーレンフリート。お前、父上に抱っこなんてしていただいたことがあるか?」
「あ、あるわけないでしょう! 父上から直接お言葉をいただくことだって、滅多に無いのに……」
離れた場所にいる兄たちの声が、魔法によって収集される。もちろん、父や側近には聞こえていないはずだ。
けれども側近たちの顔を見れば、彼らも兄と同様に、フォルクハルトの言葉に驚いているようだった。
「どうした。こちらへ来い」
「……おとーさま?」
「そうだ。私が、お前の父だぞ?」
形の良い手が伸ばされて、クラウディアを促す。側近のひとりも、クラウディアを急かすようにこう言った。
「ひ、姫殿下。お早く!」
(……この男の機嫌を損ねたら、大変なことになるようね。恐らくは素直に従わなければ、実の娘といえど容赦はしないはず)
周囲の目がこちらに注がれる。傍に控えたノアだって、クラウディアのことを静かに見ていた。
「さっさとしろ。私は、さほど気の長い方ではない」
「……おとーさま……」
「ほら。こちらに来い」
そうしてクラウディアは、可愛らしく無邪気な表情でにこっと笑い、父に向って言い放った。
「――――やだ!」
「――――……!」
美しい父が、虚を突かれたように目を見開く。




